第98話  変貌した国王







「はい、リュウちゃん。あーん」


「あー」


「うぅ……」




 使い魔とイチャついている傍ら、ティハネは羨ましそうな目で2人を見ていた。というのも、オリヴィアとリュウデリアは小腹が空いたということでお茶の時間に入ったのだ。


 異空間に仕舞っていたティーセットとテーブル、椅子を出して紅茶とケーキを楽しんでいた。魔物渦巻くダンジョン内だというのに、お茶会みたいな雰囲気になっている。異質なことこの上ない。この上ないが、テーブルの上に設けられた蝋燭の火が、2人を照らして妖しく儚いものに思わせる。と言っても純黒の使い魔に、純黒のローブを着た女が見つめ合ってるだけなのだが。


 完全にティハネは蚊帳の外だった。どれだけあの使い魔が大切なんだと少し思うものの、彼女が見ているのはそれではない。テーブルの上に置かれている紅茶とケーキだ。助けられて同行を許されてから4時間、階層は56階層へ到達している。だがその間、彼女は水一滴すらも口にしていなかった。


 何階層まであるか分からないダンジョンに籠もる必要があるため、探索者はある程度の食べ物と水を必ず用意していく。当然ティハネも用意していったのだが、疾走している途中で魔物に背負っていたバッグを攻撃されて落としてしまい、武器と服につけていた明かりを入れる為の小さなランタンの魔道具しか持っていけなかった。


 つまり、ティハネは水分補給すら儘ならない状況だったのだ。そこでオリヴィアがおやつの時間にしようと言いだし、今の状況に至っているというわけだ。普通ならばティハネにも分けてあげるのだろうが、彼女達は普通ではないので与えることはしなかった。




「その……オリヴィア、さん?」


「何だ。私はリュウちゃんと愛を育むのに忙しい」


「……一杯でいいんだ。その紅茶をくれないか?」


「断る」


「……え?」


「当たり前だろう。持ってこなかったお前が悪い。それに言っただろう、他でも無いお前が。『つれて行ってくれるだけで十分』だと。ならば、私がそれ以上の施しをしてやる必要はあるまい?」


「そんな……」




 ティハネは小さく震える声で呟いた。喉が渇いて水を欲している。唇も水分が足りなくてカピカピになっていた。変に水分補給を怠ると脱水症状を起こしてしまう。だから水分を求めるのは当然なのだが、それこそ知らないと断られてしまった。


 腹も減った。胃が空腹を訴えて音を鳴らしている。女としてあるまじきと思って頬を赤くしながら急いで腹部を押さえるが、チラリと見たオリヴィアは全く気にした様子は無く、使い魔に甲斐甲斐しくケーキをあーんさせて食べさせていた。居ない者として扱われていることに肩を落として我慢することにする。


 ここで無理に叫いて要求しても、待っているのは死だけだろう。フードが邪魔をして表情を見ることができないが、邪魔をすれば殺すと言っていたとき、嫌な説得力を感じさせた。それにより、あぁ……この人は本当に殺すだろうなと納得してしまった。


 金を集めて母親を解放するまで、どんなことがあろうと絶対に自身は死ぬ訳にいかない。そしてそれは、どんな汚い手を使おうともと置き換えることができる。何度も汚いことはしてきたのだ、もうやるやらないは言ってられない。やったからには救い出さなくてはいけないのだ。




「ふぅ……美味しかったなリュウちゃん。さぁ、後少しだけ進もうか」


「……………………。」


「あ、待ってくれ!」




 紅茶を飲んでケーキも食べ終えたオリヴィアとリュウデリアは立ち上がった。用意された一式の家具は上から魔法陣が降りてきて呑み込み、忽ち異空間へと送られていった。先程までの緩い空間が跡形もなく無くなり、さっさとその場を後にしてダンジョンの奥へと進んで行く。


 使い魔であるリュウデリアもオリヴィアの肩に乗っていて、ケーキを食べて満足したのか目を閉じている。こちらは飲み物すら貰えないのに、何故使い魔とはいえ魔物なんかに……と考えたところで頭を振って邪念を飛ばす。これ以上良くないことを考えるのはマズい。今の自身は連れて行ってもらっている立場だ。不興を買うのは避けなくてはならない。


