第157話  傍観の姿勢




 神界の異変は引き起こり続けている。赤黒い雲も地割れも竜巻も雷も巨大な雹も、大地の浮遊も範囲を広げる一方である。その中心地にて、黒き獣改め、エルワールとリュウデリアが激しい戦いを始めていた。


 しかしエルワールが優勢になるには至っていない。存在を強化しても、リュウデリアとの差は完全には縮まっていないのだ。それだけ元の戦闘力が強すぎた。生まれて間もなくということを考えても、ここまで力の差が開いていることに、エルワールは驚きを通り越して呆れるレベルだ。


 水の権能を使ってリュウデリアの周辺を全て水の塊で覆い尽くした。呼吸を儘ならなくさせるのと、水中で抵抗を出して身動きの速度に制限を掛けようというのだ。普通ならばこれでも事足りるだろうが、そもそもリュウデリアは神界の空気を吸えない。なので魔法で自身の顔の周りだけ空気を創り出して吸っている。


 水の中に閉じ込められたとしても、空気を吸えず窒息して死ぬということはありえないと言ってもいい。水の中で起こる抵抗に関しても、そこまで危険視するほどのものでもなかった。龍は空を征服しながら地上、水中でも自由な動きを可能とする万能な生物だ。本能的に泳ぎ方を知っている。


 まあこの場合に泳ぐ必要は無い。リュウデリアは水に囲まれて閉じ込められた状態で強く両手を合わせた。波動が生み出されて水を吹き飛ばした。内部から外部へ爆発するように弾けた事で水が霧状に散布された。


 全身を濡らしたリュウデリアは、体を震わせて水気を乱雑に取った。顎の下や指先から水滴を落としながら、この程度のことをして何になると威圧した。流石にこれは姑息過ぎて効かなかったかと反省し、獣は離れた所で浮かんでいる巨大な大地の破片を引き寄せた。


 山と言っても過言ではない塊が、リュウデリアをサイドから襲った。衝突したところが砕けて小さな欠片を飛び散らしながら、中に居るだろう彼を押し潰す。しかし真上に向けて細い純黒の光線が放たれた。それは動いて、2つの山と間違える大きさをした塊に軌跡を描いた。すると、塊は斬り刻まれて破壊される。中からは無傷の彼が現れた。




「効かんと言っているだろう。高い知恵を持ち、知識を得ながら学習能力は皆無かァ?お前が直接来ない限り、肉体に直接作用する権能は純黒が呑み込み、物に頼っても俺の体には傷一つ付けられん。解ったらさっさと来い」


「この程度でお前の命を奪えるとは思っていない」


「時間稼ぎだろう?神界の龍脈から今もなおエネルギーを吸収し、存在を強化している。強くなるのは良いが、まさか俺が……それを親切に待っていてくれる龍だとは思うまい?」


「……………………。」


「沈黙は肯定と同義だぞ──────犬ッ!!」


「……私は選定せし者、エルワールだッ!!」




 向かってくるリュウデリアに対応する。金属も溶かす強酸性の毒と、直接触れれば手足が一切動かせなくなるほどの強力な麻痺毒。そこに加えて触れた箇所の感覚を奪うという力を持った権能を同時使用し、殴り掛かった。


 純黒なる魔力が全身を覆う。向けられる拳を掌で受けて止めれば、溶けることも無く、麻痺もせず、感覚は奪われていない。総てを呑み込み塗り潰し、あらゆるものを無効化する純黒には神にのみ扱う事が出来る権能は使えない。


 権能は直接打ち込んでも効かず、権能に作用された物体を使っても、持ち前の頑強さを以てダメージは無い。つまりエルワールに出来るのは拳で打ち勝つ事だけだ。しかしそれは言葉にするのは簡単でも、あまりに難易度が高いものだ。そもそも今のエルワールの肉体的強さでは、彼に勝てる要素がまだ無い。


 頭を狙った上段蹴りが飛んでくる。エルワールから見て左からやって来る右脚。左腕を盾にして防御するも、重すぎる蹴りに体が傾く。リュウデリアが地に付けている左脚の筋肉のみで跳び上がり、体を空中で横回転させることで遠心力を加えて、今度は右から蹴りを入れられた。


 次の左脚の上段蹴りは受け止めきれない。即座に判断を下したエルワールは身を屈めて避けた。蹴りを躱すことに成功する。だがそこへ第2撃目がやって来た。長い尻尾を後から向けてきたのだ。躱して一瞬安堵したエルワールの横面に、回転の遠心力を加えられた尻尾の打撃が綺麗に決まる。


 頭の右側面が消し飛んだのではと頭に過る程の衝撃を受けて飛ばされていく。土の上を転がり続け、体勢を元に戻してから爪を立てて減速する。頭を振って気付けをし、前を向き直した時、目の前にはリュウデリアが居た。


