第201話 宝はそこですよ

 事件の始まりは少々の時を遡ることになる。


 事の起こりはレオンハルト・フォン・アイゼンヴァルトが正式にカルディア辺境伯に就任したことであった。

 十代前半という当主としては年若い者がその座に就くことは少なからず、起きることだ。

 血を重んじる貴族はすべからく世襲制であり、不慮の事故により幼い子供が当主となる事例が多いからだった。

 その場合、年長の親族が後見人として付くのも慣例である。


 ただし、レオンハルトの場合は特殊だった。

 亡父であり、悲劇的な死を遂げた前カルディア公リヒャルトの後を継ぐという建前がある以上、表立って批判する者はいなかった。

 十年前にカルディアで起きた悲劇を思えば、そのようなことを口に出せる者などいなかったのだ。

 しかし、弱冠十三歳の少年が帝国屈指の力を持つ辺境伯の地位に就いたことは悪いことばかりでもない。


 不満を隠しきれない不穏分子が炙り出されるからである。

 不穏分子にとって、止めとなったのはレオンハルトの傍らに皇位継承権を持つ唯一の公女リリアーナ・フォン・アインシュヴァルトが控えていたことだ。

 純然たる力を持つ大貴族の筆頭アインシュヴァルト公爵家がカルディアを後押しすることは想像に難くない。

 それは帝国内の勢力図を一変しかねない事態でもあった。


「このワシがなぜ、あのような小僧と小娘の下につかねば、ならんのだ」


 快適と言い難く、絶え間なく襲ってくる激しい揺れと憤懣ふんまんやる方ない思いに駆られ、男は馬車で悪態をつく。


 男の名はアメリスト・デ・クレモンテ。

 クレモンテ子爵家の当代当主であり、此度の領地替えにより、帝国南部にある新しい領地へと赴く旅の途中である。

 アメリストは痩せぎすの貧相な体をした男だが、猛禽類のように鋭い眼光を面差しに浮かべるさまは体つきだけで彼を判断してはならないことを示していた。


 彼には胸に秘めたる野望がある。

 今は子爵という自分の実力に合わない小貴族に甘んじているだけに過ぎない。

 自分のように実力があり、賢い者は人の上に立つ存在である、と。

 そう信じて疑わなかった。


 その為に目に入れても痛くないほどに愛する息子イレネリオに最もふさわしい嫁を迎えなくてはならないと考えた。

 それが急に現れた馬の骨に攫われたのだ。

 これが怒れずにおれるだろうか。

 全く持って、分不相応な考えと思いを抱いていると思われても仕方のないことだが彼にとってはそれが全てであり、正しいことなのだ。




 己が領地に辿り着いたアメリストがまず、手掛けたのは他でもない。

 自邸の修繕と大掛かりな改築であった。

 クレモンテ家は元々、広大な領地を有していた訳でもなければ、商才に長けている訳でもない。

 それにも関わらず、一般的な子爵家の収入で賄える金額を遥かに超える予算を掛け、領民を使役し、屋敷の工事を急がせていた。

 それと同時に私兵を使って、領内から税の取り立てと称した大規模な搾取を行っている。


 帝都の暮らしが長かったアメリストにとって、南部の辺境の地で暮らす民衆は蛮族のようにしか、見えていなかったのだ。

 しかし、元より人口の少ない過疎化した村落の多いクレモンテ領ではいくら取り立てようとも限度というものがある。


「何か、他にいい手はないものか」


 思案するアメリストに見慣れぬ顔の下僕が囁いた。


「旦那様、デファンデュ山に宝が隠されているとの噂がございます」


 下僕の進言は甘美な調べのようにアメリストの心にすとんと落ちるように染み渡った。

 その声がまるで闇の底から、呼びかける妖しい魔の囁きだったことにも彼は気付かない。


 領民は必死に彼を止めようとした。

 デファンデュには守り神がいて、入れば怒りを買うと昔から、伝えられていたからだ。

 まだ、十歳にも満たない彼の愛息子イレネリオも半ば呆れたような、半ば諦めたような表情で諫めたがアメリストは全く、聞く耳を持たなかった。


 ついには自ら、私兵の一隊を率い、件のデファンデュへと乗り込んだのである。

 アメリストは麓にある小さな村落で地理に詳しい道案内を求めるが、素朴で自然への崇拝を忘れない生活を続けていた村民は頑なにこれを拒んだ。

 『守り神様がお怒りになる』と恐れおののく彼らを『下らん迷信をいつまで信じておるのだ。これだから、蛮族など程度が知れとるな』と蔑み、強要しようとするアメリストだったが事は思うように運ばない。


 業を煮やしたアメリストはついに強硬手段に打って出る。

 こともあろうに自分の息子よりも幼い少年を無理矢理、道案内に立てるとついに禁断の地デファンデュへと入ったのである。

 デファンデュは地元の民から、山と呼ばれているがその実、小高い丘と言った程度の高さしかない。

 それでも崇敬を集めているのはデファンデュの山肌に大きな異形の神像を設置し、禁足地としているからだ。


「実に下らん。あんな像を崇めておるとは」


 視界に入った身の丈が十メートルを超えようかという巨大な石像を見据えたアメリストは不快感を隠そうともせず、さも忌々しい物を見たとでも言わんばかりに苦虫を嚙み潰したような顔をする。


