第215話  曖昧だった記憶に






『英雄』ソフィー。青い猫の獣人である彼女は、不定期に記憶が曖昧になるという症状を抱えていた。いつそうなるかも解ららないし、そうなった場合、自身が何をしていたのかも把握できない。立場の高さから気軽に医者にも相談できず、自分1人で抱え込んでいた。


 しかしそんな、自分でも手に余るような症状の原因を、リュウデリアは看破していると言う。どうやって知ったのか、それは気になるところではあるが、それよりも自分でも解ららない自分のことを知りたい。そう願った。例え、今の自分ソフィーという存在が、立場が壊れたとしても、知りたかった。


 帰ってきたリュウデリアは、人間大の大きさで佇みながら、胸の前で腕を組みつつ顎の下を擦った。オリヴィアから話された情報を、自身の推測の仲に織り交ぜているのだろう。ゆらゆらと揺れる長い尻尾が、鋭い先端で地面を削っている。やがて考えが纏まったのか、地面を削っていた尻尾は止まった。




「まず始めに、俺はお前が普通ではないことを知っていた」


「そうなの?」


「何故、最初からそんなに根本的なところに疑問を抱けたんだ?」


「俺だけなのかは知らないが、何となく解る。視た奴が嘘を吐いているのか。どういう存在なのか。今回の場合、普通ではないと感じたのは……ソフィーの魂にある」


「ボクの……魂?」


「そうだ。魂。生きとし生けるものの体に宿る精気。精神そのものであり、存在の根底だ。魂とは何があろうと肉体につき1つ。神の復活を繰り返す精神を魂と呼んでいいのかまでは何とも言えんが、俺とて魂は1つ。だがお前は違う。俺の眼にはお前の魂が9つように映っている」


「9つ……?9回分の人生が送れる魂を、1つの肉体に持っているのか?」


「うむ。ある伝説を伝承している本を読んでな。曰く、猫というのは9つの魂を宿し、9生を得ているという。これを説いたのは何処ぞの人間の国王らしい。その言葉によれば、三位一体の神が3組集まり初めて出来る数字だからだそうだ。一部の地域、国では猫を神聖視しているところもあるという。それを読んだ時、俺は人間が心底間抜けに映った。何せ俺には視えているからな、野生の猫や飼われている猫には1つの魂しかないということを」




 所詮は人間が見聞きしたり、その時の勢いや妄想を書き記した本。真実を基にして、後世に伝えていくものもあれば、ほら吹きが書いたような本もある。リュウデリアは猫に関する事が書かれた本は後者だと思っていた。何故なら、彼の眼は魂の輪郭を捉えることができ、猫には自分達と同じように1つの魂しか宿っていないことを視ているからだ。


 だから、リュウデリアは真実に成り得ない絵空事と思いながら読んだ。折角なので全部読んだのだが、興味は惹かれなかったのだ。当然だ。把握している真実に掠りもしていないのだから。だが、彼はソフィーを一目見た瞬間に内心驚いていた。何せその本に載っていたように、彼女の肉体には9つの魂が宿っていたからだ。




「間抜けだと思った人間に感心すらした。魂を観測する術を持っていたとは思わなかったのでな。嘘偽りで出来た、妄想の類かと思われた伝承が、お前視て真実なのだと驚いたものだ」


「……リュウデリア。お前はソフィーの魂が『9つように映っている』と言ったが、とはどういう意味なんだ?」


「あ、そういえば……」


「魂が9つことが解っただけで、9つあるという訳ではなかった。謂わば使われて魂を消費した空の器を視て判断しただけに過ぎない。言ってしまえば……──────お前は今8つ目の魂を使っている」


「8つ……目?」


「そうだ。8つ目だ。つまり既に7つの生は消費しているということになる。消費した魂は戻せんぞ。それは最早死者の蘇生の領域だ。俺にもそれは出来ない」




 語られるのは、ソフィーが今消費している魂のことだ。全部で9つあるという、人の人生9つ分が宿っている訳なのだが、今使っているのは8つ目だと言う。それ故に、既に7つの魂は使い切ってしまっているというのだ。