 先程此処まで飛ばす要因となった尻尾の鋭い先端が、エルワールの胸元に付けられている。攻撃かと急いで振り払い後退して距離を取るが、距離を詰められることはなかった。その場に佇んだままのリュウデリアに、エルワールは訝しむ。


 無意味なことはしてこないはずだと断定していると、胸元が光り輝いた。目を落として見てみれば、純黒の魔法陣が浮かび上がっている。これは一体何かと思えば、考えて推測するよりも早く、リュウデリアが刻み込んだ魔法陣について話し始めた。




「──────『刻まれた殲滅龍の紋章アルマデュラ・エンブレム』その胸の紋章……魔法陣は単体だと機能しない。代わりに、同じ紋章を刻んだものをそこに叩き込むと、魔法陣が自動的に起動して爆発する。爆発力は打ち込まれた威力に比例して増していき、回数を刻めば刻むほど爆発力は増大する。要するに、俺の拳をお前に打ち込む度、お前は爆発の副次的なダメージを負うということだ」


「いくら私が現時点でお前に劣っていると言えど、それだけで私を斃そう等と笑い話にもならないな」


「ふはッ!──────なら1度経験してみるといい」




 手の甲に浮かんでいる、エルワールの胸元に刻まれた魔法陣と同じ小さなものを見せびらかしながら、リュウデリアは魔法の効果を説明した。態々解説しなくても、そのまま攻撃すれば良かったものの、彼は説明することでこの魔法の怖ろしさを倍増させようとしていた。


 言葉で言われただけでは怖ろしさが伝わらず、鼻で笑うエルワールに、試してみろと言いながら瞬間移動をして目前に現れるリュウデリア。拳を構えていたので、負けじと瞬間移動をし、その場から退避するエルワール。だが、脊髄に刻まれた首元の魔法陣の効果により、何処へ行こうと即座に身近に現れる。


 瞬間移動のイタチごっこをしていると、先を読んだリュウデリアが獣の頭を鷲掴んだ。そして即座に腹部へ打ち込まれる拳。手の甲に刻まれた魔法陣が輝くと、エルワールの胸の魔法陣も連動して輝き、爆発を起こした。本気の拳ではないのに、爆発の威力は凄まじく、エルワールは肺の空気を全て吐き出しながら、爆発によるダメージの大きさに驚愕した。


 予想を遙かに越える大きすぎたダメージを体の前面に感じる。起動した魔法陣が、まだ終わっていないとでも言うように黒く輝いているのが鬱陶しい。でも、考え事をしている暇も無く、リュウデリアの拳が素早く3度打ち込まれた。魔法陣が起動して爆発すること3回。殆ど同じ威力の拳だが、爆発の威力は増していく。


 この魔法の怖ろしさを痛感する。これは何度も食らって平然としていられるようなものではない。爆発の威力が強すぎるのだ。それに、回数を刻んでいくことで増大する威力の伸び幅が恐ろしく大きい。軽く打ち込むだけでも、起動して発生する爆発だけで瀕死になりかねないと思わせるだけのものがあった。




「それで、爆発系統の魔法の味はどうだ?美味いか?安心するといい。これから腹一杯になるまで食わせてやる」


「チッ!魔法とは斯くも面倒なモノなのかッ!」


「おいおい。消費するものが一切無い権能を使っておきながら、魔力が無ければ発動すら出来ない魔法を羨むつもりか?まあ解らんでもないが、魔力の無いお前には手の出しようが無い代物だ。精々羨みながらその身に刻め」




 爆発を引き起こす。この魔法の厄介なところは、胸元に刻まれた魔法陣に重なるよう拳を入れなくてはいけないのではなく、魔法陣が刻まれた者に拳を打ち付ければ魔法陣が起動してしまうということだ。これがかなりの厄介さで、エルワールは今身を以て知ったところである。


 自身に向けて繰り出される拳を受けてはならないと、鳩尾を抉り込もうと下から掬い上げるような殴打を受け止めた。掌で押さえて受け止めた。しかし胸の魔法陣を輝き、爆発する。ダメージを受けながらエルワールは悟ったのだ。この紋章に直接打ち込むのではなく、刻まれた自身に打ち込めば良いようだと。


 触れた瞬間から殴打を受けたという判定になってしまうことを理解し、触れないように回避することに専念する。注意すべきは、同じ魔法陣が刻まれた両手。触れてはならないのだから当然だ。だがエルワールはハッとした。爆発が強力でそちらに思考が傾きがちになっていたが、リュウデリアの怖ろしさは魔法ではない。その肉体の強さだ。そして彼は、それを良く理解し、相手にペースを掴ませないように戦う戦い方を取れる。


 注意すべきは拳。確かにそうだ。しかしそれは常にではない。もっと言い方を変えれば、注意すべきものの1つというもの。彼の攻撃は拳による殴打のみではない。その事が一瞬とはいえ頭から飛んでいた。それは大きな隙となり、針の穴に糸を通すような的確さで、無意識から生まれた隙という名の穴に、彼の蹴りという名の糸が通された。


