第33話
塾の前まで来て、孝寿が私の肩をポンポンと叩きながら言う。
「落ち着いて、頑張れよ。行ってらっしゃい」
「うん! 行ってきます!」
「あ、真中先生おはよう」
え? と思って声の方を向くと、阿川先生が自転車にまたがっていた。
「あ! おはようございます」
「弟さん?」
「おはようございます。すごく緊張してたんで、安全のために付き添ってお届けしました」
と孝寿が答える。
「真中先生が緊張しても仕方ないってあれほど言ったのに……」
「すみません、真面目が取り柄なもので。これからもご指導よろしくお願いします」
「あら、しっかり者。真中先生よりしっかりしてるんじゃないの? 時間あったら祝合格の印刷してくれない? 真中先生以外はみんな掲示発表の学校に行くから」
「え?」
「中にまだ堀先生いるから、真中先生掛け合ってみて。行ってきます!」
「あ、行ってらっしゃい!」
颯爽と阿川先生が自転車を走らせる。
……え? 孝寿に働けって言うの? 高校生に?
「堀先生って?」
「塾長……。指示を無視はできないから、時間大丈夫だったら一応来てもらっていい?」
階段を上り、ドアを開けて塾に入る。
ちょうど、堀先生と小峠先生が出発する所のようだ。
「おはようございます」
「おはようございます!」
なんで威勢いいのよ、孝寿……。
「おはよう。あれ? その子は?」
「下で阿川先生に祝合格の印刷するように言われたんですけど、部外者だし……」
「ああ、印刷! 真中先生1人になるから、またプリンター壊さないか心配はしてたんだよ。君、機械を壊した経験は?」
「ありません」
「ここで、見たこと聞いたことを絶対に人に言わないと誓える?」
「誓います」
「採用! 真中先生は機械に触らないでね!」
「えっ?」
堀先生は出て行ってしまった。
……え、触らないでって……ええ?!
「合格って見ると生徒達の士気が上がるから、1枚でも多く早く祝合格の掲示をしたいんだよ。プリンター壊されると印刷できなくなっちゃうから、本当に困るんだよね。直接合否を報告に来てくれる子もいるし、まだ入試日程ある子達も来るから、1枚でも多く貼りたいんだよ」
と、慌ただしく出て行った堀先生に代わり小峠先生が説明してくれた。
「え、だからってこの子―――」
「君なんて名前?」
「
「孝寿くん、よろしくね!」
と、小峠先生まで行ってしまった。……私と孝寿だけが残ってしまった。
「祝合格って何? 俺仕事なんかしたことねーよ」
「いや……え、なんで泉じゃなくて孝寿ですって言ったの? 多分弟だと思われてない?」
「なんか、その方が信用されそうかなと思って。弟なら下手なことしないだろと思われそうかなと」
……私、ひとりっ子ですけど?!
「なんで仕事したことないのに堂々と受け答えてるのよ!」
「俺だから、できるかなって。早く教えなよ、1時まで時間ねーよ。俺が印刷するんだろ?」
「そうだ! 私機械に触っちゃダメなんだった!」
パソコンを立ち上げ、フォーマットを出す。
「入力はできる?」
「なんか、ローマ字で打つやつ?」
「そう、それ!」
入力の仕方、印刷の仕方を教える。生徒達の受験校のリストを元に、合格したと仮定して、祝合格・聖天坂大学附属中学校 山田花子、を印刷してもらった。
「おー、なるほどね! OK!できる!」
「早! え、じゃ、この子が合格したとして印刷してみて」
「この子ね」
……完璧にできてる!! え、孝寿がすごいの? 私がポンコツなの?
電話が鳴った。時計を見る。……1時過ぎてる。
固まった私に、
「生徒からの連絡だよ、真中先生」
と孝寿が優しく言った。
そうだ! 私が緊張に負けちゃダメだ、冷静に、冷静に……。
「SHOTENです」
「6年生の山本 勇気です。医学コース合格しました!」
「すごい!! すごいね! 勇気くん頑張ってたもんね!」
「ありがとうございました!」
「勇気くんが頑張ったからだよ! 本当におめでとう!!」
良かった、頑張った成果が出た……!
