第108話 あなたたちは何者ですか?

 扉の向こう側に広がっていたのは広い空間だった。壁に無数に取り付けられた明かりで照らし出されている光景は、何もなければ幻想的だったのだろう。

 しかし、俺たちの目の前にあるのは巨大な血のプール。

 そう、俺の鼻にはそれが人間の血によるものだと解った。一体、何人の人間が犠牲になったのかと思うほどの量。


 一体、この血はどこから――と考えると。

 フォルシウスには行方不明になっている人間がいる。

 その話を知っていれば、おおよその検討はつく。


 円形にくり抜かれたような石畳の床に空いた穴の中に、どす黒い血と何かの肉片、巨大な――巨大すぎる肉塊が転がっている。


 ――肉塊?


 上手く説明できない。

 巨大なミンチ肉と、それを覆う網脂、だろうか。肉に這い回る網目のものは脈打ち、生物である証明をしているようだった。

 どくどくと動き、時には肉塊の隙間から血を吹き出す。吸い上げる。呼吸をするように。


「何で」

 掠れた声は、エリゼのものだった。絶望にも似た響きは、信じられないと言いたげな息と共に吐きだされた。


 肉塊の上に、服を着ていない人形らしきものがあった。

 真っ白な肌と、白髪。血を浴びているからこそ、その肌の白さが際立つ。

 巨大な肉塊に下半身を埋めるようにしながら、虚無しか写さない瞳をぼんやりと開いたまま。

 口を開く。

 真っ赤な口腔は、酷く艶めかしいのと同時に――醜悪でもあった。


「生きてる?」

 ミカエルが俺の前に立ちながら、呆然と声を上げた。

「嘘だ、何だこれは」

 エリゼが甲冑の面を上げ、肉塊を見上げる。肉塊の上で微かに動く人形――人間の女性のようなもの。静かにその両手を動かし、伸ばした先にあるものは。

「シャンタル」

 エリゼが口にしたのは、彼の妹のものだという名前だった。

 そしてふらふらとそちらに歩いて行こうとして、凛さんとシロさんに引き留められている。


「スージー……」

 若い少女二人の姿。

 一人は厭というほど見覚えがある。三峯が入れ込んでいる聖女様、ジョゼット。白い服を赤黒く染めながら、血のプールの中に下半身を沈めている。その両手の先には、肉塊に呑み込まれようとしている少女。

 きっとその少女も聖女なのだろう。ジョゼットと同じような服装で、じわじわと下半身から底なし沼に引きずり込まれるように肉塊の中へ。

 厭な音が聞こえる。

 骨が砕けるような、ばきばきという音。

 そして、ジョゼットが必死に引き留めようとしている少女の双眸から、ゆっくりと光が消えていこうとしているのも解った。それを見たジョゼットが、何か魔法らしきものを展開させる。つないだ手から、死にかけている少女へと流れた白い魔力。


 合図なんてなかった。

 俺も、三峯も、ジャックも、他の皆も同時に床を蹴ったと思う。


 でも、この地下にいるのは俺たちだけじゃない。

 血のプールの前に、神官と思しき人間が立っていた。老齢の神官は、柔和な笑みを浮かべたまま微動だにしない。その彼を囲むように立っていた聖騎士たちが、剣を抜いてこちらに襲い掛かってくる。


「説明してもらおうか! 何だ、これは!」

 ミカエルがそう叫びながら、聖騎士が振りかぶった剣を自分の剣で受け止める。金属音と共に、刃がぶつかって火花が散った。

 巨大化して元の姿に戻った聖獣は、その巨大な前足で聖騎士たちに襲いかかる。体格の差だろうか、聖騎士たちはその衝撃に耐えきれず、地面に転がされた。でも、すぐに立ち上がる。

「説明は無意味ですね」

 老齢の神官がそう苦笑すると、聖騎士の一人が叫んだ。

「神殿長様、お下がりください! ここは我々が!」

 その言葉の直後、彼は魔道具を使ったのだろう。聖獣に向けて右手を上げると、凄まじい光の刃が無数に飛び散った。


 聖獣はその刃を躱そうとするものの、全てを避けきれることもできなかった。美しい毛皮が切り裂かれ、血とは違う光の粒が噴き出した。

「動物虐待すな」

 そう呟いて大鎌を振り回した死神が、聖騎士と聖獣の間に立ち塞がる。腐っても闘技場で強さを示したアバターなのだろう、舞い踊るような動きで聖騎士と剣と鎌をぶつかり合わせ、やがて聖騎士の男を地面に転がした。そして、悔しそうに見上げる聖騎士の腹を右足で踏みつけ、けっけっけ、と笑う。

