完全版 青春短し、恋せよ乙女――ただし人狼の。 09

――これは、死ぬ。アイツの爪と牙にかけられたら、間違いなく死ぬ――

 その時、山田君はそう思ったって、後からあたしは聞いた。

――嫌だ。俺だって蘭の事は割と好きなのに。こんなので死ぬなんて、嫌だ――

 それは、嬉しい。出来るなら、あの時のあたしに聞かせてやりたい。

――嫌だ。俺は、こんな……このまんまなんて、これで終りなんて、絶対に嫌だ!――

 あたしは、その時の事は、その瞬間の事だけは良く覚えている。

 山田君から少し離れた所に居るたまき、あたしを追って階段口から跳び出してきた銀子ぎんこ

 あたしを見る山田君の視線。大きく見開かれていた、その山田君の目に映るあたしと、あたしの背後の、大きな、まん丸なお月様。

「嫌だああっ!」

 あたしの爪が山田君に届く直前。山田君は叫んだ。

 そして。

 あたしは、ものすごい力とスピードで、屋上のフェンスの外にほっぽり出されていた。


 天地のひっくり返った視界の中で、何が起きたのか理解出来ていないあたしは、見た。

 見た事のない、あたしの知らない獣人けものびと――人狼ひとおおかみがフェンスの向こうに居るのを。

 目を丸くして、その人狼を指差して唖然としている銀子を。驚いて、両手で口元を覆っている環を。

 そして、理解した。その人狼が、どうやらあたしを投げ飛ばしたらしい事を。

「……えええええーっ!」

 あたしは、その人狼の居る場所は、確かに直前まで山田君が居たはずだと思って困惑し、山田君がどこに行ったのか、その人狼がどこから沸いたのか理解出来ずに混乱して、ただ驚愕の声をあげながら、再び屋上から校庭に落ちた。

 今度は、着地どころか受け身も取れなかった。


「俺がまだ、小学校に上がる前の話なんだが……」

 山田君は、背中から校庭に落ちた衝撃ですっかり酔いの醒めたあたしと、元々酔ってない銀子とまだまだ全然酔ってない環を前に、話し始めた。

「両親に連れられて、初めて田舎――つまり、俺たちの「人狼の里」に行ったんだ」

 スリムジーンズにトレーナー、スカジャンといった出で立ちの山田君は、膨らんだ筋肉でパンパンになった服を窮屈そうにしながら、フェンスを背中に屋上のコンクリに座って、話す。

「俺のじーちゃんの家に泊まって、夜、トイレに起きたんだけど。ほら、田舎のトイレってさ、夜、すっげー怖いじゃん?しかもその頃のじーちゃんの家のトイレ、ボットンだったんだぜ」

 ああ、それはあたしにもわかる。ウチの田舎も似た様なもんだから。

「で、な。寝小便する方が嫌だから、怖いの我慢してなんとか用を済ませて、手を洗おうとしたわけだ。そしたらな。鏡の中に、バケモノが居たんだよ」

 山田君が言うには。手洗い場の古びた鏡に映っていたのは、寝間着を着た子供の人狼だったそうだ。

「……どうも、俺、トイレが怖くて無意識に獣人化してたらしいんだ、これが」

 ごつん。あたしの隣で、結構すごい音をたてて銀子ぎんこが屋上に突っ伏した。

「……あ?」

 あたしも、あまりのバカバカしさに思わず、正座だった姿勢が崩れた。

「そら、えらいなんぎどしたなぁ」

 たまきが、はんなりと返す。

「いやもう、怖かったのなんの。わかるか?あららぎ?」

「……山田君……もしかして、あなたそれまで自分が人狼だって知らなかった……?」

 山田君に尋ねられたあたしは、核心的な一言を、聞き返した。

「……知らなかったんですねぇ、これが」

 へらっと、頭を掻きながら、山田君が答える。

「あー……」

 あたしの口から、気の抜けた返事が出た。

「……そんでな?まだ続きがあってな。真夜中に田舎のトイレの裸電球で、古びた鏡に狼男だぜ?おれ当時五歳だぜ?驚いて、怖くて、号泣しながら猛ダッシュで親父達の所に戻ったさ!とーちゃーん!お化けが出たー!って。そしたら……」