 石像は何とも奇妙な姿をしていた。

 同じく石で組まれた台座の上に二本足で直立しているので辛うじて、人のように見える。

 しかし、その頭部は人というにはあまりに大きく、奇怪な見た目をしていた。

 両目が正面についておらず、側面についており、丸みを帯びながらも無機質で冷厳さを感じさせる鶏眼に似ていた。

 鼻と口も人のそれにはまるで似ていない。

 前に突き出た口は耳元まで裂けており、鳥類の嘴のようにも見える。

 頭頂部にはまるで王冠のように見える毛が飾っていた。


「宝石でも付いておれば、まだ金になったものを。下らん。実に下らん」


 独り言つアメリストの不遜な物言いがその神に届いたのだろうか?

 まるで神の怒りにでも触れたかの如く、大地が激しく揺れ動き、慌てふためく人の声と逃げ惑う獣の鳴き声が響き渡る。

 永遠に続くのかと思われた大きな地震だが、実のところ、一分にも満たないほんの短い時間の出来事だった。


「一体、何が起きたというのだ。む!? アレは何だ?」

「コカドリユ様怒ってる。ダメ。いけない! 入る、いけない!」

「ええい、うるさい」


 地震によって、石像が崩れ落ちるとそこには黒々とした大口を開けて待つ洞窟の入り口が姿を現していた。

 道案内として連れてこられた現地の少年ヨムは必死な形相でアメリストの前に立ちはだかったが、痩せぎすの男は情け容赦なく、拳を振るった。

 小さな体は呻き声一つ上げず、赤い花を散らせながら、吹き飛んでいくと大地に倒れ伏した。


 その時、アメリストに付き従う私兵の一人の様子がおかしくなっていたことに気付く者は誰もいない。

 彼の体は堪え切れない怒りに耐えるように細かく震えていた。


「洞窟の入り口ですよ。宝はきっと、その中にありますよ。旦那様を待ってますよ」


 この場にいない下僕の声にも関わらず、アメリストは何の疑問も感じていないようだ。

 その目はまるで熱病に浮かされた者のような危うさを感じるものだった。


「よし。あの洞窟にワシの宝が眠っておる。者ども、行くぞ」


 彼らは知らない。

 暗闇に一歩でも足を入れれば、決して足を踏み入れてはならぬ領域に踏み込んだ代償を払わなくてはいけないことを。




 様子のおかしくなった若い私兵一人が欠けたことにも気付かぬまま、地獄の門をくぐったアメリスト一行を辿り着いた先で待ち受けていたのは鏡面のように凪いだ美しき地底湖だった。

 どこからか、差し込む微かな光でこの世とも思えぬ幻想的な美しさを醸し出す情景に人を人と思わぬアメリストも言葉を失い、ただ見惚れるだけだ。


「宝はそこですよ。ほら、すぐそこですよ」


 再び、闇から囁くようにあの声が聞こえ、我に返ったアメリストが視線を送るとそこにあったのは大きな楕円を描く球形の物体だ。

 ゆうに大人が数人入れる大きさを誇るその物体は縮尺こそ違うものの何らかの生物の卵のように見えた。


「これが宝か。卵とはな。ふむ……そうか、なるほどな。確かに宝か」


 アメリストは腑に落ちない顔をする私兵を前に猛禽類を思わせる双眸に邪な光を宿し、薄っすらと笑みを浮かべた。


「貴様らにはこれの価値が分かるまいよ。これこそ、最高のお宝よお! 蛮族どもが神と称する生き物の卵だからなあ」


 神という単語にざわつく私兵を他所にアメリストはどこか、熱病に浮かされたような表情で言葉を続ける。


「あれを見よ。あの巨大な骨こそ、愚民の崇めた神のなれの果てよ。奴らは既に滅んだ竜を恐れていただけなのだ。とうにおらぬものを崇めるだけとはやはり、蛮族とは愚かなものよのう」


 アメリストが指し示した先には十メートルを優に超える巨大な白骨が身を湖に浸し、静かな眠りについていた。


「この卵は既に滅びし竜の卵に相違あるまい。あの骨を見よ。滅んでどれほどの時を経たか、分かるであろう?」

「旦那! しかし、それとお宝が何の関係があるんですか?」


 未だに腑に落ちない表情の面々が多いことを察した私兵の隊長が皆の気持ちを代弁する。


「竜の卵だぞ? 生きてようが生きていまいが関係ないのだ。そうか、貴様らは知らぬか。竜は鱗一枚でも千金の価値があるのだ。あの骨ですら、持ち帰れば、相当な資産になるだろうよ」


 アメリストは再び、ざわつく私兵をどこか、冷めた視線で見やると言葉を続けようとするがその時、再び、大地が激しく揺れ始めた。

 それはまるで禁忌に触れた罰当たりな者どもへの神の怒りのようだった。

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