第32話 合格不合格

 中学受験専門塾の1月はピリピリムードだ。入試が始まる。小学生達が睡眠を削ってまで勉強した結果が判定される。


 毎日講師間でミーティングはするけど、この時期のミーティングは重みや濃さが変わってくる。


 受験を控え、過剰に緊張する生徒もいればなんでそんなに余裕なの? って大物になるのかしら、と思わせるわりに低調なマイペースちゃんもいる。


 それぞれの生徒をベストな状態に導けるよう、小峠先生阿川先生はもちろん、塾長の堀先生も皆、日々築いた信頼関係がこの塾の最大の武器となる時期だ。


 中学受験は国語算数の比重が大きい中学が多いらしい。うちの塾では、特に算数の授業が多い。


 算数の小峠先生、国語の阿川先生が主戦力のこの塾は、理科社会の専門講師は系列の塾からのヘルプで賄っているので、小学校教員免許を持つ私には、将来的に理科社会を担って欲しいと採用時に聞いた。


 私立でも、国語算数に理科を加えた三科受験の中学もあるし、国立中学では更に社会も加わった四科受験が基本だ。


 理科社会も、決して軽視できない。私は生徒達が合格できるよう、ガッツリ理科社会を教えるんだ!


 でも、現状は、この塾の中ではまだ生徒に年の近い私が生徒の話し相手としてストレスを軽減したり、悩みを聞き出すことを1番期待されている。


 子供達は、私達大人が思いもつかないような悩みを抱えてたりもする。


 私にも正解なんて分からない悩みもたくさんある。


 私が答えていいの? これ?


 これ、どう言ったら生徒のやる気を引き出せるんだろう?


 もう、まだ新米講師の私には毎日がパニックと勉強と発見の日々になる。


「杏紗、大丈夫?」


 帰るなりぐったりな私に、直くんが聞いてくる。


 あ、直くん……孝寿はいないのか。瑚子ちゃんが下にいたのかどうかも気にならなかったな。


「うん……ごめんね、気遣わせちゃってるよね。私なんて戦力外だから他の先生と違ってちゃんと休みももらえてるのに、緊張感で疲れちゃうみたい……。私まだ職場でどうしたらいいのか分からなくて。もう1年目の新人じゃないのに……」


「1年目も2年目も大差ないよ。そんなこと気にするより、体調管理が大事なんでしょ、ちゃんと食べて」


「ありがとう……」


 あ、泣きそうかも。去年の今頃は、中学受験に理解のない小学校教諭の拓人にボロクソに言われてた。


 小学校での教育が足りないんじゃなくて、中学受験の受験勉強が別物なだけなんだっていくら説明しても理解されなかった。


 でも、そうだわ、ちゃんと食べて寝ないと。インフルエンザとか病気になって、生徒達にうつしたらシャレにならない。


 この時期は特に、健康管理が1番大切な仕事だと言われてる。


 私は自分で自分の健康管理すらできない自信がある。でも、直くんが私の健康管理に協力してくれる。


 ありがとう、直くん……。


 今の私には、私を気遣って優しくしてくれる、直くんの存在そのものがオアシスだわ。





 今日は日曜だけど、多くの中学校で合格発表がある。早い学校で午後1時から発表だから、いつもよりも早く家を出る。


 あー、緊張する……。もしも、不合格の連絡を受けたらどう言えばいいだろう……。


 生徒が泣いちゃったらどうしよう……。


 ピンポーンと、インターホンが鳴った。ドアを開ける。


「あ、孝寿」


「良かった、間に合った」


 と、息を切らせている。


「どうしたの? そんな格好で」


 コートも着ずに、ロンTの上にサッカー部のユニフォームを着てるだけの寒そうな格好をしている。


「部活終わってソッコー走って来た。直バイトだろ? 昨日杏紗ちゃん超緊張してたから、塾まで一緒に行こうと思って」


「え……」


 私の緊張をほぐすために、わざわざ? こんな寒そうな格好で、走って……。


「ありがとう」


「あ、ちょうど出るとこだったの?」


「うん、そう」


「やべー、超ギリじゃん」


 孝寿と並んで歩き出す。孝寿とはいつも家で会ってるから、外なんて新鮮だな……。


 家の中で見るより、孝寿が大きく見える。もしかして、遅ればせながら成長期なのかしら。あんなに小さくてかわいかったのに、いつの間にこんなに大きくなったんだろう。


 まっすぐ前を見て歩いている。横顔は、女の子度低めなんだな……。


「赤だよ! 杏紗ちゃん!」


 ボーッと歩いていたら、孝寿に抱き止められた。


「あ……」


 車が目の前を通る。怖!


「やっぱりついてきて良かったよ。緊張で周り見えてないんじゃないかと思ってた」


 緊張でと言うよりは、親戚の子の成長に驚いて……。


「あ……ありがとう」


 孝寿が私の顔を覗き込む。


「まだボーッとしてるよ。大丈夫だから、落ち着けよ。 子供達頑張ってたんだろ? 信じてあげなよ」


「うん……そうだよね。そうだよ。子供達に信用されることばっかり目指してたけど、私も信用しなきゃね」


「そうそう」


 あーなんか、一気に気が楽になった。子供達を信じて、自分の思うままに伝えればいい。先生はあなたが頑張ってたの見てたよって。よく頑張ったねって。


 信号が青になった。歩きだそうとしたら、


「孝寿! コート!」


 と、大声が聞こえた。


 二車線道路の右側の歩道をまっすぐに私達は歩いている。


 反対側の歩道からこちらに向かって手を振る男の人と、女の人が立っていた。歩道と歩道の間の信号は赤だ。


 車はあまり通らない道路だから、赤だけど渡ろうとした所で向こうから車が来るのを見て、男の人は歩道橋を上り始めた。


 何あの人、超足速い!


 あっという間にこちらに走って来て、孝寿にコートを手渡した。


「お前さみーだろ、その格好」


「おー、サンキュー、俺のこと探してくれてたの?」


「うん。急いでんだろ、じゃーな! あ、お姉さん、落ち着いてお仕事頑張ってね!」


「え?! あ、ありがとう」


 孝寿の友達? 私の話聞いてるのかしら?


 男の子は、またあっという間に向こう側へ歩道橋を渡ると待っていた女の子に抱きついて蹴られている。


「あの2人、孝寿の同級生なの?」


「そうだよ」


 へぇー、大人っぽいコート着てたせいかもしれないけど、2人とも背が高いしとても高校生カップルには見えないわ。


 孝寿もあの子くらい大人っぽかったら、あまり年の差も感じないのかしら……。


「え。何そのコート」


 受け取ったコートを孝寿は早速着ている。


「大人っぽいだろ」


「大人っぽいと言うより、ホストっぽい」


 黒いロングコートなんだけど、襟周りに黒い長いファーがユラユラしている。


「こないだパパに会った時にもらったんだ。年齢的にもう着ないけど、高いブランド品だから俺にって」


「パパもお変わりなさそうね」


 まあでも、孝寿でもこんないかにも高級品なコート着てたら高校生にも女の子にも見えないな……。

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