 空の器があるだけで、魂としての機能はない。リュウデリアの眼にはそう映っている。本当ならば、もうとっくに死んでいる状況なだけに、ソフィーは信じられないように自身の掌を見下ろしている。そんなこと、自分で把握出来るわけがない。彼だからこそ、見切れたのだろう。


 今が8つ目の魂。今生きている分を合わせても2つしかない。1つの魂が消えたとき、どうなるのだろう。解らない。いつの間にか消えているのだろうか。記憶が曖昧で、自身のことが理解出来ない。複雑な心情になっているソフィー。しかしそんな彼女に、リュウデリアは追い打ちが如く新たな情報を差し出した。




「8つ目と言ったが、それももう風前の灯火だ。近い内に、お前はその魂を使い切る」


「え……?」


「記憶が曖昧だと言ったな。詳しいことは視て解ることではなく、確かめる方法も無いため根拠は無いが、1つの魂を消費しきる直前であること。そして長い時の中を生きている中で、脳が記憶しきれていないことだろう。俺達龍も数千年は生きると言われているが、死期間近にもなれば、昔のことなどまず憶えてはいまい。それと同じだ」


「そう……なんだ」


「ましてや、お前は尚のこと憶えていないだろうな」


「え、なんで?」


「気づいていなかったのか?俺は最初から魂は9つあると言っていただろう」


「……待ってよ。それじゃあまるで……ぼ、ボクが……」




「お前は猫の獣人なんかではない──────正真正銘、ただの猫だ」




「は?ソフィーが、猫?獣人ではなく?」




 彼の言葉に固まってしまったソフィー。オリヴィアも信じられないような目を彼女へ向けた。確かに、猫には魂が9つあるという話はしていた。野良の猫も飼われた猫も、どれも1つの魂しかなくてガッカリしたという話もしていた。最初から、彼は『猫』の話しかしていなかった。


 だがそれは、猫の獣人にも当てはまるものだとばかり思って話を聞いていた。だから何の疑問も持たず、ソフィーの話なのだろうと思っていたのだ。もう一度、オリヴィアは彼女の姿を目に収める。姿は完全に人間のよそれ。頭頂部の猫の耳。腰から生えた猫の尻尾があるだけの、獣人だ。これがあの猫だというのか。


 嘘であると言われた方が納得することを、リュウデリアは至極当然のように言い放った。彼は無駄な嘘はつかない。遊んだりおちょくる時には嘘を使ったりするが、こういう話をするときには絶対に嘘は混ぜない。ということを知っているので、オリヴィアはソフィーが本当に猫なのだと信じた。だが、本人はそうもいかない。




「は、あはは……冗談にしては面白くないなぁ……?ボクがただの猫って……っ。そんな訳ないだろう?だって見てよ!ほら!ボクのことを見て!どこからどう見ても獣人だよ!?人間なんだよ!?似ても似つかないじゃないか!猫と言える要素は耳と尻尾だけだよ!」


「突然変異は知っているな。お前は猫の突然変異だ。体内に猫では内包しきれない、ほぼ不可能に思える莫大な魔力を宿し、本来の猫には無い人間と同等レベルの高い知性に智力、より優れた身体能力を獲得している。その姿は仮初めだ。最初から獣人だった訳ではない」


「違う!違う違う違う!ボクは獣人だ!人間なんだ!人間の『英雄』なんだよ!猫だったことなんて──────」


「──────記憶が曖昧で憶えていない。だろう?」


「……ッ!!ち、違う!憶えてるよ!ボクは最初から今日まで、ずっとずっと人間だった!」


「憶えていない。だから自覚が出来ない。故に否定するしかない。莫大な魔力にモノを言わせて人間の形を取り続ける。並大抵の精神力と魔力では不可能だ。そこは素直に評価しよう。お前の力は素晴らしい。だが憶えていないならば、思い出せば良いだけの話だ」


「……どういう意味?思い出せばって……っ!やだ、やめて!こっちに来ないで!!」


「己がどういう存在なのか、知りたいと言ったのはお前だ」


「こんな事知りたくなかった!ボクは人間だ!人間の『英雄』で、ソフィーで……冒険者なんだッ!!」


「その言葉は思い出してからもう一度言ってみろ。言えるものならばな」


「やだ……やだやだやだやだっ!来ないでっ!!」




「──────『『自由』『強い冒険者』『守る』『英雄』……お前の口から出て来るこれらの言葉は確かか』……俺は少し前にお前へそう問い掛けたが、その問いの真意を知るが良い」




