第284話 洗ってあげる
湖の主……中心に存在する異常な深さの深くに住む水生生物の怪物を殺し、異空間にしまい込んだリュウデリアが、更に深い湖の底を人差し指で指し示した。
光が届くかすら怪しい、異様な深さ。そこへ向かって更に潜っていくというのか。チラリと見ると暗い。何も映らない。しかしスリーシャ、オリヴィア、ミリはリュウデリアに任せることにした。彼が居るならば大丈夫だと、全幅の信頼を寄せていたからだ。
各々が頷くのを見るやいなや、彼は泳ぎ出した。水深が深くなればなるほど水圧が強くなっていく。深海魚を陸地に持ってくると水圧の変化で内蔵が出てくるように、陸地の生物は深い水圧に耐えられない。しかし龍の強靭な肉体は水圧をものともしない。ましてやその龍の中でトップクラスの強靭な肉体を持つリュウデリアともなれば、どれだけ深かろうが潰すには到底至らない。
だが流石に光が届かなくなれば見えない。暗い空間をただ泳いでいる。それはオリヴィア達にも言えること。光がほとんど届いていないことで、辛うじて見えるのは同じ球体に守られているスリーシャとミリ。そして球体を掴んでいるリュウデリアの手の平だけ。もはや、彼の顔すら見えなくなってしまった。
何の変哲もない湖だと思ったのに、信じられないほど深い。どれだけ続いているのか不明だ。こんなに潜って大丈夫なのかと不安を煽る水の怖さがある。しかし、そうして潜り続けてようやくリュウデリアの動きが止まった。そして魔法で光を広範囲に発した。潜っている円形の穴の端から端の壁が映るほど、広く。
「あれは……──────
「そのようです。けど、相当な数の
「りゅうでりあは、なんでここまできたの?」
「……………………。」
壁には
リュウデリアはミリに言われ、水の中で口を少し開けて笑った。酸素がなくなってしまうので声に出さず笑った彼は、またゆっくりと泳ぎ出した。中心を下に向かって泳いでいたので、今度は壁に向かって泳いでいく。そして壁につくと、
触れた箇所から魔力を流し込む、すると
光は少しずつ強くなり、
リュウデリアは
『これは
「……そうだったのか。私達に見せるためにわざわざ来てくれたのか?」
『当然だ。旅に彩りは必要だろう?まあ、俺だけなら来なかったがな。皆で見たいと思ったから来た。それで、どうだ?少しは気に入ったか?』
「あぁ。それはもう、とても綺麗だ。ありがとう」
「私もとても気に入りました。ありがとう、リュウデリア」
「ありがと!」
『どういたしまして。ちなみに、流し込む魔力に特殊な波長を混ぜ込んで流し込むとだな……』
文字を書くのをやめて、また
「──────ふぅ……ッ!あ゛ー、泳いだ泳いだ。鈍ったかと思ったが、そんなことはなかったな」
「ありがとうリュウデリア。良いものを見せてくれて。綺麗だったぞ」
「最初はなんで潜っていくのかと思いましたが、あんなものがあるとは思いませんでした」
「あ、りゅうでりあ!あのこわいかいぶつ倒してくれてありがとう!」
「気にするな。俺もまさか襲いかかってくるとは思わなかったんだ。気配で居るのは把握していたからな。潜っていく以上接触はするが、腹が減っていたんだろう。まあ、所詮は弱肉強食の世界だ。あれは俺が食う」
「おなかこわさない?」
「なーに心配するな。龍の胃酸は殆どなんでも消化する。毒もそんな効かん」
水面を大きく盛り上げるように勢いよく顔を出したリュウデリアが、水気を飛ばすのに顔を左右に振るい、陸地に向かって歩いていく。手に持ったオリヴィア達が居る球体を持ち上げると、球体を解除した。オリヴィア達は裸なので風を肌で感じるのが久しぶりに感じながら、美しい光景を見せてくれたリュウデリアに感謝の言葉を送った。
