第24話 幕間2 カオル
「また、ここにいんの?」
コンビニの前で、よく彼と会うようになった。彼の名前は園崎秋良といって、俺と同じ小学校に通っているらしい。同学年らしいけど別のクラス、他人を見るのが――いや、見られるのが怖くて目を向けないようにしていた。だから、彼の存在は知らなかった。
逆にそれが気楽だったとも言える。
お互い、学校では目立たない存在。廊下ですれ違えば、ちょっとは声をかけるようになったけど、それだけだ。
でも、コンビニの前で会うたび、一言二言会話を交わす。まるで、その時だけは仲のいい友人みたいに思えた。
言葉の端に伝わってくるのは、秋良もどうやら家庭に問題があって、外出することが多いらしいということ。コンビニの買い出しはその口実で、ジュースを買ってどこかで時間をつぶすのが好きなんだという話。
「お互い様ー」
相手に同情されるのが厭だから、俺は笑うのが得意だ。何でもないという振りも。
そうやって会話することが増えても、秋良はどこか感情が読めなくて、俺のことをどう見ているのか解らなかった。軽いノリで何でも話す感じだけど、あまり深く踏み込んでこないというか。
その日も少しだけ喋ってから、俺は暗くなった空を見上げ、次の暇つぶしの場所を探しに歩きだした。
「なあ」
珍しく、秋良が俺を呼び止めた。
「何?」
そう振り返ると、秋良は俺というより俺の背後を見ながら首を傾げている。俺の後ろに何かあるのかと顔を向けたが、そこは通りすがる誰かがいるだけで、俺たちに興味を持って目を向けている人なんかいない。
「多分、今日はそっちに行かない方がいいと思う」
「は?」
予想外の言葉に、俺はぽかんと口を開けた。
「俺、こういう勘は当たるんだ」
彼はそう言った後、少しだけ俯き加減で、口の中で何かぶつぶつ呟いた。それから顔を上げると、小さく笑って続けた。
「うち、近いからちょっとこいよ。対戦ゲームの相手、探してたし」
「え?」
それがアキラとの付き合いの始まり。
半分、勢いだけだというか、その場の雰囲気に流されて彼の家に上がり込んだ。
それからしばらくして、俺が行こうとしていた方向で自動車事故があったというニュースがあったみたいだけど、俺はテレビを見る習慣がなかったから長いこと知らないままだった。
「ちょっと……サクラちゃん?」
ベッドの上に寝転がって、さあ寝ようとしたら背後からがっしりと腕を回されて俺はもがく。
「はー、猫。はー、猫」
そう言いながら俺の猫耳に鼻を寄せ、匂いを嗅いだりする魔人アバター。
変態だー!!
俺はじたばたと身体を動かすも、敵は大人、俺は子供。さらに、耳元でサクラちゃんがあの色気のある低音ボイスで囁いてくるものだから、余計に身体が強張る。必殺・猫パンチを食らわそうかと頭のどこかで考えても、相手がサクラちゃんだと思うとそれもできず。
「静かにしてないと……お兄ちゃん、起きちゃうよ」
「誰のせいだと」
むう、と唇を尖らせていると、くすくす笑いが薄闇の中に響いた。
マチルダ・シティのアキラの部屋は、かなり高級感がある。壁一面の本棚とか、巨大な望遠鏡や地球儀とか。お金さえあったら実際に作ってみたい、そんな部屋だ。
そこに、アキラの寝息だけが聞こえてくる。
ムカつくくらいに寝つきがいい男である。今は女だけど。
っていうか、俺たち、これでいいんだろうか。初日から随分とこの異世界というか、異空間に馴染みすぎでは?
