第33話 大きな鎌

 寝たら少し気分は良くなったが、やっぱりパジャマが必要だと思ったそんな朝である。俺が目を開けたら、シングルベッドの中に俺にカオルが抱き着いて寝ていて、サクラは隣のもう一つのベッドで寝ている。

 俺、どうやらあの後、カオルとサクラが宿に帰ってくるまで起きていられなかったようだ。着替えもせず、寝落ちしたまま朝まで熟睡。

 せっかくもう一部屋あるのに、使わなかったなと思いながら起き上がると、カオルがうにゃうにゃ言いながら目を開けた。

「おはよー……にゃ」

 いや、無理やり『にゃ』と言わなくてもいいんだが。いや、それよりも気になるのは。

「何でお前、シャツ一枚なの」

 カオルはシャツとパンツ一枚という楽な格好で、俺に腕だけではなく、尻尾を巻き付けて寝ていたらしい。襲えと言っているんだろうか。

 カオルもベッドから起き上がり、狙ったように上目遣いで俺を見てくるのはいいんだが、その手の動きが何か怪しい。

「薄着の方が、アキラの身体を堪能できるし。寝てる隙に胸をちょっと触ったけど、なんか、ちょうどいい大きさだよにゃ?」

「セクハラ」

「でも、そのブラウスがもこもこ過ぎて、揉んだ時の満足感がない。だから、エロイ感じのパジャマっていうか、スケスケのやつ買お?」

「お前……」

 そう目を眇めつつも、確かにレースのついたブラウスとミニスカートは、寝る時に邪魔なのは確かだった。何か、今も少し身体がみしみし言うような気がするし。いいタイミングがあれば、エロくなくていいから買っておこう。

「それよりさ、お願いがあるんだけど」

 俺はベッドの上に正座して、カオルの手を取った。「多分、今日の活動中に我慢できなくなると思う」

「我慢?」

「献血をお願いしたい」

「あー……」

 なるほど、と頷いて見せたカオルは、俺の手をぎゅっと握って微笑む。「初めてだから優しくしてにゃ」


 その時、横のベッドから「尊い」という浮かれた声が上がった。そっとそちらに目をやると、目をキラキラさせている問題児の妹の姿があった。

「マチルダ様とやらに、スクショ機能実装をお願いする! 吸血行為はエロい! それは譲れない!」

 サクラは今日も絶好調である。間違った方向に、だが。

 俺もカオルも顔を引きつらせつつ、それぞれこう呟いた。

「裸族はやめろ」

「腹筋凄いにゃ」

 全裸で両手を胸の前で組んでいる魔人アバターは、どんなにイケメンであろうと、かなり頭がおかしい人にしか見えなかった。せめて、どんなに立派なモノであろうと、前は隠した方がいいぞ、妹よ。


「おはようございます、アキラ様」

 宿の一階に降りて食堂を覗くとすぐに、手を上げてきた金髪イケメンの姿が目に入る。

 ミカエルとアルト、ミカエルの魔性の母がすでにテーブルについていて、どうやら俺たちが来るのを待っていたという様子である。

「よく眠れた? アキラちゃん」

 セシリアは昨夜に続いて上機嫌で、意味深な目で俺を見る。とりあえず、曖昧に笑っておこう。

 俺は昨夜あったことをサクラとカオルに話してあって、二人とも美魔女セシリアに興味津々だ。ただ、ミカエルが王子だという身分を明かしていないことだし、余計な詮索はしないと打ち合わせで決めていた。

「初めまして」

「初めましてにゃ」

 と、それぞれ簡単に自己紹介などを済ませてから、彼らの隣のテーブルに腰を落ち着かせる。

 ミカエルは上機嫌で食堂のカウンターに行って、三人分の食事を頼んでくれる。アルトもそれに付き従い、気が付けば俺たちのテーブルに三人分の皿と飲み物が並ぶ。至れり尽くせりである。

「ごめんなさいねぇ。昨夜、馬鹿息子に聞いたんだけど、呪いを解くために手伝ってくれるんですって?」

 俺たちが焼き立てのパンとベーコンにスクランブルエッグ、サラダにチーズ、という朝食を食べ始めると、セシリアがそう話しかけてきた。

「ええ、まあ」

 うちの魔人が笑顔で頷いて見せる。「乗りかかった船というか、お手伝いできることがあればと思いまして」

「ありがとう」

 そう笑う彼女の前に、『馬鹿息子』ミカエルが眉根を寄せつつ椅子に座り、小さなため息をこぼした。アルトはグラスに入った果実水を無表情で飲んでいて、二人には関わらないと決めているようだ。

