第35話 セシリアの話

 セシリアの声が響いたと思った瞬間、辺りの空気が変わった。

 足元にうっすらと魔方陣が描かれ、俺たちを取り囲むようにして透明な壁が出来上がったようだった。店員さんの声も途切れ、誰もこちらの異変には気づかない。

 そして、緊迫を含む静寂が訪れる。

「……出られないみたい」

 サクラが困惑したように呟き、カオルが警戒したように俺の傍に歩み寄る。視線はもちろん、俺と同じでセシリアに向けられたままだ。

「内緒の話なら、空間を切り離しておいた方がいいでしょ?」

 セシリアはこちらの様子など気にせず、にこやかに笑いながらレースふりふりの下着やら何やら、俺の身体に当てようとしてくる。でも、笑顔の裏に鋭い刃物のような雰囲気も感じられた。

「で、あなたたち、何者?」

「……そうですね……」

 俺は何か言おうとするサクラを仕草で押しとどめ、笑顔では笑顔で対抗してみることにする。「あなたがたに隠し事があるように、我々にも隠し事があるんです。そういうことで、納得してもらえませんか?」

「んー、そうきたかー」

 セシリアは困ったように店の天井を見上げ、少しだけ考えこんでいる。

「それに、秘密など知らなくても人探しはできるでしょう? 必要以上関わり合いにならなければ、それが終われば『はい、さようなら』ってことです」

 俺がそう言っても、彼女は納得しないようだ。

 表情があまりにも固いので、俺は――。


「ああ、それならここでお別れという手もありますよ」

「えっ、駄目よそれは!」

 急に、セシリアが慌てたように俺の腕を掴んで引き寄せる。ちょっと迫力のある美女の顔が俺の眼前に突きつけられたが、年齢のことを考えると全くときめかない。

「だって、隠し事のある俺、わたしたちのことは信用できないんでしょう? だったら」

「やめて、うちの馬鹿に恨まれるじゃないの!」

「は?」

「だって、やっと来た春よ!? あの馬鹿が、やっと女の子に興味を持って迫ろうとしているんだもの、手伝わなきゃ母親じゃないでしょーが!」

「どこから突っ込めばいいのか解らないんですが」

 っていうか、顔が近い! 近すぎる!

 相手が女性だと考えると、手を振り払うのも躊躇う。これでも俺、腕力はとんでもないはずだから、下手したら怪我をさせてしまう。

「でもね、ちょっと不安なのよ! だってあなた、普通の人間じゃなさそうなんだもの! 魔力を持たない人間であっても、精霊の力のおすそわけをもらっている場合が多いっていうのに、あなたたち三人とも、普通の人間じゃないんだもの。おかしいじゃないの!」


 ――何で、それが解る?


 俺たち三人とも、奇妙な目で彼女を見ただろう。

 それに気が付いて、彼女はふっと柔らかい笑みを口元に浮かべて続ける。

「わたしは精霊の加護を受けているからね。他の人間とは見えるものが違うのよ。わたしたちが住む、この世界の力の恩恵を何一つ持っていないなんて、異様に思えるの。だから、ちょっと心配だったのよ。まあ、悪い存在ではないのも何となく解るんだけど」

「……そうですか」

 俺はどうしようか悩みつつ、ちょっとだけサクラとカオルの表情も窺う。でも、二人ともどうしたらいいのか解らないと言いたげに肩を竦めるだけだ。

 ――仕方ない。

 多少の歩み寄りも必要なんだろう。

「あなたが見抜いている通り、我々は普通の人間ではありません。だから、あなたの息子さんにも必要以上に関わるつもりはありません。面倒そうだし」

「面倒?」

「いや、迷惑をかけそうだし」

 本音がうっかり出たが、とりあえず誤魔化しておく。「我々と一緒に行動すれば、色々と危険な目に遭うことも多いでしょう。だからこそ、三人で自由に行動しているわけで。だから、最初から必要以上に関わるつもりはなかったんです」

 何だろうこれ、俺は今まで誰かと付き合ったこともないというのに、何だか綺麗な言葉を並べて別れようとする不誠実な男みたいになってないだろうか。

 でも、厄介ごとに巻き込まれるのは厭だ。

 俺はできるだけ、にこやかにそうまとめようとしたのだけど。


「それを言うなら、うちの馬鹿息子の秘密は、この国の王子なのよ」


 ――って、母親自らバラしたー!


「聞きたくないです」

 慌てて両耳を手で覆うと、俺の隣ではサクラが無表情でカオルの耳を両手で抑え込んでいた。お前の耳はどうした。

 俺が何も聞かず言わざるを徹底していると、どうやら彼女はサクラに攻撃を変えたらしい。何か言っているのが見えて――。


 何故、こうなったし。


 俺は今、何故かセシリアに大量の下着やら寝巻やらを買ってもらい、それが入った袋を抱えて店の外に出ていた。

 カオルはどうやら、サクラの趣味で色々な下着類を買ってもらっていたようだ。完全に着せ替え人形じゃねえか?

