第99話 駄目だって言われたのに

「そしな……」

 喫茶店に足を踏み入れた俺を見るなりソファから立ち上がったミカエルは、黒フードの男に気づくと驚いたように足をとめた。その背後でもアルトが驚いたように口を開けた後、剣に手をかけながら立ち上がる。王宮魔術師のアルセーヌは困惑したようにその様子を見守る。

 それに、サクラもカオルも驚いたように俺に近づいてきて、さらに店に入ってきた凛さんたちの姿に気づくと首を傾げて見せる。

「あれ? 珍しい、ここまで来るなんて」

 そうサクラが二人に声をかけている間に、やっとミカエルが我に返ったらしい。

「お前」

 俺の横にいるお気楽死神を睨むと、さりげなく俺の腕を引いて自分の背後に庇った。「アキラ様に何をしようと考えている? お前は――」

「アキラ様?」

 ぷぷ、と吹き出した死神ジャックは、仮面の奥にある瞳を輝かせて俺を見た。「アキラ様だって。あれ、もしかして。もしかしてだけど、中身男だっていうのにここでもネカマやってんの? 男を騙してアイテムをもらおうとか考えちゃうタイプ? だから性別女にしてそのイケメンを財布として」

「違う、違うし!」

 俺が慌てて声を上げると、ミカエルがそんな俺をさらに背後に隠そうと前に出た。

「アキラ様は女性です!」

「いや、ちょっと待って、黙ろうか!」

 俺がさらに声を上げて二人の会話を遮ろうとするも、死神ジャックの揶揄うような言葉は止まらない。

「ヤバ、あんた王子様だったよな? 人生勝ち組、リア充だと思ってたけど実は女運は残念なタイプ? わー、意外と可哀そう」


 死神ジャック、煽る煽る。

 俺が頭痛を覚えて額に手を置くと、そこで喫茶店内にいた数組の客がこちらに視線を向けているのに改めて気づく。ぼそぼそと言い合っているのも聞こえてくる。「何、どうしたの?」とか「王子様って聞こえなかった?」とかいう女の子たちの会話。やべえ。


「騒々しくてごめんね」

 そこで、カウンターの中に立ったまま、他人事のように俺たちの様子を見ていた三峯がお客さんたちの方へ輝く笑顔を向けて言った。「ちょっと一人の美少女をめぐる痴話喧嘩が始まっちゃったし、そろそろ閉店ってことで」

「おい、余計なこと言うなし」

 俺が『痴話喧嘩』という単語に反応して三峯を睨む。

 ジャックは「俺、ネカマは勘弁なんだけど」と不満そうに言うも、その『ネカマ』という意味が解らないミカエルの顔が険しくなった。

「アキラ様に手を出そうとしたらどうなるのか教えてやろう」

 いや、お願いだから黙ってて。

 あああ、と声を上げながら俺がその場に崩れ落ちそうになっているのを、店の奥のソファに座ったままのセシリアはずっとお茶を飲みながら見物していて、ポチは馬鹿みたいに口を開けてぽかんとしていた。


 そんなひと騒動があった後、喫茶店内からはお客さんの姿が消えた。いつの間にか店の外は夕暮れ時になっていて、空が赤から紫に変わり始めている。

 三峯は帰っていくお客さんたちに「迷惑かけちゃったので、これ」とサービス券みたいなものを渡していた。さすが商売人、美形スマイルとサービス券でお客さんたちに笑顔を取り戻させるというテクニックを見せる。


 まあ、それはいいのだ。

 いいとしよう。


 俺はぐったりしつつも、今日一日に起きたことを皆に説明することになった。

 さすがに人数が多いため、一つのテーブルを囲むという感じではない。隣り合うテーブルも利用して、それぞれが腰を落ち着けた後、三峯がさりげなくコーヒーをテーブルに並べてくれた。

 とはいえ、あまり皆、のんびりお茶をするという雰囲気ではなかったが。


「えー、何でおにい……アキラちゃんだけ面白いことやってんの」

 俺の説明が終わると、サクラが不満げに鼻を鳴らしている。「わたしも魔王様を生で見たかったなあ……」

「俺もにゃ。っていうか、ドラゴンに乗ったってずるくないかにゃ」

 カオルも恨めし気な顔で俺を見つめてくる。もちろん、サクラの膝の上で。そんな魔人と猫獣人を困惑したように見つめているのはシロさんで、凛さんは面白そうに笑いながら見守っている感じだ。

「そう言えば、謝礼がもらえるって話だったわよね?」

 セシリアが聖獣を膝の上で撫でながら俺を見つめたが、そっと俺は視線を逸らす。まだ俺が吸血鬼だという『魔物みたいな存在』だと知っているのはミカエルしかいないわけだし、藪蛇になったらまずい。

「あ、それ」

 そこで俺のすぐ右隣に座った死神ジャックが、仮面をつけたまま器用にコーヒーを啜りながら頷く。

 ヤバい、口止めするの忘れてた、と慌てて彼の横腹を肘でつつくと、さすがに彼も察したようだ。

「おっと、喋ったら駄目なやつ?」

 そう彼が小声で俺の耳元で囁いてきたから頷いておく。つーか、食道も胃もなさそうなのに当たり前のようにコーヒー飲むのか、こいつ。


「えーと」

 俺は少しだけ言葉を探した後、何とか笑って見せる。「魔王様の魔力をもらえることになって。今、俺……わたしの魔力、凄いことになってるというか。今戦ったら何でもできそうな感じになってます。その魔力が尽きたら、また助けてもらえるみたいだし、その」

「へえ、タイミングいいな」

 少し離れた椅子に座っていた三峯が表情を引き締めて口を開く。

 ――タイミングがいいとは?