ミリは飛んでリュウデリアの鼻先に降り立ち、抱きつきながらお礼を言っていた。彼としても気配で居ることはわかっていた。それなりに大きいことも知っていた。しかしまさか、自分に対して憶せず襲いかかってくるとは思わなかったのだ。相当腹を空かせていたのだろうと、噛みつかれたときに思ったが、襲いかかってきたことは事実。ならば殺すまで。
陸地に辿り着くとリュウデリアは手の平を地面に向け、オリヴィアとスリーシャが降りた。彼はそのまま陸に頭を出す形でうつ伏せで寝転び、水に体を浸けたままにしていた。目を細め、気持ちよさそうだった。ふぅ……と、気持ちよさからくるため息を付くと、それだけで近くの木々が揺れる。オリヴィア達に合わせるために人間大で居てくれているが、本来はこの大きさなのだと再認識しながらリュウデリアを見上げるオリヴィア。対して、大口を開けて圧巻のあくびをするリュウデリア。
「ン゙ぁああ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙………………ァふ」
「なぁリュウデリア」
「ん?」
「大きさはそのままで、私に洗わせてくれないか」
「俺を洗う……?どうやって洗うんだ」
「上に乗らせてもらうが、こう……洗剤とブラシでごしごしっとやって泡でもこもこに……」
「ごしごしでもこもこか」
「ごしごしでもこもこだ」
「……別に構わんが、翼や尻尾の分面積があるから面倒だと思うぞ。魔法で水を操り、一気にやった方が早いが」
「これはな、日頃からの感謝の気持ちだ。それに、人間大の大きさで洗ったことはあっても、元の大きさではなかっただろう?」
「ふぅむ……」
意外と乗り気ではなく、喉から唸るような声を出して悩んでいる様子のリュウデリア。即オッケーを出しそうなものの、目を閉じて考えていた。それにはオリヴィアも少し目尻を下げて不安そうだ。やらせてくれないのだろうかと思ってしまう。
感謝の気持ちをリュウデリアに伝える方法は限られる。何せなんでもできてしまうから、やってあげられることがないのだ。まあ彼からしてみればオリヴィアにやってもらえればなんでも嬉しいのだが、それにしては悩んでいる。一体何故だろうか。
スリーシャはなんとなくわかっている。元の大きさは30メートル程。見上げる大きさだ。今は寝そべって水に浸かっているが、それでも大きいと思う。これを隅々まで洗うなど大変だ。そんな大変なことをさせていいものかと悩んでいるのだ。仕方ない子ですねと苦笑いしながら、スリーシャはオリヴィアの助け舟を出すことにした。
「リュウデリア?先程私達にあの光景を見せてくれたでしょう?わざわざあんなに潜って」
「あぁ。それがどうした?」
「オリヴィア様はその感謝も含めて洗わせてほしいと言っているのですよ。その好意を無下にするつもりですか?」
「ぐっ……」
寝そべっているのでたじろぐことができないが、スリーシャからの言葉は効いたようでどもった。閉じていた目を開けてオリヴィアを見下ろすと、胸の前で手を組んで見上げている。うるりとした朱い瞳にまっすぐ見詰められ、鼻から大きく息を吐きだした。
「──────わかった。ならば頼んでもいいか?」
「……っ!任せてくれ!」
「クスクス。私も手伝いますよ、オリヴィア様。ミリはどうするの?一緒にやる?」
「やるー!りゅうでりあきたないから、きれいにしてあげる!」
「おい喧嘩売ってるのか」
「ふっふふふ。じゃあ汚れたリュウデリアを皆でキレイキレイにしましょうね」
「だから……ッ……はぁ、もういい」
「はいはい。拗ねない拗ねない。じゃあ大人しくしていてくださいね」
「……無理はするな。疲れたら休憩するんだぞ」
「わかった。では『アワアワ殲滅龍作戦』開始だ」
「おー!」
