第65話 幕間12 アルト
最近の殿下をどう扱ったらいいのか解らない。
以前は女性に対して上辺だけの笑顔しか向けない方であったのに、今はどうだ。
アキラと一緒に出て行くミカエル様の背中を見送りながら、そっとため息をこぼすとセシリア様が意味深に視線を投げてきた。
「あらあ、不満そうね?」
彼女は何故か、店員を呼んで酒の追加を行い、やってきたワインを私の前に置いた。殿下が傍にいれば、私はどんな時であれ殿下を守るためにも酒は飲まない、と断ることができたのだが。
「わたしとしては、うちの馬鹿息子を応援してもらいたいのだけれど」
「応援……」
それは難しいと言わざるを得ない。
ミカエル様の立場を安全なものにするには、婚姻相手はできれば高位貴族が望ましい。後ろ盾があれば、無用な攻撃も受けまい。
しかし、アキラという少女は――。
「あら、お帰り」
そこで、セシリア様が少しだけ驚いたように自分の膝の上を見下ろしていた。私が顔を上げれば、彼女の膝の上に乗っているのが小型化した聖獣だと見て取れる。
ありがたいことに聖獣の姿が見えているのは我々だけで、賑やかな飲み屋の客はこちらを見る気配もない。
その聖獣は、咥えていた手紙をセシリア様の膝の上にぽとりと落とした。
彼女は赤い封蝋を割って中身を取り出すと、無駄に何枚もある便箋に素早く目を通して眉間に皺を寄せた。
「……相変わらず言葉の無駄な装飾が多いわ。でもまあ、朗報ね。ミカエルの結婚は認めてくれるそうだし、色々と便宜も図ってもらえるわ」
「え」
私が思わず驚いた声を上げると、彼女はニヤリと『悪い』笑みを浮かべてこちらを見た。
「応援してくれるわよね、忠実な部下であるアルトくーん?」
本当に、この方はどうしたらいいものか。
「本当に本気ですか?」
そこに、アキラの連れの男性――サクラという美青年が口を開く。大人しくしていれば、男女問わず魅了する男性であるのに、その膝の上にはいつの間にか猫獣人が乗せられていて、表情が情けなく緩むことが多い。
それでも、今は真剣な目でセリシア様に問いかけている。
「外堀が随分と埋められているのは解るんですけど。それもまた、面白いと思ってしまうのも確かなんですけど。アキラちゃんはわたしの大切なあ……仲間なので、不幸な立場にはさせたくないんです」
「そうだにゃ」
猫獣人カオルもこくこくと頷きつつ、食事の手だけは止めない。「ぶっちゃけて言うと、アキラって結婚しなくても一人で生きていけるタイプだと思う。無理やり……ってのはちょっとどうかと思うにゃ」
「無理やりじゃないわよ」
セシリア様は聖獣を頭の上に乗せながら苦笑した。「恋愛は大切だし、いちゃいちゃする時間も経てからの結婚がいいでしょ?」
「んー」
「恋愛……できるかにゃ……」
二人はどこか不満そうに顔を見合わせ、首を傾げている。
確かに、それは私もそう思う。ミカエル様がどんなに努力しても、あのアキラという少女は手強いと思うのだが。
「それに」
サクラが急に何かを思いついたように声を上げた。「こっちの世界の人って、浮気とか当然のようにするんですか? だって……セシリアさんって、第二夫人というか、その」
側妃、なのでしょう?
と、微かに聞こえる声で問いかけてくる。
「わたしたちがいた日本では、一夫一妻制なんですよ。そういう世界に育ってきているから、うちのアキラちゃんを手に入れたら、はい次の女、ってやられるのは困るなって」
サクラがそう気まずそうに続けるが、気まずい思いをしているのは私もそうだった。
セシリア様と陛下の馴れ初めは、悲劇に近かった。おそらくであるが、あんな出会いをしなければセシリア様は陛下を受け入れなかっただろうし、恋仲になることもなかった。
結婚当時は色々と美化されて話が広まったが、何とも複雑な事情がその裏には隠れていた。
「大丈夫よ。この世界だって、普通の人たちだったら妻とするのは一人で、他に女なんか作らない」
セシリア様がそう言っても、サクラもカオルも疑いの眼差しの色を変えることはなかった。だからだろう、セシリア様は苦笑しながら続けた。
「わたし、これでも恋愛結婚なの。レジーナに住んでいるのは、あそこがわたしの故郷だからよ。夫はわたしの意思を尊重してそこに離宮を作ってくれた。まあ、あんな立派な屋敷なんかいらなかったんだけどね、それも陛下の精一杯の誠意なんだと解ってる」
「いくら侍女さんたちがいるとはいえ、一人で暮らしているようなものですよね? それが幸せなんでしょうか」
「恋愛結婚とは思えないにゃ」
二人の台詞は鋭い刃のように、セシリア様の事情に切り込んでくる。
「まあ、そう思えるかもしれないわよね。でも、なかなか衝撃的な出会いだったのよ? 最初はわたしも彼をこの国の王族とは知らずに仲良くなっちゃったのよねー」
