第57話 天空の剣

 村の外に出るのは簡単だった。門番さんは暇そうにしていて、俺たちが森に行くと言ったら「たまに魔物が出るから、逃げろよ」と言うだけで送り出してくれる。

 俺たちは追跡者がついてこられるように、のんびりと道を歩く。

 頭上に輝く二つの月は、俺たちどころか追跡者の姿すら照らし出していただろう。でももちろん、俺たちは『何も気づいてませーん』という様子で森を目指す。


 しかし、森に入っても本当に魔物は出ないんだな、と驚く。

 野生動物くらいの気配しか感じず、フクロウに似た鳥がのんびりと鳴くくらいだ。

「野犬すら出ないって、平和すぎ」

 サクラが笑いながら森の中を見回す。「ここまで魔物が出ないとなると、闘技場のクエストすらこなせないよ? 魔物討伐でコイン稼ぎたいのにね」

「本当にセシリアさんが魔物を狩りまくったのかにゃ? だとしたら敵に回したくない」

 確かに。

 俺はカオルの言葉に苦笑しつつ、もっと森の奥を目指す。奥に行けば行くほど頭上を覆う木の葉が鬱蒼と茂っていき、暗くなる。

 そして、背後から追ってくる人間の敵意も強くなっていく。


「マジ、弱い子なんじゃないの?」

 サクラがちらりと背後に視線を投げて言うと、カオルが「え、頭が?」と歯に衣着せぬ物言いをする。

 サクラがぷっと吹き出しつつ、カオルの頭を撫でた。

「それもそうだけど、ここまで殺気丸出しっておかしいよ。気配を殺すことすらできなくて、どうやって今までやってきたんだろうって思う」

「わざとやってるわけでもなさそうだしな」

 俺はちょっとだけ気配を窺いながらそう言って、さてどうしようかと考える。

 これだけの敵意を抱きながら追ってきたんだ、俺たちに対して何をしようとしているのかは予想がつく。


 森を進んでいくと、時折開けた場所に出ることがある。

 頭上にある木の枝が途切れ、月の光が俺たちを照らし出す場所。


 襲うには狙いやすい場所。


 風が唸るのが聞こえた瞬間、サクラが剣を抜いて一閃。キン、という軽い音がして何かが宙を舞うのが解った。

 俺は軽く地面を蹴って、サクラが剣で弾き飛ばしたものを掴んでから着地する。


 息を呑む音は、それなりに近くで聞こえた。


「こんばんは、ロクサーヌさん」

 俺は一応、ミカエルの婚約者という立場であるから、女らしく見えるように立ちながら手に取ったそれを相手に見せつけた。「なかなか面白いプレゼントをありがとうございます」

「嘘でしょう」

 木の陰から呆然とした様子でロクサーヌが姿を見せる。きっと、失敗するとは考えていなかったんだろう。目を見開いて、俺たちの顔を信じられないと言いたげに見つめていた。


 俺の手の中にあるのは、金属でできた矢だ。

 その矢じりのところには、布で何か括り付けられている。そっとそれを開いてみると、見覚えのあるものが転がり出た。

 今日、俺が薬屋で買ったやつにそっくりだ。魔物にぶつけてつかう、爆薬。

「効き目を試してみたかったので都合がいいですね」

 俺はそう言ってから、できるだけ遠くへ――森の外へと投げてみる。吸血鬼アバターの俺の腕力をなめたらいけない。かなり遠くに着弾したと思うのだが、一瞬遅れて聞こえてきた爆発音はかなり大きかった。


「殺傷能力が高そうで何よりですね」

 俺は笑いながらそう言って、内心では苦々しく思っていた。

 もし、ただ俺たちを脅すだけだったら見逃すこともできたのに。

 明らかに俺たちを殺そうとしてきた。


「手を引きなさいよ!」

 我に返ったように、ロクサーヌが眦を吊り上げて叫んだ。「ミカエル様の傍にいるのは、あなたたちじゃなくてわたしなの!」

 彼女の手には金属製のボウガンみたいなものが握られていたが、それを地面に捨てて背中にあった剣を抜く。鞘から抜かれた瞬間、ただならぬ気配が剣から発せられて、なるほど、と思った。

「いい剣ですね」

「うるさい! 大体、何なのよ、あんた! 顔しか取り柄のなさそうなくせして!」

「……酷い」


 ……あまり否定できない感じもするが。


 俺が苦笑すると、ロクサーヌは地面を蹴って剣をこちらに突き出してきた。

 サクラが先に動こうとするのを俺は手で遮って、ロクサーヌの攻撃を躱した。しかし、その剣には何らかの魔力があったらしく、俺が立っていた地面から背後にあった木の幹までを抉り取る。その剣ならば、魔物討伐もそれなりに楽だろう、と思ったけれど。


