第12話 初めての魔物討伐

 そんな簡単に魔物が出てくるはずがない、と言おうとしたのに、唇が震えて動かなかった。まるで何日も水を飲んでいなかったかのように喉の奥がひり付いて、切実なまでに痛みを訴えている。

 何だこれは、と言いたいのに俺の視線は――サクラの手、いやその手から流れ落ちる血に縫い留められたままそらすことができなかった。


 血。

 血だ。


 俺の中の誰かがそれを切望し、気が付けば唇の隙間を犬歯が割って出てきていた。

 これは駄目だろ。

 空腹とかトイレとかで騒いでる場合じゃない。


 俺、吸血鬼アバターだったんだ。


「おい、アキラ?」

 猫獣人が俺の腕に触れた、と思った。でも、危機感からその手を咄嗟に振り払い、軽く後方にジャンプして距離を取る。貧血にも似た感覚が俺を襲っていて、足元がふらつく。


「お兄ちゃん、来るよ」

 そこに、サクラが緊張感でぴんと張り詰めた声を上げる。

 俺は少しだけ反応が遅れたが、どうやら血の匂いを嗅いで正気を失いつつあるのは俺だけじゃなかったようだった。

 遠くの森の木々が揺れたと思った瞬間、腹の奥に響くような咆哮が聞こえた。何の獣か解らないその声は、酷く興奮しているようにも思えた。

 地震にも似た低くて小さな地鳴り、そしてこちらが身構えたと思った瞬間に、目の前に降ってわいたかのように姿を見せたのは巨大な闇だった。


 最初、輪郭はぼやけていた。

 しかし、あっという間にその形が鮮明となり、黒い――何とも形容しがたい生き物が姿を見せていた。


 赤くて丸い瞳が、顔と思われる場所に無数についている。そいつには死角などないと見るだけで解る。

 巨大な躰を覆いつくすのは毛皮というよりも、無数の生きている蛇の集合体。

 足はおそらく、八本だろう。毛のような蠢くものに覆われた何本もの足が、歩くたびに地面に土煙を巻き起こす。

 煙幕のような土煙が風に追い払われると、昆虫と獣が交じり合ったような、醜悪な生き物がこちらに襲い掛かろうとしているのが見えた。


「さて、腕慣らしといこうか」

 サクラが闘技場で言う決まり台詞を吐き、大剣を構え直す。先ほどの怪我はもう塞がってしまったのか、その手のひらから血は出ていない。だから、むせ返るようなまでの血の香りは、風と共に消えようとしていた。

 それからの流れるような攻撃は、普通の人間なら目で追うことすら難しいだろう。

 大地を蹴り、大剣を振り下ろす。

 魔物が唸り、吠え、噛みつこうとする。

 太い首に叩きつけられた剣は、まるで金属にでもぶち当たったかのような青白い火花を散らし、蠢く蛇たちがその剣を絡めとろうとした。

 それを察したサクラは、あっという間に剣を鞘に納めると、今度はガンホルダーから銃を抜いた。ゲーム内で強化しているだろうその銃の威力は、やっぱり凄い。火花と共に撃ち出された弾は、魔物の首を見事に貫き、硬いだろう皮膚を破って首の後ろから抜けていった。


「やるう」

 カオルが浮かれたように両手を叩くのを聞きながら、俺は何とか呼吸を整えた。

 少しだけ心臓の鼓動が落ち着いたようだった。喉の渇きは癒えないし、何かに対する渇望と焦燥感に駆られているのも間違いない。それでも、少しだけ精神的な余裕ができた。邪魔だった犬歯も、今は小さくなったように思える。


 魔物は首を弾丸で撃ち抜かれても、僅かに苦痛の呻き声を上げただけですぐにサクラに攻撃を仕掛けていく。サクラは身軽な動きで宙を舞うようにしてそれを避け、魔物から距離を取った。


「じゃあ、今度は俺な!」

 そこで、俺に役目をバトンタッチである。

 地面を蹴った瞬間、俺は自然と必殺技を繰り出していた。いつもだったら、闘技場であったなら、コントローラーで選んで使う技。それなのに、今は身体がどう使うか知っている。だから、意識するだけで掌の上にに空気の刃が生まれ、光り輝きながら魔物へと飛んでいく。

