第109話 神の核
「狂信者?」
神殿長は困り切ったように微笑む。「その表現は正確ではありませんね。我々は神の声を聞き、それを伝える者。神の力を行使する者。正しき道を歩む者、なのです。そこに狂気はなく、神聖な祈りだけが存在する」
そう言いながら、彼は身動きの取れなくなった聖騎士たちを困ったような目で見やる。いつの間にかアルセーヌがその場にいる聖騎士全員に光の鎖で拘束完了していて、悔しそうな呻き声が響いていた。
意外と――いや、予想していたけれどあっさり終わったな。
俺はつい、安堵の息を吐く。でも、これで終わりじゃない。
「まあ、それはどうでもいいとして」
訊きたいことはたくさんある。「一体、何をしてきたのか説明してもらえます? あれは何だ」
丁寧な口調を心がけても、すぐに元に戻ってしまうのは仕方ないだろう。不気味に蠢く肉塊がそこにある限り、俺たちの警戒は解けないし、ここが危険だと本能が伝えてくるから焦りもする。
「あなた方のような下賤な者たちには神の意志など理解できないでしょう」
上っ面だけの穏やかさと、軽蔑の眼差し。
神殿長とやらの性格は限りなく悪いようだ。
俺は軽く舌打ちすると、ふと床に転がっている聖騎士の一人に目をやった。甲冑の兜がすぐ近くに落ちていて、戦った名残の傷がその額にも見えた。
「神の意思かー」
俺はその男性の傍に歩み寄り、アイテムボックスから蘇生薬を取り出して皆に見えるよう、頭上で軽く振ってみる。ちゃぽちゃぽという音を聞きながら、俺は微笑んで見せた。
「さて、これは何でしょう?」
床で呻く男も、神殿長も僅かに懐疑的な目で俺を見る。毒薬とでも思ってるのがバレバレだ。
「正解は……この世界にはないであろう、神の薬! 蘇生薬なんですね!」
そうわざとテンションを上げて叫んでみせると、神殿長が眉根を寄せた。
「蘇生薬?」
「そう! 俺、あんたたちがどのくらいの治療薬を持ってるのか知らないし、治療魔術とかも知らない。でも、この薬があれば死んだ人間も蘇生するし、死んでなくても身体の一部が欠損するような怪我をしていても、治せてしまう」
「何……?」
「単純に言えばつまり、俺たちの方があんたたちよりもずっと凄い。神の力を持ってるってこと!」
「馬鹿馬鹿しい」
神殿長が吐き出すように言う。「そんなことはあり得ないはず……」
そこで、俺はその場にしゃがみこんで聖騎士の男に微笑みかけた。
今までで一番の、満面の笑み。
美少女アバターの技の集大成とも言える。
「その怪我、治してあげるよ。はい、あーん」
俺は無理やりその男性の鼻をつまみ上げると、呼吸ができなくなった男が耐え切れずに口を開けた瞬間、蘇生薬を流し込んでやる。
「……うわ、あーんとか」
ジャックがドン引きしたようにぼそりと呟いたが無視である。ミカエルも複雑そうに「私もされていないのに」とか言ったのも俺には聞こえていない。誰かあの残念な天使を黙らせておいてくれ。
無理やり蘇生薬を飲むことになった男は咳き込んだものの、あっという間にその顔にあった傷が消えていった。それを見て神殿長も、そして他の聖騎士たちも息を呑んだのが解る。
「あんたたちは俺たちのことを下賤だのなんだの言って馬鹿にしてるけど、むしろあんたたちよりも優れているんだって気づいたらどうかな?」
空になった瓶を聖騎士の目の前の床に置き、俺はゆっくりと立ち上がる。
神殿長は口を閉ざしたまま、何も言おうとしない。アルセーヌが神殿長の方へゆっくりと近づこうとするのを俺は手で押しとどめると、また別の聖騎士の前でしゃがみこんだ。
「お兄さん、怪我してる?」
そう言って笑いながら、俺はその甲冑の面を上げた。三十代半ばに見えるその男性の甲冑には、やはり位が高い証なのか紋章のようなものが刻まれている。
お兄さんというよりはおじさんと言った方がいい年齢か、と思いながら彼の口元を汚す血を見つめた。
彼はどうやら口の中を切ったようで、それほど酷い怪我ではないらしいが――。
俺はもう一度、アイテムボックスを開いて薬瓶を取り出した。
で、同じ方法で彼にも飲ませる。前例を見ているためか、彼は抵抗しなかった。
しかし。
残念、それは自白剤だ。しかも、やっと作れるようになった効果(大)のやつ。
「じゃあお兄さん、教えてくれる?」
俺は小首を傾げて見せた。「あんたたちがやってること、全部。まずは、あのでっかい魔物みたいなやつは何?」
そう言って巨大な肉塊を指で指し示した。
