第13話 マップの変化
自分の世界に入ってしまったサクラはどうでもいいとして、俺たちはマチルダ・シティへ戻ることにした。
魔石はカオルが抱えてそのまま走り出そうとするが、俺はそれを引き留めた。
「マップ、どうなってる?」
「マップ?」
カオルが首を傾げたが、どうやらすぐにマップを確認したらしい。「いや、普通だと思うけど」
「マチルダ・シティの扉が出てるだろ? もしかしたらだけどさ、マチルダ・シティの中にいる時と同じで、マップに名前が載ってるならタップしたら移動できるんじゃないかって思ってるんだけど」
「え、マジかな」
と、カオルが言った瞬間、猫獣人の姿が目の前から掻き消えた。
おおう、ビンゴ! という奴である。これで移動が楽になったのと同時に、早く色々なところに足を延ばしてマップを広げたいと思うのは、ゲーム脳ってやつだろうか、と内心で苦笑する。
「おい変態、行くぞ」
俺はサクラにそう声をかけると、一足先にマップに手を伸ばす。サクラが慌てたような気配を背後に感じつつ、気が付けば俺の目の前には見覚えのある巨大な扉があった。カオルも一足先にそこにいて、少し遅れてサクラも姿を見せた。
そして、俺はオルガからもらった紙袋を持ち、カオルは魔石を抱えたまま扉を開けたのだった。
アイテムに関する検証の結果は、予想通りといった感じだった。
マチルダ・シティの中に持ち込んだものは、アイテムボックスに入れて保管することができる。しかし持ち運びが面倒だから、外に出る場合はバッグか何か欲しいところだ。しかし、リュックサックなんかを吸血鬼や魔人が背負っているのは見た目に残念すぎる。見た目は重要だと思うのだ、個人的には。
――しかし、猫獣人、しかも幼女だったらランドセルとか似合いそうなんだがなあ。
と、カオルのことを見下ろしながら考える俺。
カオルは俺の視線を受けて首を傾げていたが、とりあえずまたモフっておいた。何だこのふわふわの耳の感触、けしからん!
それと、検証その二。
トイレ、空腹。
やっぱりこれは、マチルダ・シティの中に消えるとリセットされるような気がする。考えてみれば、マチルダ・シティの世界にはトイレもお風呂もないのだ。つまり、長いことお風呂に入っていなくても身体が汚れないということではないか。
そう考えると、ここはやっぱりゲームとかそういった異世界であり、外の世界は――限りなく現実に近い、異世界?
でも、何故こんな違いが出るんだろう。
仮説は色々考えられるとしても、明確な答えは解らない。だから、これ以上考えるのは無意味だろうな。
そして改めて、マチルダ・シティの中を確認することにした。
ログインボーナスもガチャもある世界。庭の育成も、持っている店の経営もできる。しかし、情報を他人に発信するための日記は書けない。だから、『マチルダ・シティの中に閉じ込められてます、助けて!』みたいなSOSも発信できないわけだ。
本当なら、このゲームに登録してあるユーザーの家にはタップするだけで簡単に行けるはずだが、ここではそうはいかない。確かに他のユーザーの家は画面上に一覧として出てくるが、それのどれもが無人のようで鍵がかかったままだった。
もちろん、カオルやサクラの家はタップするだけで行ける。
それに、以前見かけた凛さんとシロさんの家にも行けるようだ。ただ、鍵がかかっているマークがついているから外出中らしいが。
さらに、名前は解らないが他にこの街にいる人間がいるようで、その家にも行ける。
俺は少し悩んだ後、俺の家でくつろいでいるサクラとカオルにこう言った。
「ちょっと、大広場に行ってくる」
何故かカオルがソファに横になって、それをサクラが全力でモフっている光景が目の前にある。まあ、その気持ちは解る。ふわふわのつやつやだしな。
そしてどうやらサクラのマッサージテクニックに負けたのか、カオルが尻尾をぐにぐにさせながら甘んじて受けている。
「おー」
「大広場? おっけー」
間延びした声を背後に、俺は苦笑しつつ考える。
後で闘技場へ行って、クエストクリアの報酬も受け取ってこなきゃな、と。
「凛さん、シロさん」
大広場へ行くと、頭上の空はゆっくりと夕方を示すオレンジ色に染まっていく時間帯へと変化していた。そして、以前と同じテーブルについている二人の姿を見つけ、軽く手を上げた。
「やあ」
穏やかに笑うイケメンエルフ。
「どうも」
クールな声の狼男。
二人は俺に空いている椅子に座るように促してきた。俺も、彼らに訊きたいことがあったから素直にそれに従う。
「闘技場へ行って、それから外の世界も覗いてきました」
俺がそう言うと、イケメンエルフ氏、凛さんがそっと微笑む。
「どうだった?」
「色々面白かったです。謎も多いですけど」
「だよね」
「でも、何となく解ったのは、クエストをクリアして邪神とやらの復活を防げば、俺たちは元の世界に戻れる……のかもしれない、ということなんですけど。でも、『かもしれない』だけで、違うかもしれませんよね?」
「うん、私もそう思う。やってみないとね」
「あの、凛さんたちは外に出ていないんですか? もしかして今日一日、ここにいたんですか?」
「まあちょっと、心が折れた後だから……少しだけ休憩というか」
心が折れた?