 彼女が攻撃を躱されてたたらを踏んでいる間に、俺は地面を蹴って宙をくるりと舞い、彼女の背後に降り立った。それと同時に、彼女の手から剣を奪い取って背中を蹴り飛ばす。

 どしゃり、という音と共に彼女が地面に倒れこむ。


「やっぱり」

 俺は手に取った剣を見下ろしながら、低く唸った。

『天空の剣・風属性・攻撃力一万・耐久度高・必殺技スロット未使用』

 マチルダ・シティのガチャで手に入るだろう剣だ。レア度はそれほど高くないが、こちらの人間からすればとてもいい剣だと思う。

 つまりアレだ、黒フードに貢がれたってやつだろ、これ。

「返して!」

 素早く立ち上がった彼女は、俺から剣を奪い返そうとまるで踊るかのような足取りで向かってくるも、やっぱり俺のアバターの動きには敵わない。

「戦利品としてもらっておきますね」

 にこり、と笑って俺はそれを自分のアイテムボックスに放り込む。それと同時に、彼女の背中にあった剣の鞘も消えた。

「嘘……」

「あなたの実力はきっと、あの剣があってこそだ。他の剣を手に入れたとして、これまでと同じように戦えますか? ギルドで名前を売ることができますか?」

「それは」

 さすがに、武器を奪われて彼女の顔色が悪くなる。それでも、俺を睨む目つきは変わらない。


「何なの、あんた」

 そう言いながらも、彼女の視線が俺の背後に向かう。そこにいるのはサクラとカオルのはずだ。そして、ロクサーヌの表情が少しだけ和らぎ、甘えたような声が唇から漏れた。

「そちらの方は理解して貰えますよね? わたし、ミカエル様と一緒に戦いたいんです。ずっと前から知り合いなんですよ」

「だから?」

 サクラの声は限りなく、どこまでも冷え切っていた。だからこそ、ロクサーヌの表情が信じられないと言いたげに強張る。

「だって、おかしくないですか!? わたしが先にミカエル様に出会ったのに! 何で、そんなぽっと出の女に盗られなきゃいけないのよ!」


 あ、素が出た。

 可愛らしい顔立ちをしているだけに、ちょっといただけない感じの醜悪さになっている。


「だって、だって、わたしの方がずっと可愛いのに!」

 ロクサーヌが胸の前で手を組んでそう叫ぶと、サクラがいきなりカオルを背後から抱えて前に出た。

「……可愛いというのは、こういうことです」

「にゃー」

 気が抜けるわ、お前ら。

 俺が眉間に皺を寄せていると、ロクサーヌが顔をくしゃりと歪めて叫ぶ。

「でも、わたしのせいなの! ミカエル様が魔術も使えなくなったのは、わたしのせい! だから、何とかしたいの! それで、全部上手くいったらきっと、ミカエル様だって喜んでくれる! わたしと一緒にいてくれる!」

「うーん、無理じゃないかな」

「無理だよね」

「無理だな」

 三者同じようなことを呟くと、ロクサーヌが怒りに満ちた顔でこちらを睨む。


 だから、俺は彼女の目では追えないくらいの速度で、彼女のすぐ目の前に立って、もう一度彼女を地面の上に転がした。空が見えるよう、仰向きに。


「え」

 驚いたように声を上げる彼女を見下ろし、俺はできるだけ冷酷に見えるよう微笑んで見せた。

「あなたがわたしを殺そうとしたこと、ミカエル様に報告しますね」

「え、ちょっと!」

「そしてもう一つ、警告です」

 俺は彼女の傍らにしゃがみこみ、その顔を覗き込んで笑う。「わたしは優しいから、一度だけ見逃してあげます。優しいですよね、自分を殺そうとしたあなたは危険だ。普通だったら、殺しておいた方がいい」

「え」

「だって、自分の欲望のために他人を簡単に殺そうと思う人間なのでしょう、あなたは。そんな人間が生きている価値、あります? ないですよ、きっと。でも、このままあなたがミカエル様の傍から消えてくれたら、それで終わりにしてあげましょう。世の中にはきっと、ミカエル様よりもイケメンで金持ちの男性だっているかもしれませんしね」


 それはどうかな、という微かな囁きが背後で聞こえた気もするが、きっとロクサーヌには聞こえなかっただろう。

 悔しそうに唇を噛んだ彼女は、何も言わずその場に倒れたままだった。

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