「見てちょうだいミカエル! すっごく可愛い下着を買ったわ! アキラちゃん用は、これなんだけど!」

 セシリアは俺の抱えた袋を開け、黒いレースのついたパンツを取り出してチラつかせ、ミカエルは笑顔のまま路地裏で硬直している。女の子の一人や二人、もうすでに食ってそうな顔をしているわりに経験がないのかもしれない、と親近感を抱く。

 っていうか、本当にどうしてこうなった。


「すみません、我が女神。私の母は問題児で」

 大通りに戻り、また歩き始めるとぎこちない様子で俺に声をかけてきたミカエルの目には、少しだけ不安そうな色が浮かんでいた。

「いえ、気にしてませんし……その、買ってもらって逆に申し訳ありません」

「え、その」

 そこで何だか頬を赤らめたミカエルの視線を避け、他の店先に並ぶ商品を見るふりをする。

 でも、店内で少しだけ聞いた話が頭の中を駆け巡っていて、買い物の気分ではなかった。


 ミカエルは、このアディーエルソン王国の第三王子。これはクエストの文章からも解っていたことだ。

 しかし、セシリアは王妃ではなく側妃なのだという。

 第一王子、第二王子が王妃の息子で、立場は彼らの方が上。

 側妃となったセシリアは、先祖は貴族だったらしいのだが、もうすでにその地位は国に返上して平民として暮らしていたのだそうだ。だから、幼い頃から剣の腕を鍛え、ギルドで金を稼いでいた。決して裕福とはいえない生活で、『運悪く』アディーエルソン国王と出会い、恋仲になったんだとか。


「ちょっと、色々あったのよ。わたしは子供ができて陛下から逃げようとしたけど、結局連れ戻されちゃってね。でも、嫉妬深い王妃殿下の目があったから、わたしは王城で暮らしていけるはずもなくて、離宮という名のつまんない場所に送られて。でも、陛下の血を受け継いでいるミカエルは、上の王子二人でさえ使えない精霊魔法を使えたものだから、王宮に閉じ込められてね……」

 と、彼女が簡単に説明してくれた大天使の過去は、結構つらいものがあったようだった。

 周りは敵ばかり、誰も信用できない王城で第三王子として厳しく育てられたそうなのだが、セシリアが懸念していた通り、ミカエルは多少の歪みのある性格になった。

 自分の命を守るために、他人にあの王子様スマイルをまき散らし、特に女性たちの心を掴んだ。男性慣れしていない貴族の娘はその笑顔に負け、王宮内で力を持つ父親に頼んで後ろ盾になってもらうよう、頼み込んだ。その上で、王位には全く興味のない無能の振りをしていたそうだ。


「呪いを受けたのは、あの子にとっては王都から逃げ出すいいチャンスだったのよ。魔法も魔術も使えない王子では、陛下だって手元に置いておく理由はないし。やっと手に入れた自由だから、あの子も浮かれてるのかもね」

 そう言ったセシリアは、少しだけ悲しそうに笑った。

 何だか複雑な事情がもっと背後にありそうだったが、下手につつくと余計に深みにはまる。俺はただ、相槌を打つだけにとどめておいた。


 でも何となく。

 仲の良い親子に見えたこの二人にも、やっぱり影の部分はあるんだな、と考えてしまった。

 理想的な母と息子に見えたのに。何だか、父親は――クズとしか思えない。つまりアレだ、妻がいるのに浮気したってことだろ。その上、子供まで作ったとか。日本だったら慰謝料ぶんどれるはずだ。

 それとも、この世界では男が複数の女性と関係を持って子供を作るのは当然なのか。ハーレムを作るにしたって、甲斐性が求められるだろうに。


「息子は馬鹿だけど、色々苦しんできたと解ってるからね。ちょっとだけ応援したい気持ちもあるのよね」

 セシリアの言葉が思い浮かんで、俺はため息をこぼす。


 ――申し訳ありませんが、わたしは誰とも付き合うつもりはありませんから。


 俺は釘を刺しておいた。

 何だかセシリアが、ミカエルと俺を交際させようと企んでいるように見えたからだ。いや、間違いなくそうなんだろう。

「でも少しだけ、あの子と会話してあげてくれないかしら。嫌いなら嫌いで、すっぱり振ってくれれば、あの子だって諦めもつくだろうし」

 ――そうだろうか。


 俺はふと、隣を歩くミカエルの整った横顔を見上げた。彼はにこりと微笑み、大通りを歩く他の人間から守るように、歩く位置を調整しているらしい。完全に俺、女の子扱いされているなあ、と再確認。

 そして、彼は辺りを見回しながらこう言った。

「今日はここで宿を取りましょう。我が女神、そちらは昨夜と同じく、二人部屋と一人部屋で……」

「別に三人一緒でもいい……」

「二人部屋と一人部屋で」

「あっはい」


 サクラは猫獣人しか目に入っていない変態だから、別にそこまで気にしなくてもいいのに、と思うのだが。

 でもとりあえず、後でちょっと大天使と話をしてみようと決めて、今日何度目かのため息をこぼした。

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