第142話  獣の力




 獣にとって、風とは走れば生じる程度の、意識しなくてもあって当たり前なものだった。認識としては当然というもの。つむじ風でもそよ風でも何でも、風に関するものはあって当然。故に、風がここまで脅威であるとは知らなかった。




「──────オラかかってこいやァッ!!」


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!!!」




 押し寄せる蒼風による風刃。その切れ味は大地を大きく裂く程のもの。正面から受ければ、警告と言わんばかりに向けられて、頬の毛並みを数本を斬り裂かれたことから、軽傷とはいかないことだろう。


 だからこそ跳躍をして避けたり、瞬間移動をしている。竜巻から飛ばされる風刃は非常に速く、鋭いものだ。ならば、何故獣は瞬間移動を使ってクレアの傍に転移しないのかと疑問を持つだろう。だが忘れてはならない。彼の周りには風刃を混ぜた風の結界が包み込んでおり、竜巻の中心部に居る。


 そんなところに転移してしまえば、どうなるかなんて火を見るより明らかだろう。巨体を持っている獣であろうと、竜巻の中に入れば途端に斬り刻まれる。それを理解しているからこそ、今は回避に徹しているのだ。そう……回避に徹している。攻撃しないのはタイミングを見計らっているからだ。


 クレアもこの竜巻から発生する風刃だけで仕留めようとは思っていない。彼もまた、獣が隙を見せるのを見計らっている。すぅっ……と空気を吸い込んで、静かに息を吐き出した。吐息は蒼い風となり、彼の前で円を描く。回転をすると、円の内側が蒼く輝いていく。魔力が籠められていき、解放の時を待った。


 対して獣も攻撃の準備を進めている。避けながら口を固く閉じている獣は、口内で空気を圧縮していた。固く閉じても鋭い牙の隙間から漏れて入ってくる空気をひたすらに小さく圧縮していくのだ。元の大きさにすれば獣の体よりも大きな空気の塊になるだろう。だがそれでも、避け続けている間はずっと空気を圧縮し続けていた。


 両者共に攻撃の準備は整っている。あとは何か小さな切っ掛けがあれば始まるのだ。そしてその時は、早くも訪れることとなった。避け続けていた獣だったが、度重なる風刃の飛来によって足下は深く斬り裂かれた大地が広がっており、その残った隙間を足場にしていたが、それが自重によって崩れたのだ。


 明らかな隙である。見逃さなかったクレアは蒼風の円を起動させた。そして籠められた魔力が一度に放出されようとした時、体勢を少し崩した獣が瞬時にその場から瞬間移動をし、もっと足場がしっかりとした場所に移った。そして口を開けて凝縮された空気の塊を覗かせた。




「──────『流離う我が蒼き風が来たアァレン・ヴァーリハイト』ッ!!」


「──────■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!!!」




 風の円から放たれたのは蒼い光線だった。リュウデリアのブレスにも似たそれは、瞬間移動をして位置を変えた筈の獣の元へと一直線に向けられた。そして獣が解放した凝縮されていた空気も、前方に向かってのみ飛ばされた。


 飛んでいく先はどちらも敵だ。クレアの蒼い光線と方向性を与えられた凝縮していた莫大な空気。殆ど同じ速度で飛んでいったら最後、訪れるのは接触であり正面衝突だった。


 そこらの有象無象がどちらかに当たれば欠片すら残らないだろうエネルギーの塊が衝突しあって押しやろうとしていた。両者の中間地点で削り合う風と空気。その威力が伝わってくる破壊の波動が周りの物を吹き飛ばし、上空の神界の雲も消し去っていった。


 拮抗状態が続き、時には獣の飛ばす空気が押したり、クレアの蒼い光線が押したりとしていたが、最後に勝ったのはクレアの蒼い光線だった。獣の空気は、莫大な大気を凝縮して放ったものだ。つまりいつかは使い果たしてしまうのだ。対してクレアの蒼い光線は魔力である。


 体内で内包する魔力はこれもまた莫大であり、凝縮したとはいえ、空気の総量よりも圧倒的に勝っていた。故に空気の砲撃を押していき、最後には完全に押し勝ったのだ。蒼い光線は獣の頭を撃ち抜こうとしていた。しかし寸前のところで躱されてしまった。直撃していれば勝負は決していたのだが、そうもいかないようだ。


 だが無傷ではない。躱したは躱したが、躱しきることはできなかったのだ。顔を逸らしたまでは良かったが、少しだけ間に合わず顔の左側にある2つの目の内片方に当たって潰されてしまった。頬の肉も少し持っていかれただろうか。取り敢えず4つの目の内1つが失明した。その痛みにより、獣は自身の目がやられたことを確信している。