「カオル君はさ、帰りたいと思う?」
左腕は俺の腹に回し、右手は俺の猫耳を触る。どうやっても俺を逃がさんと言いたげなサクラちゃんは、いつになく真剣な声で囁く。
「んー?」
「元の世界に帰っても、何かいいことあると思う?」
「解んないなー」
どうやっても魔人の腕は振り払えないようなので、俺は諦めてそう笑った。「でも、このままってのも問題あるんじゃないかな」
「……うん」
背後から抱きしめられているということもあって、サクラちゃんがどんな顔をしているのか解らない。でも、ちょっとだけ予想はつく。気が強そうだけど、困ったような、泣きそうな顔だ。それは、子供の頃から変わらない。
「正直に言うとさ、三人でよかったって思ってるんだ。こっちにきたのが、三人で」
「うん?」
「わたし一人だったら、どうしたらいいのか解らなかったと思うし、もしかしたら泣いてた。うん、きっと怖くて動けなくなってかも」
「サクラちゃん」
「でも、お兄ちゃんもカオル君も強いからさ。だから、凄くよかったなって思う」
「何言ってんの。アキラはともかく、俺は弱いよ? 俺も一人だったら、泣いてたかも」
「にゃーん、って?」
「うん」
にしし、と俺が笑うと、背後でもサクラちゃんが笑う。少しずつだけど、張り詰めていたような空気が和らいでる気がした。
「何か上手く言えないんだけどさ」
「うん?」
「お兄ちゃんって、昔から『そう』なんだ」
「そう?」
「上手く言えないけど……ふわっとしてる、というか、つかみどころがないっていうか。でもさ、何だか知らないうちに上手くいっちゃうんだよね」
「勘が鋭いって前から言ってたっけ。事故を無意識に避けるとか、当たり前だもんなー」
「うん。そういう意味でも強いと思うけど……ちょっと、危ないな、って思うこともある。放っておいたら無茶しちゃうからさ。ヤバい時にはとめてやらなきゃ、って決めてる」
「うん」
そして落ちてくる沈黙。
厭な感じはしない。
「カオル君も何となく解ってると思うけど」
「ん?」
「うちは母親に問題があってさ。一時期、そのせいでわたしとお兄ちゃん、凄く仲が悪かったんだ。お互い、凄く小さな嫌がらせとかしたりさ、喧嘩ばっかりだった」
それは何となく聞いていた。
アキラもこの長い付き合いの中で、ぽつぽつ話をしてくれた。
俺がアキラの家に上がり込むようになって、アキラの家族がどんな感じなのか見ている。アキラの家庭もまた、俺と同じで――色々問題を抱えていたんだ。
俺の場合はネグレクト。
でも、アキラの場合は……母親がアキラだけを大切にしているような環境だった。父親は空気、サクラちゃんは邪魔者扱い、というか完全無視。アキラだけは好きなものを何でも買ってもらって、お小遣いもたくさんあって、必要以上に母親がアキラに付きまとって。
でも、サクラちゃんには誕生日プレゼントすら忘れる、みたいな感じ。
「あの女、俺の風呂にまで入ろうとしてくるんだ」
アキラはいつだったか、唾棄すべきもの、みたいな感じで母親のことを『あの女』と呼んだ。そういう時のアキラの目には、酷く暗い光があって……ちょっとヤバいな、と思ったことがある。
それに、アキラの家に入り浸る俺を苦々し気に見る彼の母親を、冷たい目で見ていた。友人を差別する最低な人間、みたいに言っていた。
いや、それは俺も……逆の立場だったらネグレクトされて痩せた子供なんかを家に入れたくないだろ、って思うけど。
でもアキラは、子供の潔癖さも手伝ってか、どうしてもそれが許せないようだった。
「お兄ちゃんにさ、守ってもらったことがあるんだ、わたし」
サクラちゃんは俺の後頭部に顔をめり込ませ、そう呟く。
「アキラに?」
「うん。お母さんはわたしに、高校を出たら就職しろって言ったの。わたしは進学したいって言ったけど、駄目だって。母親のわたしだって高卒なんだから、って」
「うーん」
今の時代、高卒と大卒じゃ天と地の差があるのが当然だ。俺だって今、どこに就職しようか考えてるけど、ちょっと調べただけでも、同じ業務内容でも学歴が違えば基本給が違う会社が多い。