飲み屋の一角で、騒がしいとはいえ危険な会話の内容だ。私は咎めるような視線をセシリア様に投げていたらしいが、それに気づいた彼女はワインを早く飲めと促してきた。私を酔わせて思考能力を奪う手段だろうか。
「わたしが陛下……彼と出会ったのはね、本当に偶然。死にかけていた彼をレジーナのすぐ近くの森の中で拾ったのよね」
「拾った」
「死にかけ?」
さすがに困惑したように、二人が眉根を寄せている。
その戸惑いすら楽しみ、酒のつまみにでもしているかのように、楽しそうにセシリア様はワイングラスを傾ける。
「しかも頭部に酷い傷を負っていたせいか、記憶を失ってたのよ、彼」
「記憶喪失ってやつですか」
サクラが何とも言えない表情で唸り、カオルは何か納得したように頷いて言う。
「記憶を失った男性と、それを助けた美女。何もないわけがなく」
「そーゆーこと」
セシリア様はくすくすと笑い、また酒の追加を頼んでいる。これはまずい。酔うと饒舌になるのが彼女だ。何とかとめたい、と私はさりげなく彼女の手からグラスを取り上げたいと手を伸ばすものの、あっさりそれは阻まれた。
「すっごく美形で、弱ってる男性って庇護欲をそそるというかね、助けて怪我の手当てをして、記憶が戻るまで一緒に暮らしていたら……ね。何か自然とそういうことになっちゃって。わたしもね、相手が王族なんて思わないじゃない? 身分が高そうだとはいえ、せいぜいどこかの貴族のボンボンだろうとしか考えてなかったわけ。だって、レジーナって言ったら辺境の地、田舎も田舎。こんなところに魔物討伐にくる人間だもの、どこかの落ちぶれた貴族だろうとしか思えなかったし。だったらわたしだって可能性はあるって思ったのが間違いよ」
陛下はまだその時、第二王子という立場だった。病に倒れたものの存命であった国王は、次の王となるべきものを指名した。それが第二王子であるラザール・アディーエルソンだ。
それを快く思わない人間がいるのは当然のことで、優秀ではあるが冷酷であることでも知られる第一王子はもちろん、第三、第四、第五王子までを巻き込んでの争いが起きた。
王族からも、そして貴族からも、誰が王位を継ぐに相応しいのか強さを見せよとの声があり、それぞれ魔物を討伐する任務についた。
そんな中での事故、いや、事故と見せかけた暗殺未遂が起きたというわけだ。
そして、第三、第四、第五王子は魔物の討伐中に命を落とした。第二王子は行方不明とされたが、死体ごと魔物に食われたのだろうと判断され、第一王子が王位を継ぐと決まったわけだが。
記憶喪失の男性の身許を調べるためにセシリア様がギルドに相談などしていれば、勘づくものもいたわけだ。第一王子の手の者と思われる暴漢に襲撃されたり、セシリア様も誘拐されそうになったり。そこからは、かなりの修羅場があったと聞く。
最終的には、第一王子も『事故』で命を落としたという。どこまで本当なのかは解らないが、王位継承者が全員消えたと思われたことで、王宮でも大騒ぎになった。
だが。
記憶が戻らないままのラザール殿下は、襲撃者を返り討ちにした後にセシリアに求婚をした。それを受け入れ、神殿で正式な婚姻を――と話を進めていると、神殿の人間より彼が第二王子という立場であり、妻も子供もいる立場ではないかと教えられたのだ。
ただしその結婚は、王家と力を持つ貴族とのつながりを得るためのものであり、恋愛感情など一片もない。ただ、義務的に結ばれた結婚だとはいえ、正妻がいる立場なのだからセシリアとの結婚は――二人目の妻という立場でしか成り立たない。
それでも、神殿から王宮へ連絡がいき、第二王子が生存していることが知られることになったのだ。
「まあ、失敗しちゃったとは思ったわよ? その時にはもう、お腹にミカエルがいたからね」
セシリアはぐいぐいと酒を飲み、頬を赤らめながら身を乗り出してサクラに言う。「でも、苦労してきた立場だからね、ミカエルには幸せな結婚をしてもらいたいと思うし、好きな女の子と結ばれて欲しい。そのためには、どんな手段だって使う。これが親心ってもんでしょ!」
そうだろうか。
私が首を傾げていると、セシリア様がこちらを睨んできた。どうやら酔いが完全に回っているらしく、目が座り始めている。
「あなたも手伝いなさいよ!? っていうか、あなたも恋人くらい作りなさいよ!? いつまでもミカエルと一緒に魔物討伐なんかやってたら、女の子との出会いなんて皆無でしょ!? 早く恋愛しておかないと、あなただってあっという間におじいちゃんになるからね!」
もの凄く厭なことを言われた。
というか、恋人とか全く考えたこともなかった。
それより、早くミカエル様、帰ってきてくれないだろうか。セシリア様が酔いつぶれたら移動が難しくなるから、この街に宿泊することになるのだけれどまだ宿を取ってない。今から宿を取るのは面倒だ。
何だか胃が痛くなってきた気がする。もう帰りたい。
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