 血が流れて毛並みを濡らしていく。赤黒い手のような毛をしているので、血か流れても少し解りづらいが、濡れている箇所があるので良く見れば解る。そして、戦いが始まって一番ダメージらしいダメージを受けたので、獣は殺意で気配を膨らませた。


 まさしく、言葉の通りの怒り心頭。血管を肉眼で確認できるならば、恐らく顔中に青筋が奔っていることだろう。それだけの怒気と殺意の気配を正面から叩き付けられて尚、クレアは人差し指を曲げて、かかってこいのジェスチャーをして挑発した。




「目ン玉1つ吹っ飛ンだくれェでキレるなよ。お前4つもあンだろーが。それよか続きだよ続きィ。まだ試したりねェンだからさっさと再開しようぜ。まさか、この程度の訳がねェよなァ?神界を滅ぼせる獣サマよ」


「……ッ……■■■■■■■■■■■ッ!!!!」


「……へェ。結構属性持ってンじゃねーか」




 これまで見てきた中でも、確認できたのは炎と雷だった。どちらもリュウデリアとの戦いで見せられたものだ。なので他にも使える属性はあるだろうなと睨んでいたが、やはりその通りであった。獣は複数の属性をつかうことができるようなのだ。


 地に足を付けて立っているクレアの足首に、土が盛り上がって固まって拘束した。移動を制限されたと思った時には、左右から大きく分厚い土の壁が、畳返しでも受けたように持ち上がって挟み込もうとしていた。今度は土系の力かと思いながら、クレアは腕と翼を使って丸くなり、魔力で自身の体を覆い尽くして防御の態勢に入った。


 そして、クレアは土の壁によって挟み込まれた。押し潰されてしまったかと思える状況だが、閉じられた土の壁が小刻みに揺れて、少しずつ左右に開かれていった。中からは腕で支えて無理矢理開こうとしているクレアが居り、魔力で強化した肉体で抜け出そうとしていた。


 だが彼が外に出てくることは無く、彼を挟んで潰そうとしている土の壁の左右から、更に大きな土の壁が地面から持ち上げられて轟音を響き渡らせながら閉じた。そしてそれだけでは飽き足らず、更にその外から、更に、更に、更に……と、まるでマトリョーシカのようにクレアを押し潰そうとしているのだ。


 最後は獣の視線の位置と同じくらいの高さまで来る土の壁で挟まれていた。完全に閉じられているので、如何にクレアと言えども潰れただろう。そんな事が思い浮かんでも致し方ない状況なのに、この程度では終わらなかった。


 土の壁に罅が入る。突然としてミシリと小さな音を立てながら罅を入れていき、罅の大きさは増していく。内部ではどうなっているのかは解らないが、突破しようとしていることは察せられるので、獣は体を少し浮かせながら前脚を振りかぶった。そしてその前脚は帯電していた。


 振り下ろされる帯電している前脚。容易に砕かれる土壁の集合体。そして迸る高エネルギーの雷電。追加ダメージも入るだろう一撃に、辺り一帯を包み込んだ土煙。問題の土壁に挟まれていたクレアだが、土煙が風に流されて晴れれば見えてきた。




「お゙ぉ゙ん゙……痺゙れ゙る゙ゥ゙。……っはァ……オレがこれで感電死したらどーすンだよ。えェ?この世全ての龍が泣いちゃうだろーがッ!!」


「■■■■■■■■■■………ッ!!!!」




 龍の他の者達から悍ましい姿をしながら、無駄に強すぎて逆らえない厄介な奴が死んだと喜ばれるだろうことを知っていながら、態とらしく言うクレアは、雷を纏う前脚を受け止めていた。帯電する雷に当てられて痺れていた様子だったが、すぐにそれは蒼風によって掻き消された。


 渾身の一撃を、自身と比べて圧倒的に小さい体で受け止めているクレアに驚いている獣だが、真に驚くべきは、あれだけの攻撃を与えてもなお、土で鱗が汚れていること以外に変わったところが無いことだ。つまりはまだ傷らしいものができていない。


 これでもダメージらしいダメージは入らないのかと、潰された目以外の3つの目を吊り上げて苛立った様子で唸った。押し込めない力強さに、この蒼い存在は何故、こうも体格差を感じさせない事ができるのか理解出来ない獣。だがそれは仕方ないのだろう。