 その刃は魔物の太い首を裂き、骨を断つ。魔物の頭部だけが奇妙に傾ぎ、地面へと落ちようとする。


 だが、持ちこたえるのだ。

 その首の切断面からは、酷く禍々しい色の血が噴き出していて、地面へ土砂降りのように落ちている。しかし、ゆっくりと切断面が輝き、修復しようとしているのが解った。


「躰の奥、何かある!」

 そこで、カオルが興奮したように叫んだ。

 躰の奥? と俺が目を細めると、修復されていく切断面がさらに輝き、そこに何か石の塊のような物が盛り上がって姿を見せていた。

「心臓とか?」

 サクラも怪訝そうに言うが、今にも攻撃しそうなほど身を前に乗り出している。それを見たカオルが、慌てて手を上げた。

「二人ともずるいだろ! 次は俺、俺にゃ!」

「にゃって言うな!」


 しかし俺の突っ込みなど耳に届いていないのだろう。上機嫌そうに尻尾をぶんぶんと左右に振ったカオルは、猫の敏捷性を利用したジャンプで魔物の胸元まで一気に飛ぶと、必殺技のパンチを放つ。一時的に右手が巨大化したように見えて、魔物の巨大な石を抉るように叩き――そして、赤黒い石を地面へと叩き落したのだった。


「やっふーい!」

 カオルが浮かれて声を上げつつ地面に降りた瞬間、魔物の躰もまた、地面に倒れる。倒れた魔物は少しずつその形を小さくしていき、ほんの少し後には塵一つ残さず消え去っていた。

 残ったのは、抉り出した巨大な石だけだ。

 さっきまでは魔物の血に濡れていて赤黒く、厭な気配を放っていたが、すぐにその表面が乾いてルビーみたいなキラキラした石になる。

 大きさはバレーボールを一回り小さくしたくらい。結構でかい。


「魔石って出てる」

 サクラがその石の傍に歩み寄ると、目を細めて見せた。俺も近くに寄ってそれを見下ろすと、メッセージウィンドウが開いてそれが何なのか教えてくれる。

『魔石。魔物の核となる心臓部分。魔物が死ぬと魔石となり、放置しておけば魔素が集まり新しい魔物となって甦る。魔石は魔道具の動力源となるため、高価で取引される』

「魔道具かあ」

 カオルも俺と同じ文章がメッセージウィンドウに出ているんだろう、興味津々といった様子でそれを見下ろし、近くに落ちていた小枝を拾い、それで魔石をつつく。

 どうやらもう危険性はないらしい。

「とりあえず、持ち帰ろう。売れるらしいし」

 にや、と笑うカオルに、俺はぎこちなく笑みを返す。

 戦闘の興奮から覚めたというのに、まだ俺の身体の中は微妙に熱が残っていた。


 だから、つい――カオルの喉に目がいった。


「……正直に言おう」

 俺は思わず、額に手を置いてため息をこぼす。「いつか俺、誰かの血を吸うかもしれない。こっちの世界にいたら」

 さすがにそれはどうかと思う。

 モンスターアバターとはいえ、中身は人間である。誰かを傷つけるようなことは避けたい。

「さっきお前、わざと血を流しただろ」

 そこで俺はサクラを横目で軽く睨みつけ、低く唸る。「あれで俺、おかしくなりそうになった。今後はわざと怪我をするのは禁止な! だって、あれはマジヤバい。映画の世界よ、こんにちは。闘技場の台詞よ、こんにちは。でも俺は、あなたの血は最高だわ、なんて台詞、封印しておきたいんだ」

「えっ、マジで本当?」

 何故か、サクラは浮かれたように俺に詰め寄ってきた。その頬が少しだけ興奮で赤く染まっているように見えるのは気のせいだろうか。

「……何だよ」

「映画とかだと、血を吸われるのって気持ちいいみたいな表現ばっかりだしさ! わたしだったらいいよ?」

「何がだよ」

「献血!」

「はあ?」

「魔人アバターだから、血を吸われても吸血鬼になるなんてことないだろうし! 一回、経験してみたいかも!」


 すげえ、テンションが高くてこっちは困惑なんですが。

 何だかサクラは、その場をぐるぐると歩き回りながら、好きな吸血鬼映画について語り出してしまった。ハリウッド映画で、イケメン俳優が主人公のやつ。そこに出てくるイケメン吸血鬼が、すげえ格好いいんだと。元々人間だった主人公を、イケメン吸血鬼があらゆる手で血を吸うことの素晴らしさを理解してもらおうと誘惑するらしいんだが。

 退廃的な雰囲気と、血の香りを感じさせる内容が、好みにぴったり合ってたまらないんだと言う。

 しかも。

「お兄ちゃんがイケメン吸血鬼アバターだったら、躊躇いなく誘惑するのに! イケメン吸血鬼とイケメン魔人! リアルBLってやつでしょ、これ! 動画に撮って配信して、女性ファン増やしてやるのに! 何でお兄ちゃんは女の子なの!?」


 何を考えている、妹よ。

 お兄ちゃん、君の将来が不安。いや、もう手遅れだろうか。


 カオルもちょっと「いや、兄妹でそれって……」とドン引きしていたようだった。

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