第45話 閑話 生地屋のマリーヌ

 ある昼下がり……


「おい。マリーヌ。何、ぼーっとしてやがるんだ!」


「あ、お父ちゃん」


「ったく! 俺と母ちゃんは忙しく働いているっているのに、お前は……」


 我が家は代々、生地屋をしている。


 お父ちゃんとお母ちゃんは、職人でお父ちゃんが生地を織って、お母ちゃんが糸を紡いでいる。


 細々と生活していると、お父ちゃんが何を思ったのか、高級生地に手を出したの。


 当然、失敗。


 大量の在庫と大量の借金だけが残って、この店を畳まないといけないって位に追い込まれた。


 そんなとき、白馬の王子様……じゃなくて、貴族が着ているような服を纏っているのに、すごく汚らしい少年がやってきた。


 彼は……ううん、ロスティ様はこの店を救ってくれたの。


 在庫になっていた高級生地を一掃してくれただけじゃない。


 これからもずっと買い取ってくれるって。


 しかも、50万で売っていたのを100万で買ってくれるって……


 信じられないわよね?


 お父ちゃんとお母ちゃんは大喜び。


「本当に、一反百万トルグで買い取ってくれるっていうのか? 信じられねぇよな。しかし、この話をする度に腹が立っているぜ」


 ああ、またいつものが来る。


「お前はどうしてロスティ様を俺達に紹介しなかったんだ!! 礼を、俺達にとっちゃあ、命の恩人とも言える人を手ぶらで帰すとは、どう言う了見してるんだ!?」


 私がロスティ様を両親に会わせなかったことが、相当腹が立っているみたい。


「だって、しょうがいないじゃない。ぱっと来て、ぱっと帰っちゃうし……それにキレイなお嫁さんだって……すごく幸せそうな二人を見ていたら、胸が苦しくなって……」


「そんなの知るか! 大体、おめえはそこら辺がだらしねぇから……」


 説教が始まった。


 本当に毎日毎日、同じことを繰り返していられるものね。


 私だって……ロスティ様に会えるんだったら、会いたいわよ!!


「失礼しますよ」


 お客様が来た!! 私は喜び、対応する。


 これでお父ちゃんの小言を聞かずに済むものね。


「いや、失礼。客ではなくて。私は、トワール商会ボリ支店の店長をしております、ライアンと申します」


 ト、ト、トワール商会!?


 王国でも三本の指に入る商会。


 大店中の大店。


 その支店長が自ら、こんな汚くて狭い店に!?


 一体何の用?


 まさか、お父ちゃんが知らぬ間に借金を?


 ありうる……


「な、なんでい? 俺を睨みつけるな」


 動揺していない?


 違うのかしら?


「あの、そのライアン様がこの店に何の用でしょうか?」


「いきなりですが、ロスティ様をご存じですか?」


 なんで、トワール商会の支店長からロッシュ様の名前が?


「も、もちろん、存じております。うちのお得意様ですから」


「それなら話は早いですね。これをご覧ください」


 ライアンさんから差し出されたのは手紙だった。


 『マリーヌへ』という出だしから始まっていた。


 凄くキレイな字だった。


 内容は、高級生地の継続購入契約をトワール商会に譲るというものだった。


 買い取り値は100万トルグ。


 数はできるだけ。


 手数料なしの完全な手取り。


 条件としては信じられなほど破格のものだった。


 そして、最後に『ロスティ』と書かれていた。


 ……なぜ、涙が溢れてしまった。


 なんでだろ? 胸が凄く苦しくなる。


 お父ちゃんに手紙を取り上げられそうになったけど、どうしても渡したくなかった。


 この手紙は私に宛てられたもの……ロスティ様からの。


「これはなんですか?」


「書いてある通りです。我がトワール商会は、ロスティ様の契約を継承させていただきたく思っております。正直に言いまして、この取引は商会でもかなり大きな話になると思っております。それ故、私が罷り越した次第で」


 トワール商会がお願いをしてきた?


