第184話  忍び込む




 リュウデリア達一行は、謎の存在に時々見られている。感知次第攻撃して殺してしまおうとしているが、気配を絶つことと、避けるのが異様に上手く今のところは仕留め切れていない。今回も、リュウデリアが魔法を放ったが、避けられてしまったという。


 広範囲を捲き込む強力な魔法の一撃は、海の水を叩き上げて巨大な水の柱を生み出した。その水が下に落ちてきて衝撃も合わさり大津波を作り出した。普通ならばこの津波で航海は終わりだ。数十人の死体が海の藻屑となって消えることだろう。しかし、船にはこういう時の為の魔水晶が積まれていた。


 防御魔法陣で船全体に魔力のバリアを展開し、津波を正面から防いでみせた。船長の的確な指示と、船員達の迅速な対応により転覆の心配は拭い去られた。船客の拍手を背に浴びて船長室に戻っていく船長の姿は記憶に新しいことだ。


 津波というよりも、緊急時の対応を見たかったリュウデリア、バルガス、クレアは満足した。人間にしては用意が良いなと少しだけ褒めていたのだ。今は船客達も各々の部屋に戻っている。オリヴィア達もナイリィヌの部屋に戻っていく……ことはなかった。彼等は全く違う場所に向かっていた。




「それで、これは何処に向かっているんだ?」


「まあ少し待て。すぐに分かる」


「つか、今のオリヴィアならもしかしたら解るンじゃねーか?」


「確かに……オリヴィアは……日々……強くなり……気配を……感じ取れる……ように……なっている」


「では試してみるか?オリヴィア、ここで止まってくれ」


「分かった」




 リュウデリア達の案内を受けて階段を降りて通路を進んでいたオリヴィアは、言われた通りにその場で止まった。周りには誰も居ない。船客達の部屋よりも下の階に来ていた。船員達も今は津波を防いだ事により使った魔水晶の整備をしているのだろう。


 近頃オリヴィアの成長速度には目を見張るものがある。元から戦いに関する力の吸収力はかなりのもので、教えている立場であるリュウデリア達も何度驚いたことか。彼女は神であり、魔力を体内に持っていない。自力での魔法発動は不可能だが、魔法を使えるようになるローブがある。


 基本的に魔力で武器を生成し、直接戦いに行きながら距離を取られたら魔法を放つという戦い方をしているオリヴィアは、リュウデリアが武器術を教えれば教えるほど覚えていくのだ。1度教えてから、忘れてしまったからもう一度教えてくれ……という会話はした覚えがない。つまり、1度教えられたことは、ずっと覚えて身につけていることになる。


 治癒の女神だというのは理解している。何度その力に助けられたことか分からないくらいだ。だが、時々勘違いしてしまうのだ。オリヴィアは治癒の神でありながら戦いの神なのではないかと。それくらいの才能を、彼女は持っていた。そこに加えて、最近気配を読み取れるようになったようなのだ。


 リュウデリア達が戦う中で、最も使っているだろう気配察知。相手が発している気配を読み取り、居場所を把握する術。彼等ほどの精度になると、気配だけで喜怒哀楽をも読み取り、更には次の一手すらも察せられるようになる。そんな領域へ、彼女は踏み込んできた。




「集中するために、今は不要な視覚情報を切ってしまえ。目を閉じ、音にも頼らず、生物が発する気配を読み取る。オリヴィアはもう気配を読み取ることはできている。今回は、その範囲を広げるだけに過ぎない。大丈夫だ、オリヴィアならば必ずできる」


「焦らなくて良いンだぜ。此処は戦場じゃねーンだ、ゆっくりとオリヴィアのペースでやりゃァいい」


「私達の……気配は……極限まで……弱く……しておく。何か……見つけたら……教えてくれ」




「気配は感じ取れている……今は範囲を広げるだけ」




 目を閉じる。与えられたアドバイス通り、視覚情報を切って意識を集中させる。彼等の言葉を聞き終えたら音に頼ることも放棄し、最近明確に感じられるようになった気配を感じ取る。腕の中、両肩に乗るリュウデリア達3匹の気配は本来ならば強力にして巨大だ。万が一の為にと使い魔の役を演じているときは気配を抑えているが、それを更に抑え込んだ。


 強い気配に呑み込まれてしまわないようにという配慮に感謝しながら、集中を続行。近くに居る者の気配を感知するのはできるが、距離が出て来るとかなり強い気配でなければ感じ取れない。だが、そんなオリヴィアの事を解っているだろうに、リュウデリア達はもうできるからと言っている。


 期待されている。信じてくれている。ならば私は、その想いに、考えに報いて成功されるのみ。強張っていた体から力を抜いた。脱力。無駄に入っている力を抜いて自然体になることで自身の心を落ち着かせる。リラックスをしながらやることで最大限のパフォーマンスを行うのだ。




