第58話 フォルシウスの喫茶店
「見逃してよかったの?」
暗い森を歩きながら、すぐ横を歩くサクラがそう訊いてくる。本当は――殺してもいいかな、なんて本気で考えていた。俺が何の力もない一般人だったら、あの魔物討伐用の爆弾で木っ端みじんになっていただろうし。
しかし――。
美少女アバターってのは笑顔一つで印象が変わる。その利点を生かして、最大限、彼女の恐怖を煽るように脅して済ませてやった。
自分でも最後の最後で甘さが出てしまったとは思うけれど。
「無抵抗の女を殺すのは……」
「……まあね」
サクラの少しだけ納得したような声を聞きながら、次にあのろくでもない女が襲ってきたら――手にかける覚悟はしておこうと決めた。
そんな寄り道はあったけれど、俺たちは日付が変わる前にマップを広げることに成功した。
適当に森の中を走り回り、草原みたいなところで夜の散歩をしゃれこみ、さらに人里を求めて足を延ばす。
で、見つけたのが月光の下で白く輝く高い壁に覆われた、結構大きそうな村――都市? である。
深夜でも煌々と輝く門番さんたちの詰め所の明かり。バレないように精一杯近くまで行くと、俺たちのマップに『フォルシウス』という名前が現れる。
これでいつでも一瞬でここまで飛んでこられる。じゃあ、早速明日の朝になったらここに来ようと皆で決め、マチルダ・シティに戻ることにした。
ちなみに、マチルダ・シティで日付が変わってログインボーナスをもらった後、レジーナの離宮に戻る前にアルミラの村の様子を見に行くことにした。
万が一、魔物がいたら狩っておこうと思い立ったからだが。
久しぶりに寄ったら、村の周りに分厚い塀が出来上がってました。一体、何があったし。
小さい村だから門番もいないが、分厚い扉で閉鎖されていたから、これなら魔物もそうそう中には入れまい。しかも、アルミラの村の周りはとにかく静かで、魔族領からそれほど遠くない位置にあるというのに魔物の陰すら見当たらない。
だからちょっとだけ安心して、俺たちは帰途についた。
「ご一緒します」
翌朝、レジーナ離宮の朝食の場で、ミカエルは当然のようにそう言った。俺たちが今日の予定はフォルシウスという街の探索であると告げたらこうなった。まあ、当然と言えば当然、むしろその方が俺たちとしても門を通り抜けるには安全だ。何かあってもミカエルたちが何とかしてくれるだろうしという期待。
セシリアもアルトも一緒に行くことになったので、マップじゃなくてセシリアの精霊魔法での移動である。
何だかんだで、とても頼りにしている同行者である。
陽の光の下でも、フォルシウスの外壁は白く輝いていた。普通の石じゃなくて、お高そうな大理石ですかねえ、なんて思いながら大きな門へと近づく俺たちである。
アルトが門番に通行証みたいなものを提出し、あっさりと中に通される。まあ多少、門番さんたちが馬もいないで移動が大変だろうに、と驚いている様子はあったが。
「フォルシウスにはこのアディーエルソン王国で一番の規模を誇る神殿があります」
大きな通りを歩きながら、ミカエルがそう説明してくれる。
入ってすぐに解るのは、俺たちがこれまで見てきた村よりも遥かに大きく栄えた都市なのだろうということだ。人通りが多く、活気があって賑やかだ。旅人らしき姿も多かったし、大通りにある商店の数も多いし宿も多い。
まあ多少、スリとか小さな犯罪も多そうだったが。
結構色々な場所で、幼さの残る少年少女たちが旅行者の財布を狙ってぶつかっているのが見られた。スリに気づいた人間が怒号を上げるところまでセットである。
「神殿の街、ねえ」
そんな光景を見ながら、俺は低く唸る。
「……王都より治安が悪いのも事実ですね」
ミカエルは俺の視線の先を追って苦笑し、困ったように眉根を寄せた。「というのも、この街は神殿にある聖騎士団という連中が治安を守っているのですが……神殿の守りを強くすることを意識するあまり、街の中までは手が届いていないようなのですよ」
「聖騎士団?」
「ええ。腕の立つ連中が多いですが、何と言うか……矜持も高いのでしょうね。些細な事件は後回しになっているというか」
「ギルドはどうなんです? 他の街のギルドは、街で起きた事件の取り締まりとかギルドで采配を取ってましたよね」
「一度、神殿でそういった件は分担されて降りてきます。ギルドは神殿より命令されて動く手足のようなものですね。だから、勝手に動くと注意されるというか……。残念ながら、そういった部分がこのフォルシウスの欠点でもあります」
「……面倒くさいんですね」
「ええ、まあ」
そんな会話をしながら、俺たちは当てもなく適当に街の中を歩き回る。目新しいものが多くて興味も惹かれるが、ミカエルがそろそろ神殿も見てみますか、と訊いてきたのでそれに従った。
大きな都市の中央に、フォルシウス神殿とやらがあった。
近づく前から、その白い神殿は目立っていたし圧倒的な大きさが感じられたが、近づけばそれはもっと顕著になる。
