第151話  真名解放




 獣にとって風とは、意識しないと気づかないものだった。強風が吹けば風が強いと感じるが、少し吹いているだけでは到底認識していられない。あって当たり前なのだから意識を割く必要が無いと、頭が勝手に判断しているのだ。故に黒き獣が風に対して認識を改めるのは今でこそ相応しい。


 獣の目先には蒼龍が居る。美しい、陽の光を浴びて爛々と蒼く煌めかせる鱗を持つ、3匹居る内の最も体の線が細い龍。美しい雌とも思えてしまうそんな龍の周りには、緩やかながら蒼風が吹いて渦を作っていた。中央に居る術者の龍と戯れているようにも見える弱いその風はしかし、他者の侵入を赦してはくれない。


 今居る場所までやって来る原因となった獣の体当たり。その力は確実に、寸前で展開された風の結界を粉々に打ち壊した。だからこそ、また風の結界を張られたとしても己の力で叩き壊してやろうと思ったのだ。拳を打ち付け破壊を為す。だが、緩やかに思える蒼風は、打ち込まれた拳を弾き返した。


 体が仰け反るほどの反発。上腕にも届きうる程の細かな裂傷が腕に刻まれる。直接触れた拳の部分なんて最も傷が深く、数が多い。一瞬で奔った痛みに唸り声を出して後ろへ跳躍して、傷だらけの左手及び左腕前腕部分を見る。硬い黒毛を易々と引き裂いて肉に到達している。血が滴る腕を持ち上げ、口を開いて長い舌を出して滴る血を傷ごと舐めた。


 鉄のような味が口の中に広がる。明らかな負傷をした獣は、自身にこれだけの傷を負わせた蒼風を睨み付けた。中心に居るクレアはケタケタと嗤っている。笑い声から、不用意に近づいてくるからだ。という言葉が乗ってきていそうな嘲りを含んだものだった。




「お前、風のこと舐めてンだろ?居るンだよなー。風程度に何が出来るとかほざくバカがよォ。オレは逆言いてーわ。むしろ何で風が弱いと思うンだよ?なァ?」


「──────ッ!!!!」




 右掌を上に向けて体の前に持ってくると、掌の上で小さな螺旋を描く蒼風が生まれた。それを何でもないように軽く獣に向けて放り投げる。すると小さな風の塊は途中で解けて小規模の風となった。こんなものはそよ風に等しい。そう漠然と思った獣は、その意思とは反対に体が自動的に回避を選択していた。


 熱いものに触れてしまった時に起こるという肉体の反射。それに近い。体が危険を感じ取ったから、意志を無視して回避を選択したまでのこと。その反射的な回避は実に正しいものであったということが、次の瞬間には解ってしまった。


 そよ風の範囲外へと退避した獣は何ともなかったが、先まで居た場所はそうもいかなかった。背後の数メートル先には木々が生えている。その木々が、自然に発生したとすれば心地良いだろうそよ風を浴びて灰となった。そう、灰だ。瞬きをするよりも早く燃え尽きて真っ白となり、風を受ける間もなく崩れていったのだ。


 変わらない蒼風の筈が、触れた途端に燃やして灰にする恐ろしい風となっていた。吹いて煽り、刃となって斬り裂く。それだけでは終わらない。風には多岐に渡る可能性が秘められているのだ。木を灰に変えた風を投げたクレアは、可笑しそうにケラケラと笑っている。良く解ったなと言いたげな笑い方だった。




「見た目は変わんねーよ。これは付与エンチャントって技術だ。何かに別の何かを付けて与える技術。今のはオレの風に熱を付与した。ま、めちゃくちゃの熱量を持った熱風だ。意外にちっと難しいンだぜ。オレは息するようにできるがよ。まー何が言いてェかと言うと……風の怖ろしさってやつをその身に刻んで死ねよ」


「…………■■■■。■■■■■■■■■■ッ!!!!」


「──────『付与エンチャント』……『雷纏いし轟きの風カウス・レヴエンター』」


「……ッ!!■■■■■■■■■■■■■ッ!!!!」




 クレアの前方扇形に蒼風が吹いた。範囲が広く、上に向かって跳躍しても浴びてしまう事は何となく解っていた。だから獣は無駄な動きを省き、一直線にクレアに向かって走り抜けようと考えた。顔を守る為に両腕をクロスさせて前傾姿勢で突き進んで行く。


 一瞬で駆け抜ければこの程度の風は何て事無い。痛みがあっても本当に一瞬のことだ。それだけを我慢すればいい。そんな考えだった獣はすぐに後悔する事となる。


 考えが浅はかだった。顔を防御するために構えた腕に風が当たった瞬間、腕から雷撃が体全体に向かって迸ったのだ。感触は風なのに効果は雷。それも刹那に雷が帯電して痺れて動けなくなる程のものだった。それでも獣の強靭な肉体は動いた。1歩、2歩……遅い足取りでも前には進んだ。