俺は眉を顰める。
「クエストは受けてないんですか?」
続けてそう訊くと、凛さんは肩を竦める。
「今のところはね。これでも、帰る方法を探して色々クエストを受けてみたけど……外の世界の人間って、獣人に差別的じゃない? 敵対心を持っているから、どうも馴染めないというか……」
差別的。
なるほど、と俺は頷きながらシロさんを見た。
エルフの凛さんは一応、耳の形とか肌の白さなどを除けば人間みたいに見える。でも、頭だけ狼のシロさんは、俺から見たら格好いいと思うけど――普通の人間が見たら恐怖の対象かもしれない。そんなことを考えていると、シロさんが苦笑した。
「こう言っては何だが、外の世界は俺たちには優しくない感じだろう? 上手く言えないんだが、ゲームみたいに無条件で両手を広げて俺たちを受け入れてくれるわけでもない」
「やっぱり」
「やっぱり?」
シロさんがそこで困惑したように目を眇めた。
「外の世界の人たちって、よくあるゲームの中の人間じゃなさそうだなって思って。もの凄くリアルだというか、血の通った普通の人たちに思えませんか? ゲームだったら、勝手に家に入って壺を壊してアイテムを手に入れても許されるのに。この世界って現実の世界と同じで、常識的な感じがするんです」
「確かにね」
凛さんがそこで苦笑する。「何かちょっと生々しいというか……だから余計に怖いのかもしれない。あんなに明確に敵意を向けられるとさ、こっちだって友好的な態度を取れないし。確かに私たちはクエストがあるから頑張って魔物を倒したし、彼らのために頑張ったわけじゃないのも事実だけど。でも、だからって無条件で疑われるのは厭な感じがするよ」
「疑われたんですか?」
「うん、まあね。武器を突き付けられて、魔物寄りの存在のくせに魔物を倒すなんて、何を企んでるんだって言われたよ。しかも、彼らが私たちを嫌う理由が見た目が狼だから、ってのは納得いかない。そんな彼らのために魔物を倒せとかクエストを出されても……」
なるほど。
確かに理不尽に思えるかも。
「でも、君も君の連れも、人間に見えるからマシじゃない? 猫獣人の子は可哀そうだけど」
俺が考えこんで黙り込んでいると、凛さんが気遣うようにそう言ってくる。
我に返った俺は、そっと頷いて笑った。
「確かに、俺とサクラ……魔人アバターは変な目では見られなかったですね。でも、そんなに……最初の村っていうんですか、アルミラって村に行ったんですけど、そんなに悪い対応じゃなかったですよ。猫獣人も、見た目が可愛いからかそれほど悪い対応もされなかったですし。それに、村長さんの奥さんが凄く好意的だったかな」
「へえ。猫だからかなあ」
凛さんは少しだけ悔しそうに息を吐いて。
「アルミラ? まだ活動始めたばかりだろうに、随分遠くまで行ったんだな」
シロさんは怪訝そうに首を傾げる。
「遠く? 全然遠くなかったですよ」
俺が困惑しつつそう返すと、シロさんはどうやらマップを確認しているのか、その目が遠くを見るように焦点がぼやけ、微かにその手が動いた。
「……おかしいな、マップに変化がある。凛、確認してみろ」
「え? 変化?」
シロさんの言葉に凛さんが眉を顰めたが、すぐに彼も頷いて見せる。「本当だ。私たちの場合、最初の村の名前はヨウコっていったんだ。女の子みたいな名前だって二人で笑ったから、はっきり覚えてる。でも、マップから消えてるね」
「何だろう、ゲームの仕様変更か?」
シロさんは鼻の上に皺を寄せつつそう言って、やがて肩を竦めて凛さんを見やる。「とにかく、ヨウコの村の住人は俺たちに優しくなかった。だから精神的にやられたって感じなんだが……そうか、今の最初の村はアルミラか? あんまりそっちは見てなかったし、そろそろ外に出てみるか?」
「クエスト、頑張ってみる?」
「ああ、やってみよう」
二人の表情が明るくなり、少しだけそわそわし出したのも解る。何だか見ているこっちも安心するような感じで、つい笑ってしまった。
「また明日、外に出てみようと考えてます。何か解ったらお知らせしますね」
「ありがとう。こっちも、何か解ったら伝える」
今までで一番明るく笑ったシロさんは、狼じゃなくて柔和な大型犬のように見えた。
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