「ふふ。おーっ」
液体洗剤とブラシを異空間から取り出したリュウデリアは、じっとしているようにと何度も釘を刺されたので、大人しくしていることにした。風呂がなくても魔法で綺麗にしているので汚くはないのだが、何度も汚れていると言われて不貞腐れているのでもう勝手にしてくれ状態だ。
今のリュウデリアは料理人のオリヴィアとスリーシャ、見習いのミリによって洗われるのを待つまな板の上の龍も同然。やる気を見せている神と精霊を薄目を開けて眺めたリュウデリアは、楽しそうなその表情に仕方ないなと言わんばかりに溜め息を吐いて全身の力を完全に抜いた。
「痒いところはないかー?」
「ない。とういうより、俺の鱗だぞ?どれだけ強く擦ってもブラシ程度では傷もつかんし、そもそも痒みなど無縁だ」
「ほらリュウデリア、手を開いてください。手の平を上に向けて……そうです。よくできました」
「おい。変に子供扱いするな」
「実際にあなたは龍の中でもまだ子供でしょう?それに私からしてみれば、まだ生まれたばかりのようなものですよ」
「軽く数百年以上生きているだけはあるな。だからといって無駄な子供扱いをする理由にはなら──────」
「はーい次は手の甲ですよ」
「……もういい」
「仲良し親子だな。な、ミリ?」
「うん!おかあさんやさしいけど、りゅうでりあにはあまいから、なんだかんだいろんなことゆるしちゃうんだよ!でもなにもできないりゅうでりあとおはなししてるいまのおかあさん、とってもたのしそう!」
「言いたい放題か」
大人しくしているよう言われている以上、なにもできないのは事実。上に乗られてブラシでゴシゴシと洗われているだけなのをいいことにミリも言いたい放題なので、リュウデリアが薄目を開けてジト目を浮かべた。
そうしている間にも、これでもかとボディ用の洗剤を塗りたくられ、ブラシで擦られることによって泡がモコモコとなっていく。表面を覆い尽くして、そろそろ純黒の龍というよりも泡の龍になっているのを見て、ミリは鼻に泡をつけながらゲラゲラと笑い、スリーシャは吹き出さないようにプルプルと震えた。オリヴィアはまだ背中の翼の付け根を洗うのに夢中だった。
だがその時、オリヴィアが滑りやすい泡に足を取られてしまった。つるりと滑る足裏。純黒の鱗を見ていたはずの視界には、空がいつの間にか映っていた。
「きゃっ!?」
「オリヴィア様っ!?」
「あぶなっ……たのしそー!」
「大丈夫か?オリヴィア」
「あ、あぁ……助かった……」
リュウデリアの背中を尻尾に向かってツルツルと滑っていく。ウォータースライダーの要領で滑っていってしまい、このまま湖にダイブするかと思いきや、湖に浸かっていた尻尾が水面より出てきて尻尾の先が上に伸びた。その上を滑り、オリヴィアは空を飛ぶ。
このまま地面に落ちるかと思うが、リュウデリアがそれを許すはずがなく、オリヴィアを空中に投げた尻尾が後を追いついて優しく腹に巻き付いた。そしてゆっくりとリュウデリアの頭の方に伸びていき、傍の地面に降ろされたのだ。
「ローブがないからな。正真正銘生身だ。少しのことで怪我をするぞ」
「そうだな、すまない。そしてありがとう」
「うむ」
「ねーねーりゅうでりあ!ミリにもやって!」
「滑りたいということか?」
「うん!ミリはあたまからやりたい!それでひゅーんってするの!」
「仕方がないな。ほら、登ってこい」
「わーい!」
角度をつけるため、地面に肘をつき、手の平であごを支え頭の位置を高くしたリュウデリアがミリを頭の上に乗せる。そこから尻尾に向かって滑り落ちていく。泡がそのままなので滑りが良く、ミリは本当にウォータースライダーをやっているようで楽しそうにキャッキャッと笑い、最後は尻尾で上に打ち上げられ、尻尾にキャッチしてもらってゆっくりと地面に降ろされる。