電話を切ると、すぐまた電話が鳴る。
「6年生の徳井 圭太です。特待Bで合格でした……A取れなかった」
「特待取ったんだから十分すごいよ! 圭太くん頑張ったよ! 圭太くんB日程も受けるよね? まだA取れるよ、気持ち切り替えて行こう!」
「……うん、ありがとう、真中先生」
「B日程は国語と算数だけだよね。落ち着いて、過去問思い出してね。高森中はB日程特に似た問題が出る傾向があるから、絶対、特待A取れるよ!」
圭太くんは洗脳されやすい。できるって言われるとできる気になってくれる。私自身も信じて言う。絶対、大丈夫!
電話を切ると、またすぐ鳴る。
「6年生の
壮吾くんのお母さんだ。明らかに弾んだ声に聞こえる!
「はい!」
「理数で合格しました! ありがとうございます!」
「おめでとうございます!! 壮吾くんは?」
壮吾、真中先生だよ、と聞こえる。
「真中先生! 合格したよ!」
と、嬉しそうな壮吾くんの声がする。
「おめでとう!! 神様に報告した?」
「うん!」
良かった! 私が目指す神様は、ちゃんと壮吾くんを合格に導いてくれたんだ!
ひっきりなしに電話が鳴る。
目標とするコースには届かなかった子もいた。でも、目一杯、その努力を称えた。
本当に頑張った。すごいよ、たった12歳くらいの子供達が……。
「あ! ごめん、孝寿! 電話対応で手一杯になっちゃって……」
と孝寿の方を見ると、祝合格の貼紙をきちんと印刷してくれていた。
え? なんで? あ! 私の話してる内容で誰が合格したか分かったのか!
「去年のデータは特待生としか書いてないんだけど、Bって入れなくていい?」
「……いい」
「なんか電話落ち着いたみたいだから、今のうちに貼ろ。どこにこれ貼るの?」
「あ、こっち。階段上って来た時に目に付くとこ」
孝寿、マジで私より仕事できるかも。まだ高校生なのに……。
コートを羽織り、塾の出入口のドアを開ける。外は寒い! 掲示板の前で、私が押しピンを渡し、孝寿が貼っていく。
「すげーな、杏紗ちゃん。誰がどこ受けるか全部覚えてんだ? それぞれの中学校の特徴とか」
「そりゃ私の主な役目は話し相手と事務作業だからね。私が迷いながらしゃべったんじゃ生徒達が不安に感じるかもしれないから、自信持って話せるように直くんに暗記アプリ作ってもらって徹底的に覚えたの」
「最近家でもずっと仕事してたもんなー。何してんのかよく分からなかったけど、働く女かっこいいな」
孝寿が笑いかけてくる。かっこいい? 皮肉かしら?
「いや、素直に受け取ってよ。マジでかっこよかったよ」
私の方を向いて、笑顔で私の肩にポンと手を置く。
え! マジだったの?! かっこいいなんて初めて言われた!
「ほんと?! そうでしょー。これが大人の女ってもんよ!」
「ぷっ」
孝寿が肩に手を置いたまま、顔を背けて吹き出した。
「何が大人の女だよー。杏紗ちゃん、直の前じゃかっこつけてるけど中身子供じゃん」
「え? 私かっこつけてる? 嘘だー自然体だよ。もう1年近く付き合ってるのよ?」
「かっこつけてるよ。自覚ねーの? いい女ぶってる」
……年下の直くんに対して、なぜ私がかっこつける必要が?
ただ、顔が好み過ぎて未だにちょっと緊張してると言うか、気を遣ってる所はあるかもしれない。でも、付き合ってても気を遣うのはいいことだし。親しき仲にも礼儀ありって言うし。
「あ」
孝寿が慌てて羽織るだけだったコートのボタンを閉め、ベルトを結ぶ。
階段を上がって来る足音がする。
「阿川先生、おかえりなさい。唯ちゃんもかのはちゃんも合格でしたね!」
「柚子ちゃんもよ! 3人とも1次合格なんてすごいわー。あ、もうこんなに祝合格貼ったの?!」
「おかえりなさいませ、先生。お疲れ様でした。連絡きた分は全部貼りました。寒かったでしょう、コーヒーでもお入れしますよ」
と、孝寿がドアを開けて阿川先生をエスコートしている。
本当にホストみたいだわ……。
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