第34話
「お先に失礼しまーす」
「お疲れ様ー。孝寿くん、またね!」
「孝寿くん、気を付けてねー」
「ありがとうね、孝寿くんー」
私は?! ってくらい、すっかり先生方に気に入られたな、この子……。
塾を出て、家へと並んで歩く。
「やり過ぎだよ、孝寿。マジでホストクラブじゃないんだから」
「俺あの先生やりやすいんだよね。つい調子乗っちゃったよ」
「やりやすいの? 阿川先生が?」
むしろ、やりにくいと感じるホストの方が多いだろうに……将来有望ね。
「中学受験っておもしれーな。俺も塾講師目指そうかな」
大歓迎で採用されそう……。
「小学校教諭免許は取らないでよ! 講師の中で唯一私だけが持ってるんだから!」
「ちっせ! それが大人の言うことかよ」
「私今日堀先生に褒められたんだー。 生徒の気持ちに寄り添う真中先生と、仕事が早くて的確な孝寿くんはいいコンビだねって! 生徒の気持ちに寄り添うって絶対大事じゃない?」
「それ俺も褒められてるじゃん」
「そりゃ褒められるよ。今日は本当にありがとうね、孝寿。生徒達の自習まで見てもらっちゃって。先生方に孝寿くんのおかげで助かったーって、私までお礼いっぱい言われちゃったよ」
「いいよ。年も明けたし、そろそろ結婚に向けて周り固めたかったからちょうどよかった」
「え……」
うわ、なんかドキッとした。何度も結婚なんて言われてるのに、なんで今頃……。
て言うか、え? もしかして、初めからあわよくば塾に入り込むつもりだったの?!
「いいコンビねー。いい夫婦にも、なれそうじゃん」
夫婦?! 結婚通り越して夫婦?!
「な……何言ってんのよ、高校生が!」
「今日、誰も俺のこと高校生だと思ってなかったよ。俺、大人として仕事できた」
「……そうだけど。高校生なのは事実だし、親戚なのも、年の差が大きいのだって変わりようのない事実だし……」
むしろ、姉弟にしたって年の差が大きいから誰も孝寿を高校生だなんて思わなかったんじゃないかしら。
弟にしても、若すぎる……。
「全部、大したことねーな」
「いや、あるでしょ」
「俺には些細なことだよ、全部」
孝寿が笑う。本当に些細なことだと思ってそうだな。私もそう思えればいいのに……。
いやいや、そう思ったとして、どうするつもり? 直くんを裏切って孝寿と付き合って結婚するの?
ないない! 私は絶対に、直くんを裏切ったりしない!
でも、孝寿は本気で結婚に向けて動くつもりなんだ……気が付いたら周り固められて結婚する流れが出来上がってたりしないでしょうね。孝寿の18歳の誕生日に―――
「そう言えば、孝寿誕生日いつなの? 秋だよね、とりあえず」
孝寿がうちに初めて来たのが、去年の秋だった。
「11月22日」
「それはいい夫婦の日でしょ! 誕生日は?」
「だから、誕生日が11月22日」
「え……本当に?」
「本当。杏紗ちゃんのママに聞いたらいいよ。毎年誕生日プレゼント送ってくれてるから」
もう、自宅マンションの近くまで来ている。最後の角を曲がる手前で、孝寿が立ち止まった。
「びっくりした?」
「うん……」
「運命だよ、杏紗ちゃん。俺と杏紗ちゃんは11月22日に結婚していい夫婦になる。決定事項」
……決定事項……そうなのかもしれない。これは、うんめ―――
「騙されないわよ! 誰と結婚したって誕生日がいい夫婦の日なのは変わらないじゃない!」
「あはは! さすがに騙せなかったか」
笑うと子供だ。かわいい。孝寿がもっと……もっと、大人なら……。
角を曲がった時、電柱が目に入って思い出した。
「そう言えば最近瑚子ちゃん見ないんだけど、直くんのこと諦めたのかしら?」
「え? 毎日いるはずだよ。ほら、今日もいる」
「え?!」
孝寿が指差す電柱を凝視する。本当だ! いる! 隠れるのが格段にうまくなってる!!
ストーカースキルが明らかに向上している!!
「瑚子ちゃん、どこを目指してるのかしら……プロストーカーとかあったっけ」
「嵯峨根、毎日料理してるらしーぜ。直と料理作りたいって。まだやり始めなのがバレバレな腕前だから、上達するまでは見つかりたくねーんだって。うまくなって、堂々と直をロビーで待つって」
「堂々と待つんだ」
「絶対負けないっつって直にアーンするって言ってたけど、杏紗ちゃん何かしたの?」
「あ……」
したわ。
……私も、16歳に効きすぎることをしちゃったのかもしれない……。
ああして毎日、直くんのいる部屋を見上げて、電気が消えたら家に帰って料理して……ずっと、直くんのことを考えているのかしら。
「健気だろ」
「うん」
「かわいいだろ」
「うん」
「直のこと、譲ってあげたくなるだろ」
「う……もしかして、私が身を引くのを待ってる?」
「かわいい女子高生に大人なとこ見せてくれるかなーって」
「瑚子ちゃんには悪いけど、私直くんと別れるつもりないよ」
「杏紗ちゃんメンタルお子ちゃまだもんな」
「お子ちゃまって何よ!」
直くんを、瑚子ちゃんに譲る……? そんな、直くんは物じゃないんだから。直くんにも失礼よ。
マンション前まで来て、電柱を振り返る。すごい! 見えない!
ドアを開けて
「ただいまー」
と奥の部屋にいる直くんに声を掛けた直後、孝寿に腕を引かれて抱きしめられた。
びっくりして固まってしまった隙にキスされた。
「たまには俺が先ね」
と孝寿が笑う。
……めちゃくちゃドキドキしてる……不意打ちって、ずるいな……。
「おかえりー。……どうしたの?」
直くんが玄関まで出て来た。
なんかすごく、いつも通りのハグとキスがしづらくなってしまった。
いや、ダメだ、直くんに変に思われる。いつも通り、いつも通り。孝寿は私が動揺してるの見て笑いたいだけなんだから。
「何でもない。ただいま」
と、直くんに抱きついてキスをした。
「おかえり」
と、孝寿もいつも通りキスしてくる。……なんで? 先にしたじゃん!
「あっはっはっは」
孝寿がわざとらしく笑いながらリビングへと進んで行く。
「孝寿ご機嫌だねー」
「ほんっと、憎たらしい子よね」
「なんで? かわいいじゃん」
「直くんは本当に孝寿に甘いなあ」
孝寿が嘘泣きでもして瑚子ちゃんがかわいそうだから瑚子ちゃんと付き合って、とでも言ったら、直くん、うん分かった! って言いかねないわね……。
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