 さすがの大天使も、母を前にするといつもの精彩を欠く。あのテンションの高い台詞が飛んでこなくて助かるのも事実だし、どことなく親近感を覚えた。不思議なものだ。

「……母さんがいなくても何とかなると思う……」

 と、肩を落とすイケメンと。

「精霊の加護まで封じられた馬鹿が何を言うのかしらね」

 ばっさり切り捨てる美女。

「……」

 ミカエルの負けである。


「精霊の加護?」

 そこで、俺が思わずそう呟いていると、セシリアとミカエルの間に漂う微妙な空気が少しだけ和らぎ、イケメンの目が俺に向けられた。

「母もそうなのですが、私は精霊魔法というものが使えます。魔術とは違う術式を使った、魔力を消費しないで使うことができる力です。先祖がどうやら、精霊と仲が良かったのかもしれません」


 そこで説明を受けたところによると、この世界で一般的に使われているのが魔術なのだそうだ。

 自分の魔力を消費し、術式を展開して力を行使する。

 それに対して、大地や自然の力を借りて使うのが精霊魔法。これはほとんどの人間が使えず、しかも魔術よりも強力なものとなることが多いので貴重。

 ミカエルは魔術も精霊魔法も使えるが、呪いを受けた後からどちらも使えなくなったというので切実だろう。

「自分は精霊魔法を使えますし、王宮魔術師はともかくとして、ギルドで働いているレベルの魔術師に負けることなどあり得ないと高をくくっていた部分があるのは確かです。自分の思い上がりがこの状況を招いたと言えますね」

 眉尻を下げてそう言ったミカエルに、セシリアはさらに鋭い言葉を投げる。

「負けを知らない男って、いざそうなると潰れやすいのよねー」

「……潰れませんよ」

「あらぁ、口だけ男もモテないわよ?」

 そろそろ大天使のライフがゼロになりそうだ。アルトも遠くを見たままの格好で無言を貫き、全く助けようとしないし。


「ところで、黒いフードの男について訊きたいのですが」

 一応、助け舟を出してやろう、と話を変える俺。「どんな顔をしていたとか、背格好とか」

「顔ですか」

 ミカエルは困惑したように俺を見て、必死に考えこむ様子を見せた。「それが、おかしいんですが、特徴がない、としか覚えていないのです。その時は全く彼に興味がなかったですし、注視していなかったんですが――まるで、認識を阻害するかのような魔術でもかけられたかのように、茫洋とした記憶しかありません」

「認識を阻害?」

「はい。黒いフードを目深に被り、黒いマントのせいで服装も……黒い格好だとしか解りません。声も特徴は……高いのか低いのかも曖昧な感じの……おかしいですね」

 改めて口にしてみると、状況のおかしさを思い出した、と言いたげに顔を上げるミカエルである。

 どういうアバターなんだろう、と俺は顔を顰めていると、カオルが口を開いた。

「どんな武器を使ってたにゃ?」

「武器ですか」

 そこで、ミカエルは少しだけ安堵したように微笑んだ。「大きな鎌のような武器でした。柄は槍のように長く、鎌の部分は巨大で白銀に輝いていましたね」


 巨大な鎌。それはまるで。


「死神みたい」

 と、サクラがぽつりと呟いた。

「確かににゃ」

 カオルも頷く。


「それで、どこで襲われた……というか、呪いをかけられたんですか?」

 俺が続けて訊くと、ミカエルは「シニガミ?」と怪訝そうに首を傾げながら応えてくれた。

「呪いを受けたのは王都です。その男性は色々なギルドを渡り歩いてきて、王都に家を持とうとしていたようでした。しかし、私に呪いをかけたすぐ後に王都から出たと聞いています。でもおそらく、大きなギルドのある街を目指して移動するでしょうから……」

「なるほど」

「でも、ここ、ユルハのギルドではそういった男の姿は見られていないようですね。ですから、そろそろ別の街に移動してもいいと思っていたところでした」


 じゃあ、どこに行くつもりで――と訊く前に、ミカエルは俺に微笑んだ。


「我が女神、ユルハの北の方に大きな街があります。そこもギルドが大きい街ですし、一緒に行きませんか? そして道中、あなたを守らせていただきたいのです」


 守ってもらわなくても大丈夫だと思うんだけどなあ、と頭のどこかで考えているものの、呪いを解くというクエストの途中である。一緒に行動した方がいいだろう。


「そうね。うちの馬鹿は何の役にも立たないだろうし、わたしがいざとなったら精霊魔法で戦ってあげようかしら」

 セシリアが続けてそう言って、ミカエルは完全に撃沈した。額に手を置いて、凍ったかのように動かなくなってしまった。

 可哀そうに。頑張れイケメン。

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