 それを見て、クレアは素直に感心した。あの雷風を受けて良く動けるな……と。普通ならばその場に倒れて気絶してもおかしくはない程の雷を付与したというのに、獣は痺れながらも意識は明確に持ち、体を地に向けて倒すことが無かった。実に素晴らしい肉体強度である。


 だがしかし。動きが鈍くなるということは、それだけ攻撃に晒されるだけの大きな隙を生むということに他ならない。ましてやクレアの方に向かって突撃したのだから、今獣が鈍い動きで居るのは彼の前だ。少し歩けば触れられる程度の近さ。そんな近くに居るのに、何もしない何て事がありえるだろうか。




「──────『流離う我が蒼き風が来たアァレン・ヴァーリハイト』」


「──────ッ!!!!」




 蒼風がクレアの前で円を描き、光を放ちながら膨大な魔力を溜め込んだ。狙いは獣のみであり、準備が整うと同時に極大の蒼き光線が撃ち放たれた。リュウデリアのお馴染みのブレスと同じ要領で放たれた光線は獣の体を丸々と呑み込んで一直線に照射されている。木々が、大岩が、山が光線に晒される。


 大地を深く抉り込む光線が少しずつ規模を小さくしていき、最後は細くなって消えた。前の景色は見晴らしの良い光景となった。その代わりに、見える限りの向こうの方まで何も無くなってしまった。強力な光線はそれだけの魔力が込められていた。


 そしてそれに晒された獣はというと……居た。破壊の跡のその中央に耐え凌いでいた。咄嗟に取ったのだろう防御体勢のまま、クレアからの強力な光線に耐えた。獣の背後の一部分は、防御したことで光線から外れて抉れることなく残っている。体の痺れが消えた獣は、防御していた腕の向こうから顔を出して、苛立たしげに牙を剥き出しにした。




「■■■■■■■■■■■■……………ッ!!!!」


「怒り心頭ってかァ?別に良いだろこんくれェ。オレ達は殺し合ってンだからよ。つか、良く耐えきったな。普通にぶっ殺すつもりで撃ったンだがなァ?やっぱ面よりも一点集中か斬る方が効果的だな。お前のその毛並みはオレ達の鱗みてェなモンだろ」




 怒りで気配が殺伐としたものになり、周囲を包み込んでいる中で、クレアは殺す気で光線を放った。しかし結果は少しのダメージが入っただけに思えるだけの、実に軽傷と称して良いものだった。殺す気だったが殺せるとまでは思っていなかったクレアは、まさかここまで防御面に優れているとは知らなかった。


 身を護っている風の結界で腕を傷つけることはできたが、やはりそういった類の攻撃でしか有効打に成り得ないと感じた。一点集中の刺突類の攻撃。または頑強な黒い毛並みごと斬り裂く斬撃系の攻撃である。光線はもう撃ってしまったが、それで有効打に成り得る攻撃は絞り込めたので良しとしよう。




 ──────……近づかれるのは避けた方が良いな。明らかにあの獣の方が肉体面でオレに勝ってやがる。あの体当たりは大分効いたからな。普通にまだ腹に鈍痛残ってるし。つーか腹辺りの鱗罅だらけだしな。魔力も無駄遣いしてらんねェ。……使っちまうか?




 内心でクレアは今の状況を分析する。獣相手に肉弾戦は圧倒的に不利であるということは身に染みている。最初の体当たりは効いていないように見えて、実はかなり効いている。鱗が砕けて罅が大きく入っているのだ。間から血も流れている。それをポーカーフェイスでおくびにも出さないだけだ。


 生まれたばかりとはいえ、既にクレアの素の身体能力に勝っている。魔力で強化したとしても、今の状態に拮抗するだけだろう。そこから強化でもされたら力負けする。元よりクレアは肉体派ではないのだ。それを自覚していながらむざむざ仕掛けに行くつもりは毛頭無い。


 だが獣の方はこれでもかと肉体派だ。体当たりに殴打に蹴り。近づかれると少しマズいと判断するのは賢明だろう。そこでクレアが取るべき戦法は近づかせず、中距離から遠距離を主とした戦い方だ。そうすれば優位に戦える。


 が、しかし。そんな戦いをクレアは別に求めていない。勝ちたいから戦っているのではなく、血湧き肉躍る殺し合いがしたいのだ。そんなつまらない戦い方をしたいのではない。ふとそこで、頭の中をあることが過った。ここは別に使ってしまっても良い場面なのでは?という思いが湧いてくるのだ。


 1度考えてしまうと途端にその事で頭がいっぱいだ。いつかは使わなくてはいけなくなるのだから、何時使っても良いはずだ。ましてや試せる相手が居るならば尚のことだ。少しだけ自身の方が不利という状況も加味して素晴らしいタイミングだ。そう考えたクレアは、自身の魔法で跳ばした異空間の中から、あるものを取り出した。


