第64話 手をつないで歩きませんか

「魔族領の王って、あんな子供だったのかよー」

「っていうか、女だとは思わなかった。馬鹿っぽいし」

「魔族領がこっちを侵略してくるって噂はどうなった」

「あれが演技じゃなければ、それはないんじゃないか? 元々、お互い侵略しないって条約を結んであるんだろ?」

「助けてもらったって何だよ。人間の誰が魔王を助けたって?」


 予想はついていたが、店内は随分と騒がしかった。


 夕食はフォルシウスの居酒屋みたいな店に入った。

 この世界のレストランみたいな店というのは、どちらかというと裕福層向けだ。いわゆる、お貴族様専用みたいな感じ。

 だから、旅人や庶民が行くのは居酒屋とか軽食を出すような店、もしくは屋台。多分、外食するという概念が特別なんだろう。

 ミカエルご一行様だったら貴族向けのお店にも入れるんだろうが、セシリアが居酒屋を当然のように希望した。お堅い店は厭なんだそうだ。まあ、お高い店はドレスコードとかあるんだろうし、俺たちとしても気楽に入れる方がいいから好都合だ。

 そして酔っぱらった男たちがたくさんいるような賑やかな店に入って、そこでも魔王様とやらの噂を聞く。やっぱりというか何と言うか、魔王様を助けた少女って誰だ、という騒ぎになっていた。


「お礼って何がもらえるんだろうにゃ」

 男らしくグリルチキンにかぶり付きながら、カオルがもごもごとそんなことを言う。

 お礼は確かに気になるが、これだけ騒ぎになっていたら魔族領に近づくことを躊躇ってしまう。

「別にお礼が目的じゃないしな……」

 俺は悩みながらそう返してみる。それとも、幼女な魔王様に一度は会っておくべきなんだろうか。蘇生薬の使いどころは間違ってなかったと思うが、渡したのが俺だと他の人間にバレたら、厄介なことになりそうだ。

 まあ、俺は随分と運がいいらしいから、それでも何とかなる……のかもしれないが。

「明日、魔族領に行ってみる?」

 そうセシリアが話しかけてきたものの、俺はどうしたものかと唸りながら考えこんで――。


「アキラ、腹減ってる?」

 俺の視線がいつの間にか、カオルの喉元に向かっていたらしい。それに気づいた猫獣人は椅子から立ち上がって、こそっと俺の耳元に口を寄せて囁いてきた。

「んー、ちょっとだけ気になる、かな」

 食事と一緒に果実水を飲んでいるけれど、喉の奥が求めているものはこれじゃないと頭のどこかが告げている。でもまだ、我慢できないレベルじゃないし、深夜にマチルダ・シティに戻ってリセットすれば大丈夫だろう。

 それとも――カオルに土下座コースか。

 と、俺が無言のまま猫獣人を見つめていると、サクラが目を細めて俺たちの間に割り込んできた。

「ちょっと待って。カオル君とエロイことしようと思ってる?」

「おい」

「にゃ?」

「今度は混ざるからね。わたしもヤる」

「おい」

「にゃ!?」

 言い方に気を付けろ、と思ったがサクラの口元が僅かに笑っていたからわざとだろう。そして、凄まじいまでの視線を受けていることに気が付いて顔をそちらに向ければ、大天使ご一行様は動きをとめてこちらをじっと見つめていた。

「エロイこと……」

 セシリアが呆然と呟いた瞬間、固まっていたミカエルが急に身を乗り出してきた。

「我が女神! この後、時間がありましたら街を散歩しましょう」

「は?」

「思うのですが、我が女神は女性としての意識が低すぎます。それに、幼い少女に手を出すのは男女問わず許されないことです」

「それは確かに」

「否定できないにゃ」

 サクラとカオルがうるさい。黙れ。

 アルトだけが冴えない表情のまま、完全な静寂を守っている。

 ミカエルは酷く思いつめたような顔つきのまま、気が付いたら俺の手を握っていた。

「それにまだ、我々はお互いのことを理解したとは言い難い。つまり、もっと二人きりで話し合う時間が必要なのです」

「いや、それは別に理解しあわなくても」


 っていうか。

 唐突に今、気づいたんだが。


「あのろくでもない女がいなくなったんだから、婚約解消でいいんじゃ」

「駄目です」

「駄目ね」

 ミカエルとその生産者の言葉は短いし、断固とした響きがあった。何故に?

 だって、あいつを追い払うための口実として言い出したことだったんだろ?