「貴様、足をどけろ!」

「やだねー」

 そう楽しそうに首を振ってから、死神ジャックは大鎌を男の首に突きつけたまま、小さく言った。「さあ、死を思え」


「ジョゼット様!」

 三峯は聖女様のところに駆けつけている。

 神官服がみるみるうちに腐った血に汚れていく。そして、ジョゼットの手をそっと握り、か弱い手を引かせた。

「ここは、俺が」

 と、怯えたように三峯を見るジョゼットに笑いかけ、彼女がスージーと呼んだ聖女が両足を埋めてしまった肉塊に何のためらいもなく右手を突っ込んだ。

 ぶちぶちという、肉が裂ける音。

 そして、人間に化けた姿では埒が明かないと思ったのか、天使アバターに変身した。一気に人間離れした姿に戻った三峯の身体からは、白い光もあふれ出す。


 肉塊が大きく裂け、上部にいた白い少女が悲鳴を上げる。

 甲高く、空気をびりびりと震わせるような咆哮へと変わった。


 肉塊から少女の身体がずるりと吐き出されるのを見て、俺は三峯に向かってアイテムボックスから取り出した蘇生薬を放り投げた。

 それを三峯が受け取るのを見ると同時に、俺も行動を開始する。

 本当に軽い跳躍だけで、神殿長と呼ばれた老人の前に降り立つことができる。人間よりも強い腕力で、その老人の胸倉をつかむことができる。


 そこで神殿長はやっと、薄気味悪い笑みを消して俺の手を振り払う。

「あなたたちは何者ですか?」

「俺たちか?」

 俺はせいぜい露悪的に見えるであろう吸血鬼の笑みを浮かべ、伸びた犬歯を見せつけた。「この世界にいる邪神とやらを滅ぼすために呼ばれた……何だろうね?」


「化け物! 魔物か!」

 そんな叫びが背後で聞こえる。そっとそちらに目をやると、甲冑の面を上げた死神ジャックの骸骨を見て、地面に転がされた男が必死に逃げようとしていた。

「魔物ー?」

 かたかたと歯をぶつからせながら笑う骸骨は、確かに魔物に見えるだろう。ジャックもそれを自覚しながら、わざと相手を恐怖に陥れようとしているようだった。

「俺は死神。神からの死の使いってやつよ」


「獣人……、魔物?」

 神殿長が低くそう呟き、嘲るような笑みを浮かべた。俺がそちらに目をやると、それまでの泰然とした様子はすっかり消え失せている。

 ジャックが踏みつけている男以外の聖騎士たちも、いつの間にか凛さんやシロさんによって戦闘不能になるような格好で押さえつけられていた。ほとんど、ミカエルとアルト、アルセーヌの出番なしのまま。

 その状況を確認すると、さすがに神殿長の双眸に僅かな焦りのようなものが浮かんだ。そして彼は素早く右手を上げた。


 神殿が微かに揺れた、気がした。

 何かの魔術か魔法を使った、と理解した直後、階上で何か波動のようなものが広がったのも解った。

 ――増援を呼んだな、こいつ。

 俺の聴覚が中庭の方で聖騎士たちの甲冑が一気にがちゃがちゃいうのも聞き取る。

 俺は軽く舌打ちした後、叫んだ。

「サクラ!」


 すると、遠い場所から微かに声が飛んできた。

「任せて!」

「俺もにゃ!」

 その二人の大きな声は、きっとミカエルたち普通の人間には聞こえなかっただろう。でも、神殿の上で見張りをしていただろう二人が地面に降りて、こちらに向かって走り出した聖騎士の連中を足止めするため、戦闘を始めたのが俺には解る。


「上は上で忙しいらしいぞ」

 スタイリッシュに戦っているだろう妹の気配と、マグロを振り回す猫獣人の気配を感じ、俺はニヤリと笑って続けた。「だから、ここで何をしていたのか吐いてもらおうか。ええ、じいさん?」

「男らしい口調ですね、我が女神」

「うるさい、女神って言うな」

 そう振り返らずに応えてから、俺はもう一度、目の前の神殿長に手を伸ばして言った。「さて、目の前にあるアレは何ですか? 何を企んでいるんです?」

 一応、可愛らしく見えるように小首を傾げながらそう問いかけるものの、神殿長は俺の手から逃げるように横に数歩移動し、冷えた目つきのまま首を横に振る。

「あなたたちが何者であろうと、我々には神がついておられるのです」


 俺は目を細めて目の前の老人を見つめ直す。

 穏やかな顔立ちをしているからこそ、どこか気味が悪い。


「やだね、狂信者ってやつは」

 遠くで三峯が呟く。どこか忌々しそうに、何か含むものも感じさせながら、それはこの広い地下の空間に酷く大きく響いたのだった。

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