第34話 下着の店で
「これが精霊魔法ね」
ユルハの門の外に出て少し森に向かったところで、セシリアは右手を軽く上げた。
その途端、辺りに風が渦を巻き、地面に白銀に輝く魔方陣のようなものが浮かび上がってくる。魔方陣はくるくると回転し、やがてゆっくりと速度を落とし、地面に焼き付いた。
ああ、何か見たことあるなあ、と思ったらアレに似ている。ハンドスピナーだ。
そんなことを考えている俺の前で、セシリアがその精霊魔法とやらを簡単に説明してくれた。
「これが移動のための魔法。時間と空間を操る精霊の力を借りて、行きたい場所への道を繋げるわけ」
うん、簡単すぎてよく解らない。
しかし、セシリアの周りに小さな光が蛍のように飛び交っていて、それがとても綺麗なのが印象的だ。
どうやらその魔方陣の上に乗れば、目的地に連れて行ってくれる、ということらしい。一家に一台、猫型ロボットのノリである。
俺たちは馬に乗らず、走っての移動になると思っていたから、これは助かる。明らかに人間離れした脚力を見せたら、さすがに大天使ご一行も俺たちに何らかの疑いを抱くかもしれないし。
「カオル君」
サクラが猫獣人の名前を呼び、おもむろに抱え上げる。小さいって素晴らしいな。魔人の腕の中にすっぽり嵌った猫獣人は、足をぶらぶらさせつつ――荷物のように運ばれていく。そして、セシリアに促されるまま魔方陣の上に乗った。
若干、カオルが厭そうに顔を顰めているが、あの変態魔人は気にしていないようだ。気にしろよ。
「我が女神」
そこに輝く微笑みを、まるで攻撃のようにぶつけてくる大天使が、俺に手を差し伸べている。アルトが呆れたように目を細めてその背後に立っていて、さらにその横で「女神……」とセシリアが吹き出しそうになるのを我慢している。
やっぱり公衆の面前で女神呼びは厭だ。
恥ずかしいを通り越してドン引きしそうだし。
「いえ、子ども扱いはちょっと……一人で歩けますから」
と、彼の手を避けて前に進むと、ミカエルは捨てられた犬のような目を向けてくる。
「いえ、女性としてあなたを見ています」
もっと駄目だ!
俺は背中に冷や汗をかきそうになりつつも、魔方陣の上に乗った。
移動は一瞬だった。
魔法を使ったという感覚もなく、ただ周りに風が吹いて、気が付いたら目の前の光景が変わっていた。
ユルハの外にあった木々とは違う大木がすぐ傍にあり、地面に生えている草の高さも違う。
「……リュウノキみたいだ」
つい、俺は足元に生えた草の葉の形を見て、そんなことを呟いた。俺がマチルダ・シティで育てている草。そして、ユルハの薬屋で聞いた薬草の名前。
「あら、詳しいのね」
意外そうに言ったセシリアの声を聞いて、俺はいつの間にか地面に膝をついて草を観察していたことに気づく。
彼女は俺を見下ろしながら、そっと笑う。
「わたしはこの村を通ってきたから、ここのギルドの依頼も受けたのよ。リュウノキの採集。簡単で報酬は安い方だったけど、お小遣い稼ぎにはいいわよね」
――王妃様なのに?
普通、王族だったら腐るほどお金はあるだろうに。わざわざ金を稼ぐなんて何か意味があるんだろうか。
胸に芽生えた疑問を持て余し、少しだけ探りを入れてみる。
「ギルドでの活動はどのくらいされてるんですか?」
「んー?」
彼女は慣れた手つきで俺の手を取り、そっと立たせてくれる。イケメンの母親はやっぱりイケメンなのだろうか。ちょっとだけ、戦士らしい格好良さがその仕草に含まれている。
「そうねえ、わたし、十代前半から剣を握ってたし。ギルドでの活動を始めたのは、成人する十六歳になる前だったかしら」
なるほど。
じゃあ、きっと強いんだろう。でなければ、あんな夜中に魔物退治のために森の中に入ってくるはずがない。
っていうか、王族だからこそ、女であろうと剣は習うんだろうか?