 その為ならば、少し喉が渇いて腹が減った程度などどうということはない。駆け出しの頃は3日も飲まず食わずで過ごしたこともあるのだ。まだまだ余裕がある。それにこのペースならば攻略だって早いはずだ。


 頑張れティハネ。目的まで後少しなんだから。そう頭の中で自身を鼓舞しながら握り拳を作って気合いを入れている彼女のことを、目を開けて黄金の瞳を妖しく光らせたリュウデリアが見ていた。





















「ぐっ……このッ!!」


「さて、私は拳で戦ってみるとするか……なッ!!」


「……『砕けろ』」




『最深未踏』第62階層中間地点。降りてきた場所から次の階層に下がる為のところまで、ちょうど中間だという場所まで来て、オリヴィア達は少し強めの魔物と戦っていた。


 ダンジョンがこの場所で再現したのは、ハイオークとハイオーガ。そしてマジックゴブリンとハイゴブリンだった。普通の個体よりも上位に存在している『ハイ』がつく魔物達。姿形はそれ程変わらないのだが、筋力がより強かったり作戦を立てて襲ってきたりするので明らかに総合的な強さが違うのだ。


 オリヴィアは魔力で槍を形成しようとしたが、リュウデリアに少し教えてもらった体術を試すために拳で向かっていった。使い魔の振りをしているリュウデリアは、聞こえないくらい小さな声で『言霊』を使って魔物を粉々に砕いていた。そして問題はティハネだった。


 持ってきた二振りの短剣は使い物にならなくなり、現時点で武器を持っていないので素手での戦いになるのだが、相手が大柄のオークやオーガが相手となると、魔力で肉体強化をしようにも元がひ弱な女である彼女にはキツいものがあった。


 ハイオーガともなれば筋力が尋常ではない。なのに手にしているのは無骨な斧ときた。オークは落ちている木をそのまま少し削って作ったような棍棒だった。しかしオークも力が強く、蓄えられている脂肪が邪魔をして打撃が効かないのだ。




「…っ……はぁっ!!」


「■■■■■■ッ!!」


「ぐッ……っ!!」




 身軽な動きで接近して拳を打ち付けても、ハイオーガの筋肉の鎧にダメージを満足に与えることはできず、ハイオークの脂肪の鎧には衝撃が奥まで伝わらない。そうして少しずつ追い詰められていっているというのに、一旦引いて態勢を立て直そうとすればマジックゴブリンが魔法で攻撃してくるのだ。


 連携をして追い詰めてくる。これでは自身は……と、思いながらオリヴィアの方を見てみれば、見事な体運びでハイオーガとハイオークを肉薄にし、拳や掌底を叩き込んでいた。ハイオーガには硬く握り込んだ拳を腹に叩き込み、腕を貫通させてみせた。


 白目を剥いて倒れた腹を貫通されたハイオーガの後ろから、ハイオークが走り寄ってきて、勢い良く棍棒を振り下ろしてきた。大きな体で凄まじい筋力で棍棒なんて振り下ろせば、普通の人間は肉塊と成り果てるだろう。だが、そんな攻撃にも慌てず、オリヴィアは体をくるりとその場で回転させて脚を振り上げた。




「せェりゃァッ!!」


「──────ッ!?」


「彼直伝──────『流塵りゅうじん』ッ!!」




 左後ろ上段回し蹴りが振り下ろされる棍棒の側面に綺麗に叩き込まれ、爆発するように粉々に粉砕した。そしてそのまま驚いて固まったハイオークの懐に接近し、脇を締めて引き絞った右拳を腹に打ち込んだ。


 分厚い脂肪に覆われた腹筋のあるハイオークの腹には、打撃系の武器や技は通じにくい。だがリュウデリアから教えられたこの技ならば有効だろう。打ち込まれた膨大な魔力によって強化された拳から、多大な衝撃波が体の隅々まで伝えられていき、最後にはハイオークの大きな肉体を木っ端微塵に破壊した。


