完全版 青春短し、恋せよ乙女――ただし人狼の。 07

「……マジ?」

 あたしの視線の先を確認した銀子が、呟いた。

「いやぁ、これはえらい事になりそうどすなぁ」

 一緒になってのぞき込んだ環も、そう感想を述べる。心配してくれているはずなのだが、今にして思えば、面白がっているようにも聞こえる。

 けど、その時のあたしは、銀子の呟きも、環の感想も、全く耳に入っていなかった。

「あ!ちょ!蘭ちゃん!」

 銀子が止める間もあらばこそ、あたしは、屋上のフェンスを跳び越えていた。


「……うわぁ!」

 突然、 三階建ての校舎の屋上から飛び降りてきたあたしが目の前に着地したとき、山田君はびっくりして身をかわし、そのまま尻餅をついた。

 高さにして十メートル以上、それなりの勢いで未舗装の土の校庭に着地したあたしは、衝撃で立ちのぼった土煙に包まれる。

「……ねぇ、山田君……」

 酔っ払っていたあたしは、この時、あたしも既に耳と尻尾が出ている事に気付いていなかった。

「一つ、教えて……」

「は……はい、なんでしょう?」

 突然降ってきた、というか落っこちてきて、巻き上げた土煙の中からゆっくり立ち上がりつつ聞くあたしに、山田君は怯えた顔で後じさりしながら、答えた。

 そりゃまあ、怯えると思う、今考えると。

 でも、その時のあたしはそんな事、ミリほども考えず、感情の赴くままに、聞いた。

「あたしの……」

「……はい?」

「……あたしの何処がいけないのォ!」

 あたしの爪が、はしった。


「そーいうとこがあかんのやないかい……」

 屋上から見ていた銀子は、そう呟いて頭を抱えたそうだ。

「ほんまにもぉ、手間のかかる……たまちゃんはここで待っときや!」

 そう言って、銀子は階段に向かって駆け出した。

「はいな、あんじょうお気張りや」

 環は、そういってひらひらと手を振ったんだって。


 山田君は、返事する代わりに、逃げた。

 そりゃ逃げるだろう。状況からして当然だと、あたしも思う。今なら。

 ていうか。どういうわけか、確実に手が、爪が届く所に居たはずなのに、山田君はそのあたしの爪をキレイにかわすと、一瞬であたしの目の前から消えていた。

 でも、その時のあたしはほら、「脳のブレーキがアルコールでぶっ壊れてる」から。

 獲物が逃げたら追う、獣としてのその本能に、火がついちゃった。

 ……ごめんね、山田君。今更だけど。


 あたしは、山田君が、さっき出てきた校舎の中に消える、その最後の一瞬を、ちらりとだけど、見た。多分、その時のあたしは、それを見てものすごい顔で笑っていたと思う。

 鬼ごっこね。いいわ。絶対、逃がさない。だって、大好きだから。そして、絶対、捕まえる。そして、大好きなあなたを、全部、食べちゃう。

 そんな事を、その時のあたしは、アルコールで濁った頭で考えていた、ように覚えている。

 もちろん、本来の意味で「食べる」なんて、いくらあたしが肉食系だって、そんな事をするわけない。

 じゃあ、どういう意味かなんて、そんな事、乙女の口からは言えない。

 とにかく、あたしは、山田君を追って、校舎に向かった。クスクス笑いながら、ゆっくりめに。


 あたしを振り切る手段として、遮蔽物のない校庭ではなく、立体的で複雑な校舎に逃げ込んだのは、正しい。

 まず、昼間、たくさんの生徒がひしめく校舎内は、その残り香が充満していて、あたしの鼻を鈍らせる。直線的に追う事の出来ない校舎の構造は、あたしの脚を、スピードを殺す。

 でも。アルコールでたがが外れているとしても、あたしは人狼ひとおおかみ。極限まで耳を澄まし、鼻をきかせれば……ほら、三階の踊り場から非常階段の方に向かう、微かな足音。

「……みぃつけた」

 嬉しさで口角を耳まで裂きながら、あたしは、正面階段を三階まで一気に駆け上がる。

 駆け上がって、踊り場で壁を蹴ったあたしは、その反動で廊下の端の非常階段に向かって跳び出す。

「ギャ!」

 跳び出したあたしは、そこに居た、完全に隙だらけの銀子を跳ね飛ばした事を、全く意に介していなかった。

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