婚約者が週に一度婚約破棄を宣言してくるのですが……
小声早田
第1話
「そなたとの婚約を破棄する!」
楽隊の調べに合わせて翻る色とりどりのスカート。
紳士達の燻らせる煙草と淑女の髪に振りかけられた香水の匂い。
着飾った男女で埋め尽くされたきらびやかな夜会の最中に凛とした声が響き渡る。
しんとした静寂が訪れ、皆の動きがピタリと止まり、声の主に視線が吸い寄せられる。
しかし、声の主を認めると、すぐに何事もなかったかのようにお喋りに興じ始める。
たった今、婚約破棄を言い渡された侯爵家の娘ジュディスも例外ではなかった。
「わかりました。では父王様にそうお伝えしてください」
そう答えたきりずらりと並ぶデザートとの睨めっこに戻った。
王城の夜会で出されるデザートは絶品だ。
季節の果実のタルト、とろける舌触りのムース、バターの香り高いサクサクのパイ。
あれもこれも味をみたいけれど、食べ過ぎては太ってしまう。
「父にはもう奏上済みだ。ジュディ、今度こそ本当に婚約を白紙に戻させてもらうからな!」
そんな彼女の隣で声を張り上げるのは、一の王子。オーランドだった。
輝く黄金の髪に新緑の瞳。若々しい肢体は自由に森を駆け巡る子鹿のよう。
利発で勇敢。神が創りたもうた傑作とまで言われる美しい容貌。その笑顔は数多のご婦人を虜にしてやまない。国王夫妻にとっては自慢の息子。臣下や民にとっては敬愛すべき王太子であった。
「僕の話を聞いているのか!」
「もちろんです、殿下」
答えながらジュディスは一つの菓子に目を留めた。
――なんて珍しい色。
「あれを」と給仕に指示すれば、すぐさまお目当ての菓子が乗った皿が目の前に置かれる。
「殿下、ご覧ください。まるで殿下の瞳のよう。どんな味なのでしょう」
「ああ、それは発酵させていない茶葉を使っているらしい。独特の苦味が売りだそうだ」
「さすが殿下。よくご存知ですね」
オーランドは好奇心が旺盛だ。気になったことはすぐさま調べ、時には自分の身で体験しなければ気がすまない。
王子の気性は分かっていたのに、話をもちかけるのではなかったとジュディスは後悔した。
食べる前にネタばらしをされては楽しみが半減だ。
だからジュディスは少し意地悪がしたくなった。
ゼリーでコーティングされているのか、きらきらと輝くケーキをフォークですくうとオーランドの口元に差し出す。
「ジュディ?」
「殿下、一口いかがです?」
「は? なっ、なにをっ」
「どうぞ、殿下」
フォークを口に近づければ、オーランドが仰け反る。
「ま、まてジュディ」
「お嫌ですか?」
「い、嫌では……」
オーランドは狼狽、一歩後退る。その頰はわずかに色づいていた。
きょろきょろと視線を彷徨わせ、意を決したように目を瞑ると口を開けるオーランド。
ジュディスは大きく開いたオーランドの口のなかにケーキを突っ込んだ。
「いかがです?」
「にがっ! い、いや、この苦味がたしかに病みつきになるな」
そう言うオーランドの眉間にはシワが寄っている。
オーランドは苦味が苦手だ。隠しているつもりらしいがジュディスはちゃんと知っている。
だから、食べる前に味をばらされた意趣返しのつもりでケーキを食べさせた。ちょっとした出来心だ。
「それはようございました」
ジュディスは微笑んで、残りのケーキにフォークを入れ、口に運んだ。
確かに苦い。けれど甘目のスポンジと間に挟まれたクリームと茶葉のムースが口の中で混ざり合うと絶品だった。
「美味しい! 甘みの後にほろ苦さがきて、いくらでも食べられそうですね」
そうオーランドに話しかける。
「そうだな。幾らでも食べられるとも」そんな風に強がるオーランドを予想して振り向くと、オーランドは真っ赤な顔で、ジュディスのケーキを指差していた。
「そ、それ……間接キ……」
「カンセツキ?」
茶葉の名前だろうか?
