第60話 魔王様登場

「あ、それにちょっとだけ気になることがあった」

 ふと、三峯は何か気づかわし気に眉根を寄せた。「ここのところ、どうも……こういうのも世界情勢っていうのかねえ、怪しいんだよ」

「ん?」

 俺が首を傾げると、三峯は少しだけ身を乗り出して、俺たちにだけ聞こえるような囁き声で続ける。

「聖女様の浄化の旅よりも早く、別の……戦争が起きそうだって話」

「え、やっぱりそれって」

「魔族領の話かにゃ?」

 俺と同時にカオルもそう訊き返して、三峯が頷く。

「やっぱり、少しくらい俺も魔物討伐クエストやっとけばよかった? 何か、やばい魔物が人間の居住地まで襲い始めてるって話題になってるみたいでさ。聖騎士団が聖女様連れて魔族領とやりあうんじゃないかって噂になってる。魔物を操ってるのは魔王じゃないかって」


 ――やっぱりな、という空気が俺たちの間に漂う。

 そっとミカエルとセシリアの方を見ても、その表情はいつになく硬い。


「まあ、そうなったら俺も聖女様を守るために――」

 戦うよ、と続けようとしたのかもしれないけど。


 急に、空気そのものが震えたような気がして皆の表情が警戒色に染まる。耳鳴りと、それに伴う気持ち悪さと、そして店の外から唐突に聞こえてきた喧噪。

 何かあったのか、と俺たちは慌てて店の外に出る。

 すると、大通りには大勢の人間が足を止めて空を見上げている姿があった。


 空が割れている、という表現が似合うと思った。

 それまで青かっただろう空は、一部だけくっきりと切り取られたように奇妙な紫色に染まっていた。

「何だこれ」

 俺が困惑している間にも、近くの家や商店街から次々と人間が恐る恐る姿を見せ、空を見上げながら不安に満ちた声をあげていた。

「神殿に報告を!」

 誰かがそう叫び、すぐ近くにある神殿へと走って行く男性たちの姿もあった。


 そして、そんな紫色の部分が綺麗に横長の長方形へと形を整えると。


『えー、何これ、どうやって話すの?』

 と、空気を震わせる子供の声が響いた。それも、可愛らしい女の子の声だ。

『ええと、多分、ここを押すと人間の世界と通話できると聞いてますけど。使ったの、もう百年以上前だって話ですからね。勘で使うしかないですよ、これ』

 そう続いて聞こえたのは、少しだけ神経質そうな男性の声だ。

『あー、もう、わっかんないし!』


 何が起きてるんだ、と誰もが困惑していただろう。でも、どことなく緊張感のないその声に、辺りが言葉を失って沈黙が下りてきたのは間違いなかった。


 紫色の空間がテレビとかパソコンのモニターのように思えてきた俺である。僅かにノイズらしき光が瞬くのもそれっぽい。

 そして、急にその空を埋め尽くすような巨大な画面内に、青白く輝く鱗のある美少女の姿が映った。もうその時点で、人間ではないことが確定している。見た目はかなり人間に近いけれど。

 さらりとした青くて長い髪の毛を持ち、瞳の色は深紅。それと、その頭には羊のような角がある。

 見た目は十歳くらいの幼女だから、カオルといい勝負だろう。でも、その少女は可愛いというより美少女、美しい顔立ちをしていた。

『多分、使い方は間違ってないと思いますので喋ってみてください、魔王様』

 そう言った男性の顔も、こちら側を覗き込むようにして画面(?)の中に現れた。身体の姿形は人間みたいだったし服装も人間と同じように白いシャツを身に着けていた。そして、緑色のマントをアンティーク調のブローチみたいなやつでとめている。銀縁眼鏡もしているし、お洒落感はたっぷりあったが、どうみてもその顔はワニである。アリゲーター? トカゲ?


