第135話 side タラス⑦
「タラス様。お待たせしました」
「おう。そこに置いておけ」
飯が運ばれてくる。
名称も様付だ。
待遇は悪くない……はずだが……。
いる場所は牢屋だ。
薄暗く、高い位置にある小さな窓から光が差し込むだけだ。
何度も叫んだが、飯の時に人が来るだけで、人の気配がしない。
ただ、数日に一度……いや、何日なんて分からないが、時々人がやってくる。
「タラス様。本日も宴にご参加下さい」
宴……聞きたくもない言葉だ。
ここに来てからというもの、この宴が何度も行われる。
その宴は……考えたくもないことが行われる。
最初は本当に嫌だった。
だが……。
「分かった。スチュースト侯爵か?」
「もちろんでございます。侯爵はタラス様だけをご指名です」
体が熱くなるのを感じる。
あんな下衆な野郎に……俺の体は何度も蹂躙された。
だが、いつからか悪い気分にはならなくなった。
「おお。タラスか。こっちに来い」
「侯爵、頼みがあるんだ」
「おお、何だ言ってみろ。お前の頼みならば、聞いてやらないこともないぞ」
「俺を……自由にしてくれないか? 侯爵の力があれば、なんとなるだろ?」
侯爵は怪しい視線を向けてきた。
そして、手にしている棒で何度も殴ってきた。
裸の俺には堪える。
「豚風情が偉くなったものだな。儂に気に入られているからと言って、勘違いしてしまったか? 折角手に入れた高貴な血のお前を簡単に手放すわけがなかろう? それにお前はここの支配人。お前がいなくなれば、皆が困ると思わぬのか?」
「申し訳ありません。スチュースト侯爵」
「分かればよいのだ。どれ、痛かったであろう?」
スチュースト侯爵は何度も俺の傷を舐めてくる。
この人は本当に俺のことが好きなんだな。
宴は朝まで続いた……。
朝目覚めると、いつも後悔の嵐だ。
……本当になんでこうなったんだ?
俺はタラス。
公国の公主の嫡男。
正式に後継者として指名された。
しかし、忌み子を探すように命令され、見つけたと思ったら無能者も一緒だった。
何の問題もなかったはずだ。
俺の持っていた剣で一撃のはずだ。
なにせ、俺は『剣士』スキルの持ち主。
大抵のやつは俺の剣の前でねじ伏せられる。
だが、無能者に一度も剣を当てることが出来なかった。
それどころか……いや、思い出したくもない。
それから、宿に戻って……気付いたら、ここにいた。
薄暗い牢屋。
叫んでも響くだけ。
最初のうちは叫びまくったが、意味がないことを理解するのに然程の時間は要らなかった。
そうしている内に、見知った男がやってきた。
「ドラン! おお、ドランじゃないか。助けに来てくれたのか?」
ドランは俺を一番慕っている部下だ。
こいつは俺の言う事なら何でも聞く。
だから、助けに来たことを少しも疑わなかった。
「ドラン!! 遅いだろうが! 戻ったら、罰が必要だな」
ドランはこちらを見るなり、牢屋越しに殴ってきた。
咄嗟のことで反応することも出来ずに、壁に叩きつけられる。
「な、何しやがるんだ! こんなことをしてタダで済むと思うなよ。国に帰ったら、てめぇなんか」
「タラス……本当に気持ち悪い豚だな。公国の血を引いていなかったら、嬲り殺してやりてぇ」
何を言ってやがるんだ?
お前は俺の一番の部下なんじゃないのか?
「お、おい。ドラン。何を言ってやがる?」
「気安く呼ぶなよ。いいか? てめぇは家畜なんだよ。俺達人間に声を掛けていい存在じゃねぇんだよ。少しは自覚しろ」
頭が追いつかない。
怒りが湧くよりも先に、不安に押しつぶされてしまいそうになる。
こんな牢屋に閉じ込められて、一番信頼していた部下に家畜呼ばわりされる。
俺は本当にこれからどうなるんだ?
公国に戻れないのか?