ジュディスは首を傾げた。その途端、オーランドは赤い顔を更に赤く染める。
「な、ななななんでもない! 今すぐに忘れろ。王太子の命だ! それと、とにかく婚約は破棄するからな!」
早口でまくしたてると、くるりと踵を返し、オーランドは男女が踊るホールを突っ切り去ってしまう。
雑踏に消える後ろ姿をジュディスはぽかんとしたまま見送った。
「そなたとの婚約を破棄する!」
緑色のケーキを食べた夜会からきっちり七日後。
ジュディスは王妃に招かれた茶会の席で、突然現れたオーランドにそう宣言された。
「わかりました。では父王様にそうお伝えしてください」
ジュディスは紅茶の入ったカップをテーブルに置くと、七日前と同じ言葉で返した。
オーランドに婚約の破棄を言い渡されるのはかれこれ十数回目である。
初めて告げられた時にはそれは驚いたし悲しかった。
オーランドが産まれた日に決められた婚約だ。
王妃になるのだと周囲に言われ教育されてきたし、ジュディス自身もオーランドの妻になるのだと信じて疑いもしなかった。
それにオーランドとの仲は悪くないと思っていた。一つ年下のオーランドと、彼がやっと歩けるようになった頃から一緒に遊び、時には喧嘩もしたけれど、ジュディスが登城すればオーランドはいつも喜んで迎えてくれた。
オーランドの口から飛び出した信じられない言葉に、呆然としながら、その時もジュディスの返事は同じ。
「わかりました。では父王様にそうお伝えしてください」
いつの間にか俯いてしまっていたらしい。目に入るのは芝生とふわりと広がる自分のスカート。そのスカートをぎゅっと掴みジュディスは顔を上げた。
もうオーランドとは会えないかもしれない。遠くに見かけることはあっても、こんな風に傍に寄れることは二度とないだろう。なら、最後に天使のように愛らしい彼の顔をこの目に写しておこう。そう思って。
「ジュディ……」
オーランドの顔はなぜか蒼白だった。明らかに傷ついた様子のオーランドにジュディスは戸惑う。
――婚約を破棄したいと言ったのはオーランドなのに。
沈黙が訪れた。
ジュディスはどうしていいか分からずオロオロするばかりだったし、オーランドは立ち尽くしたまま。
そんなオーランドの後頭部からパシリと乾いた音が響く。
「バカ息子」
ついぞ耳にしたことのない乱暴な物言い。ジュディスは驚きに目を見張る。
彼の背後には額に青筋を浮かべた王妃が扇子を手に持ち立っていた。
そう、今日のように。
急用で席を外していた王妃が、いい笑顔で扇子を自らの手に打ち付ける。
オーランドは頭を押さえて、背後の王妃を見上げた。
「母上、今、角で……」
そういえば、一度目のときより痛そうな音がしたとジュディスは思った。
「おだまりなさい。あなたときたら性懲りも無く。言葉が足りないのですよ。それはもう決定的に!」
「父上が男なら行動で示せって!」
「まぁ、王が」
王妃の額の青筋が増える。
「では、行動で示しなさい。今日から剣の訓練は騎士団長直々にお願いいたしましょう」
鬼の団長。彼の人物がそう呼ばれているのは広く知られているところだ。
ジュディスの元にも、まことしやかな噂が流れてくる。
曰く、新団員の半数が一月ももたずに夜逃げした。残った団員を崖から魔の森につき落とし、命からがら生還した者を、「戻るのがはえーんだよ。一ヶ月遊んでこい」と言いまた突き落とした。などなど。ちょっと常軌を逸しているものばかりだ。
オーランドの顔がみるみる青ざめる。
あの騎士団長に王太子を預けるなど、あまりに無茶だ。
ジュディスは王妃を諌めようと立ち上がる。
「おや、嫌なのですか? 強くなりたいのでしょう? あの者のように」
ところが、王妃のこの一言でオーランドの顔つきが変わった。
「騎士団長のように? 冗談じゃない、僕はあいつ以上に強くなってみせる!」
「よく言いました。それでこそ男です」
王は詩人として知られるが、それ以上に武勇で名を馳せていた。その王と大恋愛の末結ばれたのが王妃だ。
そんなに強くならなくても……とはジュディスには言い出せなかった。
「ごめんなさいね。どうもあの子は口下手で、おかしいわねえ、誰に似たのかしら」
現王は、王妃を口説くため、胸焼けしそうな甘い詩を送ったというから、おそらく実直で無口だったという先王だろう。
甘い詩が欲しいわけではないけれど、口下手すぎるのも困る。
ジュディスは初めて婚約破棄を告げられたあの日を再び思い出す。
王妃に扇でど突かれ、なぜそんなことを言い出すのかと問い詰められたオーランドはこう言った。
