第104話 善は急げ

「粗品は粗品のままでよかったのに」

 死神ジャックがぶつぶつ言いながら、ミカエルの前に立っている。

「いいから早くしろ。呪いさえ解ければ、私も精霊魔法が使える」

 ミカエルの口調は冷ややかで高圧的でもあるが、その笑顔だけは相変わらずの天使のスマイル。

「っていうか、あんたは二股してんの?」

 ジャックは一瞬だけ俺に目を向けてきて、俺は思わず顔を顰めた。仮面のせいでどんな表情をしているのか解らないが、その声には含みが感じられた。

「何?」

 ミカエルが笑みを消してそう言うと、ジャックは「いや、さっきの」と口を開きかけて動きをとめる。


 そう言えば、あのロクサーヌをめぐるいざこざで起きた呪いだったか、と俺が唸るとミカエルも怪我をして飛び込んできたロクサーヌのことを思い出したのか、首を横に振った。

「さっきの彼女とは久しぶりに会った」

「……へえ、すげー偶然」

 そのジャックの声には隠せない疑いの色があったし、確かに俺も凄い偶然だと唐突に気が付いた。

 あのロクサーヌは、俺たちがここにいることを知っていたんだろうか。


「まあ、いいや」

 やがてジャックは深いため息をついた後、必殺技解除の言葉を吐いたようだった。

 そんな二人の足元には、イモムシ状態の聖騎士が悪態を吐き続けながら拘束の鎖をほどこうともがいている。もちろん、誰もそれを気にした様子もない。三峯は泣きそうな顔でカップの破片を拾い上げているし、店の奥ではポチがシロさんと凛さん相手に何やら話し込んでいて、何故かポチがシロさんの狼男アバターの耳に触ってその柔らかさに驚いている。

 それらは何ともシュールな光景であったが、それでもミカエルの身体の周りに細かい光の粒が舞い踊った時は皆がそちらに目を向けた。


「ああ、やっと、か」

 ミカエルはその光が空気に溶けると、安堵の息を吐きながら自分の手を見つめた。

 多分、呪いとやらが解けた直後から、ミカエルの魔力が彼の身体をめぐり始めたのを感じたのは俺だけじゃないだろう。ただならぬ気配というのだろうか、そこに立っているだけで周りにいる人間を威圧するような空気が噴き出している感じ。

 そんなミカエルが、どこか切実な目を俺に向けて言うのだ。

「やっと、あなたと並んで戦える。それだけの力を得た……取り戻したと、私は思います」


 何を大げさな、と笑い飛ばすことはできなかった。

 いや、ホント、困ったことに。


 そして、ミカエルが俺のところまで歩いてきて、そんな切なげな表情のまま恭しく俺の手を取る。

「今まで、もどかしかったんですよ。足手まといになりそうで、我慢することが多くて」

「いや、あの」

 俺が後ずさろうとしていると、少し離れた場所で死神ジャックが白けた口調で言った。

「コーラとポテチちょうだい。ここで見物するわー」

「うちの店にはねえよ」

 三峯が噛みつくように遠くから言葉を投げつけてきて、俺は慌ててミカエルの手を振り払った。かろうじてというか、「こんなことをしている場合じゃない」とか言った気がするけど、悲しそうに眉間に皺を寄せるミカエルの視線が、何と言うか、その。


 俺は自分でもよく解らない感情に流されそうになりつつも、ここで無駄話をしているより離宮に移動することをミカエルに促した。


 セシリアがいつも使っているから解っていたことだけれど、精霊魔法による移動は本当に便利だった。俺たちが使える移動は、マップをタップすることでできるけれど、出現場所はその街の入り口になる。街の中には入れないし特定の場所には飛べない。

 でも、こうして俺たちはあっという間に三峯の店の中からレジーナの街の離宮の前にいるのだから楽でいい。


「はえー」

 死神ジャックが、唐突に目の前に現れた巨大な屋敷を見上げて息を吐いた。

 その脇で、シロさんが聖騎士一人を肩の上に米俵か何かのように担ぎ上げ、もう一人は首の後ろ辺りを掴んで引きずっている。結構扱いが雑。

 三峯がもう二人を同じように運んでいたが、シロさんよりもさらに雑。階段を上がるときも、わざと二人を地面に下ろし、がっこんがっこん階段にぶつけながら引きずっていく。そして、口の中では「弁償弁償……」と呟いているから、彼の恨みはどこかの海より深いらしい。