 肩に乗っているリュウデリアは、たった1度見せてコツを教えただけなのに、ぶっつけ本番で完璧に模倣してみせたオリヴィアの腕に感嘆としながら尻尾をゆらゆらと揺らした。一方でオークが粉々に弾け飛ぶ瞬間を目撃したティハネは、瞠目して驚嘆していた。


 ローブの中から見える腕は細くしなやかで、到底武術や体術を体得しているようなものには見えなかったのだ。その思い違いの振り幅が大きくて驚嘆させられた。魔法で20匹以上の魔物を蹴散らしたと言っていたから、典型的な魔法主体の魔導士タイプだと思い込んでいただけあって驚きの値は高い。


 連れている使い魔も、何をやったのか分からない手を使って魔物を粉々にしている。乗っている肩から一切動かずにだ。この人は他とはあまりにも実力が違いすぎる。それを実際に目の当たりにしてこれ以上無く確信した。だが、オリヴィアが強くてもティハネの今の状況が好転するわけではない。




「……ッ!!武器があれば……っ!」


「私達が相手にしていた魔物は全て殺したから先に行かせてもらうぞ」


「────ッ!?ちょ、ちょっと待ってくれ!」




 明らかにオリヴィア達へ群がる魔物の方が多かったというのに、もう魔物達は殲滅されていた。砂のようになってダンジョンへ吸収されていく魔物の横を悠々と歩いて先へ進んでいく。その後ろ姿を見て、つい大声で呼び止めてしまった。それに反応してティハネを襲っていたハイオークとハイオーガが反応してしまった。


 振り向いて他の魔物を一掃したオリヴィアを視界に収めると、ハイオーガの方が向かって行ってしまった。荒々しく駆け出しているので、背を向けていても近付いているとすぐに解る。故に、はぁ……と溜め息をついて右手の中に魔力で武器を形成した。


 振り向きながら一閃。左下から右上へ向けて、袈裟に軌跡を描いた。手に持つのは、リュウデリアから聞いてイメージした刀。嘗て神界の世界樹周りの秩序を守る四天神の1柱が使用していた武器だ。それを純黒なる魔力で形成して向けた。結果、ハイオーガは斜めに両断されて崩れ落ち、その奥に居るティハネを襲っていたハイオークまで両断した。


 飛ぶ斬撃が土の壁を引き裂きながらハイオークに向かい、斜めに斬り裂いたのだ。握っている魔力の刀を消して、オリヴィアは何も無かったように踵を返して先へ進んでいった。その後をティハネが急いで追い掛けていく。




「やはり足手纏いだな」


「ぐふっ……す、すまない」


「すまない?」


「ごめんなさい」




 引き攣った笑みを浮かべてどうにかその場をやり過ごした。もしかしたら、次に同じようなことをしたら殺されるかも知れない。その事実に怯えながら、空腹を無視して進んで行くことしか、ティハネにはできなかった。




























 ダンジョンが近くに発生されやすい国、ミスラナ王国。そしてそんな国を治めて人々を平和に導いているのが、ミスラナ王国国王、ファン・ローニウス・ミスラナビムその人である。


 性格は極めて温厚。妃との間には5歳になる娘の王女が居り、その下には未来の国王になるだろう2歳の息子であり王子が居た。まだ小さい娘と息子、そして愛する妃に囲まれて順風満帆な生活を送っている。家臣にも恵まれて、例え他の者が家臣だったとしても、今の国は無いだろうと言えるくらいの優れた者達に助けてもらった。


 大きなダンジョンが近くに発生しやすいということで、ダンジョン目当てでミスラナ王国へやって来る者達も多く、それに伴い店が繁盛して国財が潤っていく。それを使って城下町の壊れた建物の修繕や新しい公園。娯楽施設などの建設に税金を使っていた。とどのつまり、国王はとても優れた人格で周りの者達に慕われていた。




 ──────




「──────チッ!この単独で『最深未踏』を十何階層も攻略したという冒険者はどういうつもりだッ!!まさか我が国が保有するダンジョンの中で最大のダンジョンを一刻も早くにと攻略するつもりではあるまいなッ!?」


「お、落ち着き下さい陛下!その冒険者は他の国で、突如襲ってきたという魔物の大群を無傷で生還しながら魔物を最も討伐し、推定Sランクの突然変異のオーガを単騎で屠ったという、最近に噂になっている腕利きの冒険者なのです!実力を考慮すればそのくらいの攻略速度は予想の範疇かと……っ!」