「好きでもない男の妻になどなりたくないだろう。だから自由にしてやると言っているんだ」
唇を噛み締め、悔しそうに顔を歪ませる。
オーランドの言葉を聞いてジュディスは呆気にとられた。
オーランドによる婚約破棄宣言。
おそらく、始まりはジュディスが熱病にかかったことだ。
原因不明の高熱が続き、国中の医師が呼ばれた。その誰も彼も匙を投げるなか、最後にジュディスを診た、年老いた老婆は言ったという。
「魔の森の奥深くに咲くリヘラハの花を煎じて飲ませるがいい」
崖の下のごく浅い場所でさえ、騎士が命からがら逃げ出すような森である。
生きて帰れる保証はない。ジュディスの父である侯爵は苦悩した。娘はなんとしても助けたい。しかし、本当に効くのかもわからぬ花を摘む為に、命を捨てろと言うに等しい命を下してよいものか。
侯爵が苦しい胸の内を王に伝えたその晩、オーランドの姿がいつのまにか城から消えていた。
書き置きからオーランドが花を探しに魔の森に向かったのだと判明し……
結果――
リヘラハの花は見つかり、ジュディスは一命をとりとめた。
しかし花を見つけたのはオーランドではない。オーランドを探しに森へ入った騎士団長その人だ。
騎士団長は魔獣に襲われそうになっていたオーランドを助け、花を見つけるまで絶対に戻らないという彼と共に森の深部にたどり着き、見事に花を持ち帰ったのだ。
「殿下がいなければ、もう少し楽だったんですけどね」
功績を讃える王に、しれっとそう言い放ったというから、やっぱりかなりおかしい人だ。とジュディスは思う。
もともとは粗野な物言いから女性人気が決して高くなかった騎士団長だが、この一件で彼の評価はうなぎ上り。
荒々しい言動は逞しさの現れ、無礼とも言える態度は怖いもの知らずの勇敢さ、と受け取られるようになる。
ジュディスと同じ年頃の令嬢も例外ではなく、「騎士団長様、素敵だわ。ジュディス様もそう思われますよね!?」だなんて会話はしょっちゅうだった。
ジュディスだけでなくオーランドの命の恩人でもある。否定もできずジュディスは「本当に」と頷いていた。
――あれが、いけなかったのよね。
王妃のお茶会から七日後。
「そなたとの婚約を破棄する!」
ジュディスの誕生日に、美しい大粒の石がついた髪飾りと、魔の森で採取したという木の実で出来た首飾りを持って侯爵邸を訪れたオーランドが言う。
「わかりました。では父王様にそうお伝えしてください」
ジュディスは首飾りを見つめながら、そう返した。
色とりどりの木の実は見たことがない種類の物ばかりで、どんな木になっていたのか想像するのに忙しい。
「父にはもう奏上していると言っているだろう。なのに一向に実現しない。ジュディから願ってはどうだ」
「どうしてですか?」
首飾りを見つめるのをやめて、顔をあげて尋ねると、オーランドは面食らった様子でそっぽを向いた。
「好きでもない男の妻になどなりたくないだろう。だから自由にしてやると言っているんだ」
「なぜそう思われるんです?」
「なぜも……なにも、ジュディは騎士団長のことが……」
オーランドは眉間にしわを寄せて苦しげに吐き出す。
やっぱり令嬢たちとの話を聞かれていたのだ。ジュディスは再び首飾りに視線を落とした。
「騎士団長は立派な方だと思いますが、恋愛感情を抱いたことはありません」
オーランドが息を飲む音がする。
「私が好きなのは……」
例えば、婚約者を助ける為に一も二もなく魔の森に飛び込んだり、誕生日にお金で買った宝石ではなく、自分で探した木の実で作った首飾りをくれたりする人だ。
「待て! ジュディの口から、好きなやつの話は聞きたくない」
オーランドはジュディの話を強い口調で遮った。
「しかし……」
そろそろ婚約破棄を言い渡されるのにも疲れてきた。
いい加減、前進してもいい頃じゃないかとジュディスは思う。
――どう話したら、この天邪鬼な婚約者は納得してくれるだろう?
迷うジュディスにオーランドは指を突きつけた。
「それと、僕はジュディと結婚するのを諦めたわけじゃないからな! 父上たちが勝手に決めた婚約を白紙に戻すだけだ。僕は騎士団長よりも強くなって……いつか、僕自身を好きにならせて見せる。よって、そなたとの婚約を破棄する!」
ジュディスは呆気にとられた。
それから手の中の首飾りを大切に撫でながら、微笑んだ。
「楽しみにしております」
婚約者が週に一度婚約破棄を宣言してくるのですが…… 小声早田 @kogoesouda
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