第56話 ろくでもない女

「後、つけてきてますね」

 そう呟いた俺の言葉に、隣を歩く大天使が笑顔のまま返してくる。

「困ったものです」


 ギルドを出たのはそれなりに時間が経ってからだったと思う。壁に貼り出されている依頼の紙を見て、色々とレジーナの街での魔物討伐についての現状を話し合っていたから。

 まあ、早い話、レジーナは平和な村だった。レジーナの外に出て、鬱蒼と茂る森に入っても、なかなか魔物に出会わない程度には平穏のようだ。だから、貼り出される依頼は薬草採取だったり素材採取だったり。

 大天使曰く、この近郊の危険な魔物は、おそらく母が狩りつくしたはずとのこと。

 なるほど、やりそうだな、と納得した俺である。


 で、ギルドの外に出て薬屋の見物。小さな村だと思うのに、妙に薬屋の規模が大きいと思ったら、この近郊でしか取れない薬草があるらしく、それがとても優秀らしい。わざわざ遠くの村から買いに来る人間もいるようで、どんな薬なんだと思ったら、怪我や病気のための薬じゃなくて戦闘中に使える目つぶしやら爆薬みたいなものが並んでいた。

 思わず買った。

 で、満足したからもう帰ってもいいや、と店の外に出たら――物陰からこちらを見つめている瞳があったわけだ。建物の陰に身を隠し、ちらちらとこちらを注視する少女。

 もちろん、ロクサーヌである。ろくでもないからロクサーヌ、というわけか、と考えながら、何も気づかないふりで歩く俺たち。

「モテモテですね」

 サクラが揶揄うように大天使に小声で言うが、苦々しい笑みが返ってきた。

「彼女、多分あなたにも興味を持ちますよ。そういう女性なんです」

「え?」

「喉渇きませんか? 少しだけ、ここに入ってみましょう」

 急に、ミカエルは大通り沿いにあった飲み屋みたいな店を指さした。店の外まで肉の焼けるような香ばしい香りが漂ってきていて、飲み物よりも食べ物に興味が出そうだなと思いながら皆の顔を見回す。

 サクラもカオルも興味がありそうなので、大天使に促されるままその店に入ると、「いらっしゃいませ!」という店員さんの元気のいい声が飛んできた。

 三十代半ばくらいの、イケメン俳優みたいな短い茶髪の男性である。

 その彼が、驚いたようにミカエルを見て微笑んで見せる。

「お久しぶりですね。しばらくこちらに?」

「ああ、そうだね」

 気さくな口調で返すミカエルは、敬語でないというだけで別人に思える。自然体で彼に接し、店員さんはにこにこと笑いながら店の奥にあるテーブルに案内してくれた。


 店内はまだ夕方に差し掛かったところだというのに、結構お客さんが入っていた。早めの夕食という感じなのか、いかにも酒に合いそうながっつりとした料理が提供されている。


 こんな店に入ったら、飲み物だけじゃ満足しないんじゃないだろうか、と思いながら大天使にお勧めされたジュースを頼むと、カウンターで搾りたてのジュースを作ってくれているのが見えた。

 まあ、美味しくないはずがない。

 俺たちがそれぞれ飲み物を飲んでいると、カウンターの中から「いらっしゃいませ!」という声が飛んで、新しい客が入ってきたのが解る。

 まあ、奥のテーブル席に座っているせいで、客の顔は見えないけれど。


「あ、いらっしゃい! 今日は何にする?」

 と、さっきのイケメン店員が嬉しそうな声を上げているのが聞こえてきた。

 さらに、店内にいた客の男性もその新しい客に声をかけているのだけれど。

「いつも可愛いねー、ロクサーヌちゃん、こっちに座りなよ。奢ってあげる」

「いや、こっちにおいでよ。今夜の予定は空いてんの?」


 うん、なるほど。


「……彼女は私と出会う前に、王都のギルドでも、その近くの飲み屋でも人気のある女性でしてね」

 ミカエルは林檎に似た果物のジュースを飲みながら、ふっと笑う。「彼女、色々な男性に秋波を送るような感じで生きてきたようなのですよ」

「なかなか……優しい表現」

 俺はつい、そう口を挟む。秋波、つまりは色目を使ってきたということだ。

「私もこんな身の上ですから、近づく人間に裏がないかどうか調べるのが常なので。厭なことも色々と知ってしまうんですよね」

「なるほど?」

「彼女、随分と貧しい家に育ったせいか、お金に執着するようなのです。王都のギルドでは、討伐仲間となるのは全て金持ちの男性でした。彼女の背中にある剣も、男性に送られたものです。腕利きの女戦士と名前が知られていましたが、正直……その名前は作られたものだと私は判断しています」