「ドラン君。いい加減にしなさい。彼はこれから我らにとって重要な人物になるんだ」
「あ、いや。すみませんでした。こいつの顔を見ると、どうしてもぶん殴りたくなっちまうもんで」
誰だ?
暗がりの中からすっと姿を見せたのは……知らない顔だ。
「おい豚。頭が高いだろうが。これからお前のボスになるお方だ。しっかりと頭に叩き込んでおけ。それともう一つ。このお方に逆らおうと思うなよ。てめぇがどう逆立ちしようが、敵う人じゃねぇ。それに……てめぇの命なんて、このお方の気持ち次第で簡単に消えるものだと覚えておけよ」
このおっさんが?
俺の命を自由に出来るだと?
バカも休み休み言え。
俺を誰だと思っていやがるんだ?
「俺に手を出したら、公国が黙っていねぇぞ。王国の王ですら、遠慮する公国を敵に回すんだぞ。それが分かっているのか?」
「てめぇ!」
「まぁまぁ。ドラン君。落ち着いて。彼は状況が分かっていないだけなのだから」
状況? 状況が何だって言うんだ。
俺が公国の嫡子であることには変わりはねぇんだ。
「タラス君……君は後継者ではなくなったのだよ。弟がいただろ? どうやら、彼に譲る方向で公国は動いているらしい。その意味は分かるかね?」
弟? まさか……無能者が?
「なんで、あいつが?」
「さあね。私は知らないが……君はもはや公国にとっては用済みの存在。まぁ、公国では粛清される運命だろうね。しかし、惜しい。君のような存在が簡単に消されてしまうのは実に惜しいのだよ」
くそ!
あの、クソ親父が。
よりにもよって、無能者を後継者にするなんて……。
待てよ……
まさか、無能者であることを偽っていたのか?
そうだ、そうに違いない。
俺の攻撃が当たらなかったのは、スキルを隠し持っていたからだ。
だが、何のために?
訳が分からなぇ。
だが、一つだけ分かる。
クソ親父が俺を騙していたってことだ。
「消されるってどういうことだ?」
「ほお。なかなか冷静だね。母国に命を狙われていると言うのに。しかし、頭はあまり良くないようだな。新たに後継者として指名した以上は、他の後継者は無用な争いを生む。それが自然の摂理というものだ」
クソ親父と無能者なら、やりかねねぇな。
くそ!
だが、俺の命を簡単に奪われてたまるか。
幸い、目の前の男はどうやら偉いやつのようだ。
しかも、俺の事をどういう訳か、助けようとしている。
これを利用しない手はないな。
「さっき言っていたな。俺が惜しいって。あれはどういう意味だ?」
「言葉の通りだ。公国の嫡子がこんな場所で朽ちるのは惜しい。公国に戻って、殺されるのも惜しい。そういうことだよ。君には役割を与えよう。運が良ければ……そうだね。公国の主になれるかもしれない。どうだい? 私の誘いに乗る気はあるかい?」
やっぱり俺の命はそう易易と消えるものじゃねぇ。
「これだけは聞かせてくれ。あんたは貴族か?」
「私は公爵。どうだ?」
王国の公爵と言えば、絶大な力を持っている。
もしかしたら、こいつの力を利用すれば、俺が王国の王になることだって夢じゃねえかもな……。
へへ、悪くねぇ。
「ああ、乗ったぜ。その役割ってやつをやってやる。その代わり、とりあえずうまい飯を用意しろ! ここの飯はまずくてしょうがねぇ」
公爵はフッと笑い、暗闇に消えていった。
ドランも後を追って、行ってしまった。
残されたのはオレ一人。
その夜からうまい飯は用意された。
場所は牢屋で。
役割は社交場の支配人。
社交場がどんな場所かも分からねぇ。
どんな奴が働いているのかも分からねぇ。
牢屋にいるだけ。
そして、宴と称される場に時々呼ばれるだけ。
とある侯爵から指名で。
そんな日々を送る毎日。
……俺はいつか、王になる男だ。
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