第70話 同情だと思う
「まあいいわ、わたしがしっかり脳筋に育ててあげる」
重い空気を振り払うように、セシリアがうふふ、と笑った。「体力が余ってるから悪いことをするのよ。だから、立てなくなるまでビシバシしごいてやろうじゃないの。剣の腕も、ギルドでの交渉の仕方も、全部わたしが教えてあ・げ・る」
ハートマークが語尾につきそうだな、と思いながらセシリアを見つめていると、リュカが忌々しそうに彼女を睨んだ。その途端、陛下がすげえ威圧を放ってきたからしょんぼりと肩を落としたけれど。
「母親のスカートに隠れる子供」
やがて、陛下がため息と共に言った。「それが城で言われているお前の評価だ、リュカ。隠れることを許しているお前の母親……アレクサンドラにも問題はある」
リュカが唇を噛んで黙っていると、陛下は気づかわし気に眉根を寄せた。
「王族であることの意味をお前は考えたことがあるのか? お前の兄は一人で重圧に苦しんでいる。これもまた、アレクサンドラに邪魔されて私が必要以上に近づけないようにされているがな、不安なのだ」
「何がですか」
「お前も弟なら、兄のディオンを支えようと考えたことはないのか? これは私の経験上から言うことだが、お前の兄が万が一倒れたら、後のことを全て引き受けるのはお前だ。その時、お前はこの国の人間を率いていけるか?」
リュカの眉間に深い皺が刻まれた。明らかに不満げな表情で呟く。
「……どうせ」
「何だ?」
「どうせ、そうなったらミカエルに任せるつもりなんでしょう」
「は?」
そう口を挟んだのはミカエルだが、すぐに陛下に手を上げられてそれ以上の言葉は遮られた。
「知ってますよ、陛下が愛しているのはミカエルとその女だけだ。俺のことなんか、どうでもいいくせに」
「あらあ、すねちゃってかーわーいーいー」
セシリアが無表情のまま言う。そして、陛下は呆れたように目を細めた。
「どうでもいい人間だったら排除する方法はたくさんあった。お前も知っている通り、私は消されそうになった人間だ。そういう世界で我々は生きている」
そこで陛下は椅子から立ち上がり、リュカの傍に立った。いきなりのことにおびえたように見上げるリュカの頭を彼は乱暴に撫でた。まるで、猫か犬を撫でるような、わしゃわしゃという擬音が似合うような手つきだった。
「だからお前は私の敵になってくれるな」
「え?」
「身内を疑いながら生きるのはつらいぞ、リュカ。だからお前は私を頼ってくれ。お前が必要とするなら、私はいつでもお前に手を貸そう。それだけは忘れるな」
僅かにそこでリュカが泣きそうになったのが解る。でも、きっと素直になれないんだろう。何も言わず、ただ唇を噛む彼を見下ろした陛下は、また彼の頭を撫でて笑う。
「ただし、敵になったら容赦はしない。私の愛しいカナリアとミカエルを、そしてミカエルの片翼を傷つけるようであれば」
と、また威圧するような気を発するけれど。
片翼って誰のことっすかね、と思いながら俺は食事を終えた。もう、部屋に行ってベッドに寝転がっていいかな。で、カオルの血を吸う。尊い献血をお願いしたい。現実逃避と呼べばいい。俺は絶対に逃げるつもりだし。
陛下はそこで、「そろそろ城に戻らねばならんのだ」と残念そうな視線をセシリアに投げた。彼の『カナリア』は無造作に手を振って、はいはい、と言うだけだ。ちょっと泣きそうな顔をしている陛下。
複雑な家庭環境と言うか、何と言うか。
でもまあ、絶望するほど酷いわけじゃない。きっと、何とかなるだろ、的な空気もある。
セシリアが精霊魔法で陛下を城に返品――もとい、送ろうとすると、陛下が何かに気づいたように声を上げた。
「そうだ、最後に一つだけ言っておく。神殿の動きがちょっと気になっていてね。こちらも内々に調べるつもりだが、何かあったら教えて欲しい」
そんな台詞の後で、彼女が展開した精霊魔法によってセシリアと陛下の姿がこの場から消えたのだった。
そしてこの場に残されたリュカとミカエルが微妙に見つめあう。
どうぞ、お幸せに。
そんなことを考えながら、俺たち三人は与えられた部屋へと向かったのだった。
そして翌朝である。
寝坊したらしいリュカを叩き起こしてきたセシリアは、朝食を取った後に早速特訓を始めることにしたようだ。「女と剣の訓練とか……」と渋い表情をするリュカの腕を無理やり引いて庭へと出る。二人とも、剣の訓練に相応しい動きやすそうな格好をしている。
離宮の広い庭で、剣のぶつかり合う音を聞きながら、俺たち三人、プラス大天使とアルトは庭にある四阿というのだろうか、小さな休憩スペースでお茶を飲んでいるわけだ。
「黒フード探しに行ってきていいですか」
俺がお洒落なカップに注がれた紅茶をすすりながら言うと、ミカエルはそっと首を傾げて見せた。
「いえ、別に急がなくてもいいと思いますが」
何故他人事のように言うんだ。呪いを解いたらはいさようなら、じゃなかったのか、と睨むと困ったような笑顔が返ってくる。
「不肖の兄を放置して出かけるわけにはいきませんし」
「だからミカエル様はここにいてもらって、俺たちだけで行ってくるつもりなんですけど」
「駄目です」
「何故」
「寂しいから」
「聞かなかったことにします」
そんなことを言いあっていると、剣が跳ね返される音が響く。そちらに目をやると、肩で息をしながら地面に膝をついてぐったりしているリュカがいた。
セシリアは肩に剣を担ぎ上げながら、情けないと言いたげな視線をリュカに向けていた。
「ねー、王子殿下って普通、城で剣の訓練するわよね? 体力なさすぎじゃない?」
リュカは何も言わず、恨めし気にセシリアを見上げ、呼吸を整えている。
どんなに待っても返事はなさそうだと思ったのか、セシリアがため息をついて剣を鞘に収めた。
「じゃあ、休憩と気分転換をかねて、少しだけ街にいきましょうか。レジーナはいい街よ? 案内してあげる」
「……いらない」
「案内してあげる」
重ねて言うと、リュカも諦めたのだろう。剣を地面に突き立てて、体重をかけながら立ち上がる。そして、見物客である俺たちを見やり、小さく舌打ちした。
「のんびりお茶かよ、いいご身分だな。っていうか、ミカエル、本気でそんな女と結婚する気なのか? 王族の義務っていったら、それなりの身分の女と結婚すべきだろう? それとも、義務を果たさないつもりか」
「……恋をすれば解るとだけ言っておく」
ミカエルは嫣然と微笑み、俺はその傍で渋い顔をしていた。そしてリュカも俺と同じような変な顔をして――。
「恋なんかしない方が楽だろう」
と呟くのだ。
多分、それは素の表情だったろう。心の底から厭そうに顔を歪めた彼はこう続けた。
「母を見ていれば解る。父上に、そして俺に執着してくる母を見ていれば……そんなもの、くそくらえだって思う」
そして突然のことだが、俺は少しだけリュカを身近に感じてしまったのだった。同類相哀れむ。これは同情だと思う。
――多分。
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