「作られた?」

 俺が眉を顰めると、サクラが面白そうに小さく笑いながら声を上げる。

「いるいる、そういう女の子。困った時は男性に頼って、助けてもらいながら実績は自分のもの、ってね」

「ええ、そうなのです」

 ミカエルはそこでため息をこぼした。「私に呪いをかけた黒フードの男もそうなのですが、随分と仲良くしていたらしいですよ? 彼はギルドで一番の手練れではないかと言われていたので、目をつけられたのでしょう。そして、私の姿を見かけて、この国の第三王子と知るや否や乗り換えようとした。若いのに末恐ろしい女性ですね」

「確かに……」

「それに、この街で私を待っていたと言いましたが、ただ待っていたわけではないと思います。色々な男性と、程よい距離で仲良くなっておく……つまり、地盤づくりでしょうか。将来的に、私がこの土地で母と暮らしていくのではないかと予想した上で、私に近づくための協力者を得る。そうなのではないかと思います」

「マジか」

 つい、心の中で言おうと思っていた言葉がそのまま出た。「ただの馬鹿に見えたのに」


 ぶは、とアルトが吹き出し、ミカエルに睨まれて表情を引き締める。


「女の子には嫌われる女性の典型的なやつだね」

 サクラが小さく笑い、カオルも「そういうの苦手」と呟く。俺も関わりたくないタイプだ。


「アルト、彼女の傍にいる男性の顔を覚えていてくれ。それで、不自然に我々に関わってきそうなら注意を」

 ミカエルが続けてそう言って、アルトも頷いた。

 それから、大天使は俺に笑顔を向け、困ったように眉尻を下げて見せる。

「王都にいた頃はずっと、私の権力にしか興味を持たない女性に言い寄られてきたので、そういう類にはもう関わりたくないんですよ。我が女神、もうしばらく婚約者の名前をお借りしますが……お許しください」

 まあ、そういうことなら――と頷くも、サクラが「嘘から出たまことって言うよねー」と横で囁くから肘鉄をかましておいた。


 その後、俺たちはロクサーヌが座ったテーブルが賑やかになった辺りで、そっと横をすり抜けて外へ出た。

 もちろん、俺たちは気が付かなかった! と、そういう演技で外に出る。

 どうやらロクサーヌはテーブルにいた男性に呼び止められていたらしく、俺たちを追ってはこれなかったらしい。ミカエルがあからさまに安堵しているのが涙を誘う。イケメンって大変なんだな、と思う。明らかにあのろくでもない女、ストーカーじゃないか。


 まあ、そんなこんなで俺たちは離宮へと戻ったけれど。

 ミカエルが婚約者を連れてきた、というのは俺の知らない間にレジーナの中で随分と広まったらしく、後で厄介なことになる。

 今の俺にはもちろん予想もできなかったが、サクラは「外堀埋まりすぎワロタ」と思っていたらしい。先に言っておいてくれ、そういうのは。


 その夜。

 俺たち三人は、マップを広げるために離宮にて豪勢な食事を取った後、村の外にでることにした。深夜まで森やら何やら徘徊して、日付が変わったらログインボーナスを取りにマチルダ・シティに戻る予定だ。

 ミカエルも俺たちと一緒に行きたいと言ったが、それは丁重にお断りした。

 ミカエルが行くならセシリアもアルトも一緒に行かねば、行動範囲が狭まれてしまう。だから、断られてしょんぼりしているミカエルを残して、外に出たのだ。


 まあ、例の女が後をつけてきているのはすぐに解ったけれど。

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