「それを聞いていたお兄ちゃんが怒ってさ。お母さんに色々言ってくれたんだ。最終的にはお母さんが折れたけど、お兄ちゃんがさ……凄く、何て言うか」
「……大喧嘩になったんだ?」
俺は柔らかく聞こえるような言葉を選んだ。
でも、『あの女』呼ばわりしていた人間相手に、結構厳しいことを言ったんじゃないかって予想はついた。
「ふわっとしているわりに、ああいう時だけキレるっていうかさ。ちょっと、怖かった」
「そっかー……」
俺はそこで、ぐるぐると色々なことを考える。
怖いから仲直りした? いや、それだけじゃないと思う。怖かったら、こんなに兄妹の仲がいいわけない。
だから、俺は自分のことに置き換えて考える。
「俺もアキラに助けてもらった口だからさ」
考えが上手く纏まらないが、伝わればいいのだ。「お腹が空いてた時に色々ご飯もらったりとかさ。アキラんちに行くと、お風呂まで入っていいって言われるの、凄く嬉しかったし、すげー助かったよ? 何だかんだいって、根は優しいのは間違いない」
「うん、解ってる。だからカオル君も、お兄ちゃんのことを助けてくれようとしてるんだよね」
「いや?」
俺は慌てて首を横に振った。「そんな大層なことはしてないよ。ただ、つるんでるだけ。楽しいから一緒にいるだけだよ」
「でも多分、カオル君がいることで、お兄ちゃんも救われてる部分があるって思ってる」
やがて、サクラちゃんが俺の耳元でそう言ってから、少しだけ黙り込む。
どうした、と思っていると、俺の腹に回されていた彼女――彼?――の腕に力が込められた。
「一緒にいてくれてよかった。カオル君がさ、一緒で」
「そう?」
「あのさ」
「うん」
「気づいてないかもしれないけど」
「うん?」
「わたし、前からカオル君のことが好きだったって、知ってた?」
――おおう!?
つい、大声を上げそうになって、サクラちゃんに口を手で覆われる。もがもが言うだけの俺、情けない。
「似たもの同士とか、同じように家庭環境で悩んできたからとか、前はそういう感じで親近感を覚えていただけかもしれない」
――手を放してくれないと、何も応えられないって解ってるかな?
「でも、今は違う。わたし、ちょっと前から、カオル君のことをわたしが守ってあげたいって思ってて」
――守る!? 俺が男だってこと、忘れてないかな?
「しかも、今はカオル君はこんなに小さな幼女で、それに」
――えええええ!?
尻尾の付け根を撫でるのはやめてもらいたい!
何だか、ベッドの上で抑え込まれて、とんでもないことをされている気分になってきた! っていうか、気持ちいいな、尻尾の付け根!
じたばたしつつ、何とか逃げようとしていると、サクラちゃんが吹き出した気配がした。くくく、という低い笑い声も。
やっとそこで、サクラちゃんが俺の口を自由にしてくれる。不満をアピールするために唇を尖らせ、何とかこう言って見せた。
「無理やりは駄目だからな」
「……うん、解ってる」
サクラちゃんがあまりにも楽しそうで、ちょっとムカつく。
でも俺だって、随分前からサクラちゃんのことは気になっていた。
元々、俺は自分の母親の姿を見ていたからだろうか、女の子が苦手だった。俺が理解できない感情を女の子たちが持っているような気がして、近づくのが怖いのだ。
そんな中で、サクラちゃんは俺が唯一、普通に話せる子だった。俺が抱える不安とか、言葉では言い表せない感情とか、そういったものを理解してくれていた女の子だから。
でも、さすがに友人の妹に手を出すとか駄目だと思っていたから、考えないようにしていただけ。
でも、なあ。
「好きになってもらえるよう、頑張る」
その声はどこからどう聞いても男性のものでしかなくて、複雑。さすがにこの世界で『そういう』関係になるのは……無理じゃないだろうか。
そして、俺たちがベッドの横でこんな修羅場を起こしているというのに、アキラが爆睡しているのが恨めしかった。
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