外壁と同じような、真っ白な大理石のようなもので作られた神殿は、俺がこれまでに見てきたどんな建物より大きかった。世界遺産に登録されてもおかしくない。
神殿の周りも白い壁に覆われているが、神殿そのものが小高いところに作られているからその姿がはっきり見える。階段を上った先にある建物は、無数の石の柱に囲まれていて、彫刻が刻まれているのも見える。
階段を上がった先にある入り口は開け放たれていて、その入り口の上には何かの紋章のようなものもあった。
「凄い」
とサクラがそわそわしつつ言うから、俺は「スクショとか言うの禁止」とすかさず突っ込んだら不満そうに唇を尖らせていた。イケメン魔人がやっても似合わないから、それ。
神殿の周りも随分と栄えているようで、色々な店が立ち並んでいるのが解る。そして、歩きながら俺もサクラもカオルも、同じタイミングで気づくのは香ばしいコーヒーの香りだった。
「こっちの世界でもコーヒーがあるのかな」
サクラが飲みたそうに辺りを見回している。俺もアイテムボックスの中にコーヒーがあったことを思い出したけれど、やっぱり現地では現地でのグルメというものを楽しみたいと思うのが当然だ。
「あそこじゃないかにゃ」
その香りの元となる喫茶店が目に入ったようで、カオルが俺のマントを引っ張りながらもう片方の手で指さした。
「あら、わたしも見たことない店だわ。たまにここには来るのに」
セシリアも驚いたようにそちらに目をやって、ミカエルもアルトも興味深そうに目を細めている。
「何だかいい香りですね」
ミカエルがそう言いながら、先に立って歩きだして俺たちもついていったけれど。
ちょっとだけ違和感を覚えたのも事実だった。
というのも、外観から看板から……何だか、日本で見かける古き良き時代の喫茶店に似ているのだ。
木造の建物、情緒のある佇まい。出入りするお客さんがドアを開けるたびに、カラン、というベルの音が鳴る感じも。入口の脇にイーゼルのようなものが立てられていて、小さめのボードにはチョークのようなものでメニューが書かれているのも。
ブレンドコーヒー、カフェオレ、キャラメルマキアート、その他、紅茶も色々揃っている。
しかし、ランチドリンクとかランチセットとか。
ナポリタンセット、カレーセット、オムライスセット、本日のおまかせランチ、とか。
どう考えてもこれは。
「マチルダ・シティのユーザーがやってんだろ」
俺がぼそりと呟くと、サクラもカオルも頷いた。
そんな俺たちの様子に気づいて、セシリアもミカエルも何か問いかけてきたそうにこちらを見ていたけれど。
そこで、喫茶店の扉が開いた。
「ありがとうございました。またお待ちしてます」
と、美声が響き、俺はその声の主を見た瞬間に声を上げていた。
「三峯!」
「えっ」
常連さんなのだろう年配の女性を送り出すその物腰は柔らかく、優雅とも言えた。白銀の長い髪の毛と色素の薄い瞳の超絶イケメン男子が、驚いたようにこちらを見た。
女性とも見紛うばかりのそのアバターは、俺がよくマチルダ・シティで見かけたものだ。長身痩躯、人間ではあり得ない線の細さでありながら、闘技場ではランキング上位に食い込む強さを持つ――天使アバター持ち。戦っている際は時間経過で『堕天モード』とかいう奴が発動し、悪魔の力が使えるという、見事に中二病の心をくすぐる激レアアバターである。
今はどうやら背中の翼を消して、完全に人間の振りをしているけれど。
「えっ、アキラ? 何、お前もこっちに来たの?」
驚いてこっちに駆け寄ってきた彼は、ばしばしと俺の肩を叩きながら笑う。「何だよ俺、ずっとマチルダ・シティを覗いてないから知らなかったよ! そうか、お前もかー」
お気楽に笑う彼は、異世界に引きずり込まれたとは思えないくらい明るい。
っていうか、こっちの世界に馴染みすぎじゃね?
白いシャツに黒いズボン、黒いエプロンを身に着けて見事に喫茶店のマスター然としている彼は、まさに現地人と呼べた。おい養殖系天使、魔物討伐はどうした。お前も邪神復活阻止のためにここに呼ばれたんじゃないのか。
「せっかくだからコーヒー飲んでいけよ。俺、ここでのんびりスローライフしてんの」
俺の耳元に唇を寄せ、小声でそう囁いた彼をいきなりミカエルが引きはがした。
「我が女神、この方は?」
笑顔なのに冷えた目で三峯のアバターを睨んだ大天使。
おお、天使同士の戦いか、と他人事のように考えながら、目の前の三峯が「女神……?」と困惑したのが解って慌てて口を開く。
「ええと、こちらは俺……じゃなかった、わたしの旅の仲間の」
「こんにちは、アキラ様の婚約者のミカエルと申します」
「婚約者!?」
「ちょ、黙って!」
「うちの嫁候補、じゃなかった、未来の嫁ね」
「え、ちょっと!」
という、ちょっとした修羅場を演じた後。
「そろそろランチの時間なので、中でゆっくり話しませんか?」
と、三峯が俺たちを店内に案内してくれた。
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