 ざわざわ、とこちら側の人間が騒ぎ始めている。

 魔王様、と言った彼の言葉に反応しているからだろう。


『ここに向かって話すのね?』

 と、魔王様と呼ばれた幼女が画面に向かってぐい、と顔を突き付けてきた。何だか、パソコンのカメラに慣れていなくて必死に覗き込む姿を連想させた。

 が。

『ぎゃん!』

 と、魔王様が画面内から消え、がつん、という音も聞こえてくる。

『魔王様ー!』

 ワニ氏、慌ててその場にしゃがみこんだようだった。

『マント踏んだ! っていうか、これ、長すぎなのよ! 解ってる? わたし、まだ子供だからね!? こんなずるずるしたやつ、邪魔にしかならない……』

 がばりと顔を上げた魔王幼女は、額を手で押えながら文句を言う。

『そのマントは、先代の魔王様から受け継いだ由緒正しき』

『すっぱり裾を切って短くして』

『駄ー目ーでーすー!』


 俺たちは一体、何を見ているのだろうか、という気分になってきた。

 どうするこの空気、俺たち以外にも目つきが冷めている感じになってるのがそこら中にいるじゃないか。


『それに、魔王様は石頭なんだから転ばないようにしてくださいよ! 城を修繕するのだって大変なんですよ!? ほら、床が割れてるじゃないですか!』

『とにかく喋るわよ!』

『話そらした……』


 明らかに額の中央に痣のようなものを作った魔王様とやらが、改めて胸を張り、金糸で刺繍をされたいかにもゴージャスな黒いマントを振り払うようにして腕を広げ、格好良いポーズをとってこちら側に話しかけた。


『人間よ! 我は魔王である!』


「やっぱり魔王だ」

 ざわざわ、とまた緊張した空気がこちら側に生まれる。


『お互い、それぞれの国には関わらないという約束を交わし、長く平穏にやってきたと思う! しかしここのところ、我々の力が及ばずに迷惑をかけた!』


「……は?」

「どういうことだ」

 近くにいた男性たちがそんなことを呟いている。そうだね、俺も同意見だ。何が起きてるんだ、これ。


『わたしの体調が優れず、邪悪な魔物の制圧ができずにいたことを謝罪しよう! しかし、心優しき人間の援助によってわたしは助けられた! 見ての通り、健康そのものである! これからは人間の領地に邪悪なるものが出て行かぬよう、心がけるつもりだ! それに、何か困っていることがあれば魔族領の境界にまでやってきて欲しい! わたしができることであれば、協力させていただこう!』


「は?」

「何を言って……」


 ――何か、うん。


 俺はちょっとだけ背中に厭な汗をかきつつ、小さく唸る。


『本当に感謝するぞ、人間よ! わたしを救ってくれた名も知らぬ少女に心よりお礼を言いたい! その少女には、後で直々に謝礼を渡したいと考えているから名乗り出てくれたまえ!』


 画面の中の魔王様は、言い切ったぞ! と胸を張ってから――少しだけ不安そうに背後に立つワニ氏を振り返った。

『これだけ言ったのに、相手に聞こえてなかったら泣くかも』

『大丈夫ですよ、多分』

『多分!?』

『……』

 ワニ氏の視線が宙を彷徨う。

 そして、魔王は急に『あっ』と口を押えてから肩を震わせた。

『どうしました、魔王様』

『自分のこと呼ぶの、カッコつけて我で統一しようと思ったのに、わたしって言ってた! もう一回喋っていい!?』

『だーめーでーすー』

 おそらく、ワニ氏は苦労性だ。ワニ顔は表情の動きがあまり読み取れないが、凄くこの魔王様とやらの相手が彼の心を抉っているだろうということは予想できる。かわいそう。

『二回もやって、二回とも相手に伝わってたら赤っ恥じゃないですか! 魔王様というのは、美しく、気高くあるべきなのですよ!?』

『まさにわたしのこと!』

『ちーがーいーまーすー』

 それでも、魔王様はまた画面に向かって何やら話そうとするものだから、背後からワニ氏が羽交い絞めにした。というより、お子様を抱えた格好となった。ぶらぶらとする幼女の足が可愛らしいが、彼女は必死に自分を拘束する腕を振り払い、床に降りようとして。


『ぎゃん!』

 派手にぶつかる音がして、また転んだのが解る。完全にフレームアウトしていたけれど。

『あああああ! 床が! 床が! 修繕班ー!!』

『わたしの心配をしろぉぉぉ!』


 という、ちょっとした漫才が繰り広げられた後、ワニ氏がため息をつきながらこのテレビ画面みたいなのを消したらしい。ぶつん、という音と共に真っ青な空が戻ってくると、ただ残されたのは呆気に取られて動けない人たちだけだ。


「……我が女神」

 一番最初に口を開いたのはミカエルで、僅かに目を細めて俺を見下ろしている。何となく言いたいことは解る気がする。

「え、何だったのあれ」

 三峯だけが状況が掴めず頭を掻きながら首を傾げているが、サクラもカオルもセシリアもアルトも、この状況を俺が作り出したことを理解していた。

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