第14話 蘇生薬の使いどころ

「ただいま……って、おい」

 俺が自分の家に戻ると、ソファの上には背もたれにふんぞり返った魔人と、その膝の上で寝落ちしている猫獣人がいた。マッサージの途中だったのか、だらけきった顔で大口を開いて寝ているといった風情。

 どうしてこうなったし。

「お兄ちゃん、今夜はここで寝ていい?」

「……まあ、寝られるならいいけど狭いだろ、そこ」

 俺は部屋の奥にある、巨大なベッドを見やる。さすがゲームの世界である。多分、キングサイズとかそういう大きさのベッドがそこにあって、ベッドメイキングとかもしていないのに皺ひとつないシーツがかけられている。掃除洗濯のない世界。楽だな、こりゃ。

「別に、こっちのベッドに三人でも大丈夫だろ。寝相が悪ければ問答無用で蹴り落とすけどな」

「んー」

 サクラは少しだけ悩んだようだがすぐに苦笑した。「足が痺れたらそうするけど、多分大丈夫」

「そうか」

 俺はそれ以上は言わず、ベッドの上に倒れこむ。そして、うつ伏せのまま目を閉じる。


 目が覚めたら元の世界、だったら簡単なんだが――。


「お兄ちゃんは、元の世界に戻りたい?」

 僅かな逡巡を感じさせる沈黙の後、ソファの方から小さな声が飛んできた。

 それは難しい問題だ。少しだけ唸ってから、身体を回転させて天井を見上げた。

「お前は戻りたくないのか」

「……戻ったら、がっかりするだろうな、ってのが本音」

「まだこっちに来て初日だろ。外の世界のこと、俺たちは何も解ってない。元の世界の方が幸せの可能性もあるんだから」

「ま、そうだけどさ」

「それにお前、ネット界のアイドルになりたいんじゃなかったか。広告収入でいい稼ぎになってきたんだろ? もったいなくないか」

「お小遣いとしてはね。でも、それだけで生きていけるとは思えないよ」

 そこで、サクラは少しだけ仄暗い笑みをこぼした。「もともと、ネットの世界に逃げ込みたかったから始めたようなものだしね。動画配信もゲームも、さ。そう考えてみるとこの現状……ずっと逃げ込めるなら、よくない?」


 元々、か。

 確かにそうだと思う。

 現実の世界が楽しければ、俺たちだってここまでマチルダ・シティ・オンラインにのめり込むことはなかっただろうし。

 それでも。

「……俺たちが行方不明になってたら、騒ぎになるだろ。もしかしたら今頃、警察に捜索願とか出されてるかもしれない。それに、できれば帰り道が解っていた方が安心じゃないか。来たい時に来て、帰りたい時に帰れたら……それが一番」


 そう言った直後、俺はがばりとベッドから起き上がった。

 唐突に思い出したことがある。


 慌ててマチルダ・シティのマップを開き、確認する。

「いた!」

「え? 何、いきなり」

 サクラが驚いたように俺を見て、眉を顰めている。そんな彼女に、俺はマップ画面を見ろと身振りで示そうとして変な動きになっただろう。

「カオルを起こせ」

「は?」

「マップだよ、ほら、フレンド登録のホーム一覧。ユーザーネームでミッチーって出てる! これ、三峯ってやつの名前なんだ!」

 俺が妹に何て説明すべきか悩んでいると、この騒々しさに目を覚ましたらしいカオルが、ソファの上で猫のように伸びをした。

「うるさい……にゃ」

「おい、マップに三峯の家が出てる! ってことは、あいつもこっちの世界に来てるんだ」

「は? 三峯……? あれ?」

 一瞬、カオルは何を言われたのか解らないようで首を傾げ、そして急に目を見開いた。多分、カオルも俺と同じなんだろう。

 今まで彼の存在を完全に忘れていて。

 何がきっかけか解らないが、急に思い出したのだ。

 三峯が大学を休んでるって話をした後、俺たちの間からその記憶が抜け落ちていたこと。


 そうだ、おかしい。人間は忘れる生き物だとはいえ、あれは不自然だった。三峯の存在を完全に忘れたように、その存在すら忘れていたと思う。友人に三峯という名前の人間がいたことも、何もかも忘れてしまったかのように。


 俺たちがサクラにたどたどしくその流れを説明していると、彼女はその切れ長の瞳を細めて意味深に笑う。

「つまり、こういうことだよね。あっちの世界からこの世界にやってきた人間は、忘れられてしまうんだ。向こうの世界には元々いなかったことになる。他の人間の記憶から全部消えて……わたしやお兄ちゃんも、お父さんやお母さんには忘れられてるってこと。だから、大騒ぎされることもなく、ここで暮らしていける」