 ──────……視えた。そして感じた。リュウデリア、バルガス、クレアの気配の他に、上の階で動く者達。船員、船客、従業員。これは……ナイリィヌだな。あと犬も居る。




 目を閉じることで広がる黒い闇の世界。何もかもが無い暗黒の領域。だが、この黒は見慣れた色だ。慈しみ愛する色だ。黒を見れば、純白の自身は最も心が落ち着き、何でも出来るという全能感を感じられる。


 凪いだ黒い水面に、一滴の水が落ちた。水滴は黒い水面に波紋を生み出し、範囲をゆっくりと広げていく。その途中で、波紋に触れた者が鮮明に浮かび上がってきた。気配を感知できているのだ。船の中に居る全ての者の気配を感じ取れた。完璧だ。ダメ出すところすらも無い。故に、オリヴィアは眉を顰めた。


 おかしいのだ。船客や船員達の気配は感じ取ることに成功している。それぞれが部屋に居て、どんな体勢を取っているかすら解るので、彼等が今何をしてどういう者達なのかが判明する。しかし、これより先……恐らくリュウデリア達が向かおうとしていた方向に1つだけ、不自然な者の気配を感じ取ったのだ。


 その気配の持ち主は座っていた。三角座りをしてジッとして動かない。場所はこんな下の階だ。他には誰も居ない。確実に船客の為の部屋ではないし、船員達の部屋でもないだろう。ならばこれは、この者は一体何をしているのか。そう考えたとき、何となくだが気配に覚えがあった。うっすらとした記憶の中から引っ張り上げると、無意識に口からあっ……と声が漏れた。




「うむ、完璧だな」


「流石はオリヴィアだな。まさにそんな感じだぜ」


「それで……私達が……向かおうと……していた……場所は……解ったな?」


「……あぁ。そういうことだったんだな」




 腕の中でリュウデリアがパチパチと拍手をした。褒められたことに擽ったい気持ちになりながら、彼等が何をしようとしていたのかを理解する。まあ、別に難しいことをしようとした訳ではない。単なる興味本位といったところだろう。気になったから確認しようとしているだけだ。


 場所は解ったので廊下を歩き出した。リュウデリア達に道を教えてもらわなくても、気配がある方へ向かえば良いだけなのでナビをしてもらう必要は無かった。迷いなく歩くオリヴィアに、彼等はそれぞれ目を合わせてアイコンタクトで彼女のことを褒めていた。


 歩いて少しすると、ある部屋の扉の前に辿り着いた。ドアノブに手を掛けて捻っても、鍵が掛かっていて開くことができない。そこで、リュウデリアが魔力を使って内側にある鍵を開けた。施錠されたものが解かれ、ドアノブをもう一度捻れば扉は開かれる。中は暗い。光がないからだ。


 頭の中で魔法をイメージし、体の周りに3つの光の球を創り出した。光を発して明かりを作る。視界が明瞭になると、その部屋が物置であることが判明した。恐らく船員達が使うだろう船の修理用の道具だったりと、足の踏み場を残してかなりの量が積まれている。その中を進み、オリヴィアは荷物の箱と箱の隙間、汚い布に向かって手を伸ばした。




「くッ……うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおッ!!!!」




「──────『止まれ』」




「────ッ!──────ッ!?」




「つい数日前にも会ったな、お前とは。確か、港町の通り魔を捕まえる時、傍に居た小汚い奴だろう?」


「……ッ!!」




 手が触れようとした瞬間、汚れた布は突如動き出して襲い掛かってきた。布という襤褸の中から手が伸ばされてオリヴィアに向かって来るが、その手が触れられる寸前で止められる。たった一言によるものだ。腕の中に居るリュウデリアが、聞こえないくらいの声量で言霊を使用したのだ。


 襤褸の人物は体が一切動かせなかった。喋るための口すらも動かせない。身動きは取れない状況で、襲い掛かった姿勢のまま襤褸のフードの中でオリヴィア達のことを睨んでいた。気配が攻撃的なものになっていることを感じ取り、同時に怯えや焦りを含んでいることも把握する。


 状況を見れば解るだろう。こんな人の居ない、それこそ鍵の掛かった部屋に1人で座り込んでジッとしているのだから。それも上に居る船客達とは違って見窄らしい格好をしている。言ってはなんだが、この船に乗るような者ではないのだ。


 風呂に入れていないからか、汗が醗酵する臭いや港町で付着したのだろう潮の香り、そしてゴミ箱を漁っていた所為でこびり付いた汚臭。それらが漂ってきてリュウデリア達が鼻にダメージを負い、3ヵ所からぐふっ……という言葉に無い言葉を吐き出して微妙に悶えていた。


 オリヴィアの鼻でも臭いと思うのだから、彼等からしてみればこの場は地獄だろう。ましてや窓が閉められて風が無いので換気もできやしない。謂わば密閉された空間での異臭なので、時間が経てば経つほど部屋にこの臭いが充満することだろう。


