第11話 魔物を倒す者たち

「すみません、お借りしました」

 表情筋の死んだ猫獣人の腕を引きつつ、トイレから玄関へと向かっている途中、村長の奥さんが廊下に出てきたので頭を下げる。すると、奥さんは妙にそわそわした様子で俺たちに紙袋を渡してきた。

「気にしないで、大丈夫大丈夫! これ、お土産にどうぞ! あの王子様みたいな人にも渡してちょうだいね! お勧めのお茶と、この村特産の木の実入りの焼き菓子が入ってるからね!」

「えっ」

 俺が困惑しつつ、受け取った紙袋を見下ろす。紙袋越しでも温かさが伝わるということは、この僅かな時間の間に焼いてくれたんだろうか。

 しかし、何故?

 初めて会ったばかりなのに、と首を傾げていると、奥さんがそっと目を細めて笑った。

「本当にたまになんだけど、あなたたちみたいな来客がくることがあるの。何て言うか……この世界の人とは思えないような、不思議な感じの」

「え? それって」

 俺はふと、マチルダ・シティのことを思い浮かべる。

 俺たち以外にも、この世界に来ている人間がいるんだから、驚くようなことではないのかもしれないが。

 俺がどう質問しようか悩んでいると、まるで俺の心を読んだかのように奥さんが笑い、ばしばしと俺の肩を叩いた。

「これね、秘密なんだけど」

 と、彼女は俺の耳元に口を寄せた。「昔、わたしは魔物に襲われたことがあったのよ。それを助けてくれたのが、もの凄い美人さんでね、その人に頼まれちゃったわけ」

「美人さん?」

「そう。目も覚めるような美人っていうのはああいう人のことを言うんかねえ、と思ったのよ。それに、魔物もあっさりやっつけてくれちゃって。あの人が男の人だったら、間違いなく惚れてたわねえ」

「お、おう」

「でね、その美人さんが言うわけよ。今後、魔物を倒す者たちがこの村を訪れたら、力になってくれないかって」


 ――魔物を倒す者たち。


「あまり目立つと厄介だから、できれば秘密裏に、って」

「……それは、どういう?」

「魔物の姿をしているか、人間の姿をしてるけれど普通の人間ではなく、兵器のようなものなんだ、って。残念ながら世の常で、過ぎた力を持つ存在は人間にとって脅威ともなるし、手に入れたくもなる。余計な火種を起こすのは避けたいんだって言ってたかしらね。……そしてつまり、あなたたちも『そう』なんでしょう?」


 俺は息を呑んで、思わず後ずさった。

 その途端、人懐こい笑みの奥さんの顔が、すっと真剣な表情に変化する。


「脅すつもりはないのよ」

 奥さんは静かに、そしてそっと辺りを見回して誰も近くにいないことを確認する。「でも、普通はこの世界の人たちって、獣人さんも魔物も一緒くたに考えてるのが多くてね。あまり仲がいいわけじゃないの。獣人さんたちも普通は凶暴な、というか、気性が激しいのが当然だから、どうしても警戒してしまうのよね」

「でも、奥さんは違うんですね」

 俺が眉間に皺を寄せつつそう言うと、彼女は困ったように頷いた。

「獣人さんだけじゃなく、異形の存在っていうのが最近、色々なところで目にされるようになってきたから、何かと問題が起きているって聞くわ。だから、あなたたちも気を付けて。無茶は駄目だし、何か困ったことがあったら声をかけてちょうだい。わたしが協力できることなんてほとんどないけど、情報をあげたり、仲良くすることくらいはできるからね」

「ありがとうございます」

 俺はそうお礼を言いつつも、少しだけ不安を覚えて忠告することにした。

 何と言うかあまりにも、俺たち、そしてマチルダ・シティからやってくる人間に対して無防備じゃないかと思ったから。

「でも、俺……わたしたちだって、完全な善人とは限りません。優しくしてくださるのはありがたいのですが、その優しさに付けこむ輩もいないとは限らないので――」

「ああ、大丈夫大丈夫!」

 と、またそこで肩を叩かれる。明るい口調に明るい笑顔。

 奥さんはシャツの左腕の袖を少しだけ引っ張ると、赤い宝石らしきものが付いた細い銀色の腕輪を見せてきた。

「これ、その美人さんからもらったんだけどね。これを付けていると、相手が悪意を持っているかどうか解るのよ。これも秘密ね? きっと、お高い魔道具なんだと思うから、こんなの持ってるとバレたら悪い人に盗まれちゃうかもしれないし」

「旦那さんには言っていないんですか?」

 俺が眉を顰めていると、奥さんもちょっとだけ情けない顔をした。

「あの人も、あまり獣人さんたちにはいい印象を持っていないから秘密なの。でもそれが普通の反応だと思うわ。それに、あの人は村の長という立場もあるから、魔物寄りの存在を受け入れるのは……」

