第42話 幕間6 凛

 綾音の葬儀は家族葬となった。私は彼女と長い付き合いだったから、お通夜には参列したけれど。

「何てことをしてくれたの……」

 と肩を落とす彼女の母親には、かける言葉が全く見つからなかった。


 綾音は車の助手席に座って事故に遭い、即死だったそうだ。車を運転していたのは妻子ある男性で、飲酒運転によるスピードの出しすぎで事故を起こしたんだという。その男性も一緒に亡くなっていたので詳細は解らないが、色々と知り合いには噂が出回ることになった。


「花梨は本当に知らなかったの? 凄い噂だったんだよ」

 葬儀が終わって数日後、大学でそう声をかけてきたのは中学の時に仲が良かった東城詩織。気が合うからよくおしゃべりしていたけれど、綾音が私たちの間に割り込んできて詩織から私を引き離そうとするので、いつの間にか疎遠になった感じだ。

「噂とかあまり興味なかったから」

 と私が眉を顰めていると、詩織が呆れたように笑った。そして、色々『噂』について話をしてくれた。

 二股三股は当たり前、ブランド物のプレゼントが欲しいから社会人狙いで付き合う、という綾音のこと。不倫しているんじゃないかって噂もあって、そのうち奥さんにバレて修羅場じゃないかとも言われていたんだそうだ。私は何も知らなかったけれど。

 亡くなったら誰だって神様だから、あまり口に出しては言えないけれど。他人の家庭を壊すような関係を持つなんて、最低の行為じゃないか、って苦々しく思う。

「わたしは花梨のことが心配だったけど、綾音に関わるのが面倒で逃げてしまったから……気になってたんだ」

 やがて、詩織は気まずそうに視線を宙に彷徨わせた。

 何が気になっていたんだろう、と首を傾げると、彼女は中学校の時に私から距離を置いたことを謝ってくれた。

 その上で。

「綾音が花梨に執着した原因って、何となくだけど解ってるんだ」

「え?」

「中学の時、花梨は同じクラスの男の子と仲良かったでしょ? サッカーが得意で爽やか笑顔、クラスの人気者」

 そう言えば、隣の席になったからよく話す男の子がいた。名前は――持田、という名字だけしか覚えていない。

「綾音もね、その子のことが好きだったみたいで、告白してフラれたんだって」

「へえ?」

「その断った理由が、花梨のことが気になるから、ってことだったらしいよ?」

「ええ?」


 初耳だ。

 仲が良かった男の子だけど、ただそれだけだ。付き合うも何も、それらしい会話なんて何もなかった。だから、クラスが変わればすぐに彼のことは忘れた。きっと、同窓会で会ったとしても、その顔は思い出せないくらいの薄い関係。

 まさか、それがきっかけ?

 本当に、たったそれだけで?


「まあ、もしかしたら綾音がしつこすぎて付き合いたくなかったから、花梨を口実にしただけかもしれないけどね」

「……それなら納得、かな」

「綾音って可愛いけど、一緒にいると疲れるタイプだから。ある意味、フった彼も見る目があったのかもね」

 詩織はそう言って苦笑した。

 そして私も、つられて笑う。

 でも。

 詩織が言った次の言葉は、酷く自分を突き刺した感じがした。

「だから、綾音はあなたのことが気に入らなかったんでしょ。好きな男の子があなたを選んで、女として負けたように感じたんじゃないかって思ってる。だから、繰り返し繰り返し、あなたに付きまとってたんだと思うな。自分の方が男の子にモテるんだよ、って花梨に見せたかったんだよ」


