第41話 本気

 ゴールデンウィークも終わった平日、帰宅すると瑚子ちゃんがマンションロビーにいた。


「飯作りに来た」


 と、買い物袋を見せてくる。


「私に?」


「おめーケンカ売ってんの?」


「訳ないでしょ。何よ、また直くんには声掛けられなかったの? 堂々と直くんを待つんじゃなかったの?」


 黙ってしまった。もー、なんなのよ、このツンデレ女子高生。


「こんな時間からごはん作るの? 直くんがもう作ってくれてるよ」


「泉先輩が作らせないって言ってたから、多分できてないはず」


「えー、今からなの? 食べられるの何時になるのよ!」


「すぐに作れるメニューだよ! その辺は泉先輩に釘刺されたし!」


 もー……今から作って食べるなんて、太るじゃん。


「ただいまー」


 不機嫌な声が出る。でも、直くんがおかえりーと2人きりの時と変わらずハグしてキスしてくるから、ちょっと気分良くなる。


「あの、おキッチン、失礼します」


「ああ、どうぞ」


 直くんが瑚子ちゃんをキッチンに連れて行く。


 おキッチンって。普通にキッチンでいいのに、丁寧語が崩壊してるな。


 孝寿がソファに座ってテレビを観ている。


「ただいま」


 と隣に座った。


「おかえり」


 とキスしてくる。私もすっかり受け入れるようになっちゃってるな、もう。


「ねえ、こんな遅い時間からごはん作るの今日だけにさせてよ」


「なんで俺に言うんだよ」


「瑚子ちゃんが私の言うこと聞くと思うの?」


「しょうがねえなー」


 孝寿がふんぞり返る。……なんかムカつく。


「直に張り付いてなくていいの? あのあばずれ何するか分かんねーんじゃね」


「いいの。瑚子ちゃん直くんには何もできないでしょ。大人の余裕で、孝寿の望み通り瑚子ちゃんと直くんの時間を作ってあげる」


「そんな余裕ぶっこいてたら後悔するかもよー? やれって言えばいきなりチューする女だぞ」


「孝寿、瑚子ちゃんに何かやれって言ってあるの?」


「なーんも。好きにやれって言ってある。後は嵯峨根に任せればいいと思ってっから、俺は」


「……任せる?」


「嵯峨根が本気になるならチューじゃなくても何でも良かったんだよ」


「……え……データ集めじゃなかったの?」


「データ集めだなんて信じてたの?」


「嘘だったの?!」


「嘘って訳でもねーけど、1番の目的は嵯峨根を本気にさせるためだな。じゃないと使えなさ過ぎた」


 あー、直くんの顔見るなり走って帰っちゃったもんな……。


 ……あれ? 孝寿たしか、瑚子ちゃんがアーンするって……私に負けないって、アーンするって言ってたって言ったよね?


 もしかして、瑚子ちゃんを本気にさせてしまったのは私なんじゃ?


「本気か……」


「嵯峨根には本気になってもらわねーと。いくら俺が完璧な策を授けたって直に響かなかったら意味がないからな」


「直くんに? ……孝寿、何しようとしてるの?」


「俺は杏紗ちゃんを嫁にもらおうとしてる」


「嫁?!」


「俺が婿に行っても別にいいんだけどな。杏紗ちゃんひとりっ子だし」


「いや、孝寿もひとりっ子じゃん」


「腹違いの兄妹なら何人かいるみてーだし」


「それ関係なくない? 孝寿がママの方にいるのに」


「嫁か婿かも応相談だな」


 嫁だの婿だの、なんかリアルじゃない話だな。それよりも、今は……。


 本気か……もう十分、瑚子ちゃんと直くんの時間、あげたよね。


 ソファから立ち上がる。


「あ、そうだ杏紗ちゃん。このマンションの賃貸借契約書出して」


「え?」


「鍵、困ってんだろ?」


「あ、うん……」


 たしか、テレビ台の書類とか取説入れてる所にしまってあるはず。


「はい。どうするの?」


「付け替えた方が早いだろ。明日大家さんに電話して、掛け合ってみるよ。やっぱり名義本田 拓人のままか。名義も杏紗ちゃんに変えさせてくる。もし確認の電話とか来たら、杏紗ちゃん、弟いることにしといてね」


「普通本人がいないのに名義変更なんて無理じゃない?」


「俺できる自信ある」


 やりそうだな、この子。


 孝寿がスマホを出して、電話番号を登録し始めた。


 瑚子ちゃんと直くんは話しながら料理をしている。直くんはコンビニにいる時のように無表情な顔だ。まだ、瑚子ちゃんのことはお客さんの1人としか思ってなさそう。私も料理手伝いにキッチン行こ。


「俺、杏紗ちゃんのママにチクるよ。女子高生に彼氏取られたくないから料理しようとしたって」


 スマホを見ながら言ってくる。


「……彼氏のことは言わないでって言ったじゃん」


「大人の余裕なんだろ。嵯峨根に時間、やるんだろ。大人しくしてろよ」


「もう十分でしょ」


 スマホをポケットにしまって、孝寿が私を見上げる。


「やっぱり直のこと信用できねーの? へばりついてないと安心できない?」


「……別に、そういう訳じゃ……」


「まあまあ、座れよ。嵯峨根の本気を見せてもらおうぜ」


 と、私の腕を引っ張る。ソファに戻ってしまった。


 調理を進める瑚子ちゃんに、直くんが何か尋ねている。びっくりした顔になった。瑚子ちゃんは笑っている。……かわいい。


「ねえ、テレビ消していい?」


「ダメ。俺観てるもん」


 と、リモコンを着てるパーカーの中に隠してしまった。観てなかったくせに……。音量が大きいんだよ、孝寿は。


 瑚子ちゃんが盛り付けをし始めたみたい。早いな、もうできたんだ?