解せぬ、という顔をしていたのかもしれない。セシリアがそっと苦笑するのが解った。
「まあ、今は何かと行動が制限されることが多くてね、ちょっとストレスが溜まってるのよ。そして、ストレス解消に色々な村を見て回ってるというか」
「へー」
俺がそう相槌を打つと、苦々し気なミカエルの声がすぐ後ろで響いた。
「ストレス解消したなら帰ってくれても」
「厭よ」
「母さん」
「精霊魔法も使えない呪い持ちがうるさいわね」
セシリアは明るい笑顔でそう言うと、俺の手を引いて村の入口へと歩きだした。すぐ横を魔人が楽しそうに俺を見ながら歩いているが、腕の中でじたばたしているソレは降ろさないんだろうか。
ミカエルがため息をつく気配と、どうやらそんな彼を放置して歩きだしたアルトの足音が響いた。
その村の名前は、ナグルというらしい。殴る、とはなかなか暴力的な街である。
ユルハよりも大きな集落らしく、高くて立派な塀に囲まれている。門に立つ門番の姿も、随分と立派な鎧に身を包んだ巨躯の男たちで、出入りする人間をしっかり見定めているようだった。
どうも、その村に入るには通行証がいるらしい、と気づいたのはすぐ傍にまでやってきた時だ。差し出されている白いカードのようなものを見て、門番が旅の目的とか色々聞いているようだ。
俺とサクラ、カオルは思わず『どうしよう』と顔を見合わせたが。
「大丈夫大丈夫」
と、俺たちの前にセシリアとミカエルが立って、俺たちの代わりにカードを差し出した。
しかも、門番の男性は、セシリアを見て驚いたように笑う。
「昨日、ナグルを出ていったばかりじゃないのか」
「ちょっとね、予定が変わっちゃってー。途中で連れと合流して、帰ってきちゃった」
そう笑うセシリアを見た後、男性はカオルの存在に気付いて困ったように顔を顰めた。
「獣人が連れか?」
「可愛いでしょう?」
男性が放つ明確な困惑、警戒も気にせずにセシリアがカオルの頭を撫でる。サクラに背後から抱きしめられたままのカオルは、特技『可愛い』を発動させる。
「にゃー」
と、どこかの招き猫のように手を構え、小首を傾げる猫獣人。何やらカオルの周りに星が飛び散ったような幻覚が見えた後、門番が陥落した。
「獣人の子供って可愛いんだな」
と、大きな手を伸ばしてカオルの頭をもしゃもしゃと撫で回す。その途端、狙ってやってるのかもしれないが、カオルの喉がごろごろいう。
相変わらずすげえな、と俺はカオルの横顔を見て笑っておく。
「そういえば、もう一人連れを探してるんだけど、通らなかった?」
ふと思いついたように、セシリアが訊いた。「黒いフードに鎌を持った男。結構腕の立つ冒険者なんだけど」
「黒いフードの男はよく見かけるが、鎌はないな」
「何だ、残念。やっぱり行き違いかしらねえ」
セシリアは困ったように笑うと、そのまま村の中へ入っていく。自然な流れで、俺たちもその後を追った。
ナグルの街は、ユルハよりも雑然としているように思えた。色々な店があり活気的だが、行きかう人たちはどことなくガラが悪い感じというか。
「ちょっと、あれ」
ふと、サクラが大通りを歩きながら、わき道に入ったところにある店を指さして小声で囁く。「下着の店じゃない? きっと、エロい感じのやつあるよ」
「お前……何のためにここに来たと」
俺が目を細めていると、カオルも足をじたばたさせながら耳も動かした。
「買い物、買い物! 今夜はシャツ一枚で寝るのはやめる!」
「いや、だから」
そう言いかけたが、セシリアが笑いながら俺の頭を撫でた。
「いいじゃない、買い物、付き合うわよ?」
そうしてセシリアは、俺の腕を掴んでサクラが目を留めた店の前にまで引っ張っていく。
木でできた重厚そうな扉。アンティーク調の看板。その店構えは古めかしいが中は結構大きいようだ。ドアの脇にあるショーウィンドウには、露出度の高い……というか、明らかにブラとかパンツとか、妙にスリットの入った薄い服みたいなのが飾られている。
「……母さん」
ミカエルが少しだけ遠巻きにしながら、こっちの様子を窺っている。さすがに男性としては、こういう店には近づけないのかもしれない。アルトもミカエルの背後に立って、居心地悪そうに眼をそらしていた。
「あなたたちはそこで待ってて。ちょっと、中を見てくるから」
ひらひらと手を振って、セシリアはその店の扉を引いた。その格好のまま、サクラを見て首を傾げる。
「あなたはどうするの?」
「え、行きますよ」
当然、という表情でサクラは頷き、嬉しそうにカオルを見下ろすのだ。「保護者として、可愛いのを選んであげたいですし」
「保護者……まあ、いいけどね」
やっぱり、サクラはこの世界で変態として名前を知られていくのかもしれない。開き直っている妹は、心強いような、近づきたくないような。俺はため息をつき、色々と諦めたのだった。
「いらっしゃいませ」
店内に入ると、年配の女性が店の奥から声をかけてくる。こういった感じは、日本にある店と変わらない。しかし、ちょっと低めの棚に並べられた下着類、ハンガーに吊るされた……ネグリジェ的なものがずらりと並んでいる店になど、今まで入ったことがない。
俺はちょっと、圧倒されつつ、何とも居心地悪い光景に視線を無駄にゆらゆらと彷徨わせることしかできない。
カオルはサクラにやっと解放され、陳列されている下着の棚に走っていくし、とても嬉しそうで何よりだ。
「ちょっと見せてちょうだいね」
「はい、どうぞー」
セシリアの言葉に、こちらは冷やかしと思ったのか、それとも選ぶまで時間がかかると思ったのか、店員の女性は別のお客さんのところに声をかけに行ってしまった。他にもお客さんは数人いて、サイズとか色とか、店員さんに質問しているようだった。
でもやっぱり、男性であるサクラのアバターはその店には異質で、時々視線がこちらに向けられた。そのたびに、サクラが魅了を含む微笑を返していたら、お客さんも店員も、操られたかのように自分の買い物に専念するようになった。いや、操ってるんだろう。
そして、ふとセシリアの目が俺たちの顔をそれぞれ探るように向けられて。
近くに吊るされていた、白いレースがついた裾の長いネグリジェを手に取り、わざと俺にそれをあてながら優しく言った。
「ちょうどいいから、今のうちに訊いておくわね? うちの馬鹿は何も疑ってないようだけど――あなたたち、何者なのかしら」
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