第188話 レオ、手加減という単語をまず、辞書に載せましょう?
爺やは
だって、骨ですもの……。
辛うじて、機嫌がいいか、悪いか。
その程度は何となく、分かるのですがそれ以外に関しては長い付き合いの私でも匙を投げざるを得ません。
でも、今は闇のような眼窩で煌めく炎の瞳から、明らかに胡乱な者を見る光が見て取れますわ。
「帰るのに時間かかったのに余計、具合が悪そうに見えるがのう?」
「そ、そうですわね。どうしたのかしら」
レオに相変わらず、お姫様抱っこをしてもらっている私ですが、さらにぐったりとしています。
お城に帰る前よりも悪くなっているように見えるので不自然ですわね。
それもこれもレオが悪いの! とは責められません。
『いや』って口に出しているだけで『いや』ではなかったんですもの。
結局、受け入れたのは私ですものね?
「外はもうそろそろ、日が落ちてくる頃だね。六階に入ってすぐのここで野営しておいた方がよくないかな?」
「ふむ。それも一理あるのう。わしは疲れを感じられんから、失念しておったぞい。これは大事なことじゃのう」
爺やはそう言うと分厚い黒革の装丁が施された冊子を宙から取り出しました。
何やら、一生懸命書き込んでいるようです。
今回の旅は攻略というよりも調査の方が本来の目的ですから、事細かに気になる事象を書き加えておく方が後々の為になるということかしら?
ダンジョン攻略法という名の本が書店の軒先に並ぶ日がそう遠くない気がしますわ。
「お主らは休んでおくとよいぞ。わしは寝なくても平気じゃからな。寝ずの番でもへっちゃらじゃ。ゆっくり休んでおくがいいぞい」
爺やはそれだけを言い残し、骨だけの手をひらひらと振るといそいそと焚火の準備を始めました。
レオは何かを言いたかったようですけど、言い出せないまま、ちょっと困ったような表情になっています。
そういう顔をしている彼を見るとかわいくて、つい手を伸ばして、頬を撫でてしまいました。
ほぼ無意識に手が動いた気がするので、私も大概ですわね。
「そうだね。休んでおこうか。ちょっと待ってて」
額に軽く、キスを落としてから、私を地面に下ろすと身に付けていた外套を引いて、そこにエスコートしてくれました。
レオったら、ちゃんとこういう所作が出来るのに隠していたみたい。
能ある獅子は爪を隠せましたのね?
「ホントにいいの?」
「ええ。レオが落ち着くのでしょう?」
焚火の前で物書きに集中する爺やが外にいてくれるお陰で私とレオはテントの中で疲れを落とすことに専念出来ます。
レオが時折、太股の辺りをチラチラと窺っている気がしたので、休むついでに膝枕をしてあげようと思ったのです。
彼の頭の重みを感じながら、その横顔と髪を静かに撫でていると本当に落ち着くことが出来たのか、やがて安らかな寝息が聞こえてきました。
疲れていたのかしら?
……ん? 違いますわね。
あれだけ激しくやれば、疲れるのが普通ですわ。
私なんて、歩くのがやっとですのに……。
レオは普通に元気なのがおかしいのだわ。
でも、こうして寝ていると年下のかわいい男の子にしか、見えな……えっと、何か見てはいけないものが見えてしまった気がしますの。
寝てますのよね?
おかしいわね。
どうして、あんなに元気なのかしら?
そういえば、本で生命が危機に瀕すると種の保存をしようとして、そういう状態になると書かれてましたわ。
では、今がその生命の危機ですの?
違いますでしょう? どうなってますの?
変なことが気になったのとレオの寝顔を見ていたかったので結局、私は満足に休むことが出来ず、二人からかえって心配されることになるのでした。
メモが充実したらしく、気味の悪い笑顔を浮かべる爺やにも促され、レオにおんぶしてもらうという選択肢を受け入れ、六階の探索を開始することになりました。
「よいしょっと」
「ひゃぁんっ」
レオの手がお尻に触れたので、反射的に変な声が出てしまいました。
おんぶの方が私の負担が軽くて済むということでレオも仕方なく、おんぶを受け入れてくれたのでしょうし、姿勢を直す為ですから、我慢しなくてはいけません。
「おんぶも悪くないなぁ。おっぱい背中に当たるの意外といい! お尻を触っても怒られないし、これが役得ってヤツだね」
んんん?