「なるほど」


 だとすれば、あまりこの奥さんに頼るのも申し訳ないだろう。

 本当に困った時とかには、助言を求めるかもしれないけれど――。


「ありがとうございます。その、お名前をお聞きしても?」

 俺がそう問いかけると、「あらやだ」と彼女は軽く口元を手で覆ってからくすくす笑った。

「そう言えばまだ名乗っていなかったわね。わたしはオルガ。夫はハンネス」

「わたしはアキラといいます。こっちの猫はカオル、長身の美形はサクラです」

「サクラ。サクラさん、ね」

 そう言いながらキラキラと目を輝かせるオルガは、まるで恋する乙女のようである。いや、アイドルに憧れる少女、みたいだとも言えた。

 そんな彼女に質問を投げる。

「あなたを助けたという、その凄い美人さんの名前って解りますか?」

「ああ、マチルダ様のこと?」

「マチルダ様」

 やっぱり、と思う。そして、マチルダ様とやらがどこにいるか知っているかと続けて訊いたが、残念ながら彼女は首を横に振った。


「遅かったね」

 玄関先に行くと、サクラが少しだけ待ちくたびれたように壁に寄りかかって腕を組んでいた。そういう仕草も似あうイケメン、ちょっとムカつく。

 玄関先に他に誰もいないことを確認してから、俺は小声で囁いた。

「カオルのメンツにかけて、大じゃねえと言っておく」

 そう言ってから、少しだけ表情を取り戻してきたカオルを見下ろす。すると、カオルは一瞬遅れてハッとしたようにそれに頷き、必死に言う。

「そんなことをしなきゃいけなくなる前に、とりあえず帰ろう。今すぐ帰ろう」

「そんなことって……」

 俺は思わずそう言いかけ、確かにトイレで現実を見る前にマチルダ・シティの中に帰った方が安全だろう、精神衛生上的に。

「アイドルはトイレに行かないはずなのに、残念だよ」

 サクラが首を傾げるのを見て、俺は短く突っ込みを入れた。

「誰がアイドルだよ」

「わたし、Itubeではアイドル枠なんだけど」

「そんなの忘れておけ」

「っていうか、この状況、動画に撮れたら再生数上がるの間違いないのに……重ね重ね残念」

 サクラは苦笑してから、ふと俺の手の中にある紙袋に視線を落とした。それは何だという顔で俺を見るので、オルガにもらったと説明すると。


「アイテムボックスに入らないの? 持ち歩くの邪魔じゃない?」

 サクラが首を傾げるが、それは実は確認済みである。

「入らないんだ。で、思い出したんだけどさ、闘技場で言ってたよな、死に戻りするとアイテムを落とすとか何とか」

「ああ、確かに」

「どういうシステムなのかは解らないけど、こっちで手に入れたものは……一度、持ち帰らないとアイテムボックスに入れられないのかも。検証してみたいな、これ」

「なるほどね。解った、持ち帰ろう」

「そして帰り道、魔物が出るとかいう場所も見てこよう。クエストの期限は二日って書いてあったし、今日と明日しか時間がない」

「そうだね」

 俺たちはそこで、闘技場でやるようにハイタッチをして気合を入れた。


「この辺だろうな」

 俺たちは来た時と同じように、走って目的地を探す。移動速度が速いということをこんなに感謝することになるとは。それらしい場所を見つけたのは、アルミラの村を離れて十分ちょっとしか経っていないと思う。

 村からどこかの村、もしくは街へと続くのだろう道沿い。それなりに開けている場所もあれば、ちょっとした林を通る場所もある。

 そこは、ささやかに小高い丘のような場所で、木々も生い茂っているところだった。岩もごろごろと転がってはいたが、その岩を削るようにして地面から透明な水が湧き出している。その水は低い方へと流れていき、細い川を作っていた。

「夜になると魔物が出るのかにゃ」

 カオルは若干赤みを帯びてきた空を見上げ、低く唸る。「ここで待つ? どのくらい待てば出るんだろうなー」

「……トイレは木の陰で」

「そんなん心配してないし! ってか、アイテムボックスにトイレットペーパーとかないし!」

 俺が笑い、カオルが頬を染めて声を上げる。それを無視して、イケメン魔人は辺りをぐるりと歩いて回る。

「……厭な匂いがするね。これが魔物の気配ってことかな」

 サクラはそう短く言った後、いきなり背中に背負っている剣を抜いた。

 そして、俺たちが止める間もなく、サクラは抜身の剣を左手で思い切り握りこんだ。吹き出す血が地面へと落ち、それを見下ろしながらサクラはニヤリと笑って俺たちを見たのだ。

「魔物って血の匂いに敏感なんじゃない?」

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