 ゆらり。彼の尻尾が揺れる。1歩踏み出して、ソフィーに近づく。その手に触れれば、恐れていることを実現させられる。本能で解るこれからの事に、ソフィーが心の底から拒否反応を示した。絶対に嫌だ。知りたくない。自分は人間だ。猫の獣人ソフィーであり、冒険者であり、英雄だ。だから猫なんかじゃない。


 だが1度、彼から指摘されて自分自身に疑問を抱くと、少しずつ違和感を覚えていった。何となく、この体が違うもののように感じてしまう。それが堪らなく怖くなり、体を両腕で抱き締めて後退る。彼が近づく。自身が後退る。向かってくる恐怖理抗うため、ソフィーは嫌だと咆哮し、膨大な魔力を漲らせた。


 前方に数メートルはある、膨大な魔力を凝縮した魔力の球が生成される。手加減なんて一切していない、全力の魔力攻撃。殺すつもりでリュウデリアに向けて放った。地面を削り取りながら彼の元へ飛来し、正面から衝突した。地震かと疑う大爆発が発生する。朦々と立ち上る砂煙と、爆発の余波で作られたクレーター。風が流れてそれらが飛ぶと、彼は居た。無傷で佇んでいた。


 黄金の瞳がソフィーを捉える。敵意は無い。殺意も無い。何を考えているのか解らない、彼女の全てを覗き込むような妖しい光を放つ瞳に見られ、ひっ……と喉をヒクつかせて恐怖を抱く声を漏らした。そして彼は消える。忽然と、その場から。現れたのはソフィーの背後だった。長い尻尾が腹にぐるりと回されて持ち上げられる。


 体の向きを反転されて、目と鼻の先に居る彼と目が合う。黄金の瞳が見つめてくる。嫌だ嫌だと叫び暴れるが、腕諸共尻尾が巻きついているので離れることすらできない。駄々っ子のように暴れるソフィーを無視して、リュウデリアは右手で彼女の顔を覆うように掴み、魔法陣を展開した。そして、彼女の意識は暗闇の中へと落とされる。























 純黒が広がる世界。どこまでも黒より黒い純黒しか目に出来ない空間。その空間は少しずつ色を失い、様々な色彩へと変貌する。屋敷があり、庭には切り揃えられた芝があり、池もある。屋敷の外壁は真っ白だ。掃除が行き届いていてとても綺麗だ。採光を取り入れるための窓も沢山設けられている。その中の1つが嵌められた一室に、ソフィーが居た。


 いや、ソフィーではない。ぼんやりとした目をして目を覚ましたのはソフィーだった者であり、この空間の中ではただの水色の毛並みをした猫だ。何処にでも居る、普通の猫だった。ぱちり、ぱちりと瞬きをする。首を持ち上げて、伏せて寝転ぶ窓枠から部屋の中を見渡す。


 部屋には何でも揃っていた。洗面所。トイレ。髪を結うための大きな姿鏡。大きなベッド。ぬいぐるみや積み木などの遊び道具。椅子にテーブル。何でも。その中で、1人掛けの子供用ソファに、小さな女の子の子供が腰掛けていた。手元にはスケッチブック。片手にはクレヨン。一生懸命に何か描いていた。




「あ、!見て見てー。これね、お昼寝してるフィーちゃんだよ!」


「……にゃー」




 描き終えたのか、スケッチブックを持って自身のところまでやって来て、見て欲しそうに差し出してくる女の子。白いワンピースに、白くて長い髪。肌も真っ白だ。まるで雪の妖精で、その子供みたいだと思った。


 見せられた絵は、まだ子供なので上手とは言い切れない。言われて初めて猫だと解るだろう。もしかしたら犬にも見えていたかも知れない。でも、フィーは心が籠もった絵にホッコリとしたものを感じて、上手だねと言って褒めた。口から出てくる言葉が、猫の鳴き声であることに何の疑問も抱かなかった。


