第188話  上陸




 船の航海は結局のところ、4週間近く続いた。風の向きや潮の流れといった、船に必要なものに恵まれなかった日のことも考えれば、まあまあ普通だろうと思える日数だ。その4週間の間に、オリヴィアが雇われ護衛として出張ったのは4回。


 嵐に見舞われ、防御結界を張っていても終わることない大津波に、これ以上展開すると魔水晶の魔力が尽きてしまうからという理由で船長に頼まれ、魔法で嵐の雲を吹き飛ばした。その後にはライホーンほどではないが、大きな魔物に襲われて撃退のため力を借り、2日連続で風が無いことに仕方なく、魔法で追い風を出してもらった。


 最後は食料が底を尽きそうだということから、オリヴィアに加えてリュウデリア、バルガス、クレアで魚を乱獲した。網を使わず、魔力操作で数百匹の魚を持ち上げて獲るところは圧巻で、呆然とした船客に拍手を贈られた。船にはプロの料理人が乗っているので、魚に飽きるということはなく、船の旅は恙無く進行していった。


 そうして、約4週間の海の上の旅を終え、オリヴィア達は辿り着いた。西の大陸──────アンギス大陸へと。




「漸く着いたな、新たな大陸に」


「まあ、気長で良かったンじゃねーの?」


「船を……満喫……した」


「約1ヶ月なんぞあっという間だったな」


「ふふ。そうだな」




 港に付けられた船から、船客が橋を使って降りていくのを眺める。護衛として途中から雇われ、出張ることもあったが、殆ど苦もない海の上の旅になった。見た目は南の大陸と何ら変わらないが、リュウデリア達には大地から感じる龍脈の魔力が違うらしい。オリヴィアには魔力が無いのでそこら辺は察してやることができないが、大陸によって感じが違うようだ。


 橋から降りた船客が、下で何やら受付のようなものをしている。自分達もさっさと終わらせてしまおうと橋の手摺に手を掛けた時、後ろから待ってくれという声を告げられた。気配で誰なのか大凡察することができたオリヴィアは、振り向きながら何だと返した。大きな袋を持った船長に。




「4度に渡り力を貸してくれた事に感謝する。これは護衛として動いてくれたことに対する礼であり報酬だ。受け取ってくれ」


「そういえば、そんな話があったな」


「忘れてもらってはこちらが困る。この袋の中には約金貨200枚入っている。1度手を貸してもらう度に50万Gといったところだな」


「またこんなに金が……何に使えというのだまったく……」




 受け取った袋の口を開けば、中に入っているのは煌びやかな金貨だ。1枚1万Gの価値なので、200枚入っているということは単純に200万G。そこまで大したことはしていないと思うものの、とんだ稼ぎだ。実際は、他の船客に危険が一切及ばず、傷一つ無く護衛の任を果たしてくれたのが高い金額になった理由だ。


 神。龍。人とは決して言えない人外故に、金は殆ど使わない。使ったとしても、腹ぺこ龍の飯代くらいだろうか。それでも今持っている金は100万を軽く超えているので、追加で200万である。殆ど使う機会が無いのに増えすぎているというのが現状だ。しかし、使わないからといって正当な対価として出された報酬は受け取る。


 リュウデリアが異空間から取り出した財布用の小さな袋を取り出して、口の紐を解いて200万の金貨をじゃらじゃらと流し込む。広大な異空間になっているので、どう見ても入らないだろう体積のものが不思議と流れ込んでいく。船長は不思議そうに瞬きをして眺めていた。そして空になった袋をオリヴィアから受け取って、便利な魔道具もあるものだと呟いた。




「我々は貴女が同乗してくれていたことに、感謝の念を抱いている。本当にありがとう」


「あぁ。私も良い船旅ができたと思っている。また南の大陸へ行く時があれば、また利用する」


「その時には、貴女の手を借りずに素晴らしい船旅にすることを約束しよう」




 帽子に手を掛けながら頭を下げた船長は、背を向けて離れていった。オリヴィアも、踵を返して今度こそ階段がついていて降りていくタイプの橋に乗って渡る。船長との会話をしている間に、下で受付をしている船客は大分捌かれたようだ。列に並んで待てばすぐに自分の番が回ってくるだろう。


