30話 宝物

 お友達、か。とマイアは帰路につきながら小さく呟いた。アビゲイルにエリー、同年代の彼女たちとの触れ合いがマイアの中で何かを変えようとしていた。


「遅くなりました」

「おかえり」


 家に帰るといつものようにアシュレイが出迎えてくれる。アシュレイの顔をみるとやはりマイアはほっとする。


「ご飯の仕度しますね」

「それならもう用意してある」

「……え?」

「なんかお前はくたびれた感じだったからな。ほら、そこの鍋だ」


 また半煮えのシチューだろうか、とマイアが恐る恐る鍋をのぞくと強い香辛料の香りを放つ煮込み料理がそこにあった。


「なんですかこれ」

「カラブリア帝国の料理だ。店屋で頼んで持って帰ってきた」

「……? それって船で三ヶ月くらいかかるのでは」

「気分転換に砂漠が見たくなってな」


 はぁー、とマイアはため息をついた。アシュレイの魔術が桁違いなのは分かっていて、マイアもそれに慣れているつもりだったのだが今さらこんな驚かせ方をされるとは思わなかった。


「そこの平焼きパンと一緒に食べるんだと。冷めてしまったから温めた方がいいな」

「なんで急に砂漠になんて行ったんですか」

「言ったろう、気分転換だと」


 アシュレイはまたそう答えた。詳しい理由は話してくれないようだ。


「……食べますか」

「ああ」


 マイアはこれも見たことのない形のパンをオーブンで温め直して、煮込みをよそった。見たことのない料理を前に恐る恐るそれを口にする。


「んっ……辛いっ」

「そうだな。暑い地方は辛みの強い料理が多い」

「でも辛いだけじゃあないですね。……うん、これは癖になりそう」


 夕食にアシュレイが用意した珍しい料理に驚き、その味を堪能しているうちにマイアの頭からは今日あった事がすっぽ抜けてしまっていた。お皿がからっぽになった頃にようやくそれを思い出したマイアはとりあえず食後のお茶を淹れた。


「アシュレイさん、私近頃、色んな事があったんですよ」

「なんだ?」

「えーと、どれから話したらいいか……まず、とっても大きな仕事が入りました」

「ほう、で?」

「あと女友達ができました」


 マイアがそう言うと、繋がりのない話の流れにアシュレイは、ん? と首を傾げた。


「あのですね。大きな仕事というのは劇場の照明を作る仕事なんですが、随分大金が動くので受けるか迷ってたんです。だって私、そんな大金いらないから。そしたらそのお友達……アビゲイルっていうんですけど……が自分の生活にじゃなくて、夢や将来の為に使えばいいって言ってくれたんです。そしてその方法も教えてくれました」

「そうか」

「私、それが嬉しくて……だってひとりでうんと悩んでたのに、あんな一言で解決しちゃうなんて」


 マイアが興奮気味にアシュレイにそう報告すると、アシュレイは薄く笑って答えた。


「マイア。人の世は人との繋がりで成り立っている。一人じゃ無理な事は二人で、二人で無理なら三人で。もちろん誰もが善人ばかりではないが、それぞれ繋がり会って生きている。魔術師はその理から少しだけ外れた所にいるが、大きくは変わらない」

「そうですね……」


 ほうっとマイアは息を吐いた。そして唇を引き結んで、アシュレイを見た。


「アシュレイさん。聞いて下さい。そして今日、私に夢が出来ました」

「ほう? なんだ」

「私みたいに親をなくした子や仕事のない子に私は仕事を与えられるようになりたいんです」

「大きく出たな」

「多分、大変ですよね……。でも私、アシュレイさんが拾ってくれなかったらそういう子と同じに街で暮らす事になっていたと思います。私、アシュレイさん見たいになりたいんです」


 きっぱりとマイアがそう言うと、アシュレイの頬が赤らんだ。珍しく照れているようだ。


「……俺はそんな立派なものじゃ……」

「魔術は真似できないですけど、こういうことなら私にもできるかもって思ったんですよ」


 マイアは目を泳がすアシュレイの顔を覗き混んでいった。アシュレイは観念したように目をつむり、ひとつ咳払いをした。


「まあ……その喜ばしいことだ。じゃあご褒美をお前にやろう」

「ご褒美?」

「ほら……これだ」


 アシュレイはなにもない空中からネックレスを取り出した。それは深い緑の宝石……マイアの瞳によく似た大きな翡翠のネックレスだった。


「綺麗……」


 マイアはこっくりとしたその色に目が吸い込まれそうだった。


「つけてやる」

「あ、はい」


 マイアは髪を上げて、アシュレイに背を向けた。白い首筋が露わになる。アシュレイは金具を外してマイアにネックレスをつけた。


「こんな立派なもの……ありがとうございます」

「なに、散歩のついでに買っただけだ。この眼鏡の鎖のお礼だ」

「……嬉しいです!」


 正直、マイアの簡素なワンピースにはそのネックレスは大袈裟すぎた。きっと部屋にもどったら外して宝物入れに大事にしまう事になるだろう。でも、マイアはアシュレイがわざわざ買って来てくれたことが嬉しかった。


「新しい目標ができたんだろう?」

「はい」

「では、ひとつまた大人になった記念に……持っておけ」

「……はい」


 マイアは首にかかる翠の宝玉をそっと大切そうに両手で包み混んで、アシュレイの言葉に頷いたのだった。

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