 大きな玄関の扉が開いて、召使たちが俺たちを出迎えた。絶対驚いているだろうに、さすがセシリアの屋敷の者たちと言うべきか、冷静に対応してくれる。


 そして。


「おっかえりー」

 と、気の抜けるセシリアの声が玄関ホールに響いたのだった。


 捕虜となった聖騎士四人を客間に放り込んで、ミカエルがその部屋から彼らが逃げられないように魔法をかけた後、俺たちはセシリアに促されるまま応接間へと向かう。

「本当にありがとうございました」

 そして、応接間でそう頭を下げたのは、ロクサーヌとその連れの男性だ。

 血だらけだった服も着替えたようで、二人とも仕立てのいい服に身を包んでいる。多分、この屋敷で用意されたものなのだろう。

 その男性の顔に見覚えはない……と思ったが、どこかで見たような気もする。もしかしたらギルドだろうか。俺たちはポチと一緒にここのところギルドの依頼を受けていたから。

 大柄な男性は礼儀正しく頭を下げた後、気遣うようにロクサーヌを見やる。ロクサーヌも俺たちに頭を下げたものの、どこか怯えたような様子は隠せていなかった。

 まあ、俺が散々脅したから仕方ないのかもしれないが。


「本当、アキラちゃんの薬はよく効いたわー。怪我なんて跡形もなく消えたしね」

「本当に、何てお礼を言ったらいいのか」

 男性はそう言って笑い、ロクサーヌはぎこちなく頷く。

「とにかく座りましょ」

 セシリアは皆にソファに座るように促して、頭上にいた聖獣を膝の上に抱きかかえて撫でる。それはいつもの平穏な光景だ。

 まあ、当然ながら集まった人数が多すぎるのだが、全員座るだけのソファや椅子があるのだから応接間の広さに感心するというべきか。

 セシリアが侍女の女性にお茶を持ってくるように告げてから、改めてロクサーヌたちに向き直る。

「じゃ、何があったか教えてもらえるかしら」


 そして、俺たちはロクサーヌとその連れ――エリゼという男性から話を聞くことになったのだ。


「どうか、お願いします」

 エリゼは全て話し終わった後、セシリアやミカエルに向かって悲壮な様子で頭を下げた。「俺の妹の行方不明に、神殿の連中が関わっていると確信しています。だから、俺も一緒に行動させてください。絶対に邪魔にならないと……いえ、邪魔になったら見捨てていってもらって構いませんから」

「あら、見捨てるなんて人非人じゃないわよね」

 セシリアはそう笑って見せるが、その瞳にはある種の懸念が浮かんでいる。

 もちろん、俺たち全員も察していたけれど。


 神殿の連中――さっきの聖騎士は、ロクサーヌたちを贄にする、とか言っていたらしい。

 フォルシウスの外の森で見つけた餌場を思い出せば、答えは解っているようなものだ。


 このエリゼという男性の妹も、きっともう生きてはいない。

 そんな予感がする。


「ま、いいんじゃない?」

 そうお気楽な口調で言うのはジャックである。

 大きな鎌を前で抱えるようにしてソファに座って、そっと首を傾げて見せる。

「俺たち、こっちの世界のこと、まだよく解ってないじゃん。そっちの王子様たちがいればいいのかもしんないけど、手駒は多い方がいいっしょ?」

「手駒……」

 俺は思わずそう顔を顰めるものの、エリゼは安堵したように微笑んだ。

「あなたは留守番かしらね」

 セシリアがロクサーヌに目をやってそう言うと、彼女は神妙に頷く。

「はい。わたしは足手まといですから、自分の宿に……」

 そう言いながら、どこかその声は震えている。そして、視線がゆらゆらと揺れている。

「ロクサーヌ」

 ふと、エリゼが困ったような顔をして彼女に話しかけようとしたが、ロクサーヌはそれを遮った。そして、思いつめたような目つきで小声で囁いた。

「別行動しましょ? わたし、そろそろ……ちょっと、他の街に行こうかと思ってたところだから」

「あら、この屋敷で休んでいてもらえる?」

 そこに口を挟んだのはセシリアである。「何かよく解らないけど、あなたは神殿の聖騎士に見つかったら誘拐されて贄とやらになってしまうかもしれないんでしょ? だったら、この件が片付くまで安全な場所にいて欲しいのよね」

「でも」

「俺からも頼む」

 エリゼが彼女の手を握り、真剣な眼差しを向けた。すると、彼女もそれ以上言えなくなったのか、困ったように笑いながら頷く。


 そんな二人を面白くなさそうに見つめているのはジャックで、やがて「けっ」と短く声を上げたのが聞こえた。

 それから、ジャックは気を取り直したように軽く頭を振った後、こう訊いた。

「で、いつ行動すんの?」

「そうだな……」

 ミカエルがふと考えこむと、セシリアが明るく笑って言うのだ。

「あら、今すぐでしょ? 善は急げって言うじゃない」

「え? 今すぐ?」

 俺たちは思わず、顔を見合わせたのだった。

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