レオが何か、呟いたのですけど聞き捨てならない単語が聞こえませんでした?
でも、疲れていて動きが悪いのは本当ですし、喜んでくれるのなら……
(何を言ってるの? ここはもっと、喜ばせてあげるべきじゃない? もっとぎゅっと後ろから、抱き締めて胸をくっつけたら、喜ぶわよ)
(そ、そうなのかしら?)
(いけません !彼はそのようなことを望んでいませんよ? 目を覚ますのです)
(え? ええ?)
(いいや!後のことを考えたら、もっと、グイグイいっておくべきよ)
(いいえ! 駄目です! いけません! 後でも先でもいけません)
とりとめのない思考の海に陥っていた私を現実に引き戻したのは甲高い金属音でした。
レオが右手一本でレーヴァティンを構え、最上段から振り下ろされた曲刀の一撃を受け流した音だったのです。
「リーナ、起きた? ちょっと我慢しててね」
「ふむふむ。実に興味深いのう。こやつら、狂化しておるようじゃわい」
「へえ。ベル爺は後ろのをお願い出来るかな?」
「お安い御用じゃよ。ほほいのほいじゃ」
レオの身体に雷の魔力が漲っていくのが感じられ、同時に私の身体を支えるべく副えられた彼の左手が感触を楽しむようにお尻を撫でるだけでなく、揉んで……ん?
ううん、我慢ですわ。
変な声を出してはダメだわ!
わざとしているのではないもの、きっとそうよ。
後方に感じられる魔物は爺やが対処してくれるから、問題ないでしょう。
ですが私を庇いながら戦わなくてはいけないレオの前にいるオークは軽く見積もっても十体以上。
ホブゴブリンも相当数がいますから、面倒なことに変わりありません。
「ねぇ、レオ……私に出来ることはありませんの?」
「これくらい、余裕だよ。心配しないで。むしろハンデありってことでいい練習になるかもね」
「レオ……」
そうですわ、出来ることがありますわ。
もっと胸を押し付けるようにしてあげれば、喜んでくれるもの。
「ちょっと動くよ」
「はい」
レオは右手だけで戦うというハンデを背負っているとは思えない動きでまず、手前にいたホブゴブリン三体を真っ二つにしました。
うっ……見てはいけないものでしたわ。
でも、気持ち悪いですわ……。
「面倒だなぁ。切るとリーナが気持ち悪くなるし、一気にいっちゃおうか」
レオの身体から感じられる魔力の揺らぎが一層強まり、レーヴァティンが青白い輝きを放ち始めます。
あの……レオ、手加減という単語をまず、辞書に載せましょう?
「てやっ!」
雷の魔力を十分に帯びたレーヴァティンを横薙ぎに思い切り振れば、どうなるのかは想像に難くないでしょう。
文字通り、炭と化した黒焦げの塊と大きな爪に引っ掛かれた無残な姿の大地が目の前に広がっていたのです。
「レオ、そこまでしなくてもよかったのではありません?」
「ダメだよ。あいつら、リーナを見たからね。見ていいのは僕だけなのに」
口を尖らせて、ちょっと拗ねたような表情をするレオもまた、愛おしくて……でも、見ただけで殺していたら、キリがないですわね。
そこまで想ってもらえるのは嬉しいし、幸せですけど。
私もそういう目でレオを見る者がいたら、殺したくならないのか? と問われたら、殺しますけど! って答えますわ。
「いやあ、実に面白いヤツらじゃぞい、かっかっかっ」
後ろの敵も片付いたのか、相変わらず、ふわふわと宙を優雅に飛びながら、爺やが現れました。
どうやら、とても機嫌がいいようですわ。
あの様子ですといい実験材料が見つかったとでも思っているのかもしれません。
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