 それだけでも、腰が抜けるような事態だ。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。ライアンの旦那。それって、トワール商会がうちの生地を買ってくれるってことか?」


「おっしゃる通りです」


「ひゃ……百万でか?」


 ライアン支店長は首を横に振った。


 そうよね……そんなに甘い話なんてないわよね。


 ここにロスティ様がいれば、話は違ったんでしょうけど……


「当方では、一反当たり350万トルグをお支払する予定です。もちろん、全額手取りで結構です。手数料は全てこちらが持ちます。その代わり……」


 その代わり?


 凄いことを要求されるのでは?


「専属契約としてほしいのです」


 こんないい条件を他が提示してくるとは思えないけど。


 お父ちゃんは恐縮して、動きが止まっているんだけど……


 私が返事をしても良いのかしら?


「私は大丈夫です」


「それは良かった。それでは契約書を……」


 お父ちゃんは呆然としながら、契約書にサインをしていた。


 本当に大丈夫かな?


 全く問題なかった。


 ライアン支店長が言ったとおりの内容が記載されていた。


 契約が終わると、少しゆっくりとした時間が流れた。


「あの、ロスティ様はどうしてトワール商会と取引が出来たのですか? 正直言って……」


「さあ? 私にも分かりません。いきなり会頭から頼まれまして……ですが、付き合ってみると、会頭の見る目が確かなことに驚かされました。ロスティ様のもたらした稼ぎは我らでも驚くほどでしたから」


 会頭? それってトワール商会では一番偉い人のことだよね?


 ロスティ様って一体何者なのかしら?


「マリーヌさんとおっしゃいましたか? 不躾ですが、この店を今後は継ぐおつもりなんですか?」


 急に聞かれて、何も答えられなかった。


 私がずっと考えていたのは、ロスティ様にどうやって近づくか。


 どうやって、側にいられるかばかりだった。


「話は変わりますけど、ロスティ様はどう言う女性が好きなんでしょうか?」


「さあ。私には。しかし、奥様とは仲睦まじいところを何度も目撃しました。なんというか、固い信頼関係のようなものを感じました。おそらく、ロスティ様は信頼できる女性が好きなんでしょう」


 信頼できる?


 私が信頼されるためには……。


 決めた!!


 ロスティ様と同じ道を歩む。


 それに目の前には絶対に話すことが出来ない人がいるんだ。


 この機会は捨てられない!


「あの!! 私を商人見習いとしてトワール商会で雇ってもらえないでしょうか!?」


「おい、おめぇ。何を言いやがる。店番はどうするっていうんだ?」


「そんなの生地を売ったお金で人を雇えばいいじゃない!!」


「お? おお。そりゃあ、そうだ……」


 お父ちゃんは簡単だ。


 ライアン支店長はそうはいかないだろう。


「構いませんよ。ロスティ様もマリーヌさんの事をお認めになられている様子。人格としては申し分ありません。一つ、あなたのスキルを教えてもらえませんか? 詮索はタブーですが、我らは商人。適材適所というものが利益を生みますから」


 私のスキル……使うこともなく、これからも使わないと思っていたスキル。


 『交渉』スキル。


「素晴らしいですね。それなら是非とも商会に来ていただきたいと思います。しかし、本当に宜しいんですか? こう言っては何ですが……ご両親の技術を継承することも……」


「私は、ロスティ様に恩をお返したいのです。とても返せるものではないですが……」


「よく言った!! それでこそ、我が娘。ロッシュ様にお返しすることこそ、人の道。俺と母ちゃんの代わりにさせるのは心苦しいけどな」


 お父ちゃんの声が初めて心に響いた。


 本当に初めて……


「それほどの覚悟ならば、私の方からは何も言うことはありません。それに恩を返す。それは商人としてもっとも大切な心です。それをお忘れなきように」


「はい! 絶対に忘れません!」


 私はトワール商会に商人見習いとして、弟子入りすることになった。


 『交渉』スキルは、結構珍しいスキルみたいで、多くの場数を踏むことが出来た。


 結果として、交渉が得意な商人として大成することが出来た。


 うちの店は、その後、急成長を遂げ、王都に支店を構えるほどの大店となった。


 急成長の陰で、ライバル店の妨害があったが、背後にトワール商会がいるおかげで、目立った妨害をしてくることはなかった。


 ……これでやっと恩が返せる。


 ……私はロスティ様に信頼される人になれるかしら?


 それはまた別の話……。

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