第41話 幕間5 凛

「何だか、後からここに来た彼らに後れを取っている感じがするな」

 マップをタップしてアルミラの村に戻ってくると、暗い空を見上げてシロが言う。私は苦笑しながらそれに頷いた。

「まあ、いいんじゃないかな。プレイスタイルの違いだよ。こっちはこっちで、のんびりやろう」

「そうだな。しかし、アキラ君は大丈夫だと思うか? あれはちょっと……な?」

 シロは心配そうに言って、私のことを見下ろした。確かにあれはちょっと、な気がする。アバターがどうあれ、アキラ君は中身は男の子だというし。

「まあ、頑張って逃げてもらうしかないんじゃない? 心が男同士なら、恋愛にはなりえないよ」

 私が苦笑交じりでそう言うと、彼が頷く気配がした。

 シロはそこで軽く両腕を上に伸ばし、ストレッチをする。その大きな背中を見ながら、私はそっと息を吐いた。


 心が男同士なら、と今、私は言った。

 じゃあ、心は異性でも、肉体が同性だったら? やっぱりそれも恋愛にはなりえない。異性愛者だから? 同性愛者だったら?

 不思議なもので、人間の感情というのは心にも、肉体にも引きずられる。

 もっと単純だったらよかったのに。

 肉体の性別も、心の性別さえどうでもいい、そんな世界だったらよかったのに。


「ねえ、花梨。あたし、彼のこと好きになっちゃったの」

 小学校からの幼馴染、親友とも言っていいくらい長い付き合いの彼女はそう言った。

 栗本綾音。髪の毛を染めていないのに、明るい茶髪。無邪気な笑顔と明るい声が特徴の、小動物的な雰囲気の美少女。小さい頃から男の子にモテる、そんな綾音は私にとって、眩しい存在だった。黒髪で地味な顔立ちの私とは違う、女の子だったらそんな風貌に生まれたかったと願ってしまうような女性。

「彼、って」

 私の声は、明らかに掠れていただろうと思う。何となく、訊かなくても予想はついた。これまでも、いつだってそうだった。

「坂上琢磨くん! ほら、大学のサークルで花梨がよく話してるみたいじゃない?」

 明るい声が、コーヒーショップの片隅で響く。大学の帰り道、駅の構内の賑やかな店。それなのに、彼女の声だけが私の頭の中に突き刺さるようで、眩暈すら感じた。

「……うん、そうだね」

 私はキャラメルマキアートの入った紙コップに口を付けたけれど、全く味を感じなかった。彼女を責めたいのか、それとも泣きたいのかよく解らない。

 でも、『また』やられたのだ、ということだけははっきりしていた。


 つい、数週間前のことだ。

「花梨はさあ、最近、大学で気になる人いないの?」

 仲の良い友人同士での飲み会で、綾音がそう話しかけてきた。レモンサワー二杯目にして、綾音の目元は赤く染まっていた。

 私はそれほどお酒に強くないし、最初に注文したジントニックをゆっくりと飲んでいるところだった。それでも、お酒が入っているせいで口が滑らかになっていたんだろう。

「いるけど、秘密」

 名前は出すつもりはなかったから、そう言って誤魔化す。綾音はしつこく訊いてきたが、「それより綾音はどうなの?」と質問返しをして話を逸らす。


 今回は、これがきっかけだったんだろう。

 それからずっと、綾音は大学でもそれ以外でも、私と一緒に行動することが多かった。綾音は私と違って友達を作るのが得意で、男女問わず色々な人間と行動するのが当たり前だったのに、何故か私に付きまとった。

 その流れで、彼女は気づいたんだろう。

 私が参加しているサークルは、ゲーム研究会。ゲームであれば何でも、という雰囲気の緩い集まりだ。最近は海外のボードゲームにハマっていて、外国語の説明書を翻訳しながら楽しむのが常だった。

 そんな同じサークルで、よく話すようになったのが坂上琢磨。落ち着いた口調の、誰に対しても優しい笑顔を向ける彼に惹かれた。


 恋愛なんてものは慣れていなかった。

 だから、ほんの少しでも彼と話ができれば、それで満足しているような自分だった。告白なんてものはどうしても勇気が出なかったし、もしするとしたら大学を卒業する時だろうと思っていた。フラれても、サークルをやめるなんて気まずい結果を引き起こさなくて済むからだ。


