第49話 魔族領のドラゴン
そして翌朝である。
一度、カオルの血を飲んでから体調がいい。気がおかしくなるような喉の渇きはいったん落ち着いたし、昼間でもそれほど疲れを感じない。とりあえず、毎日誰かの血を飲まなくても大丈夫だと思うのだが――いつまた、カオルに土下座することになるのか解らないということでもある。
この世界に某赤十字社があればいいのに。俺に献血パックを恵んでくれ。
っていうか、小説か何かのようにトマトジュースか赤ワインで置き換えできるようにしてくれないだろうか。もしくは血の滴るステーキとかで勘弁して欲しい。
そんな馬鹿なことを考えつつ、いつものように宿の一階に降りる。俺たちの姿を見るなり、椅子から立ち上がって侍従か何かのようにエスコートをしてくれる大天使には困りものだが、ちょっと慣れた気もする。
……慣れていいのだろうか。
「じゃあ、移動しましょ」
朝食が終わると、大天使ご一行様に促されるままにナグルの街の外へ出た。門からある程度離れてから、セシリアがいつものように精霊魔法を展開させる。いつもと違うのは、頭の上に丸っこい謎の生き物が寝そべっていることくらいだろうか。
輝く魔法陣に乗ると、あっという間に目的地に到着したようだ。
目の前に広がったのは、この世界も球体でできているんだろうと思わせる、絶景である。俺たちが立っているのは地表より遥かに高い位置の崖で、背後には深い森が広がっている。
崖の下にあるのは、鬱蒼と茂る森とごつごつした地面。地層が見える小高い山がたくさんあるが人工的な建物は全く見えず、森の隙間に大きな川が流れていたりする大自然だ。
「どこかの国立公園かな?」
俺の右側に立ったサクラが、軽く身を震わせながら呟く。「この世界にスマホがあれば! スクショ機能があれば! 動画をアップして広告費が……!」
通常運転で何よりだよ、妹よ。
俺とカオルが苦笑していると、ミカエルが崖の下を見るように促してきた。
「魔力による壁があるのが見えますか、アキラ様」
「壁……。ああ、あの青白い光がそうですか?」
随分と遠く離れているものの、うっすらと輝く壁のようなものが地面から空へ向かって伸びているのが解る。よくよく見てみれば、空を飛ぶ鳥が見えない壁に当たったかのようにバランスを崩して方向転換している。目に見えないだけで、目の前の国立公園空間は魔力の壁とやらに守られているようだった。
「あの壁の向こう側が魔族領です。我々人間が足を踏み入れることのできない土地ですね」
「魔族領というのは……住んでいるのは人間ではない、ということですよね?」
「ええ」
ミカエルはそこで、少しだけ困ったように笑った。「随分と昔から彼らとの交流は途絶えていますから、魔族領の内部で何が起きているのかは解りません。しかし、この壁の向こう側の世界も、我々と同じように『王』が統治していると言われています。知性が高い魔物を従えた国、それがロキシール魔族領です」
知性が高い……ということは?
と、俺が怪訝な顔で見たからだろうか、ミカエルが続けて説明してくれた。
「我々の住んでいるところに現れる魔物とは全く違います。上手く言えませんが、その上位種、というんでしょうか。我々の言葉も通じますし、むやみにこちらを襲ってくることもありません」
「でも戦争になるかも、と昨夜、噂になっていましたよね?」
「……以前から馬鹿馬鹿しい噂があるのは事実です。最近、こちら側にいる魔物が凶暴化しているのは、魔族領の王がそう仕向けているのでは、と。人間の領地を支配するための下準備期間に入っているのではないかと言われているんですよ」
「馬鹿馬鹿しい、ですか? 可能性だけならありますよね?」
「下準備などしなくても、彼らが本気になれば人間など簡単に全滅させられますし、それに」
「それに?」
「共存しなくてはいけない理由があるのです」
それは何だろう、と俺が首を傾げていると、ミカエルとセシリアが目くばせした。アルトの表情も少し強張っている。
「すみません、ここだけの話にしていただいてもいいですか?」
やがて、ミカエルは真剣な眼差しで俺たち三人の顔を見つめる。「おそらく、これは王族や王宮魔術師にしか伝わっていない事実となります」
「俺、いや、わたしたちはあなたたちくらいしか交流ありませんし、他言はしません」
俺が皆を代表して言うと、ミカエルはふっと笑って頷いた。
「この世界は、大地そのものが穢れを持って生まれたとされています」
「穢れ?」