 瑚子ちゃんが直くんに声を掛けた。直くんが近付いて、口を開けてかがむ。瑚子ちゃんが菜箸で直くんの口に何かを入れた。


「あー、あれがアーンか」


 何あれ! あんなの、彼女ポジの特権でしょ!! 直くんは、そういうとこ無頓着過ぎる!


 立ち上がろうとした私を孝寿が押さえ付けて、口を塞いできた。孝寿は手が大きいから、目の下から顎までスッポリ覆われてしまう。


「黙って見てろよ。あの嵯峨根が直相手に頑張ってんだからさ。邪魔すんなよ」


 ……たしかに、すごく頑張ってるけど。あんなこと、直くんにするとは思ってもいなかったほど。


 なんか話してる。ちょっとでいいから、テレビの音量下げたい!


 瑚子ちゃんが直くんの作っていた料理を指差して、直くんを見上げて口を開けた。


 直くんが、菜箸でその口に何かを入れる。もぐもぐして、瑚子ちゃんが笑顔で何かを言った。


 直くんが笑った。


 あー……今きっと、直くんの中で瑚子ちゃんがお客さんの1人から嵯峨根 瑚子に上書きされたんだろうなあ……。


 私は本当にうっかりが多い。私ミスった。瑚子ちゃんと直くんの時間なんて、あげちゃいけなかった―――


「ごはんできたよー」


 と、直くんがコタツ布団を取ったコタツテーブルに料理を運ぶ。瑚子ちゃんも後に続いて料理を運ぶ。


 嬉しさが込み上げてるような、隠しきれない笑顔が漏れてる。瑚子ちゃんがデレしかない。


 また、私の前には瑚子ちゃんが座っている。


「杏紗、これ超美味いよ」


 と、直くんがお箸で私の口に料理を入れてくれる。


「んー! 美味しい!」


「すげーんだよ、嵯峨根さん、これレシピ見てないんだよ。すごくない? レシピ見ないで料理できるとか」


「……うん、すごいね!」


 すごい。単純にすごい。私にはできない。直くんも、レシピがないと料理できない。すごいことは、ちゃんとすごいって認めなきゃ。


 認めなきゃ……。


 瑚子ちゃん、本当に毎日ずーっと料理頑張ってたんだな。私がただ、直くんの作ってくれたごはんを美味しい〜って食べてるだけの毎日に。


 でも私も、直くんが好きなの。私毎日、直くんの顔見て過ごしたいの。


 直くんが片付けをするのを、瑚子ちゃんが手伝っている。


 私はチラチラとキッチンが気になりながらも、リビングのソファで三角座りをしている。


「キッチン行かないの?」


 孝寿がソファの隣に座る。


「行かない。直くんは、私に何も隠してないもん。全部ダダ漏れだよ……。私は直くんを信じてるもん」


「杏紗ちゃんは、誰にでも寄り添い過ぎだよ」


「……え? 直くんにってこと?」


「逆に、直には寄り添ってはないだろ。疑ってばっかじゃん」


「……私、直くんには寄り添えてないの?」


「なんで俺に聞くの?」


「……あ……」


 孝寿を占い師だとでも思ったのかしら。自分の気持ちを孝寿に聞くなんて、意味が分からない。


 なんか、孝寿なら答えを持ってる気がしたの。私も知らない、私の答えを持ってる気がした。




 次の日、早速鍵が付け替えられていた。


「はい、鍵。直にも渡してある。費用は大家さんが払ってくれるって。名義も杏紗ちゃんになったから、またあのお兄さんが来たら堂々と追い返したらいいよ」


「名義変更までできたんだ?」


「できるよね」


「できる気はしてた」


 どう交渉したら旧名義人も新名義人もいないのに変更できるのかしら?


「……瑚子ちゃんと学校で話した?」


「直と話できて喜んでた。笑顔が超かっこいいって。もっと好きになったって」


「……そっか……あれ? 今日も下にいたのかしら?」


「いたよ」


「まだストーキングはしてるんだ」


 そりゃーあの笑顔見ちゃったら、更に好きになるよなあ……。


 瑚子ちゃんも、めちゃくちゃかわいかった。恋するJK、そりゃかわいいよなあ。


「ごはんできたよ」


「はーい」


 あ、前に瑚子ちゃんが作ってたきのこのやつがある。しめじだっけ? 舞茸だっけ?


「作ってみたんだ」


「何を?」


「瑚子ちゃんが作ってたやつ」


「ああ、舞茸ね。うん、できてっかなあ? 俺レシピ見ないで料理したの初めてだから」


 舞茸だったんだ。


「いただきまーす」


 舞茸を食べてみる。うん、美味しい。


「美味しいよ。できてるよ、同じ味」


「良かった」


 直くんが笑っている。初めてレシピ見ないで作ったんですって。瑚子ちゃんに教わった作り方で。覚えたんだな。瑚子ちゃんに教わった作り方。


 その夜は、眠る直くんに何度も抱きついてみた。明日は直くん朝から学校だから、私も見送るために早起きなんだけど。


 んー、と、直くんが体を反転させて私の体を抱きしめた。あ、やっと気付いてくれた。よし、直くんの腕の重さを感じながら、寝よ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る