第40話 一人の女性として

「もしかして、彼からも何かクエストを受けてるの?」

 凛さんは俺の耳元で囁き、そっとその視線を離れた場所に立っている大天使へと向けた。

 まさか、ここまで追ってくるとは思わなかった。森は広いし、どうせミカエルには見つけられないだろうと思ったのに。

「ええ、まあ。どうやら、俺たちと同じ立場のユーザーが、あのイケメンに呪いだか何だか必殺技をかけたらしいんですよね。そいつを探して呪いを解け、というのが今受けているクエストです。で、そいつが黒いフードに巨大な鎌を持った男だって言うんですけど、マチルダ・シティで見たことあります?」

 俺がそう訊くと、凛さんは首を傾げながら返してきた。

「黒いフードに鎌って言ったら、やっぱり死神アバターだよね? こっちに来てからじゃなくて、結構前に闘技場で見た気がする。ランキングイベントの常連じゃなかった?」

「やっぱり死神か……」

 予想していたのが当たった、というわけだ。俺がその死神はどんな顔をしていたのかと続けて訊いたが、さすがに凛さんも知らなかったようだ。

 うーん残念、と唸っていると、凛さんが楽しそうに笑った。

「何か自分、睨まれてる気がするんだけど。もしかして、アキラ君はあのイケメンに言い寄られてたりする?」

「ふおっ」

「あっ、察し。恋心って厄介だよね。自分じゃどうにもならないことって確かに存在するんだよ」

「え?」

 ふと、凛さんの声音が低くなって、その笑顔の裏に影のようなものがちらついたのが解った。それは直感だったのだが、凛さんも過去に何かがあったんだろうと思わせる響きだった。


 そう言えば、このマチルダ・シティに呼ばれてしまう人間は、現実の世界から逃げようと思っているから、ってウサギが言ってたっけ?

 ってことは、凛さんもシロさんも、俺たちと似たようなものなのかもしれない。心に何らかの問題を抱えているのかも。


「視線で射殺されそうな気もするし、あのイケメンに関わるの怖い。だから、馬に蹴られる前に退散するよ」

 凛さんがいかにもわざとらしく怯えた仕草をして、揶揄うように言うから慌ててしまう。何だかもの凄い誤解を受けているようで不安になり、何とか弁解しようとしたのに逃げられてしまった。


 そして恐る恐るミカエルを見たけれど、何故か彼は傷ついたような目で俺を見ていて――あの言葉を思い出してしまったわけだ。

 あなたが好きです、ってやつ。

 気まずい。


 宿に戻ると、何故か自分の部屋の鍵がかかっていた。

 まさかあの二人、ログインボーナスを取りに出かけてしまったんだろうか、とため息をついた瞬間、鍵が開いた音がした。

「はい、鍵」

 と、上半身裸の魔人が満面の笑顔でドアを開け、サクラにあてがわれた部屋の鍵を俺に放り投げる。反射的にそれを受け取ったが、どういうことだと訊く暇も与えられないまま、また扉が目の前で閉じる。鍵のかけられる音もばっちり聞こえた。

 そして何となく、だが。

 両手を胸の前で合わせて呟いた。

「成仏してください」

 主に、カオルに向けた祈りである。


 他にやることもないので、ログインボーナスを取りにマチルダ・シティに戻り、細々としたルーティンワークをこなしていく。クエスト報酬、畑の管理、レストランや薬屋、一日一回無料のガチャ。

 それから、ついマチルダ・シティの中をうろつく。他のユーザーを探したが、やっぱり深夜ということもあってどこにも俺以外の姿はなかった。

 綺麗で静かすぎる街は、まるで――この世界に自分がたった一人だけ、という錯覚を覚えさせてくれる。これは以前も感じたことだが、今は以前よりもっと強くそう思う。

 元の世界に戻りたくないなら、ずっとマチルダ・シティに引きこもっていても許されるんだろう。でも、誰だって孤独には耐えられないのかもしれない。だから、ここに放り出されたユーザーはマチルダ・シティの外へ出ていき、そこにいる人たちと交流するのか。


 だから俺も、やることを全部終えたらすぐに、孤独感しか生まないマチルダ・シティの外へ出る。ナグルの宿に戻るのは簡単で、サクラの部屋に入ってベッドへダイブ。

 そういや、寝間着は俺の部屋の方だな、と思いながら仰向けになって目を閉じた。


「おはよー」

 翌朝、爽やか笑顔の魔人が俺の部屋のドアを叩いた。寝ぐせのついたままの俺とは大違いで、朝っぱらからびしっと決めた妹は凄まじいまでの上機嫌。

 怖くて訊けない。

 カオルの処女は喪失されてしまったのだろうか、なんて。

 見た目幼女なんだから、手を出したら駄目だろ。こっちの世界のおまわりさんはどこにいるんだろう。後で調べておこう。


 明らかにぐったりした表情のカオルを部屋に迎えに行ってから、朝食を取りに一階に降りる。

 すると、ミカエルがぎこちない笑顔で出迎えてくれる。セシリアとアルトはいつもと変わらない様子で、朝食を取っていた。

「……おはようございます」

 何やら少しだけ緊張感漂う空気を感じ、俺は引きつりそうになる頬に手をあてつつ微笑む。すると、やっぱりミカエルは俺たちの食事の用意のため、カウンターに向かう。いつもこれだと、心臓に悪い。俺もミカエルの後を追ってカウンターの前に立つと、大天使が話しかけてきた。

「今日は別行動しましょうか、アキラ様」

「えっ」

 それは大歓迎だけど、え、マジで?