「はい。穢れが魔物を生んでいるというのは事実でしょう。そしてその穢れを浄化できるのが人間、いえ、神殿にいる神官と巫女。神殿の人間は定期的に国を回り、大地の穢れを浄化しています。それでも、生まれてしまうのが弱い魔物です。その魔物はあなた方もご存知の通り、ギルドの人間が討伐しています」
「ああ、はい」
「そして、この世界で一番穢れの多い土地を魔族の王は統治しています。それは、穢れから生まれる魔物をできるだけ封じているから、とされているんです」
封じている。
何となくだけれど、クエストの依頼を思い出した。
――邪神の復活を防ごう。
穢れから生まれる魔物。
それを防ごう、ということだろうか。
「だからこそ共存しなくてはいけないのに、昔、戦が起こったんですよ。人間側が魔族領を侵略したんです。魔族が滅べば大地の穢れもなくなる、と神殿が判断したようで」
「侵略……できたんですか?」
話を聞く限り、魔族というのが人間より遥かに強そうだと解る。まともに戦って勝てる相手じゃなさそうなんだが。
「いいところまでいったみたいですね」
ミカエルが肩を竦めてそう言うのを、俺はちょっとだけ驚いて見つめたと思う。彼は少しだけ笑った後で、そっとその笑みを消して続けた。
「力のある魔族が大幅に殺されました。しかし、魔族の力が弱まれば、当然のことですが弱い魔物が魔族領から生まれて外の世界へとあふれ出します。そこからは大混乱の時代ですね。魔族と神殿の人間が色々やり取りをしつつ、歩み寄りやぶつかり合いを経て、今は少しずつ魔族も力を取り戻して安定してきた……はずなんですがね」
例の魔女が言っていた話はきっとこれだ。
魔王マチルダが倒されたってやつ。マチルダが別の世界に飛ばされて、彼女が統治している地の魔族が弱体化した。
その後、安定してきた、のか。
「馬鹿が上に立つと、神殿の連中も質が下がるのよ」
そう口を挟んだのはセシリアで、腕を組んで宙を睨みつけている。「また何か勘違いしてる奴が出てきたんじゃないかしら。魔族領を襲って、浄化してしまえばいいとか何とか」
「まさか……な」
ミカエルが深いため息をこぼした時だった。
地鳴りが聞こえた。
「魔物?」
サクラがいち早くその形を捉えて呟く。俺とカオルも、地表の近くで暴れている巨体を見つけ、低く唸る。
土煙の上がる中で暴れているのは翼のあるトカゲ、に見える。青黒い鱗を持った――トカゲじゃなくてドラゴンだろうか。西洋風の、恐竜に翼をつけた感じのやつ。
その魔物が、青白い魔力の壁の辺りで何かと戦っているようだった。
「黒い蛇と戦ってる」
俺は目に見えた光景にちょっと驚いて、思わずそう口にしていた。やっぱり、黒い蛇と魔物は敵同士だったんだろうか、と納得もした。
ドラゴンは地表から生まれたらしい黒い蛇を巨大な口に咥え、嚙み砕く。そして、蛇は呆気なく塵となって消えていった。
なるほど。
ああやって生まれた黒い蛇が、こっちの人間の世界にまでやってきている、ということか?
そう思いながらじっと見つめていると、ドラゴンの目がこちらを向いた。
やべえ、遠く離れているというのにすげえ勘がいいらしい。
思わず目をそらした瞬間だった。
「人間よ、立ち去れ。お前たちが魔族領を犯すのは許されていない」
と、そのドラゴンは俺たちの前にやってきて、宙を滞空しながら見下ろしてくる。翼を広げれば巨体に見えたが、思っていたほど大きいドラゴンではなかった。長い尻尾まで含めれば四メートルくらいだろうか。鋭い鉤爪を持った足が四本、鋭い牙と赤い双眸、二本の角。
魔力が高いらしく、傍にいるだけで威圧されているのを感じるが。
あまり敵意を感じなかった。その双眸には紛れもない知性と穏やかさがあって、脅しているだけだと解る。
俺はじっと彼――声の感じからして多分オスだと思う――を見つめ、こちらも敵意がないことを伝えようと微笑んだ。思わずサクラの横腹を肘で叩くと、俺の考えていることを読んだかのようにサクラも微笑む。
秘儀、サクラの魅了、である。
「攻撃はしません」
サクラが穏やかに言う。
「すみません、見学させていただいてました」
俺も続けて言う。
「にゃー」
カオルは黙っていた方がいい。
ドラゴンの双眸に困惑の色が浮かんだ。魅了が効いたのだろうか、威圧感が減った。
大天使ご一行様も同じく、言葉を失って俺たちを見ているのが解ったが、とりあえず――。
どうしよう。
何か情報をゲットしたい。
そう思いながら、俺はこっそりアイテムボックスを確認した。そして思い出すのだ。先日調合したばかりの『自白剤(小)』の存在を。
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