 澄み渡る空よりも蒼く。どんな装飾よりも凝っていて。どの魔剣類よりも力を感じさせる代物。彼にしか扱えない特別の武器。専用の存在。神界でも片手で数えられるほどの腕前を持つ鍛冶の神によって鍛えられた武器。どこまでも蒼い、クレア・ツイン・ユースティアの為の扇子。


 異空間より出されたそれは、主であるクレアの体の大きさに合うだけのサイズに自身を変えた。30メートル近い体躯をしてもちょうど手に馴染む大きさになった蒼き扇子を手に取ったクレアに、獣は意図せず3歩後ろへ下がっていた。後退。まるで恐れを成したような行動に自身で気がつき、獣は自身の脚を殴りつけて下がろうとする動きを阻害した。


 対して、クレアは扇子を手に取った瞬間……欠けていた何かを嵌め込んだような気分を味わった。まるで生まれた時から手にしていたような自然性。それだけに心は軽く、扱いは何故か熟知し、頭の中にある情報が流れ込んできた。あぁ……そうか。お前のことが良く解ったぜ。心の中でそう言葉を思い浮かべたクレアは、ばさりと扇子を開いた。




「……解号。いとあれ厄災やくさいごとく。今此処に、お前のまことの銘を告げる──────」




 気配が……雰囲気が一変する。獣から発せられて周囲を包み込んでいた憤りと殺意の気配が霧散し、緊迫したものへとなる。クレアの周囲に風が捲き起こる。竜巻が柱のように立ち上り、少しずつその他周辺の風も強くなっていった。最後は、台風が子供に思えてしまう業風に覆われてしまう。その中央で、クレアは静かに扇子を構えたまま目を閉じていた。


 頭の中に現れた専用武器である扇子の真の銘。彼にしか解らず、理解出来ない特別の名前。それを口にするということは、扇子に本当の意味で名を付けるということだ。そしてそれは、使い手として認め、これから先扱うことを決心した事に他ならない。だがその程度は何とも思わない。ここまで手に馴染む武器を、手放すなんて勿体ないことするわけが無い。


 天変地異でも起こされたような大嵐の中、その中央、中心部にてクレアの体から言葉にできない力が発せられた。鼓動のように波動を放つそれは2箇所から。1つは彼から。もう一つは扇子から。タイミングが合っていなかったそれが、ちょうど重なったその瞬間……クレアはその銘を口にした。






「────────『蒼神嵐慢扇あおがみらんまんせん』」






 蒼き龍が手にした扇子の形をした専用武器。その銘を『蒼神嵐慢扇あおがみらんまんせん』。正式に名前を与えられ、クレア・ツイン・ユースティアの一部と化した扇子は歓喜した。やっとだ。待ち望んだ瞬間が訪れた。鍛えられ、造り出された瞬間からクレアと1つになることを望んでいた蒼神嵐慢扇は、この今という瞬間に全てを感じた。


 何でも出来る。何でもやってみせる。何が来ても主の前から消してみせる。それだけの心意気だった。使われることを望んでいた。使って欲しいと望んでいた。だから今が最高の瞬間だ。その事が主であるクレアに伝わったかは解らない。何せ武器だからだ。しかしクレアは、真名を解放した蒼神嵐慢扇の装飾を優しく撫でた。


 最高の鍛冶の力を持つ神によって鍛えられた最高の武器。彼にこそ相応しい扇子は陽の光を浴びて爛々と光を放ち、使われるその時を今か今かと待っていた。それに応えるように、蒼神嵐慢扇を持つ右手を振りかぶり、薙ぎ払った。






 蒼き龍の周囲は風による死地と化し、地獄を創り、嵐を生み出した。辺り一帯は風により全てを支配された風の領域。そこに立ち入ることは、何人も赦されない






 ──────────────────



 獣(分身)


 専用武器の解放に直感で危険信号を発したが、止めさせるための動きすらもできず、まるで神聖な儀式のようで見ていることしかできなかった。





 クレア


 肉体で獣に負けていることを把握している。となれば戦い方は中距離から遠距離を主としたものとなるが、それだと勝ちにいくための戦いでつまらないと感じ、専用武器を解き放つことにした。


 真名は頭の中に思い浮かべた。解放すると、カチリと完全に何かが嵌まった感じがして、正式な専用武器となったことを悟る。





 真名解放・蒼神嵐慢扇


 クレア・ツイン・ユースティアにのみ使用を赦された専用武器。その真名。


 主に仇為す存在は赦さない。風を生み出し支配する窮極の兵器。鍛冶師として最高の腕を持つ神によって鍛えられしその扇子は破壊不可能の金属で造り出されたことで、何者にも破壊することはできない。それは当然主であるクレアにも不可能。


 クレアと同じ蒼を持ち、美しい金の装飾を施されている。開けば風が吹いているような綺麗な模様が金色で描かれている。




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