第102話 幕間23 ロクサーヌ
「何故、そのようなことを訊くんですか」
エリゼの身体に緊張が走ったのが解った。だから、彼がわたしと同じことを考えたのだろうということも察することができる。
「お前には関係ない」
聖騎士の先頭に立つ男の言葉は、どこまでも横柄だ。そんな彼を見上げたまま、エリゼは少しだけ沈黙して――。
「シャンタルという名前に覚えは?」
「ば……」
――ばっかなの!?
わたしは思わずエリゼの腕を掴んだ。手札を見せるのが早すぎる! 上手く誤魔化してこいつらから言質を取るとか考えないんだろうか、この男は!
「俺は行方不明の妹を探している。何か情報があるのなら――」
平静を装っているものの、必死な心情が駄々洩れなエリゼ。
確かに、ずっと探していた妹さんの手がかりがあるかもしれないと考えたら、我を忘れるのも仕方ないのかもしれないけど。
しれないけど!
「なるほど、兄妹か」
聖騎士の男はそこで腰に下げていた剣を抜いて、こちらに向けた。その切っ先はエリゼの喉元にぴたりと当てられ、殺気のようなものが聖騎士の身体から噴き出したのが見えたような気がした。
「隊長」
彼の背後にいた聖騎士の三人のうちの一人が短く声を上げると、隊長と呼ばれた男は軽く頷いた。
「贄とする」
――何!?
エリゼが素早くわたしの身体を庇うように後ずさる。それと同時に、彼は持っていた今夜の食事の入った袋を彼らに投げつけた。
剣で薙ぎ払われた袋が宙を舞い、中身が地面へと散乱する。
「どうして!?」
彼らから逃げ出すために道を選ぼうと辺りを見回して、そこでやっと異変に気付く。
誰もいない。
さっきまで、確かに人通りが多かった道。
絶対に人の姿が途切れないであろう、街の中央部。それなのに、耳が痛くなるほどの静寂と無人の街が広がっている。
「魔物用の檻の中だ。諦めろ、逃げられない」
あっという間にわたしたちの進行方向を遮った聖騎士たちは、誰もが剣を抜いてこちらを見下ろしている。その様子に焦りはないどころか、こちらを侮っているような、遊んでいるかのような余裕すら見せていた。
――檻の中?
とわたしが改めて辺りを見回すと、何もないはずの宙にうっすらと浮かんだ文字列が見えた。魔道具か何かの力が発動しているのか、わたしたちの周りだけ切り取ったように隔離されているのかもしれない。
さっきこいつ、贄って言った。
ってことは、単純に考えれば生贄、ってこと?
神殿ってそういうことをしてんの!?
いや、そんなことを考えている時間はない。
ここで逃げられなければ殺されるんだ。
わたしが背中にある剣を抜くのと同時に、エリゼも剣を抜いた。短い期間とはいえ、一緒に魔物も――弱いやつばっかりだったけれど――倒した。だから、それなりに呼吸は合わせることができる。
敵は四人。だったら勝機はあるはずだ。
「妹をどうした?」
こちらが剣を抜いても、それほど緊張した様子もない彼らに向かって、エリゼが言葉を投げつける。
当然、まともな返事があるわけじゃない。
「教えても無駄だ」
ほら、ね?
「だったら、口を割らせるしかない」
無謀だったかもしれない。
エリゼはそこで大地を蹴って、先頭にいる隊長とやらに切りかかった。
ぶつかり合う剣、予想以上に鈍い感じの金属音。
エリゼは身体が大きいし、腕力もある。聖騎士たちは馬に乗っているから視線は高いけれど、体格だけで言えばエリゼが有利だ。
ただし、それは相手が魔道具を持っていなければ、の話。
凄まじい光が弾けたと思った瞬間、エリゼの身体が吹き飛ばされた。地面を転がった彼にわたしは慌てて駆け寄り、彼の前に回り込む。
「抵抗は無意味だ。お前たちの血を無駄にしたくはない。大人しく従え」
「馬鹿じゃないの」
わたしは思わずそう舌打ちした。
エリゼもすぐに起き上がり、また剣を握り直した。おそらく、彼らが使った魔道具――もしくは魔術の威力は手加減されていたんだろう。彼らがわたしたちを生け捕りにしたいと考えているのが解って、少しだけほっとする。
「お前は妹か」
ふ、と鼻で嗤ったような気配。
隊長は相変わらず馬上からわたしを見下ろし、剣先を突き付けてくる。それはわたしの左肩に押し付けられて止まる。
「痛い思いはしたくないだろう?」
「あら」
わたしは必死に笑おうと努力した。「血を無駄にしたくないんじゃなかった?」
「……最悪、生きていればいいだろう」
彼は苦々し気に首を横に振ると、剣を持つ手に力を入れ、そのままわたしの皮膚を突こうとした時だった。
わたしの左腕にあった防御用の魔道具が作動した。
隊長の剣からその身体まで、青白い電のようなものが伝って走り、低い悲鳴が上がる。
「隊長!」
「エリゼ!」
わたしはエリゼの腕を引き、くるりと踵を返した。背後に聖騎士たちの鋭い叫びを聞きながら、エリゼもそれに従う。
逃げるが勝ち、そう言うじゃないの。
わたしは手にした剣の柄をぎゅっと握り直し、魔道具技師に取りつけてもらった魔石を見た。
――せっかくだから、いい魔石をつけてあげるよ。魔物の首もさくっと斬りおとせるくらいの、凄い剣にしてあげよう。
セバスチャンというあの男は、楽しそうに笑いながらこの剣を改造してくれた。
わたしは魔術言語らしいものが浮かび上がる壁に向かって走り、そのまま剣を突き立てた。