 クレアは龍であり、地上の生物だ。普通地上に住む生物は連れ込まれない限り神界に居ることは無い。例え何らかの方法で到達出来たとしても、神界の大気は地上の生物にとっての有毒なので、何もせず死に絶える事だろう。しかし彼は、彼等は違う。


 神界でも活動出来る術を持っているから此処に居て、尚且つ神々が使う権能ではなく魔法を使っているのだ。ただそれを使う権利があるから、使っているという権能とは違い、組み込んだ術式の機構によっては魔法は無限の可能性を持っている。そして魔法に使う魔力単体にだって色々な使い方があるのだ。


 つまるところ、権能では出来ない肉体の強化に、獣は理解が出来ていないのだ。1つのことを司ったら、それに関わるものしか使用できない権能とは違い、炎も水も土も好きに操り生み出せ、自身の肉体強化もお手のものである魔法は万能だろう。


 使用するにはそれ相応の魔力が必要になってくるとはいえ、選べる選択肢は多岐に渡る。その選択肢に、獣は困惑するしかない。だが権能も権能で強力だ。使えるならば特にデメリット無しで使用できるのだから。


 さて、ここで何故魔法のことはいいとして、権能の話をしたのかという疑問が生まれてくる訳なのだが、これは獣に関係するものなのだ。疑問に思わなかっただろうか。獣はどうやって瞬間移動や炎、雷に土と多種の力を使用できるのかと。




 ──────最初の、リュウデリアとコイツとの戦いを見て思ったンだよな。使う力はどうやって身に付けたのかってよ。神共ですら何かを司る権能を持つ奴と持たねェ奴とで別れてるっつーのに、コイツだけいきなり特別に多種の力持ちってかァ?ンな訳がねェ。何かしら理由がある筈だ。だが解ったぜ。この獣が色ンな力を使える理由。




「お前──────喰った神の権能が使えンな?」




「■■■■■■■■■■■…………」




 クレア達の中で最も獣について知っているシモォナが言っていた、獣に喰われた神は消滅するという話。単なる神殺しが出来るという話だと呑み込みやすいが、実のところ他の可能性が出て来る。


 確かに神は殺しても同じ記憶を持った奴が再び生まれるだけなので根底から殺すのがベストなのは違いないが、神界を滅ぼすとまで言われた獣がその程度の力な訳がない。そして瞬間移動やら炎やらの力を使っている。それらを混ぜ合わせて考えれば、自然と出てくる答えだろう。


 神を喰らえば根底から殺すことができ、更には喰らった神の権能を奪い取って行使する力。それこそが獣の持つ唯一にして神界を滅ぼしうる力の正体だ。この程度の力が無ければ、無限に広がる空間を滅ぼすなんて出来やしないだろう。


 受け止めた前脚を押し返して振り払い、翼を使って目線が同じ位になる程度の高度まで飛んだクレアは、人差し指を向けて宣言する。お前の力はこんなところだろう……と。残念ながら言葉を話さない獣は返答のしようが無いが、何となく言われていることを把握しているのだろう。見破られたことに不快そうな低い声を上げた。


 事実、獣の持つ能力とは、喰らった神を根底から殺しても消し去り消滅させること。その際に神が持っている権能を奪い取って自由に使う事が出来るという、反則染みたものだ。権能1つにとっても強力なのに、それが幾つも重ねられて使われるというのだ。まさに脅威だろう。


 神界で暴れ、神を喰らえば喰らう程強くなっている獣。その能力を知ってしまえば期待してしまうのも致し方ないだろう。何せ今まで見せた力は総てのものの一部でしかないはずなのだから。これからもっと多い引き出しを開けて力を見せてくれるだろう。そんな大きな期待を抱きながら、クレアは蒼い魔力を漲らせた。






 恐るべき能力を持つ獣と、蒼き轟嵐龍の戦いはまだ続こうとしている。しかしこの戦いだけで終わるのかは、まだ解らない。






 ──────────────────



 獣


 持っている能力は、神を喰らえば根底から殺しながら、持っている権能を奪って自由に使用することが出来るというもの。つまり、少なくとも瞬間移動が出来る神と、炎、雷、土、見えない何かを使う力に関係する権能を持った神が喰われているということになる。





 クレア


 神を喰って消滅させるだけの能力で神界を滅ぼせるかァ?と懐疑的だった。そして少し考え直して色々整理していると、権能も奪える力ではないか?という線に行き着いた。


 傷は負っていないが、ダメージが一切無いということはない。体の内に響くものがあるが、それを表には一切出していないだけ。まあ、それでも本当に少しのダメージなのだが。



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