第63話 幕間11 ロクサーヌ

「……でも、手の届かない人ですよ」

 わたしは目の前にいる綺麗な男性から目を引きはがし、そっと神殿へと目をやった。右から三番目の美少女がジョゼット様。この国の聖女様。

 選ばれし神の御使い。神様から地上へ送られた特別な女性。どんなに憧れても、どんなに好きになったとしても、決して触れることは許されない人。

「確かに、届かないから美しいものってありますよね」

 小さな笑みと共に、横からそんな声が下りてくる。「でも、世の中には、手の届きそうなアイドルっていうのもいるんですよ。隣のクラスにいそうな可愛い子、握手しに行けるアイドル。運よく目が合ったらラッキーという感じの」


 アイドル……?

 わたしは彼の言っている意味が理解できなかった。綺麗な人だけど、ちょっと変わり者なんだろうということだけは解る。


「それでも、天上の星じゃないですか。どんなに手を伸ばしても届かないなら、好きになるだけ無駄。地上に落ちた星を探した方がいいと思います」

 何故、こんなことを言ってしまったのか解らない。初めて会った、名前も知らない人に対して。


 いや、違う。

 これは彼に対してじゃなくて、自分に言い聞かせるためのものだ。

 それなのに――これじゃ、ただの八つ当たりだ。

「ごめんなさい。変なことを言って」

 わたしは神殿の前にいる人たちを見つめながら、何でわたしはこんな風に生まれてきてしまったんだろうと考えた。せめて両親がいたら。孤児院で汚いものを見ずに生きてこられたら、ないものねだりなんかしなくて済んだだろうか。


「……よければ、ちょっと店に寄って行きませんか? 珍しいお茶をご馳走しますよ」

「え?」

 唐突にそんなことを言われて、わたしは目を瞬かせながら彼の顔を見上げた。ちょっとだけ唇を歪めるようにして笑う彼は、ただの綺麗な人じゃないって思わせてくれる。

「実はですね、俺、喫茶店の店長なんです」

「きっさてん?」

「んー、こっちの世界だとティールームって言うのが正式なんでしたっけ? 嗜好として飲むのはお茶が主流なんでしょう? 紅茶とかハーブティーとかを飲んでいるって聞いてます。でも俺、この世界でコーヒーという新しいムーブメントを起こそうと企んでいるんですよ」

「むーぶめんと」

「あ、流行っていうのかな? お貴族様にはお高いものを流行らせ、一般人にはリーズナブルなものを流行らせる。メニューもそれなりに取り揃えてるんですよね」

「ちょっと……よく解らないです」

「ですよねー」

 彼は僅かに照れたように鼻の頭を指で掻いた後、まじまじとわたしを見つめて続けた。「どうやらあなたは旅行者というか、この街の人ではないんでしょう? きっと、他の街にはないティールームなんですよ、うち。だから、飲んで美味しかったら色々なところで宣伝してください。あなたみたいな可愛い子に言われたら、みんな、そんなにお勧めするなら行ってみようかなーって思うでしょ」

「え」

 宣伝?

 でも。

 可愛いって言ってもらえた、とちょっとだけ胸がどきどきした。

 もちろん、これまで色々な男性から言われていたから自覚はあった。でも、すっかり――ミカエル様の件で心がくじけてしまっていたから、明らかなお世辞だと解っていても嬉しかった。


 神殿のすぐそばに、彼の言う喫茶店というものがあった。お酒を出す飲み屋と何が違うんだろうと思ったけれど、店構えも店内も、どこか――昔懐かしい印象の古ぼけた店なのに、お洒落だった。ティールームなんてところ、わたしは行ったことがないからよく解らないけれど。

 店内に入った瞬間に鼻腔をくすぐる香ばしい香りとか、変な魔道具とか、お洒落なカップやお茶を淹れる道具とか。何もかも初めて見るし、不思議とわくわくさせられた。


 何だろうな、これ。


 店の入り口に下がっていた札は準備中と書かれていたし、店内にはわたしたち以外には誰もいない。夕方の時間帯で薄暗いけれど、色々なところにオレンジ色のランプがつけられていて綺麗だ。