 臭いに顔を顰めつつ、オリヴィアは襤褸の人物に手を伸ばした。触れるのは必要最低限にして、親指と人差し指で襤褸のフードの部分を摘まみ、後ろへ持っていった。顔が見えてくる。カサついた短めの灰色の髪。少し窶れているがそれなりに整っている顔立ち。目の下には隈ができてしまっていて、睨み付ける目付きを更に鋭くさせていて、女。そして何より……頭には獣の耳があった。




「お前──────獣人か」


「………っ」


「オリヴィア、此奴は『ジャッカル』の血を引いている獣人だ」


「犬か狼かと思ったんだが……」


「まあ、同じイヌ科ではあるな」




 耳の形からするに、恐らく犬や狼に近い動物の血を持っているのだろうと、オリヴィアは思った。そこでリュウデリアから補足が入り、犬や狼ではなく、ジャッカルという種類であるということを教えられた。違いが判らない彼女は、取り敢えず近いものだと簡単に考えた。


 何も出来ないジャッカルの血を引く女の獣人は、抵抗しても無駄だと理解したのか、体を動かそうとすることはやめた。しかし鋭く睨み付けることはやめない。魔法を解いて自由にしたらすぐにでも襲い掛かってきそうな雰囲気だ。


 見た限りでも弱っているというのは明らか。そして同時に体力もそこまで残っていないだろう。健康状態が良いとは言えない姿。そんな彼女に対して、普通は優しく声を掛けて保護しようとするだろう。 。残念なことに、相手は龍と神という、人ならざる人外。世間一般的に言う普通には当て嵌まらなかった。


 命を脅かされると思って攻撃することは、生存本能に則った手段であるということは把握している。把握しているが、だからと言って許してやるというのはまた違う話ではなかろうか?


 襤褸のフードを外させた右手を、獣人に手の甲を見せるような形で構える。すると手には純黒の雷が纏わされた。帯電して電撃がばちりと弾ける。明らかに攻撃的な魔法に、獣人は声にならない悲鳴を喉から出した。




「忍び込んだ奴が、見つけられたからと攻撃とは……中々に自分勝手だな。甘い奴ならばお前に寄り添うのだろうが、相手が悪かったな。攻撃してきた以上、私はお前を敵と認識するが?」


「────ッ!!──────ッ!!」




 動けない。動けない動けない動けない。逃げたいのに逃げられない。死にたくない。殺されるわけにはいかない。なのに、背を向けることすら出来やしない。急いで攻撃しようとしたことに謝罪しようとしても、口すら動かないので謝らせてすらくれない。どうしたら良いのか。いや、もうどうにもならない。


 純黒の雷を纏った手を近づけてくる。触れればどうなるか解らないからこそ、想像ができないからこそ迫ってくる恐怖。本当は攻撃なんてしたくなかった。でも、バレて他の誰かに居ることを伝えられると一番困るから、気絶させて違う部屋に移そうと考えたのだ。だが相手が悪すぎた。まさかこんなに強い奴だとは思いもしなかった。


 港町で通り魔に隠れ蓑として使われて散々追い回され、毎度毎度逃げ切るのに苦労して、金が無いからゴミ箱を漁って腐ったものやカビの生えたものをどうにか貪り、雨水で喉を潤す日々。そして今回どうにか忍び込むことが出来た船でだけなのに、こんな目に遭っている。不運を呪わずにはいられない。






 獣人の額に、純黒の雷を纏わせた手の人差し指が向けられ、触れた。その瞬間、獣人の体には純黒の雷が流し込まれ、一瞬の内に意識を暗闇へ叩き込まれた。







 ──────────────────



 獣人のジャッカル


 灰色の髪で、少し短め。風呂に入れていないので臭いは臭い。ゴミ箱を漁ったり、潮風に当たったり、汗が醗酵していた所為もある。


 船には忍び込んでいた。オリヴィアに攻撃してきたのは、バレて周知されて捕まえられるのを恐れたがために、気絶させて別の場所に移そうと考えたから。





 龍ズ


 オリヴィアが気配の広範囲察知が出来るようになってニッコリ。やはり治癒の女神ではあるが、戦いの神の血も混じっているのではないか?と思っているくらい、素晴らしい吸収力だと感嘆としている。


 獣人の醸し出す臭いにグロッキー。鼻が良すぎるのも考えもの。早くこの場から去りたいと本気で考えている。なんなら、オリヴィアにはローブがあって安全なのだから、部屋の外に避難しようかとすら思っている。





 オリヴィア


 この度、気配察知をマスターした。感じ取れる範囲はリュウデリア達と比べれば狭きものだが、そこらの冒険者と比べれば広大。一先ず今乗っている大きな船の全体は余裕で感じ取れるくらいの範囲は感知できる。




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