その頃には、うちの養殖物の天使が聖女様二人を血のプールから救い出していて、神殿長からかなり遠い場所に保護していた。三峯の推しの聖女様、ジョゼットはもう一人の少女を抱きしめるようにして立っていて、やはり彼女も知りたいのだろう、息をつめてこちらの会話を聞いている。
「あれは」
自白剤はすぐに効いた。
聖騎士の男は床に転がった状態で、次々と言葉を吐き出していく。
「あれは、神だ」
「神?」
「神殿長様が神託を聞いた。神の復活が近いと。贄を捧げ、神を育てよ、と」
「育てる?」
「黙りなさい」
神殿長が鋭く言うものの、聖騎士の男性は自分の手で口を覆うこともできず、信じられないと言いたげな表情のまま続ける。
「神殿長はおっしゃった。魔族の侵攻を防ぎなさい、と。魔族がこの大地を穢しているせいで、神の復活が遅れている。そして、神の核を探せと」
「神の核?」
「その女だ」
彼は必死に首を捻り、肉塊の上でかろうじて動く白い女性を見上げる。エリゼがシャンタルと呼んだ女性。
「その女は取るに足らない市井の人間だったが、凄い魔力を秘めていた。聖女様並みの力を持っているから、核とするには最適だと神殿長様が」
「どういうことだ」
エリゼがシロさんたちの制止を振り切って、俺の横に立った。「シャンタルをどうしたんだ。核とはどういうことだ」
「ここ、フォルシウスは聖地として知られた街だ。遥か地下には神が眠っているとされている。その神を呼び起こすために、最初は贄として犯罪者を使った。多くの血と肉を捧げ、神を実体化させる儀式を行った。しかし、我々が捧げた人間どもは大した魔力を持ってはいない。だから、神を宿らせる核にするには不充分だった。どんなに頑張ってもただの肉塊にしかなれず、神の形を保てない。だから、フォルシウスの人間の中から魔力の多いものを選んだ。それがあの女だ。そして、成功した。神のしもべたる形を保つことができた」
「神のしもべ……?」
「そうだ。やがて本物の神となる。だが、神の核としてあの女を使ったものの、贄が足りなかった。神の力を取り戻すためには多くの犠牲が必要だった。多くの犯罪者は、その罪を贖うという意味でこの地下で血を捧げ、死んでいった。それは正しい犠牲だ。犯罪者が最期にする善行だ。そして、神の復活は近い。神の核となった女は少しずつ動けるようになった。もう少しなのだ。あと少しで、神は復活なされる。この世界を救うために、その力を使ってくださる」
「あれが神か!?」
エリゼがその聖騎士の傍に膝をつき、その胸倉をつかもうとする。俺はそれを必死に止めたものの、彼の血を吐くような叫びは止まらなかった。
「どう見てもあれは神ではない! ただの化け物だ! あんなもののために俺の妹は――!」
「感謝せよ、その犠牲は美しい」
そこへ神殿長の低い声が響く。
「感謝だと!?」
エリゼが激高して叫ぶ。「妹を化け物にさせられて、何を感謝しろと!」
そして、ミカエルが小さなため息をこぼしてから彼らの言葉を遮った。
「神殿長、あなたの目は曇っているようだ。あなたは信じたいものを信じる。だから、都合の悪い部分には目もくれようとしない」
「私は正しいものを見ているのです」
「見ていない」
「私は神の声を聞きました。他の誰もが聞こえない、正しい道を選ぶ手段を聞きました。神はおっしゃった。我々の勝利への道は遠く、険しい。苦難と苦渋、苦痛と罵声を受けるかもしれない。醜悪に見えてしまうかもしれないが、最後には我々が望む美しい世界が待っているのだと」
三峯はこいつのことを狂信者と呼んだ。
それは間違っていない。
残念ながら、もう狂ってしまっているんだと思う。
ミカエルは冷ややかに続けた。
「もしあなたが声を聞いたというのが本当ならば、それは神ではない」
「神ではないと?」
「ああ、あなたが聞いたのは神は神でも邪神の声だ」
「邪神?」
馬鹿馬鹿しい、と言いたげに神殿長は笑う。「魔物と馴れ合うあなたたちは、自分の行いを恥じるといいでしょう。魔物こそ、邪神の使い。魔族領に生きる獣は排除せねばならないのです」
神殿長はそこでそっと首を横に振ると、何か口の中で呟いた。
その途端、彼の足元に魔法言語の文字列が走る。白い光が弾け、空気を震わせる。地面が揺れ、石の床にひびが入る。頭上からぱらぱらと落ちてくる、天井の欠片。
そして、無数の光の刃が神殿長から解き放たれた。
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