29話 誰かのため
「はあ……」
母への仕送りの為に街に出てお針子として働くエリーの姿はマイアには眩しく映った。マイアだって魔道具師として働いているし、稼ぎ自体はエリーの何倍もきっとある。けれど、ずっとエリーの方が生き生きしていると思うのは何故だろう。
「何かが足りないのかな……」
独立しろとアシュレイに言われて仕事を作り、自分の仕事で嬉しそうな笑顔をする人達がいる。それを知ってマイアは仕事の喜びを知ったとアシュレイに感謝したのだが。
「ヴィオラ座の件を素直に受け入れられないのもそのせい……?」
マイアはそう思いながらあとひとつ残した用事の為にアビゲイルの家へと向かった。
「あら、ごきげんよう」
「こんにちは。今日は渡したいものがあって来ました」
「あらじゃあ上がって?」
アビゲイルに招かれて、マイアは応接室に通された。マイアはさっさと用件をすまそうと鞄を開いた。
「アビゲイルさん、これを持っておいてください」
「これは?」
マイアが持ってきたのは、レイモンドにも渡してある小鳥のゴーレムである。
「これは伝言用のゴーレムです。レイモンドさんにも渡してあるのですけれど、この口にメモを入れて飛ばせば私がどこにいても届けてくれるわ」
「便利ねぇ……いいの?」
「『お友達』ですから」
「ふふふ、分かったわ」
アビゲイルは嬉しそうに小鳥のゴーレムを受け取った。
「今日はマイアは何しに街まで?」
「あ……えっと……」
マイアは口ごもった。そしてトレヴァーの事を聞いていたのは伏せて置いて、劇場見学の事だけ伝える事にした。
「実は劇場のヴィオラ座の照明を作らないか、と言われているんです。それで一度どんな所が見て見ようと思って」
「まあ、すごいじゃない。私、お芝居は大好き。あの劇場が燃えてとても残念だわ」
「でも……私、まだその仕事を受けるって返事できないでいるんです」
「あら、何故?」
マイアの言葉にアビゲイルは首を傾げた。
「その、材料が足りなくて……いえ、それはなんとかなるかもしれないんですけど……」
「マイアには無理そうなの?」
「いえ、技術としてはそう難しくありません。周りも手伝ってくれるというし」
「じゃあどうして? 依頼主が嫌な奴だったとか?」
「そんなんじゃないです。できれば劇場の役に立ちたいと思いました……けど私、多分怖いんです」
矢継ぎ早にアビゲイルに質問されて、マイアはとうとう心情をぶちまけた。
「怖い……?」
「はい。この仕事が終わったら大金が入ってくるんです。金貨2000枚は入るって言われて。仕事は好きですけど……そんなのどうしたらいいか」
自分はなんて馬鹿な事を言っているんだろう、とマイアは思った。アビゲイルには理解できないだろう、そう思って顔をあげると彼女はソファーの肘掛けに肩肘を置いてあごに手をやり頷いていた。
「はーん、なるほどね」
「な、なるほど?」
「マイアはお金の使い方がわからないのね。ふふふ」
「お金の使い方? ……買い物くらいできますよ」
「そういうことじゃないのよ」
アビゲイルはぐっと前に身を乗り出した。
「この私はティオール銀行の頭取の一人娘よ? お金に関することなら他の人より知っているわ。生かし方も殺し方も」
「はあ……」
自信たっぷりに言うアビゲイル。マイアはただただその様子を見ていた。
「マイアが働いてお金を得るのは何故?」
アビゲイルの質問に、マイアは髪をいじりながら答えた。
「えーと……自分の食い扶持を得る為よ。そうしないと家を追い出されるから。あとは……仕事自体が楽しいからかしら」
「そう……ではその得たお金でなにかしたい事ってあるかしら」
「うーん、ちょっと美味しいもの食べたり、本とか買いたいなとは思うけど……すでに蓄えは十分あるわ」
「なるほどね……マイアは小さなお金の使い方しか知らないのよ」
「え……?」
意味がわからずぽかんとしているマイアに、アビゲイルは手を差し出した。そして片手をまず指して小さく丸を描いた。
「私の感覚だけどね。自分の生活や自分のやりがいの為のお金。自分の周りで動くお金があるでしょ。マイアはこの辺しか見えていないの」
「うん、そうかも」
「でもね、もっとお金があったらこの周りにも手が届くの。えーと、例えばマイアの家族が助かるとか……あともっと工房を大きくして人を雇うとか。つまり、夢とか将来の為にお金が使えるのよ」
「夢……将来……」
アビゲイルの言葉にマイアは考え込んだ。本当の両親はもう居ないし、アシュレイには手助けは要らなそうだ。工房に人も要らない。
「うーん……」
マイアは唸るしかなかった。そんなマイアにアビゲイルは言う。
「なにかないの? やりたい事」
「それは……」
その時、マイアの頭にちらりとある事が浮かんだ。
「アビゲイル、初めて会ったときにいた子供達のこと覚えてる?」
「ああ……あの物乞いの子たち」
「あのね、私は孤児でたまたま魔術師に拾われたの。でもそれは本当に偶然で、なんとか働き口を探しにこのティオールの街に向かっていたのよ」
「まあ……」
「だからあの子達はあの日拾われなかった私かもしれない……もし、やりたい事って言われたら彼らに仕事を与えたいわ」
マイアは自分で言っている事に驚いていた。そうだ、マイアはいつもどこか怖かった。村を追い出されて不安に押しつぶされそうになりながら歩いていたあの道に、引き戻されるのではないかと。実際はもう手に仕事も持った大人なのに。
「そう……もし孤児や浮浪児の為の職業訓練校を作るとして、それにはきっと金貨2000枚は足りないわね?」
「あ……本当ね」
アビゲイルに言われてマイアはハッとした。重荷に感じていた大金が、目標を別に持ったらとたんに小さな金額に感じられた。
「マイア、うちの銀行に口座を開きなさいよ。そして基金を作るといいわ」
「基金?」
「そのお金を元にうちの銀行が運用して増やす。……ほかの賛同者を見つけて寄付してもらってもいい。そしたらマイアのやりたい事もできるわよ」
「はぁ……アビゲイル……あなたすごいわ……」
マイアはアビゲイルの考えに思わず感嘆のため息をついた。それを聞いてアビゲイルは澄まして答えた。
「あら、お友達の為に助言するのは当然でしょう?」
そしてぽかんとした顔をしているマイアをみて、声を上げて笑ったのだった。
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