 同室になっていたナイリィヌは、上から見ていると既に受付を済ませているのが分かった。そして、橋を渡って降りているオリヴィアの事を見上げて見つけたナイリィヌは、軽く手を振っているので返した。背後に控えている付き人達は相変わらず何の反応もしておらず、喋っている様子を見せないが。


 手を振り返されているナイリィヌは見た目穏やかだが、実はオリヴィアの事を心配していた。西の大陸アンギスに訪れても、ただでは入れてもらえないのだ。その理由は、何時ぞやにナイリィヌが話した、昔に起きた戦争による、人間と獣人の不仲だった。


 南の大陸は獣人を受け入れるという習慣があまりない。ツァカルが全く相手にされなかったのが良い例だ。しかし南の大陸とは違って西の大陸は純粋な人間を受け入れる。というより、共に生活をしている国が多いのだ。西の大陸に訪れるのが、例え南の大陸の者だとしても受け入れてくれる。ただし、少しの条件は設けられているのだ。


 ナイリィヌはそれをオリヴィアがパスできるかに不安を抱いていた。ダメな人は、ここで断られて南の大陸に戻される羽目になる。それだけ大事なことだ。それで、その条件というのは……。




「次の方どうぞ」


「私だな」


「私達の方で少し質問を投げるので、それにお答えください。早速ですが、西の大陸へは何をしに?」


「旅だ」


「同伴しているのは?」


「使い魔だ。魔物使いの魔導士だからな」


「では、貴女は獣人についてどう考えていますか?」


「別にどうとも思っていない」


「そうですか……では、私と握手をしていただけますか?」




 兵士の格好をした女の獣人が、女の船客の相手をしていた。体を純黒のローブで覆っていて判りづらかったので男の獣人の兵士と一緒に対応しようとしたが、声を聞いて女と判断したようで、女の兵士の獣人がオリヴィアの対応をしている。


 投げ掛けられるのは全て簡単な質問。何ということはないので普通に答えると、最後に女の兵士の獣人は手を差し出してきた。恐らく獣人としての種類は豹だろう。小声でリュウデリアからも豹の獣人だと教えてもらったので確かの筈だ。


 そう、西の大陸に降りて観光をするには、獣人に対しての敵対心や嫌悪感を持っていないことが条件であり、そのために握手を求めてくるのだ。握ることさえできないならば嫌悪感や敵対心を持っていると判断される。まあ、オリヴィアは何とも思っていないし、相手は男でもないので普通に握手に応じた。


 だが、そこでつい舌打ちをしてしまう。豹の獣人の兵士は頭頂部から生えている獣の耳をピクリと動かして目を細める。握手には応じるが、内に秘めた心を隠して上陸しようとする者が必ず居るのだ。それを見極めるために今、オリヴィアの舌打ちを聞いて警戒した。そして、どうかしたのかと問うてくるので、はぁ……と溜め息を溢す。




「お前──────何故肉球がない」


「は、は……?」


「完全に人間の手ではないか。豹の獣人だろう。肉球の1つや2つあっても良いと思うが?」


「あ、あー……それはすみません。受け継ぐ血の濃さによって変わるんです。なので、私は人の血の方が濃いということになりますね」


「では、その耳を触らせろ。気になっていたんだ」


「耳……っ!?ど、どうぞ……?」


「うむ」




 思ったよりも全然違う事に対する舌打ちだったようで、豹の獣人は肩透かしを食らって脱力した。残念ながら、彼女の手に肉球はない。兵士をしているので滑らかな肌とは言い難いが、女性らしい柔らかさを持った手だった。しかしそれでは期待していたものではないようで、オリヴィアはその代わりに耳を触らせるように言った。


 豹の獣人は困惑しつつ、頭を下げて獣の耳を差し出す。腕の中に居るリュウデリアは翼を広げて飛び、滞空している。それで両手が空いたオリヴィアは、左右の獣の耳に手を伸ばして触れた。触ってみると、ふんわりとした毛並みだった。血が通っていて温かく、指先で擽るとピクリと動いて面白い。