 多分、そんな私の感情に気づいたんだ。

 綾音は昔からそうだ。私が何かに興味を惹かれると、同じことをしようとする。誰かを好きになると、先にその人に声をかけて仲良くなる。

 そしてさりげなく、「彼と付き合うことになったの」と無邪気に笑うのだ。

 私の心が軋む音に気付いているだろうに、聞こえていないふりをして。


「ほら、花梨が琢磨と仲が良さそうだったからさ、あたしも声をかけてみたんだ! そしたら、本当に彼、格好よくてさ!」


 ――琢磨、って呼ぶんだ。


 私は視線を手元にある紙コップに落とした。指先があっという間に冷えていく感じがして、その紙コップから伝わる熱にすがるしかなかった。

「一か八かで告白したら、付き合うことになってさ! 今度、アウトレットでデートするのー」


 ――そうなんだ。


 だから名前は出さなかったのに。どうしていつも、綾音は私の好きな人をピンポイントで狙ってくるんだろう。

 解ってるんだよ、綾音。地味な私はあなたの引き立て役。こうして仲良くしているのは、あなたの可愛らしさが一層際立つからでしょう? いつだってそうやって私を追い詰めていく。

 中学の時も、高校の時もそうだった。私がいいなあ、と思った男の子は全部自分の味方に引き入れたよね。何故か私に固執する彼女に不安を覚えて、高校くらいは別のところに――と県外の高校を受験したのに、あなたもついてきたから怖かったんだ。


 あなたを観察した。

 何を考えているのか解らなかったけど、これが俗にいうマウントというやつだろうとは理解できたから。


 大学も私と同じところを狙ってきた綾音。

 でも、彼女が私以外の友達をたくさん作ってくれたから、一緒にいる時間が減って安心していた。

 彼女は男の子にモテていて、気が付くと隣を歩く男性はいつも違っていた。バッグを買ってもらっただの、お高めのレストランでご飯を奢ってもらっただの、色々聞かされたけど、他人事のように感じていた。

 坂上君は、綾音が好きそうな男性から少しずれていたから。


 真面目な顔立ちは、整っているけどどこか地味だった。スポーツよりも読書、映画を好むようなインドアさも私によく似ていた。

 暇さえあれば遊び回る綾音が好きになるとは思えなかった。

 それなのに。


 それからは、いつもと同じだ。


 坂上君に買ってもらった、と言って見せてきた銀色に輝く時計。一緒に見てきた映画の話。近所にあるデートコースの話。

 みんなみんな、笑顔で聞いていたけどつまらなかった。

 それでも、サークルで会う坂上君がいつも嬉しそうで、浮かれていたから。

 ああ、彼も綾音のことが好きなんだって解ったから、諦めようとした。


「でもさ、理解できないのはさ、ゲームだよ、ゲーム!」

 ある時、綾音はそう言って唇を尖らせた。

「ゲーム?」

「琢磨が最近やってるのは、マチルダ・シティ・オンラインってやつなんだけどさ。あれ、面倒臭くない? まあ、家にいてもゲーム内で会えると思えばいいんだろうけど、ちまちまレベル上げとかしてらんないよ! そんなことするくらいなら、カラオケとか行った方が楽しいし!」

「ふうん」

「何か、ああいうの見てると琢磨って陰キャなんだなって思うなあ。そういうところがダメダメだよね!」

「へえ」

「花梨はやってないの? 琢磨と同じでゲームオタクなんでしょ?」

「オンラインゲームはやってないよ。ああいうのは基本無料で、後は課金しなきゃいけないんでしょ? 面倒だよ、そんなの」


 オタク、ねえ、と私は内心で苦々しく思う。

 綾音はいつもそうだ。私を下に見ているのがよく解る発言をする。坂上君という存在も彼女にとっては私と同じで、ゲームオタクのくくりなんだろうか。


「ネトゲに課金するとか馬鹿じゃんね? そんなのに使うなら、あたし、欲しいバッグがあるんだよねえ」

 と、綾音はスマホを操作して画面を見せてくる。ブランド物の新作バッグ。そう言えば、最近の綾音の持ち物は、随分とブランド物が増えた。財布もバッグも、服でさえ有名なブランドのものだ。

 やっぱり、私には解らない。何で私は、彼女とこうして付き合ってるんだろう。ブランド物を買うよりも本を買って読んだ方がいいと思っている私とでは、綾音だって話も合わないだろうに。


 でも、マチルダ・シティ・オンラインか、と頭の中に叩き込んでおく。

 家に帰ってからパソコンをネットにつなぎ、名前で検索すると出てきたゲームサイト。ユーザー登録するのは後にするとしても、なるほどここか、とブクマした。


 さりげなく、サークルに参加している時に坂上君に話を振ってみた。オンラインゲームで無料で遊べるところ知らない? みたいな感じで。

 そうしたら、予想通りマチルダ・シティ・オンラインを勧められた。課金必須なランキングイベントなんか無視すればいいし、時間つぶしにはいいんだって笑った。

 闘技場のシステムは、子供の頃にやっていた格ゲーを思い出して楽しいから、今は無料で楽しめる範囲で遊んでいるって言っていた。


「もしやるなら、フレンド申請歓迎するよ。俺、シロっていうユーザーネームで登録しているから」

 坂上君が嬉しそうにそう言うから、ちょっと登録してみようかと本気で考えた。

 でもその直前に、事件が起きた。


 綾音が死んだ。

 交通事故だった。

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