 動物と言葉を交わすなんて芸当が出来るわけでもないのに、フィーの言葉に嬉しそうにはにかみ、ありがとう!と言ってソファに戻り、また何か描き始める。絵を描くのが好きなんだなーと思った。天気が良いのだから、外で遊べば良いのにとも。陽射しを浴びてうとうととしながら少し、女の子はまたフィーに絵を見せに来た。




「フィーちゃん!これがね、冒険者になったボクでね?こっちが英雄になったボクだよ!」


「にゃー?」


「どっちもかっこよくて、大好きだから、ボクは冒険者にも、英雄にもなりたい!それでね、すっごい強くなって、みんなを守るの!それでね、いっぱいいろんなものを見てね、いっぱいいっぱい、自由に世界中を冒険するの!」


「にゃー」


「あ、もちろんフィーちゃんも一緒だよ!ボクとフィーちゃんは、ずーっと一緒!えへへ」


「にゃん!」




 嬉しそうに笑い、将来の夢を絵に描いて語る女の子は楽しそうであり、キラキラとしていた。強くなって『英雄』になり、冒険者にもなって皆を守れるようになりたい。そして、自由に好きなところへ言って色々なものを見るのだという。とても素敵で、とても良い夢だ。応援してる。頑張って。そう言って鳴けば、女の子はまたありがとう!と返した。


 けど、その夢は本当の夢でしかないんだよ。なんて言葉が頭を過る。なんて酷い事を考えてしまったのだろう。頑張って、応援してる。と言ったばかりなのに、こんなキラキラした女の子の夢を否定するような言葉を想像した。そんな自身に吐き気がして首を振って思考をクリアにしていると、どさりと音がした。


 反射的に音がした方を見る。そこには持って見せてくれていたスケッチブックを床に落とし、膝を付いて蹲る女の子が居た。どうしたの?大丈夫?と、心配になりながら窓枠から降りて近づく。鼻で、嫌な臭いを感じ取った。嗅ぎ慣れたものだ。何で嗅ぎ慣れているのか解らないが、何度も嗅いだ臭いだ。




「けほっ……けほっけほっ……ごぶっ……げほっ……」


「にゃ……っ!?にゃーっ!」




 女の子は蹲りながら両手で口を押さえている。手と手の隙間、指の間から大量の血が床に零れ落ちる。ツンとした臭いと鉄臭さ。すぐに異常だと察して駆け出し、大きなドアを必死に爪を立てて引っ掻いた。女の子の顔色が、元から白い肌をしていたのに更に白くなっている。







 何だろうこれは。何を見ているのだろう。何をしているのだろう。尽きない疑問。湧いてくる焦り。彼女はこの光景を知っている。そう、知っているのだ。これは過去の出来事であり、自身の、忘れてはならない大切で残酷な、キラキラとした曖昧だった記憶。









 ──────────────────



 ソフィー


 猫の獣人ではなく、猫。その突然変異。普通の猫では内包しきれない莫大な魔力と、優れた身体能力。人間並みの高い知性と智力を生まれ持ち、魂を9つ所持していた。


 魂は現時点で8つ目。それも風前の灯火となっている。記憶が曖昧なのは、長い時を生きているから。人間の脳ならばそんな事にはならないが、彼女はあくまで猫。記憶し切れていない。





 オリヴィア


 ソフィーが猫と言われて心底驚いた。どう見ても獣人だったから。しかしリュウデリアが言うのだから間違いないだろうと思っている。





 リュウデリア


 確認のしようが無いものは、推測で話しているが真実と言えるもの。ソフィーが猫の獣人ではなく、猫であるということは視た時に気づいた。最初は何故魂が9つあるのか解らなかったが、猫と結び付いた。


 視れば嘘を見抜き、魂の輪郭を捉える特殊な眼をしている。嘘をつけば何となく解るので通用しない。魂の輪郭を捉えることが出来るので、その者の本質を看破できる。しかし自分でも詳しい眼の力を把握していないので、こんな感じだろうという認識で使っている。





 女の子


 屋敷に住む、長くて白い髪。真っ白な肌が特徴の女の子。屋敷に住んでいて、部屋からあまり出ることがない。将来の夢は、冒険者になって『英雄』にもなり、皆を守れるくらい強くなること。そして、世界中を自由に、大好きな飼い猫のフィーと旅すること。




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