第7話 翌日。
中学受験にとって、2月は新学期だ。
私が勤める中学受験専門塾SHOTENでは、この時期は新入生徒達と打ち解けることに重点が置かれる。小さな地域密着型の塾だから、講師と生徒達との信頼関係の構築を大事にしている。
私がこの塾で一番共感しているのが、そこだ。信頼関係は築くのに時間がかかるわりに、崩れる時はあっという間だったりするから。
生徒達が学校を終えやって来る。塾カードをセンサーにかざすのを生徒達と雑談しながら見守る。センサーの感度がなんか鈍いせいで、あれ? となる生徒もこの時期は多い。私のデスクは塾カードをピッてする機械のすぐ前だ。
そろそろ授業が始まる。あと3人来てないな。一気に生徒達が来て、あとはまばらにやって来る。
「こんにちは!」
「こんにちは。カード! ピッてするの忘れてるよ!」
「えー遅れちゃうよ」
「急いで! ピッてしないとお母さんが塾行ってないのかな? って心配するから!」
カードをピッてすると、メールか何かで保護者へお知らせが届くらしい。私はまだ勤めだして1年だけど、3回うちの子塾行ってますか? って問い合わせがあった。
あとは6年生2人か。2人とも家が遠いから、いつもギリギリだ。こればっかりはしょうがない。
「
太っていてメガネをかけ白衣を着たアラフォーくらいそうな
生徒達との距離の近さを重んじるからか、生徒達が利用する自習コーナーと私達のデスクのある事務スペースはカウンターで区切られているだけで壁がない。
始業のチャイムが鳴った。
「これ20部コピーしてB教室に持って来て!」
「はーい! 20部、Bですね」
立ち上がり、プリントを受け取ってコピー機へと向かう。恥ずかしながらミスの多い私は、指示を受けたら復唱するのが習慣になった。
「こんにちは!」
「こんにちは!」
と、残ってた2人がいっぺんに来た。この2人は慣れたもので、入って来る時にはもう塾カードを手にしている。
「こんにちはー」
「真中先生! 全然ピッて鳴らない!」
「しょうがないな。カード置いといて。後でB教室行くから、ピッてして持ってってあげる」
「ありがとう!」
2人とも走って行く。
このセンサー、買い替え時じゃないかしら。コピー機も前はしょっちゅう壊れて、修理に来てもらってすぐ壊した時は私の手から電磁波でも出てるのかと思ったわ。でも、先月買い替えてからは1度も壊してない。多分、この塾いろんな物が古いんじゃないかしら。
コピーを取り、カウンターへ行きカードに挑戦する。ほんとだ。全然鳴らない。5分くらいかけて、2枚ともピッてし、カードとプリントをB教室まで持って行った。
漢字テストの丸つけをしたり、他の講師から指示された次の授業の準備を進めたりしていたら、そろそろ6時だ。
私の勤務は2時ー10時。誰も来ないし電話も鳴らないし、休憩にしよ。
「堀先生、休憩いただきます」
奥のデスクに座る、ナイスミドルな雰囲気の塾長に声を掛ける。
「はーい、行ってらっしゃいー」
ほぼ毎日、このタイミングで近くのコンビニに行く。
……なんかちょっと、行きにくいなあ……。
ちょっと時間潰して行こうかしら。6時過ぎるように。
須藤くんのバイトは多分6時まで。何度か休憩取ろうとしたら問い合わせが来たりで6時を過ぎたら、須藤くんがいなかったことがある。
んーでも、今日そんなことしたらこれから毎日時間潰す感じになるかも。よし、行こう! いつも通り、いつも通り。
「いらっしゃいませー」
と、いつも通りに声を掛ける須藤くんと目が合った。にっこり笑う。超絶かわいい!!
須藤くん、全然いつも通りじゃないんだけど! いつもは無愛想で接客業なのに信じられないくらい無表情で笑顔なんて見せないのに!
何この笑顔! 私この笑顔と昨日イチャイチャしてたの?! 信じられない!
おにぎりとサラダを持って須藤くんのいるレジに行く。
「428円ご用意下さいー」
須藤くんは全商品の値段を覚えているらしく、見ただけで金額を言う。客がお金を用意している間にレジに通していくから、客は焦ることなくゆったりと財布の中身を確認できる。
後ろで人が待ってると慌てちゃう私には、とてもありがたい。
「ねえ、お弁当の廃棄出そうだから、お姉さんちに持って行っていい?」
「いいけど、私10時まで仕事だよ」
「10時ね、了解」
須藤くんがめっちゃ笑う。かわいすぎなんだけど!!
て言うか、パン並べてる店員さんもいるのに小声でもなくそんな話して、気まずかったり恥ずかしかったりしないのかしら?
私だったら客との個人的な付き合いはバイト仲間に知られたくないけど。
塾に戻り、デスクでおにぎりとサラダを食べながら、昨夜のことを夢を思い出すようにボーっと思い返す。……そんな事実があるものかしら。あったはずなんだけど。
「真中先生、どうしたの? 汚ったないんだけど」
「え?」
デスクを見ると、サラダが飛び散ってドレッシングがあちこちに付いている。
「ええ、何コレ」
「いつもにも増してボケーっとして。しっかりしてよ!」
バシッと背中を叩かれた。
「これ、コピーして15部の冊子にしてくれる? 休憩終わってからでいいから。6年生の進路相談で配るから、遅くても今週中にお願い」
「分かりました。15部の冊子今週中ですね」
生徒達が演習問題を解いてる間に来たらしい。また教室の方へと戻って行った。
忘れないように、預かった冊子に「15部今週中」と書いた付箋を貼っておく。これで、よし!
阿川先生は30代半ばくらいだろうか。ここまでサバサバ系な人は私の周りにはいなかった。初めは怖い人だとしか思わず辞めちゃおうかとすら思ったけど、普通にいい人だった。
小峠先生と阿川先生の2人で全生徒を分担して担当している。
私も早く、講師として戦力になれるように、頑張ろう!
その為には、このうっかり癖をどうにかしないとなあ。ごはん食べ終えたら汚れたデスク拭いてるような先生に高いお金出して我が子の進路を委ねるなんて、私でもできないわ。
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