完全版 青春短し、恋せよ乙女――ただし人狼の。 06

「せやけど、なぁ……」

 銀子は、まだ気が引けているらしい。この娘は、図体の割りに気が小さいというか、見てくれに反してすごく真面目でいい娘なんだ。本当に、いい意味で御両親が見てみたい。

「よろしやおへんか、お銀ちゃん」

 優雅にコップ酒を傾けながら、環が言う。

「ええお月さん出てはりますさかい、たまにはこないなのもよろしおすえ?」

「そーよ!折角いい月出てるんだから!」

 あたしも、環の言葉の尻馬に乗る。お空の上には、まん丸なお月様。あたしは、もう、完全にメートルが上がっていた。

 あたしは、一応その時点で、そこそこアルコールが回ってる自覚はあった。そして、今思うと、だからこそ、もう自制が効かなくなっていた。

「これが呑まずにやってられますかってーのよ!」

 銀子の術でちょろっと見た目を誤魔化して買った安酒をどんぶりであおりながら、あたしは言い切っていた。

「……知らんで、ウチ。たまちゃんと同じペースで呑んだりしたら……」

 銀子が、ぼそりと箴言する。環が文字通り「蟒蛇うわばみ」だという事を、その時のあたしは都合良く忘れていた。


「あーもう!我慢出来ない!」

 アルコールってのは、要するに脳のブレーキを効かなくするんだって聞いた。この時のあたしは、まさにそれだった、のだと思う。

 やおら立ち上がったあたしを見て、銀子は、

「え?ちょ、蘭ちゃん?何を?」

「あたし、やっちゃう!」

 言い切って、あたしは胸いっぱいに空気を吸い込む。

「まさか、いやちょっと待って蘭ちゃん!アカンて!それはアカン!」

 咄嗟に銀子は印を組んだ。にゅっ、っと、銀子の少し癖のある、ふわりとした髪から狐耳が跳び出す。

「行くわよぉ……」

 二度ほど深呼吸して。

 あたしは、吠えた。


 やろうと思えば、あたしは半径五キロ圏内の全ての犬の尻尾を丸め込ませるくらいの事は出来る、遠吠え一発で。つか、昔実際にやって、無駄吠えすんなって婆ちゃんにこっぴどく怒られた。

 だから、それからこっち、しない様にはしてたんだけど。この時は、たがが外れてたらしい。全力で、やっちゃった。

「……アカンて、もぉ……」

 銀子が、あちゃーって顔でこっちを見てる。

「いやぁ、えらい声どしたなぁ」

 ニコニコ顔で、環が言った。あの娘にとっては、こんなの余興でしかない。

「ギリ間におうたからええけど、次からちゃんとウチが空間閉じてからにしてぇな……蘭ちゃん、こら、聞いとるか?」

 銀子が、あたしに釘を挿す。けど、その時のあたしはそれを聞いていなかった。

 あたしはその時、眼下の校庭の一点を見つめていた。

「……蘭ちゃん?どないして……」

 あたしの視線の先を追いながら問いかけた銀子の声も、そこで止まる。

 大きく、長く、ひしりあげる遠吠え。本当に久しぶりの、全力の遠吠えのあと、肺の中の空気を吐き出しきったあたしは、そのまま俯いて、校庭を見下ろしていた。

 そして、そこで、あり得ないものを見た、見てしまった。

 あり得ないもの。それは。

 驚愕の表情で校庭からこっちを見上げてる、山田君だった。


 後で聞いた話だけど。その時、山田君は、あの時音楽準備室に置き忘れたギターを取りに学校に来ていたんだって。

「……ったく……」

 こんな時間であっても、守衛さんにきちんと理由を説明出来れば、校内に入る事は出来る。

「……仔犬ごときにビビってギター忘れるとは……」

 恥だぜ、か何かブツブツ言いながら、山田君は回収したギターを背に、音楽準備室のある校舎棟から校庭を通って守衛所に向かおうとしていたところだったらしい。

「……にしても……」

 もちろん、守衛さんも山田君も、あたし達が同じ校舎の屋上にいる事は知らない。最初からその程度の偽装の幻術は、銀子がかけておいてくれてるし、そもそもあたし達にとって、防犯装置の視界の外から学校に忍び込むなんてのは朝飯前だ。

「……なんで、校舎内に仔犬なんて居たんだ?」

 ふと気付いた疑問に、山田君は校庭に出たところで足を停めた。そのまま歩き去ってくれていれば、もしかしたら、あたしが吠えるより前に、銀子が閉じた空間の外に出ていたかも知れなかったのに。

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