第2話

「おはようございまーすっ」

 やけに元気のよすぎる声で、シェルが食堂で待っていた二人に挨拶した。

 厨房に行こうとしていたシュレーが振り返って、来たな、という顔をした。

 食卓の椅子には、スィグルが朝に弱い彼らしく、いかにも気怠げに腰掛けている。

「おはよう。朝っぱらからうるさいんだよ。もっと小さい声で挨拶してよ」

 文句を言うスィグルの向かいに、シェルはにこにこと機嫌よく席をとった。

 どうにも妙な感じがした。

 いつもなら、このシェルの挨拶を聞くのは自分のほうで、いっしょに歩いてくるのはスィグルのほうだった。

「どうしたんだ妙な顔をして」

 顎で差し招いて、シュレーが早くしろという顔をした。厨房へいって朝食の料理をするのは、シュレーとイルスの役割で、あとで皿を洗うのが、シェルとスィグルの仕事だった。もっとも、洗っているのはシェルだけのようだが。

「新鮮な卵が手に入ったから、今日は卵料理で」

 厨房で手を洗いながら、シュレーがそう言った。

「スフレ・オムレツ」

 綿布で手を拭きながら宣言するシュレーの顔は、必要でもない神聖さに満ちていた。

 こいつがやってると、ただの料理でも、なんだか厳かだ。毎度のことながら、イルスは感心した。

 もとは毒殺を恐れて始めた自炊だったが、シュレーは料理を気に入ったらしく、一日も欠かさず毎食自分で料理した。時には図書館で調べ上げた調理法を試すと言って、イルスが見たこともないような料理も作った。

 勤勉なやつというのは、何をやらせても徹底的すぎる。

「ただのオムレツでいいんじゃないのか、時間ないし」

 左手に大きなボウル、右手に泡立て器を握って立っているシュレーに、イルスは提案してみた。

 シュレーはかすかに首をかしげた。

「スフレ・オムレツだ、イルス・フォルデス」

 泡立て器を突きつけて、シュレーは断言した。

「まさか俺が泡立てる?」

「そうだ。卵はここに。私は竈のパンを見てくるから」

 言い置いて、シュレーは背中を見せた。

 食い物なんて、美味いにこしたことはないが、普通に食えりゃいいかとイルスは思っていた。

 しかしシュレーには厨房においても美学があるらしかった。

 イルスは大人しく、卵を割って、泡立てた。

 卵液を攪拌して、たっぷりと空気を含ませてから、溶かしたバターとともに注意深く焼くと、気泡が熱で膨張し、ふわふわにふくらむ。

 それがスフレ・オムレツだ。

 ただのオムレツとは違う。

 スフレ・オムレツと、ただのオムレツには天地ほどの隔たりがある。

 ただのオムレツは、焼いた卵にすぎないが、スフレ・オムレツはシュレーの好物だった。

 スフレを見事にふくらませるに足る卵の泡立て具合が、今日のシュレーの機嫌を決すると言ってもいい。

 だったら自分でやりゃあいいのにとイルスは内心に毒づいた。それを口に出せば、シュレーは真顔でこう言うだろう。

 君のほうが、うまい。と。

 卵料理には熟練だけでなく、生来の適性が必要なのだそうだ。シュレーが言うには、イルスにはそれがあって、シュレーにはない。

 単に泡立てる手間が面倒くさくて言っているのではないかと思う。

 どうせ他人に押しつけるなら、妙な理屈をこねないで、君が作ったオムレツが好きだとか何とか普通のことを言えばいいのに。

 ため息をつきながら、それを想像して、イルスはげんなりした。

 気持ち悪い。

 シュレーがそんなことを口走るのは、明日死ぬか、場合によってはその場で死ぬ時ぐらいだろう。

 とにかく不気味すぎる。

 なにごとも、いつもと変わりないのが一番だ。

 卵が泡立ち、フライパンでバターがほどよく溶けたところで、イルスはオムレツを焼いた。

 スフレ・オムレツは上出来に仕上がった。

 うまそうな、いいにおいだった。

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