 右脇腹にめり込む左脚の蹴り。肋からみしりと嫌な音を立てたのを蹴り飛ばされる前の一瞬、自身の体から聞いた。ごぽりと血を吐き出しながら、内臓にまで達するダメージを確信する。横からの攻撃にくの字に曲がりながら吹き飛ばされていき、途中で打ち付けられた岩を粉々に粉砕する。


 跳ね飛ばされたゴムボールの如くバウンドを繰り返しながら飛んでいき、最後は碌な受け身も取れずに引き摺るようにして止まった。手を付いて体を持ち上げ、蹴られた脇腹に手を這わせる。不自然なくらいに凹んでおり、少し触れると細胞が潰れた感触がする。殆ど感覚が無いのに、強い鈍痛が響くのが解る。


 蹴り1つでここまでかと思いながら、エルワールは自身が今居る場所が龍脈の真上であることに気がつく。龍脈から莫大なエネルギーを得ればこの傷も全て治癒することが出来る。加えて存在を強化する事も出来るのだ。しかしそんな時間はない。首元の魔法陣を介してリュウデリアが瞬間移動をしてやって来た。本当に、そんな時間が無いのだ。




「何だ、もう終いか?強くなった筈のお前の力はこの程度なのか?」


「ごほッ……私の力はまだお前に及ばないが、すぐに追い着いて凌駕する。それだけのモノを、私は持っているッ!!」


「ならば疾くとやったらどうだ?」


「……何?」


「この場が龍脈の真上であることくらい解るわ愚か者。その上でエネルギーを吸収すれば良いと言っている」


「……正気か?私が強くなる為の過程を、敢えて見逃すと言うのか。私を愚弄するつもりかッ!!」


「愚弄ッ!!フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!むしろ今のお前に愚弄されぬところがあるのか!?分身とはいえバルガスとクレアに圧倒的力の差で2度敗北し、敵である俺に背を向けて惨めったらしく逃走した挙げ句、龍脈からエネルギーを得て新たな強さを得たのに蹴り1つで這い蹲っているだけの犬のお前にッ!?むしろ愚弄のだぞ!?感謝されても釣りがくるだろうッ!!俺の頭の中から知識を得ながら、どうもお前はココが良くないらしいなァ?」


「……っ!!」




 頭を指でコツリと叩きながら侮辱してくるリュウデリアに、言い返すことができないエルワール。確かにもう2度は敗北している。分身でありながら本体と全く同じであるという権能を使っていて、手も足も出ず殺されて消されてしまったのだから。つまり本体が行っても同じ結末になっていた可能性が非常に高い。


 それだけでも十分屈辱的なのに、自分の意思で逃走という手を取ってしまっている。もう相手には勝てない。しかし命は惜しい。そう言っているようなものだ。事実、逃げられたリュウデリアはオリヴィアに静めてもらわなければならないくらいに怒り狂っていた。


 愚弄されて文句を言える立場に無い。それを解ったからエルワールは黙り込んでしまった。強く噛み締めて屈辱に耐える。ここで怒りに身を任せても、動きに雑さが混じって結局嬲られるだけだ。だからここは怒りを抑え込んでバネにする時だ。何せチャンスが舞い込んできたのだから。


 普通、敵の劇的なパワーアップは何としても阻止しなければならないはず。でもリュウデリアは止めない。それどころか早くやれと促す始末。その理由は、自身の強すぎる力にある。愉しめば昂奮して本来の力を出しそうになる。そうなるとエルワールはついていけずに嬲られるのだ。


 強くなって自身を殺せるならば殺してみろ。逃げられた事に怒り、すぐに捻り殺してやろうと思ったが気が変わった。限界まで強くなったエルワールを捻じ伏せて殺してやることにしたリュウデリアは、さっさとやれと腕を胸の前で組んで傍観の姿勢に入った。


 動こうともしないリュウデリアの姿に、完全に舐めてかかられているということを自覚し、激しい怒りが爆発する魔法陣が刻まれた胸の中で燻る。






 必ず後悔させ、この強すぎる黒龍をこの手で殺してやるのだと思いながら、龍脈の真上に当たる地面に腕を突き入れ、エネルギーの吸収を開始した。






 ──────────────────



 エルワール


 舐められていることを自覚しており、それについて激しい怒りを抱いている。だが、今の力では勝てないということも自覚している。そこで更にエネルギーを吸収しようとして、リュウデリアにやってみろと挑発された。





 リュウデリア


 逃げたことに腹が立ち、すぐさまぶち殺してやると考えていたが、エルワールが満足する力を手に入れた状態で捻り殺してやろうと気を変えた。


 相手が強ければ強いほど昂ぶっていき、愉しさを感じてしまうので、強くなるのならばそれに越したことはないという考えも持っている。




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