バチバチ、という火花が目の前で散った。
「逃がすな!」
背後でそんな声が聞こえて、剣がぶつかり合う音も同時に響く。
気が付けばエリゼが聖騎士たちに向き直り、わたしを守るように立って戦っていた。
「くっそ」
わたしは一度、壁から剣を引いた。
この檻のような壁は頑丈だ。でも、何とかしないと――。
と思いながらエリゼに目をやると、複数人相手の戦いでは明らかに分が悪いのが解る。自然とわたしはエリゼの背中に自分の背中を合わせ、他の聖騎士に剣を向けることになっていた。
「どちらにせよ、逃がすわけにはいかん」
わたしの攻撃は隊長を倒すことはできなかったようで、彼はまたわたしたちの前にやってくると言うのだ。「贄にできないのであれば、ここで死んでもらう。関係者は死んでもらうのが一番安全だからな」
「関係者……」
エリゼが隊長を見上げて叫ぶ。「妹はどこだ! 殺したのか!?」
でも、当然の如く返事はない。
隊長が剣を振り上げるのを見て、慌ててわたしはエリゼの前に立ちふさがった。また魔道具の防御が働いて、雷が走る。隊長の身体も、他の聖騎士たちの身体も。
この魔道具の働きを予測していたようで、彼らは激しい痛みを感じただろうに、少しだけその場に足止めされただけで次の攻撃態勢へと入ろうとする。
「逃げろ」
エリゼがそう短く言うと、彼らに攻撃を開始した。彼の狙いは馬。エリゼの大剣が宙をぐるりと横に一閃すると悲痛な馬の叫びと血しぶきが上がる。
暴れ出した馬に乗っていられず、次々と落馬する男たち。
わたしはすぐにもう一度壁に向かって剣を突き立てた。
凄まじい衝撃と、火花。そして、少しだけ空間にひびが入ったのが見えた。
やった、いける!
そう思った瞬間、背後で凄まじい光が弾けて。
振り向くと、エリゼがその場に膝をつくのも見えた。大きな背中がこちらを向いていて、ぐらりと前に傾いでいく。
「駄目!」
わたしは壁から剣を引き抜く。
すると、身体を震わせる衝撃と共に壁が砕け散った。やっと戻ってきた喧噪と、誰かの悲鳴。
「何だ、喧嘩か!?」
そう知らない男性の声が上がるのを聞きながら、わたしは悲鳴を上げていた。
「エリゼ!」
倒れこんだ彼の前に駆け寄ると、わたしの身体にも衝撃が走る。ぴしり、という音も左手首から聞こえた。
くっそ、この安物の魔道具!
ばらばらと砕け散った腕輪を見下ろしながら、わたしは視線を上げる。
どこか慌てたような、辺りを見回しながらわたしを見下ろしてきた隊長は、何かぶつぶつと口の中で悪態をつきながらわたしの腕を掴んで立ち上がらせようとした。
「撤収する。男は捨て置け、どうせ死ぬ」
隊長が他の聖騎士たちに囁いたのが聞こえた。
――死ぬ?
厭よ、こんな死に方は許さないから!
わたしはもう一度、剣を彼に向けようとした。
しかし。
がは、と咳き込む。
背後から別の聖騎士に襲われたらしい。咳き込んだ瞬間に、口の中から血があふれた。それと、お腹に剣先が突き抜けているのも見えた。
剣が引き抜かれる感触の後、お腹に広がった熱は焼けるようだった。
自然と膝が地面について、力が抜けていくのが解る。
「延命措置できるか」
「やってみます」
そんな男たちの声を聞きながら、わたしは持っていた剣を見下ろした。キラキラと輝く魔石。お願い、頑張って。もう少しだけ頑張って。
わたしはその剣を支えにして立ち上がると、ぐっと柄を握り込んで魔石の力を解放させた。
魔物の首も簡単に斬りおとせるんでしょう?
そんなことを考えながら、辺りに爆炎のような魔力の暴発を巻き起こしたのだった。
「……致命傷だ、置いていけ」
掠れた声でそんなことを言うエリゼを、必死に抱えて起こそうとする。でも、わたしの腕ではかなり厳しい。
それでも逃げなきゃ、エリゼもわたしも死ぬだけだ。
わたしの持っていた剣――魔石は、凄まじい魔力を持って光を放っていたはずだった。しかし今は、その美しい輝きを失ってただの剣となってしまった代わりに、聖騎士たちがその場に倒れ伏している。でも、微かにその胸が動いているから意識を失っているだけ。
逃げなきゃ駄目だ。
急がなきゃ。
でも、どこへ逃げる?
「お願い、ちょっとでいいの、歩いて」
わたしは必死にそう彼に囁く。小声で話さないと、聖騎士たちが目を覚ましてしまう。そんな気がして怖かった。
でも、わたしたちを取り囲むこの場所は騒然としていた。わたしとエリゼの凄まじい血を見て、女性たちは逃げていったし、男たちは「大丈夫か」と声をかけてくる。
でも、倒れているのが聖騎士だと解ると、彼らは一様に疑いの眼差しでわたしたちから遠ざかる。明らかに、犯罪者とかそういったものを見る目つき。
「逃げなきゃ」
わたしが重ねてそう言うと、エリゼはやっと足に力を入れて立ち上がってくれた。でも、彼の怪我は正視できないくらい酷い。一体どんな攻撃を受けたのか、そのお腹は大きく裂けていて、少し歩いただけでも地面に血だまりを作っていく。
でも、こんなのは厭だ。
エリゼは優しい人だ。わたしなんかよりずっと、いい人なんだ。死んじゃ駄目な人なんだ。
だから、何とかしないと。
わたしは彼に肩を貸して、必死に前に進んだ。
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