第37話

「……何が嫌なの?」


 孝寿はめんどくさそうなくせに、話しかけてくる。私はもう、話しかけられることも嫌だ。


「全部よ」


「何の全部?」


 ……孝寿の全部、とまではなんか言えない。


「知らない」


「知らない、分からないで通すつもり?」


 ……通らないのか。ならば正直に言ってやろう。


「自分でも分からないの。自分のことでも分からないことなんていくらでもあるでしょ。孝寿、自分の絶対的に正確な身長ミリ単位で言えるの?」


「身長ミリ単位な話なの?」


「そう」


「そりゃ分かんねーな」


 呆れたように言う。呆れられてもいい。この話したくないんだもん。


 2人で話し始めて、私は気付いてしまった。


 私は孝寿が大人の女とゴールデンリバーにいたことがこんなにも気に食わない。あの声がこんなにも許せない。


 直くんがいないと、そう孝寿に言ってしまいそう。


 でもそれは、直くんのことが好きな私が言えることじゃない。孝寿を好きでヤキモチ焼いてる訳じゃない。


 自分の感情がどれだけ矛盾してるかだけは分かる。


「直って寿司好きだったんだな」


 孝寿もこの話はやめることにしたらしい。


「うん、手巻き寿司が特に好きなんだって。昔から、家族ぐるみの付き合いの近所の子達と時々集まって手巻きパーティしてたんだって」


「へー。ただのコンビニ店員かと思ったら、背高いし顔いいし頭いいし優しいし、完璧超人だったな、直」


「そうね。欠点と言えば、倫理観の欠如くらいかしら」


「大問題じゃねーか」


「私の周りには倫理観が欠如した男しか寄って来ないのよ」


「俺をそこに入れるなよ。俺は彼女いねーんだから倫理観に縛られなくていいんだから」


「分かってるわよ。でもどうせ彼女できても他の女ともやるのよ」


「やらねーよ。なんだ、その先入観」


「浮気する男ばっかり見てきたんだもん」


「男見る目ねーな」


「……私の男見る目の問題なの?」


「それこそ知らねーよ」


「浮気する男の問題じゃん」


「俺まだ高校生だから分かんなーい」


「都合のいい時だけ子供になるわね」


「そういう便利なお年頃なんだよ」


「タチ悪い」


 ドアが開いた音がした。


「ただいまー」


 直くんだ!


 立ち上がろうとしたら、押さえ付けられてキスされた。


「直が帰って来たからいいだろ」


 ギュッと私の体を抱きしめて、すぐ腕を外した。


 何も言えずに、玄関に走る。


 ヤバい。一瞬、私も抱きしめたくなってしまった。親戚の高校生相手に、何考えてんのかしら……。


「おかえりなさい!」


 思いっきり直くんを抱きしめてキスをする。直くんが相手なら、全力で抱きしめられる。


 瑚子ちゃんも帰って来た。


 手巻き寿司の用意をして4人でコタツに入る。私の正面には瑚子ちゃんが座っている。


 瑚子ちゃんは手巻き寿司セットを2つ買って来てくれた。2つも載らないから、1つは冷蔵庫に入れている。


 おめでとうの乾杯をして、それぞれ適当に話しながら好きな具を取って巻いて食べる。


「あ、あの、私、色々持って来たんですけど……須藤さん、アボガド、お好きですか?」


「アボガドって何?」


「え? 知らねーの? あ、ご存知ない?」


 瑚子ちゃん、頑張ってるけどボロ出るの早!


 直くんはおばあちゃんの友達の田中オーナーが用意した朝食昼食と、自分で作る夕食しか食べない。夕食にアボガドが使われてたことないから、田中オーナーがアボガド好きでもない限り食べたことないだろうな。


「なんか、変わり種の手巻き寿司の具で人気らしいんです。食べてみてくれますか?」


 瑚子ちゃんがガラスのタッパーを5個くらい出す。


「すげー。嵯峨根、何作って来たの?」


「これがアボガドです。エビは手巻きセットにあるかと思って。エビアボガド巻き作ります」


「すげー。アイツ俺のこと無視しやがる」


「聞こえてないっぽいよ」


 一生懸命、必死で話しているのがよく分かる。初めてうちに来た時みたいに、逃げ出したい気持ちと直くんと仲良くなりたい気持ちと、板挟みなんだろうな。


「あ、美味しいよ、アボガド」


「良かった! あの、これ、ローストビーフ作ったんです。意外と合うらしくて」


「へー。ローストビーフって肉? 肉入れるの初めてだよ」


「え? ローストビーフも知らねーの? あ、ご存知ない?」


「ローストビーフ作ったの?!」


 ローストビーフなんて買うものだと思ってた。


「ローストビーフって作るの難しいの?」


 と、直くんが瑚子ちゃんの顔を見た。瑚子ちゃんは真っ赤になって、口をパクパクしている。


 分かるなー……。このコタツ小ぶりだから、隣の辺だと距離が近い。私も初めて直くんとコタツに入った時、ドキドキさせられた。直くん、酔っ払ってて超エロかったし……。


「嵯峨根ー。須藤さんが質問してるよー」


「あ! い、いえ、難しくはないです……」


 頑張ってたのに、また消え入りそうな声量に戻ってしまった。今度一緒に作りましょう、とか言えば次に繋がるのに。


 これは、私がどうこうと言うよりも普通に距離縮めるには時間がかかりそう。


 瑚子ちゃんは他にも手巻き寿司に合いそうな副菜を作ってくれていた。全部直くんの前に並ぶ。


「あれ、俺らに食わせる気ねーな」


「そうだね。もはや私達、瑚子ちゃんの視界にすら入ってない可能性あるわね」


 直くんが1つずつ食べていく。


「杏紗、これ食べてみて」


 と、椎茸の炊いたようなやつを私の口に入れる。


「あ! めっちゃ美味しい!」


「杏紗も好き? 俺もこれ好きな味。嵯峨根さん、作り方教えてよ」


「え、えっと、舞茸1株でこれだけできるんですけど」


 舞茸だったんだ。


 瑚子ちゃんは好きな味って言われたからか、すごく嬉しそうな笑顔だ。あんな怖かったのに、今の瑚子ちゃんは全然怖くない。むしろ、超絶かわいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る