 しっかりと神経が通っていて、耳として機能していることが解ると、獣の耳から手を離した。飛んでいたリュウデリアがゆっくりと降下してオリヴィアの腕の中に戻る。豹の獣人は触りやすいように下げた頭を上げて、苦笑いをしていた。




「満足していただけましたか?」


「あぁ。本当にしっかりした耳なんだな。人間の耳は無いのか?」


「流石に無いですね。あったら耳が4つになってしまいますので」


「まあ、そうだろうな。……寒いところでは寒さから地肌を守れて便利そうだ」


「ふふ。確かにそれはありますね。……はい。確認は以上になります。ご協力感謝します。良い旅を」


「ありがとう」




 検問を無事終わらせたオリヴィアは、獣人の兵士達の間を通って奥に進んだ。そこにはナイリィヌが待ってくれていた。不安は確かにあったが、彼女は獣人だからと差別的な事はしないだろうと思っていた。その考えは正解ではあるが、満点ではない。実際は、人間も獣人も等しく興味が無いだけだ。


 ちなみにだが、ツァカルが居るのに獣の耳は触らなかったのか?と疑問を持たれるだろうが、触っていない。魔法で清潔にしてやって臭いなどを取り除いたが、それでも元が汚いし臭いので触る気にならなかったのだ。風呂に入って清潔ならば触っていたが。余談だが、ツァカルの手にも肉球はない。




「良かったわぁ。オリヴィアさんが無事に通れてぇ。すこぉしだけ不安だったのよぉ」


「別に何とも思っていないからな。耳は機能しているのかは気になったが触らせてもらったが」


「うふふ。獣人だって可愛いのにねぇ。ダメだって言う人は、あまり良く分からないわぁ。まぁ、私が西の大陸出身というのもあるのでしょうけどぉ」


「そこら辺は根付いた意識の問題だろう。……ところで、ナイリィヌはこのあとどうするんだ?」


「友人に南の大陸からのお土産を渡しに行くのよぉ。だから、まだ自分の街へは帰れないわねぇ。オリヴィアさんは、このまま旅をするのかしらぁ?」


「そのつもりだ。となると、ナイリィヌとはまたここでお別れだな。本当に世話になった。ありがとう」


「いえいえ、こちらこそぉ。夜のガールズトークは楽しかったわぁ。また何処かで会ったら、いっぱいお話ししましょうねぇ」


「もちろんだ。……あぁ、最後に聞きたいんだが、此処から1番近い村や町はどの方角だ?」


「此処から北西に、歩いて2日くらいで街に行けるわよぉ。西の大陸に来たら大体の人がそこに向かうから、観光地として有名なのよぉ。美味しいものもいっぱいあるわよぉ」


「「「…………………っ!」」」


「なるほど、分かった。ではまたいつかに、ナイリィヌ」


「えぇ。またね、オリヴィアさん」




 今居る位置から1番近いところの街を聞いたオリヴィアは、最後にナイリィヌと握手をして別れた。彼女は馬車をを使って移動するようだ。目的は、友人のところに尋ねて買ってきたお土産を渡すこと。そういうことをしているから、下に人が集まって巨大な組織を作り出したのだろう。


 彼女と付き人達のことを見送ると、オリヴィアも北西に向かって歩き出した。他の船客達もナイリィヌと同じように馬車を使って移動するらしく、途中からは彼女達のことを追い抜いて同じく北西に向かっていった。気ままな旅をしているので、抜かれても何とも思わない。


 天気が良い空の下を歩くのは気持ちが良い。風も程良く吹いていて涼しい。旅を再開するにはもってこいの日だと思ってフードの中で微笑むと、両肩に乗っていたバルガスとクレアの重さが消えた。翼を広げて飛んだのだ。少し見上げるくらいの高さで滞空している彼等は、オリヴィア達を見下ろしいる。何となく、言わんとしていることを察した。