 俺が彼に目をやると、三峯は片頬を歪めるようにして続けた。

「アキラが今日、面白いことをやってる間に、こっちも少し動きがあってさ。どうも、神殿も準備ができたらしい。今日は聖騎士団の連中が街に食料品とか買い出しに出て、どんどん馬車に積んで、多分、早ければ明日には浄化の旅に出発だ」

「そりゃまた」

「で、悪いな。何も問題なさそうなら、俺は浄化の旅の後をつける。神殿はアキラたちに任せた」

 ニヤリと笑う三峯だが、その目は笑っていないし心配そうな光が揺らめいていた。

 だから安心させるために「任せろ」と俺が頷く。


「しかし、神殿相手に……」

 ポチが俺たちの会話をずっと静かに聞いていたが、妙に不安げにセシリアに声をかける。「少し、それは危険なんじゃないかと思うんだが」

「大丈夫よ」

 セシリアは嫣然と微笑み、安心させるような声音で言った。「危険なことはこっちでするし、リュカはまた店番してればいいわよ」

 それは全然安心できるような言葉ではなかったから、ポチの眉間の皺が深くなった。三峯の眉間の皺も深まる。それは、店番でポチがサボるということを俺が伝えたからでもある。


 セシリアはやがて凛さんとシロさんに目を向ける。

「新人さん、期待してるからね? アキラちゃんのお仲間なら強いんでしょうし」

「あ、はい」

「お願いします」

 凛さんとシロさんは神妙に頭を下げている。セシリアがこの国の王の側妃だと知って、余計に緊張しているように見える。でも、獣人相手でも態度を変えない彼らに安心したのか、シロさんの目元は穏やかになっていた。


 その時だ。

 俺は思わずソファから立ち上がった。

「え?」

 そう困惑した声を上げたのはポチで、他の皆はそれぞれ異変を察知したようだ。俺と同じくソファから立ち上がるのもいれば、ただ表情を引き締めてドアの方へ目をやるやつもいて。


 乱暴にドアが開いて、いつもは趣のある心地よさを伝えるはずのベルが耳障りな音を立てた。

 どたり、という鈍い音もして。


「ごめんなさい」

 その人影は、今にも床に倒れこみそうな格好で声を上げた。

 その声には聞き覚えがあった。

 そして、あっという間に店内に血の匂いが立ち込めていった。


「ごめんなさい。駄目だって言われたのに、ごめんなさい」

 そう言ったのは、俺が前、もう顔を見せるなと脅した相手。ろくでもない女、ロクサーヌである。

 彼女の長い金髪も、そして呼吸も乱れている。服も酷い有様……というか、誰かに襲われたのか破れているところもあったし、血だらけだった。頬にも飛び散った赤、腕にはおそらく剣による切り傷。


「一体……」

 三峯が慌ててドアを閉め、床に倒れこんだ彼女、そしてその連れを見下ろした。

 ロクサーヌは大柄な男に肩を貸していて、その男は今にも意識を失ってしまいそうなほどの重傷を負っているようだ。男はギルドで活動している人間らしく防具はつけていたが、魔物と戦ってきたのかと思うほど損傷が激しい。

 その男性の怪我の状態は、ぱっと見ただけで時間がないと解るものだ。重要な血管を傷つけたのか、みるみるうちに床に血だまりができていく。


 俺がアイテムボックスから蘇生薬を取り出すと、ロクサーヌが泣きそうな目をこちらに向けた。

「ごめんなさい。お願い、助けて」

「解った、解ったから」

 俺は彼女の手に蘇生薬を渡し、さらにその男性にも――と床に膝をつくと。

「追われてる。追いつかれる」

 ロクサーヌが震えた声で短く言い、その目をドアの向こう側へと投げた。


「じゃ、ちょっと移動するわね」

 そう声を上げたセシリアの動きは素早かった。聖獣を頭の上に放り投げ、その右手を前に差し出した。そしてあっという間に精霊魔法を展開させ、ロクサーヌと瀕死の男性の足元に魔方陣を作り出す。

「一足先に屋敷に帰るから」

 彼女は俺の手から蘇生薬を奪うように受け取ると、ひらひらと手を振って見せた。


 そして、彼ら三人がこの場から消え失せるのは本当に一瞬で終わり、それと同時にまたドアが壊れそうな勢いで開けられた。


「えー……」

 三峯が飄々とした様子で開けられたドアに目をやった。「もう閉店なんですけど」

「黙れ」

 そんな三峯を睨みつけてきたのは、どこからどうみても聖騎士の連中だった。どかどかと足を踏み鳴らして入ってきた甲冑の男たちは、店内を見回して脅すように声を張り上げた。

「先ほど、ここに入ってきた奴らを出せ!」

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