 と驚いていると、苦笑する気配が漂う。

「あまり付きまとうと、あなたに嫌われてしまうので」

「う……」

 何て返せばいいのか、と言葉を探していると、カオルとサクラが俺の横に立って、カウンターに出された料理の皿を運んでくれる。

 そしていつの間にか、その場に取り残された俺たち二人。

「アキラ様」

「え、はい」

「私はおそらく、そう簡単にあなたを諦められないと思います。自分でもよく解らないのですが、色々複雑な感情があるんです」

「えーと……」

「もちろん、あなた様にも事情があるのは理解しています。どんなに希っても、捨てられるのは私の方なんだろうとも」


 ――言い方! 何だそれ、俺が捨てる方!?


「でも、少しだけでもいいのです。短い時間であろうと、あなた様のお役に立てればと思うのです。だから、努力します。あなたの剣になるために、自分でも呪いを解くために模索します。だからどうか少しだけでもいい、あなた様も一人の女性として私のことを考えて欲しいと……思っています」


 え、どういう意味?

 俺は眉間に皺を寄せ、彼を見つめた。でも、ミカエルは苦しそうに微笑むと、食事をしようとテーブルの方へ促した。どうやら会話はここで終わりらしい。

 そしてそのまま、微妙な空気の混じる朝食を取ることになった。


「ギルドってどっちだろうな」

 朝食が終わると、俺たちは三人で宿の外に出た。外は快晴、人通りも多くて賑やかな街の光景が広がっている。

「適当にうろつけば見つかるんじゃない?」

 そう言ったのはサクラで、大通りにある店に興味津々だ。色々な店の前で足を止めては、やがて子供服が多い店を見つけて目を輝かせた。

「ギルド見つける前にここ! カオル君の服を買っていい?」

「おー」

「え、ちょっとサクラちゃん? いらないって言ったし!」

 俺たちは厭がるカオルを連れて、可愛らしい服の並ぶ店に入る。サクラがノリノリで買い物を始めたのを、俺は少しだけ離れた場所で見守った。


 ミカエルたちとは別行動となった。何だか少し、ミカエルは思いつめたような顔で「行きたい場所があるので」と村の外に出て行った。もちろん、セシリアとアルトも一緒である。

 彼らのことは考えてもどうにもならないだろうし、俺たちは俺たちで黒フードの男を探しに街をうろつくことにしたわけだ。

 この国はどうやらかなり広いらしく、そう簡単に黒フードが見つかるとは思えない。ってことは、このままミカエルと旅を続ける時間も長くなるだろうということは予想できた。

 しかし、一緒にいる時間が長くなればなるほど、厄介なことになりそうなんだよな、と思う。


「ねえお兄ちゃん?」

 洋服を見ながら、サクラが小声で俺に話しかけてきた。自分の考えに沈んでいた俺は、少しだけ反応が遅れてから返事をする。

「ん? 何?」

「もし、わたしたちがこっちの世界から戻れなかったらさ、お兄ちゃんはどうすんの?」

「はあ?」

「いや、わたしは別にいいかな、って思うんだよね。私の場合、恋の相手はカオル君だし、いちゃいちゃしながら暮らしていけそう。でも、お兄ちゃんはさ、こっちの世界だと女の子じゃない?」


 やっぱり恋なのか! カオルとサクラ、そういう関係なのか! ってことは、やっぱり昨夜はヤったのか!?

 そう口をぽかんと開けたものの、その続きの言葉が気になった。

 俺が女の子だから、何だ?


「どこかの可愛い女の子と百合百合するの? それとも、あの大天使様と恋人同士になるの?」

「おい」

「冗談じゃないよ? 真面目な話」

 そう言ったサクラの表情は、確かに真剣だった。服を探す手をとめ、俺を見下ろして微笑む。

「大天使様、言ってたじゃん。一人の女性として考えて欲しいとか何とか」

「……聞こえてたのか」

「そりゃね」

「俺は……考えられないな。正直、恋愛は……」


 無理だと思う。

 相手が女の子だろうと、そうでなかろうと。

 俺はあの母親を見て育ってきてしまったから、恋愛や結婚に何の望みも持てない。日本に暮らしていたとしても、形式的なお付き合いを誰かとしたかもしれないけれど、結婚まではしたくなかった。

 どうせなら、恋の相手は二次元でもいいと思うくらい。


「まあ、最終的にはお兄ちゃんの自由だけどさ。刺されないようにしてよ? 痴情のもつれで死に戻りとか格好悪いからね?」

「おい」

 俺は呆れた声を上げてしまったが、サクラの言う通りだな、とも考えていた。ミカエルがどこまで本気であんなことを言っているのか解らないが、相手が真剣に考えているならいい加減なことはできない。それは俺にもよく解っていた。

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