 店長さんはわたしをカウンター席に座るように促すと、カウンターの中に入ってお茶――コーヒーとかいう黒い飲み物を出してくれた。

「通になると何も入れずに飲むのがお勧めなんですけどね、まあ、最初は砂糖とミルクを入れてください」

 にこにこと笑いながら、彼はお菓子も出してくれる。分厚すぎるクッキーみたいなやつに、クリームとフルーツが添えられているやつ。


 そう言えばわたし、こんなお洒落なお菓子を食べたことがない。わたしが生きてきたのは、ギルドとか武骨な連中が集う場所だから。わたしに近づく連中は、誰だってお酒とか料理を出してくれた。そしてあわよくば――と誰もが考えていただろうし、わたしだってその男たちの中から条件のよさそうなヤツだけを選ぶためにも話を合わせていたから、こんな――女の子が好きそうなものって食べたことがない。


「美味しい……」

 砂糖多め、ミルク少なめのコーヒーと、スコーンとかいう名前らしいお菓子を食べたわたしは、純粋にそう感心した。砂糖は結構高価なものだから、お菓子自体が高いものなんだろう。

「でしょー?」

 にやりと笑った彼は、わたしがあっという間にスコーンを食べてしまうのを満足そうに見つめていた。そして、次のお菓子を出してくれる。どこから出してくるんだろうと不思議に思うくらい、気が付くと目の前にあるって感じで。

「これはイチゴたっぷりのパンケーキってやつ。甘いもの続きだけど大丈夫?」

「パンケーキ」

 それもまた、食べたことがない。きっとこれも、高価なやつだ。三段重ねのふわふわしたケーキみたいなものに、熟したイチゴとクリームがこれでもか、と乗せられている。

「美味しい。凄い」

 つまらないことしか言えないわたしは、きっとつまらない人間なんだろう。

 何だか突然、彼に申し訳なく感じてしまった。

 柔らかなパンケーキを一切れフォークに刺したまま手の動きをとめ、じっとそれを見つめていると彼が小さく笑った。

「勝手なイメージだけど、甘いもの食べると元気が出るのが女の子だと思ってた」

「え」

 そこで、のろのろと顔を上げると、少しずつ砕けた口調に変わっている彼の、困ったような表情がある。見た目に反して不器用なのだろうか、女の子に対してかける言葉が思い当たらないらしく、しばらく唸ってからため息をつく。

「まあ……何があったのか解らないけど、そのうち、いいことあるよ」

「だといいなあ」

 わたしもつい、敬語なんて忘れて苦笑を返す。でも、わたしにとって『いいこと』って何だろうとも考えてしまった。


「ごちそうさまでした。あの、また来てもいいですか? 次はちゃんとお金払います」

 わたしはすっかり甘味だけでお腹いっぱいになってしまって、確かにこれも幸せなことなんだと笑ってしまう。今日は何故かこの人がごちそうしてくれたけれど、ここはお店なんだ。ちゃんと払わなきゃ……気まずくなって、もう二度とここにはこられないだろう。

「うん、次はお客さんね」

 店長さんは明るく笑ってくれて、その綺麗すぎる顔にまた胸がざわついた。でも何だか、この店長さんを騙してお金を巻き上げようとは思えない。こんな風に考えるのはどうしてなんだろう。

「君は剣を背負ってるけど、やっぱり魔物討伐とかするの?」

 カウンター席から立ち上がったわたしに、少しだけ眉根を寄せてそんなことを訊いてくる彼。

「はい。ギルドで依頼を受けて、近くの森にでも行くつもりです」

「そうかー、でも、無茶は駄目だよ」

 彼はしばらくわたしの体つきを観察するように見つめる。「もうちょっと、筋力つけないと女の子だから剣を振るのは大変でしょ? それとも、魔術とか使えるの?」

「いえ」

「じゃあ、まずは森じゃなくて街の中でやった方がいいかな。うちの店の宣伝をしてもらわなきゃいけないから、うん、そっちの方がいいよ。森で討伐は後回しでね」

「何ですか、それ」

 つい、わたしは吹き出してしまったけれど、彼なりの心配りというか忠告なんだろうと理解していた。強力な武器を持っていないわたしじゃ多分、魔物討伐は無理だから。

「ありがとうございます、そうしますね」

 わたしがそう続けると、彼は安堵したように頷いた。

「あ、そうだ、俺はミッチーっていうの。君は?」

「ロクサーヌです」

 そんな名乗り合いの後、わたしはすっかり暗くなった外へと出る。男性相手に、こんな素の自分で接したのはいつぶりだろう、なんてことを考えながら、宿へと向かった。

 不思議と、この街にやってきたばかりの時に感じていた暗い感情は消えていた。

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