 そう俺が首を捻っていると。

「いいわ、もうとっとと二人で散歩してきなさい。わたしたちはまだ当分この店でのんびりしているから、どうぞごゆっくり」

 と、セシリアが俺たち二人だけを店の外に追いやったのだった。

 解せぬ。


「一つ言っておきますが、俺、結婚する気ないですからね」

 夜の街を歩きながら、横を歩く大天使に向かってそう言うと、怪訝そうな声が降ってくる。

「どうしてですか? それは私が問題ですか? それなりに優良物件だと思いますけど」

 自分で言うのか、こいつ。

 俺は小さくため息をついた後、夜遅くなっても賑やかな大通りを見回した。騒いでいる酔っ払いは確かにいたけれども、見回りの騎士みたいな男性たちも見られる。だから、治安は悪いと言ってもそれほど気にならなかった。

「俺、いや、わたしは結婚っていうものにあんまり希望とか夢がないんですよ」

 そう、自分の母親みたいなやつを見慣れていると、だけれども。

 それに、俺はどうやったって心は男性なのだから、恋をするにしても相手は女の子だろう。いくらイケメンだとはいえ、ミカエル相手にそういう気持ちにはなれないはずだ。

 それに、ミカエルだってそれは知っている。


 こちらの事情を話した際に、間違いなく俺は――元は男性であったと伝えた。それを聞いたミカエルは、確かに困惑していたというのに、割り切るのも早かった。相変わらず俺を女扱いしてくる。


 しかしそれはおかしくないだろうか。

 身体さえ女なら、どうだっていいっていうんだろうか。


「それを言うなら、私も今までは結婚とか恋愛に夢や希望を抱いたことはありませんよ?」

 ミカエルは俺の猜疑心溢れる双眸を覗き込みながら、優しく笑う。「結婚というのは、身分とするものなのだと今まで考えてきました。言い寄ってくる女性はいつだって、私が第三王子で金と権力を持っているからつながりを持ちたいだけでしたし、うんざりしていたんです」

「じゃあ、何で俺、わたしに言い寄ってくるんですか」

 ああもう、素の自分が出て俺と言ってしまう。しかしもう、それでもいいだろうか。女らしく装っていたら、いつまでもこの大天使は俺について誤解し続けるだろう。

「自分でも解りません」

「おい」

「でも、恋ってそういうものじゃありませんか? だから仕方ないって気づいたんですよ」

「馬鹿馬鹿しい」

 俺は心の底からそう思う。

 心が男だと解っていて、言い寄ってくるっていうのはどう考えてもおかしい。それとも。


「このアバターが可愛いから、セックスしたいだけなんじゃないですか?」

 俺はわざと、厭な笑みに見えるであろう唇の形を作り、ミカエルの前に立った。自分の胸の上に手を置いて、美少女が可愛く見えるであろう角度はどこだろうと考えながら続ける。

「俺も男だから解りますよ。心と身体は別物だ。恋愛感情がなくても、相手を抱きたいと思う心情は理解できます。ミカエル様の考えていることは、それと違うと言えるんですか?」

「そうですね」

 少しだけ、ミカエルは困ったように目を瞬かせた。言葉を探して少しだけ沈黙したものの、俺から目をそらそうとはしない。

「それでも、好きだから抱きたいと思うのが一番大きいですね。それと、相手を幸せにしてやりたいと思うこと、一緒に自分も幸せになりたいと思うこと。こういうのは、身体だけの付き合いの女性には抱かない思いでしょう?」

「だから俺は男なんだってば」

 頭を乱暴に掻きつつ言うも――。

「それでも、私にとっては唯一の女性ですよ」

 やっぱり、彼の声には何の揺らぎもない。


 くそ、ミカエルに諦めてもらうにはどうしたらいいんだ。俺、絶対無理だし。つか、元々、住む世界が違うんだから。


「あの、我が女神?」

「あ?」

「ご褒美をください、と前に言いましたよね」

「え……」

「そんな顔をしないでください。無茶な希望は言いませんから」

「えー」

 そう言われても、と俺が彼から距離を取ろうとするが、ミカエルは穏やかな表情のままだ。

「手をつないで歩きませんか。お願いします」

 それは確かに、ささやかなお願いだとも言えただろう。

 その声は真剣だったし本気だからこその緊張感もあったけれど、やっぱり俺としては受け入れ難かった。

「無理ですね」

 そう返しながら、ふとアイテムボックスの中にある薬を思い出していた。

 惚れ薬(小)である。いっそのこと、これからもの凄く可愛くて性格のいい女の子と出会うことがあったら、この薬を飲ませてしまうというのも一つの手段じゃないだろうか。


 卑怯な手ではあるけれども、正直なところミカエルに言い寄られるのは俺にはちょっと重かった。

 母親が俺に執着するあの気持ち悪い愛情とは違って、ミカエルのは――俺の気持ちも尊重してくれるとは理解できていたけれども。


 だからこそ怖かったのだ。

 何だか――絆されてしまいそうで。

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