 以前の私だったら、その辺りの『女』としての感情は理解できなかっただろう。

 勝ち負けで言うなら、私はいつだって女らしさでは綾音に勝てなかった。わざわざマウントを取ってこなくても、それは自分がよく知っている。

 でも、坂上君のことが気になる今となっては、嫉妬という感情を知ってしまったから。

 理性と感情では、ベクトルが違うってことだ。向かう先も、心の中を占領する大きさも。だから、簡単に説明できないこともある。


 その後で、久しぶりにサークルに顔を出した。

 綾音が亡くなってから、一度も坂上君の顔を見ていない。

 彼らが付き合っていたのは間違いないのだから、彼女の死によって浮かび上がってしまった影の部分に彼が傷ついているだろうと予想はしていた。

 会ったら何て声をかけようかと考えていると、自然と手が震えた。緊張なのか、それ以外の感情によるものなのか解らない。

 それでも、久しぶりに彼の顔を見たら心臓が暴れた。彼を見るだけで嬉しいと感じるのは――少し怖かった。


「藤堂さん」

 坂上君は珍しく、強張った表情で私の名前を呼んだ。

 彼の目を見て、少しだけ浮かれていた自分の心臓がぎゅっと潰された気がした。そこにあったのは、敵意に似たようなものであったからだ。

「え?」

 掠れた声でそう返すと、彼は小さくため息をこぼした。

「……綾音、いや栗本さんと親友だったって聞いた。本当?」

「親友と呼ぶほど仲は良くなかったよ」

「でも、いつも一緒にいた」

「うん……」

 それは勝手に、彼女が私に付きまとっていたからだ。親友っぽい演技で、綾音が私に固執していたからだ。

「だったら、君も知ってたんじゃないのか。栗本さんが、色々な男性と付き合っていたこと」

 私の喉が変な音を立てる。

 それは確かに、知っていた、と言える。綾音の隣を歩く男性は多かったのは否定できない事実だ。

「やっぱり」

 彼は何かに納得したように息を吐き、呆れたような仕草で辺りを見回した。すると、他にいたサークルメンバーも気まずそうにこちらを見ているのが目に入る。ちくちくとした視線を感じながら、私は坂上君に視線を戻した。

「やっぱりって?」

「栗本さんがああいうことをする人間だったって、君も知ってたってことだ。色々な男性と付き合って、最終的には不倫? 事故死したと聞いても、全く同情できない」


 ――それはそうだろう。私も同じだ。


「騙された俺も悪いんだろう。いい気になって、色々プレゼントしたりしたし。栗本さんはどうやら、買ってもらったプレゼントをフリマに出して、お金にしていたみたいだとも言われてる。君も同類なのかな」

「え!?」

 同類なんて思われたくない。

 私は綾音とは違う。そういうことは絶対にしない。


 でも、親友だから。


 類友だと思われた。


 そういうことだ。


「馬鹿にしてる話だよな。栗本さんと同じで、君も裏で笑ってた? 正直、軽蔑する」

「違う、私は!」


 ――結局のところ。

 そんな小さな諍いの後、坂上君はサークルに顔を出すことがなくなった。

 釈明すらできなかった。他のサークルメンバーからも、綾音の親友という立場の私は風当たりがきつくなって、逃げることしかできなかった。

 坂上君も他のサークルメンバーたちも、男を手玉に取って遊び回っていた綾音という女を嫌悪していたから。その友人である私の存在も、目に入れたくなかったんだろうと理解している。


 もっと早くに、言えばよかった?

 綾音は信用できない女の子なんだと。そう言えば坂上君は傷つかずに今も笑っていられたんだろうか。

 解らない。


 こんなにも胸が重いと思ったのは初めてだった。

 誤解を解きたい、でもきっと無理。そんな後ろ向きの考えに囚われて、私はただぼんやりすることが多くなった。


 マチルダ・シティ・オンラインに登録しようと思ったのは、それから少し経ってからだ。

 ユーザーネームがシロ、闘技場というイベントが好き。そのくらいしか情報はない。でも、どうしても気になってユーザー登録した。

 私のユーザーネームは凛。

 個人情報である性別は――男性にした。

 坂上君は多分、今はどんな女性でも近くに寄らせてくれないだろうと思ったからだ。こちらが男性であれば、さりげなく近づけるんじゃないだろうか。


 ゲームの世界で良かった、と最初は思った。

 アバターがあるから、こちらの素顔は相手には解らない。ボイスチャットでさえ、アバターに設定した声優さんの声が使える。きっと、凛というアバターの中身が藤堂花梨だと解らないはずだ。

 だったら、男として彼に話しかけることができる。そしていつか、友人になれるかもしれない。そんなことを――そんな馬鹿なことを考えてしまった。


 彼に声をかけるために下準備もした。格ゲーは随分やっていなかったけど、私だって中学や高校生の時はソフトを買って遊んだ経験がある。

 マチルダ・シティ・オンラインは確かに無料で遊べる。ただし、時間をかければ、だ。私はほんの少しだけ課金して、闘技場で最低限遊べるくらいにはキャラクターを強化させた。ガチャを回し、激レアのエルフアバターをゲットして、必殺技もいくつかいい感じのものを揃えた。ランキングの上位を狙えるくらいにはなれたはずだ。

 闘技場のイベントをチェックして、ランキング一覧にシロという名前も見つけた。できるだけログインして、狼男のアバターの彼を遠くから見つめる。

 そして、初心者を演じながら声をかけるタイミングを窺った。


 その結果がこれだ。


 私たちの関係は、嘘の上に成り立っている。砂上の楼閣。いつ崩れるか解らない。

 それでも、彼と一緒にいられるならそれでもよかった。

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