それが楽しくて仕方ないのか、もう一回もう一回と言って、キラキラした目を向けながらお願いをする。労力らしい労力がないので、わかったわかったと言って承諾するリュウデリア。ミリは楽しくて仕方ないのか何度も頼んでいた。
「わーーーーー!たのしいーーーーー!あははははははははっ」
「俺は洗い流されていないというのに……本来の目的を忘れているなコイツ……」
「リュウデリア、ごめんなさいね」
「別に構わん。疲れることでもないからな」
「え?……あっ、その……そういうことではなくてですね……えっとぉ……」
「はぁ……スリーシャ、お前もか。わかったわかった。ほら乗れ。頭の上に乗せてやる」
「ぁ、ありがとうリュウデリア」
もう10回は滑っているのに、飽きもせず何度も滑るミリに呆れていると、苦笑いしつつ胸の前で人差し指をちょんちょんとやりながら明後日の方向を見て謝ってくるスリーシャ。てっきり遊びに付き合わせてごめんなさいという意味かと思えば、ミリがあまりにも楽しそうにするのでやってみたくなったようだった。
ジトっとした目で見ると、顔を赤くしながら俯いてチラリと見てくる。まあ今更数が増えたところで問題なし。リュウデリアは頭を支える手を外してスリーシャに向けると乗せてやり、頭の上で降ろしてやった。するとそれを見ていたオリヴィアがジッとリュウデリアを真っ直ぐ見つめる。
「……オリヴィアもか?」
「あー……恥ずかしい話だが……」
「気にするな。スリーシャですらアレなんだ」
「お、思ったよりも高いですね。大丈夫でしょうか……?」
「よぉっし!つぎはおかあさんといっしょだいえーい!」
「ミリっ!?あっ、あっ、あっ、きゃーーーーーーっ!?は、はやっ……ふふっ、あははははははははっ」
「ひゃーーーーーーーーっ!たのしーーーーっ!」
「……な?」
「……うん」
真っ直ぐ見つめていたが、やはり自分もやりたいと言うのが恥ずかしいのが少しずつ顔が赤くなっていくオリヴィア。結局彼女もリュウデリアの手の平に導かれるまま頭の上に乗せてもらったのだった。
──────────────────
純度が極めて高く、なおかつ他の
軽くやっているが、クリスタルに魔力と反応させるための波長を変える行為はかなり難しい。ましてやバラバラに光らせるなど更に難しい。
リュウデリア
オリヴィア達に体を洗ってもらっている。元の大きさで洗ってもらったことはないので新鮮。窮屈な思いをせずゆっくりとしていられるので気持ちがいい。
ミリが自分の体を滑り台にして遊んでいるのは、なんとなくやりそうだと予想していたが、それに釣られてスリーシャとオリヴィアまでやりたいと言い出すとは思わなかった。
汚いと言われたとき、少し傷ついた。え、そんなに汚いか?と気になってしまっている。
オリヴィア
ミリがあまりにも楽しそうに滑っているのでちょっとやりたくなっちゃった。というか、事故とはいえ滑ったときのが楽しかったので今度はもっとちゃんとやりたいと思った。けど、それを言い出すのが恥ずかしかった。
スリーシャ
リュウデリアの体を洗っていたが、滑って遊んでいるミリを見ていたらやりたくなった。滑った感想は……めちゃくちゃ楽しい。受け止めるのはリュウデリアなので落とされる心配がなく、心から楽しめる。
いくらリュウデリアの育ての親だとしても好奇心には勝てなかった……。
ミリ
無邪気。無垢。故に無遠慮。やりたいと思ったから頼んだらオッケーが出たので存分に遊ばせてもらっている。これでもリュウデリアの立派なお姉ちゃんだと思っている。
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