「ここでお前達ともお別れか」


「まーなァ。結構長く一緒に居たが、タイミング的にも良いだろ。西の大陸は好きに見させてもらうぜ」


「何かあれば……また……集まる。これで……最後という……訳では……ない。次会う……までの……別れだ」


「この大陸で俺達の事が伝わっているかは知らんが、『轟嵐龍』と『破壊龍』も程々にな」


「そいつァ出来ねェ相談だなッ!相手がやって来たら全員ぶち殺しちまうよッ!」


「それを……言うなら……『殲滅龍』の……方が……やり過ぎる……という……前科が……ある」


「おい。それはお互いにだろうが」


「クスクス。……またな、クレア、バルガス。また会うときまで元気で」


「ははッ。おうよッ!じゃーな、オリヴィア、リュウデリアッ!」


「では……また。オリヴィア……リュウデリア」




 何だかんだ軽く1ヶ月以上一緒に行動を共にしていたバルガスとクレア。西の大陸に辿り着いたのを皮切りに、お別れとなった。彼等は彼等で自由に過ごしながら、西の大陸を見て回ることだろう。手を振って送ってやると、目を細めて笑い、手を振り返してから大空へと飛翔した。


 体の大きさが元の龍のサイズに戻る。大きな体をしながら空気の壁を破る速度を叩き出し、ソニックブームを展開しながら上空まで行くと、蒼と赫の流星が二手に別れて飛んで行ってしまった。眺めていても一瞬の出来事。見えなくなるのは本当に一瞬の事だった。


 オリヴィアと同じく上を見上げて見送ったリュウデリアは、彼等の出す速度がまた一段と速くなっていることに目を細める。自分と同じように強くなっていく彼等に喜びの感情を抱く。そしてあわよくば、また全力で戦って鎬を削りたいものだとも考える。


 両肩が空いたオリヴィアの腕の中から出て、右肩に移動する。そうすると頬を寄せて頬擦りをオリヴィアからされたので、目を閉じて自身からも頬擦りをした。また1柱と1匹の旅になったなとオリヴィアが言うと、リュウデリアは残念ながらそれは少し先になりそうだと答えて魔法陣を展開した。




「──────ッ!?痛た……」




「あぁ、ツァカルのことをすっかり忘れていた」


「忘れていたのか!?」




 空に描かれた純黒の魔法陣からは、襤褸が落ちてきた。言わずとも知れた、船に不法侵入していたツァカルである。検問があるところを普通に通すことは出来ないので、リュウデリアが異空間に跳ばしていたのだ。上から落ちてきて尻餅をつき、腰を手で擦っているツァカルは、今はどういう状況なのか理解出来ていないので周りを見渡している。


 そして、見渡して目に映る懐かしい光景に感動して涙を流し始めた。帰ってくることが出来た。懐かしの故郷。西の大陸へと。剥き出しになった道から外れて草が生えた道の脇によろよろとしながら向かい、前から倒れて大の字になった。


 草の匂いも土の匂いも、どれも南の大陸とそう変わらないだろうに、ツァカルは心底嬉しそうに笑いながら顔を埋めていた。汚れようが何だろうが関係無しに寝転んで西の大陸の空気を満喫する。帰ってきたという実感を得て、止め処なく流れる涙を袖で雑に拭った。






 折角リュウデリアとの旅になると思ったのに、要らぬ獣人が居たものだと、オリヴィアはつまらなそうに腕を組みながら溜め息を溢した。








 ──────────────────



 ナイリィヌ


 西の大陸へ着いたらまず、友人のところへ尋ねてお土産を渡す。なのでオリヴィアとは違う町に行くのでお別れとなった。オリヴィアとのガールズトークはとても楽しく、また会える日を心待ちにしている。





 ツァカル


 不法侵入していることがバレないように上陸するにはどうすれば良いのかという話になったが、考えるのも面倒くさいのでリュウデリアが異空間にぶっ込んだ。


 懐かしの故郷に帰って来れたことを存分に満喫しているが、その姿をオリヴィアから白けた目で見られていることに気がついていない。





 龍ズ


 タイミングが良いので、バルガスとクレアはここでお別れとなった。ここからは自分の好きなように大陸を見て回ろうと思っている。なので、また次に会うときまでは別行動。





 オリヴィア


 今回はまた長くクレアとバルガスと一緒に居たなと、思い返して納得している。またリュウデリアとの旅になると思っていた矢先、ツァカルが居ることを忘れていてテンションが下がった。


 土や草の上を転がって泣き笑いしているツァカルを白い目で見ており、蹴っ飛ばしてやろうかと考えている。




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