 山田君が、言葉を切る。あたし達は、固唾を呑んで次の言葉を待つ。すると。

「……親父とお袋、寝ぼけて、獣人の姿で起きて来やがった」

 ごつん。再び、あたしの隣で銀子が突っ伏す音がした。あたしも、正座が崩れてぺたりと横座りになって、手で体を支える。

「お父はんとお母はん、田舎帰りはって、リラックスしてはったんどっしゃろなぁ」

 いや環ちゃん、そこじゃないから。

「もうね、俺がどんだけ怖かったか。わかるかお前ら?」

 泣き笑いみたいな顔で、山田君があたし達に言う。まあ、その気持ち、想像は出来ない事もないけど。

「でな?俺、それ以来ショックで獣人化出来なくなっててな。別に人として暮らす分には問題無いんだけど、気配が人狼なのに獣人化できないと、他の部族に因縁つけられたりして、それはそれで大変なんだよ。なんで、知り合いに「おまじない」してもらって、気配も人と変らないようにしてもらってな」

「……せやから、ウチらがヤーマダ君の事、気付かへんかってんか……」

「……あたしの鼻も誤魔化すくらい?」

「おう、なんか、すごい人にやってもらったらしいんだけど。俺もよく知らないんだけどな。ただ、外から見た気配だけを誤魔化すおまじないだから、俺の目鼻や耳は能力そのまんまなんだ。だから……」

 衝撃の告白。あたし達は、一瞬、言葉に詰まり、そして。

「……ぇええー?じゃ何、山田君、最初から知ってたのォ?」

「そりゃ無いでぇヤーマダ君、なんでそれ言うてくれへんの?」

「そうどすえ、らんちゃん、そらもお、ぎょーさん苦労しぃはって……」

「いやぁ、悪かったけどよ。だってよ、女子三人の所に俺が割り込んでって、タイミング難しいじゃん?それにほら、俺、獣人化出来ない人狼じゃん?それって、マジモンのお前らの前に出るのって、すっげー気が引けてさぁ……」

 ああ、なんかそれは分かる気がする。あたしも、初めて里に連れて行かれたときは、すごい緊張したし。

 そして、あたしは、ちょっと覚悟を決めて、大事なことを聞く事にした。

「……でも、じゃあ、あたしが嫌われてるとか、そういう事じゃないのね?」

「ああ、うん、それはない。俺がダメなのはあくまで犬とか狼の姿であって、人の形のあららぎは、その……」

「なーに言うてんねんな」

 大事なところで口ごもった山田君の言葉を遮って、銀子ぎんこが混ぜっ返す。

「いやぁ……」

 山田君も、苦笑して頭をかく。あたしも、思わず苦笑してしまう。苦笑してしまって、それから。

「……でも、よかった……あのね、山田君、あたしね、山田君に聞きたいことがあったの」

 改めて、あたしは、一番大事なことを確認しようと思って、腹を据えて気合いを入れて、聞いた。

「あ、うん、蘭、俺もお前に聞きたいことがあるんだ。あのな」

 え?ちょっと待って、それって、もしかして?

「え?な、何?」

 あたしの心の中で、期待と不安がぐるぐる回ってる。

「……その、なんだ、蘭」

「……うん!」

 あたしは、不安は気合いで押し殺し、期待に胸を膨らませて、思わず身を乗り出して聞き返した。

「どうやったら人の姿に戻れるか、教えてくんない?」

 てへっ。そんな感じで、あたしに襲われる恐怖と、それきっかけの感情の爆発、あと、まん丸お月様の力を借りてトラウマを克服した山田君は、獣人の姿のまま、悪びれずにあたしに言った。

「……バカ」

 乗りだした勢いのままつんのめったあたしは、その一言を言うのが精いっぱいだった。


「……まあ、一件落着、収まるもんが収まるところに収まった感じやけれどもな」

 翌朝。

 校門前で、あたしと山田君は、銀子ぎんこたまきに鉢合わせた。

「……何?」

 含むところありそうな言い方の銀子に、あたしはちょっとトゲトゲしく聞く。あたしは今朝、国分寺駅の改札出たとこで山田君と待ち合わせて、約十分間、短いけれど至福の登校時間を過ごしていた所だった。

 その裏で、あたしは猛烈な二日酔いの頭痛に襲われてもいたけれど。そしてそんな事、山田君の前で顔に出すわけにいかなくて大変だったけれども。

「夕べあの後、たまちゃんと話たんやけどもな」

 ちょっとだけ言いにくそうにした銀子の言葉を、環が引き継ぐ。

「……結局、お二人さんは、春先でサカってはっただけと、ちゃいますのん?」

 にまっと笑いながら、環はずけずけと言い切った。

「うぇっ?」

「……環ちゃん!」

 あたしは、真っ赤になって、けらけら笑いながら小走りに逃げ出す環を追いかける、痛む頭を庇いながら。

 季節は初夏。

 あたしの体温もテンションも、これからの季節ばりに、急上昇しはじめていた。

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