「……誰にも心配されることもなく、消えてしまえる」

 俺もそう呟いて。


 つい、本気で悩んでしまった自分がいた。


 カオルも、少しだけ驚いたように俺たちを見た後、唇を噛んで何か考え込んでいる。


 ああ、でも。


「この世界、獣人には優しくない世界だって聞いた。そう安易に受け入れたらまずいと思うぞ」

 俺が慌ててそう言うと、サクラも少し気遣わしげにカオルを見て、薄く微笑んだ。

「そうだね。そう簡単には決められない、かも」

 カオルはそれでもじっと床を見つめたまま無言でいる。少しだけ、こちらが不安になるほどに。

 俺は彼から目をそらして、もう一度マップを見た。三峯の家のアイコンには、鍵がかかっている印がついている。ってことは、夜になろうとしているのにあいつはここに帰ってきていないということだ。

「後で三峯を見かけたら話を聞こう。何か俺たちの知らない情報を持ってるかもしれない」

 俺がそう言うと、サクラもカオルもそれに頷いた。


 翌朝。爽やかな目覚め、と言える朝である。しっかりよく寝て、疲れもない。

 しかし。

「やっぱりサクラ、お前は邪魔」

 俺はベッドから起き上がり、長身イケメンの背中を見下ろして呟く。

 結局、昨夜は三人でベッドに寝たわけだが、身長の高い男が一緒に寝てるといくら大きいベッドでも狭く感じる、ということが解った。

 それにさ、何故お前はカオルを抱きしめながら寝てるんだ。猫獣人幼女を横抱きにして寝ているイケメンは、いくらイケメンでも性犯罪者の香りがする。

 誰か男の人呼んで!

「……だってー」

 もぞもぞとサクラが動き出し、抱きしめた猫獣人の頭を撫で、さらに顔を近づけて匂いを嗅ぐ。「猫ってこういう香ばしい匂いがするのね。初めて知ったー」

 駄目だ、こいつは変態だった。関わらないようにしよう。

 俺はカオルを生贄に捧げることに決め、さっさとベッドから降りてマップを開く。

 やっぱり三峯のホームには鍵がかかっている。もしかしたら外に出っぱなしで、マチルダ・シティの中にはいないのか。

 庭に咲いている花や実っている野菜、薬草を回収すると花壇と畑のレベルが上がった。植えられる種の種類が増えたのを確認し、新しいものを植えて水をやる。これが収穫できるようになるまで二十四時間。長いな。

 それから、店で料理を作り、薬屋ではちょっとだけ薬を増やしておく。


 そしてふと、考えた。

 棚に並んでいる蘇生薬――これは、闘技場で相手と戦った時に一度だけ使えるアイテムだった。死んでも一度だけ体力マックスで再挑戦できる。

 でも、もう俺たちには必要ないのではないか? 俺たちは死に戻りができるんだという。だったら、蘇生薬の使いどころはどこなのか。

 外の世界の人間には使える?

 体力回復薬や魔力回復薬はどうだろう。副作用とかなく、使えるものなんだろうか。

 下手に使う前に、どこかで調べることはできないだろうか。


 それから部屋の中に戻っても、イケメンは猫を抱えたまま二度寝である。ムカつくので物理で蹴ってベッドから落とし、さっさと動けと要求しておく。


 その後、不承不承起きてきたサクラとカオルを促し、闘技場へ。

 受付でクエスト達成の報酬を受け取った後、俺は受付のウサギに確認してみた。

「蘇生薬ですかぁ? 使えますよ!」

 あっさり俺の疑問はそこで解消される。ウサギは底抜けに明るい笑顔で、俺に説明してくれた。

「このマチルダ・シティで作っていただいた薬類は、全て問題なく外の世界でも使えます。でも、気を付けてもらいたいのは蘇生薬でしょうね」

「何か問題が?」

「いいえ、薬には問題ありません。たとえ身体がバラバラになって死んでしまったとしても、死んだ直後、せいぜい一時間以内にその身体の一部に蘇生薬を振りかければ、他の部分も完全に修復して生き返ります!」

「お、おう」

 ちょっとリアルに想像して厭な気分にはなったが、まあ、使えるならよしとしよう。

「でも、外の世界では調合できない薬なのです。蘇生薬というのは、まさに神のアイテム! 外の世界の薬師、魔術師が遥か昔から研究を重ねてきておりますが、未だに調合成功に至ってはおりません。つまり、誰だって喉から手が出るほど欲しくなるものです!」

 確かにそうだな、と思う。

 そして何となくだが次の台詞が予想できた気がする。

「ですから、蘇生薬を持っていると知られたら、命を奪ってでも欲しいと考える人間がいるかもしれませんよ! 一本でもかなりの高額で買い取ろうとする人もいるでしょうし、使いどころは気を付けてくださいね!」


 そうか。

 うん。


「アキラの店、百本並んでたな?」

 ヒカルが半笑いでそう言っているのを聞きながら、俺は「あー」とか「うー」とか言いつつ、外の世界へと出たのだった。

 何はともあれ、魔物を倒したんだし魔石を持ってアルミラの村へ行くことにしよう。

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