「他の国……?まさか、その国の王の命で我が国のダンジョンを早々に攻略している不埒者か!?」


「……っ!?ち、違います陛下!彼の者は冒険者ですので特定の国には所属していませ──────」


「黙れッ!!私の言うことを否定するつもりか!?貴様なんぞ極刑にして処してやっても良いのだぞッ!?」


「へ、陛下……っ!」




 執務室で大声で怒鳴り散らしているのが、温厚で家臣や皆から好かれているという国王だった。今では見る影もないくらいに短気な様子となっている。毎日召使いに整えられていた髪や髭は無情な状態となり、手入れをしようとすれば近づくな不敬者と怒鳴られる始末。


 御年46という若さでこれだけの統治力を見せていた国王は、独自の偏見で物事を捉えるようになってしまい、それは間違っていると忠告する家臣達を鬱陶しそうにしていた。今まではこんな事無かった。機嫌が悪いというレベルの話ではない。まるで人が変わってしまったようだった。


 どうにかダンジョンを順調に攻略しているという冒険者から注目を逸らすために、他のことが記載されている紙を前に出して話題を変える。しかしそれがいけなかったのか、国王は執務室のテーブルの上にあったものを乱雑に払って全て床にばら撒いてしまい、苛立たしげに部屋を出て行ってしまった。


 使用人等と手分けしてばら撒かれた、国王が目を通さなくてはならない書類を集めて整え、元あった場所へと戻していく。テキパキと熟していく使用人達に礼を言って溜め息をつく国王の家臣は、どうしてこうなってしまったのかと眉間を指で揉み込んだ。



















「チッ!チッ!チィッ……ッ!!どいつもこいつもこの私に意見しおってっ!私は国王であるぞ!不敬な阿呆共めがっ!」


《────?──────、─────────。》


「あぁ……あなた様だけが私の味方です。どうかこの私めに助言をお与え下さい……っ!」


《──────……────、────────。》


「なるほど……なるほどなるほどなるほどっ!!流石でございますっ!!邪魔ならば排除すれば良いのですねっ!何故気がつかなかったのか……っ!助言ありがとうございましたっ!!」




 自室に籠もって内側から鍵を掛けた国王は、何も無い虚空に向けて喋り掛けていた。そしてその時の彼の目は、薄黒い靄のようなものが渦巻いているように見えた。


 誰がどう見ても正気ではない。しかしそれを口にすれば、正気ではない国王の然りの言葉を吐きかけられ、ことと次第によっては処刑すると言い始めてしまうので誰もどうしようもないのだ。






 オリヴィアとリュウデリアがダンジョンに潜っている間に、ミスラナ王国では異変が起き始めていた。







 ──────────────────



 オリヴィア


 ティハネが水や食べ物を欲しがっていると分かっていながら分けなかった。理由は持ってこなかった自分の責任だから。これからも水の一滴だってあげるつもりはない。野垂れ死ぬなら勝手に死ねばいいというスタンス。


 リュウデリアとのイチャイチャ時には全てを無視している。





 リュウデリア


 オリヴィアがまさか『流塵』を一発で決めるとは思わなかった。それに回し蹴りも完璧だった。やはり戦う才能があるな……と密かに思っている。


 後をついてくるティハネの邪念には気がついている。オリヴィアが許可した手前勝ってに殺すのはマズいと思って見逃しているが、不用意な動きを見せたら普通に殺すつもり。


 ケーキをあーんしてもらっているときは、嬉しくて尻尾ブンブン。翼パタパタだった。





 ファン・ローニウス・ミスラナビム


 ミスラナ王国国王。御年46であり、威厳が欲しいということで髭を伸ばして立派なものを持っている。周りからは良いと思いますよと言われて結構自慢だった。性格はとても温厚で、政略結婚だったが妃のことは心から愛しており、娘と息子もとても可愛がっている。


 だが、ほんの2週間程前から様子がおかしくなってしまい、周りの者達の声が届きづらくなってしまった。皆がどうにかしようと動いているのを、大変鬱陶しく思っている。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る